澤穂希
さわほまれ
「苦しい時は私の背中を見なさい」
1978年9月6日生まれ、東京都府中市出身。
12歳でジャパン女子サッカーリーグ(現在で言うなでしこリーグ)デビュー、15歳で女子日本代表デビュー。
ジャパン女子最初の海外リーグ挑戦者。
INAC神戸レオネッサに長らく所属した。
FIFA女子ワールドカップに1995年大会から5大会連続出場し、2011年大会で優勝、MVP・得点王も獲得した。
この他、国際Aマッチ79ゴールと男女総合での日本人最高記録を更新した。
ちなみにそれまでの最高記録保持者は釜本邦茂氏の75ゴール。メキシコシティオリンピック(1968年)サッカー銅メダルメンバー。
しかし、流石に30代後半に差し掛かると体力のピークもすぎ目眩などにも悩まされるようになってきており、2015年のカナダW杯では出番が大幅に減っていた。
2015年夏に元サッカー選手で他チームのスタッフをしている男性(当初は一般男性としていたが、後に名前と身元がバレてしまった)と結婚。
その後もリオデジャネイロオリンピックへの出場を目指してはいたものの、同年12月に「W杯のレベルにない」として引退を決断、12月16日に「今季限りでの引退」を発表した。
なでしこで共に戦ったチームメイトやファン、サッカー業界人は勿論、盟友吉田沙保里とライヴァル且つ元チームメイトのアメリカ女子代表ストライカーアビー・ワンバックをはじめ多くの関係者がその功績をたたえ引退を惜しんだ。
2015年12月27日の皇后杯決勝をもって現役引退。決勝ゴールを決めて引退に華を添えた。
最も得意とするのは、トップ下と呼ばれるポジション。しかしながら豊富な運動量と、守備に奔走することを厭わない献身的プレーから、キャリア後半は中盤の底で構えるボランチでの起用が主であった。
ジャパン女子サッカーのパイオニアとしてのプライド・プレースタイルの熱さから、一部では親しみを込めて、「澤兄貴」と呼ばれていて、カズ同様、ジャパンサッカー界のレジェンドでもある。
元日本代表MF中村憲剛は府ロクサッカークラブ時代の後輩。中村は澤のことを現在も尊敬しており、ブログで彼女のバロンドール受賞時や引退時に敬意を示している。互いに引退後は対談なども行っている。奇しくも彼女の引退試合の会場は憲剛のホームスタジアムの等々力陸上競技場であった。