山本圭壱
やまもとけいいち
1968年2月23日生まれ。お笑いコンビ極楽とんぼの主にボケの担当。広島東洋カープのファン。愛称は「山さん」「山様」「けいちょん」「ブタ」「スモウライダー」。
高校卒業後に上京。天宮良が在籍していた当時日本一有名なショーパブだった「タップチップス」の面接に合格して修行したが病気になり一度広島県に戻るも、20歳の時再び上京し有名になりたいと「東京ヴォードヴィルショー」の面接を受け再び合格して在籍、ここで加藤浩次と出会い加藤の本名が“浩二”と聞き運命的なものを感じて、お笑いコンビ「極楽とんぼ」を結成。
好みの女性は、自分よりかなりの年下である事。一方で自分に近い年齢・同級生・年上の女性は「問題外」と吐き捨てるほどで、めちゃイケで「同級生と結婚したらどうか」と聞かれた途端、「ババアは嫌だ!」と即答で怒鳴りつけている。最終的に年下と結婚する事になった(下記を参照)。
体重102キロの巨漢ながら、俊敏な動きを生かしたギャグセンスを武器に『めちゃ×2イケてるッ!』など、様々なバラエティ番組でお笑いタレントとして活躍する一方、俳優としても活躍していた。
2005年1月、自身の野球熱が興じて、タレントの萩本欽一が設立した社会人野球チーム茨城ゴールデンゴールズ(茨城GG)に選手として入団。登録名は「やまもと 圭壱」。
2006年6月、芸名を「圭壱」から本名の「圭一」へと改名。後の復帰後に再改名している。
不祥事
2006年7月17日、7月16日深夜に当時10代の少女に対して飲酒行為と性的暴行に及んだとして、吉本興業から専属マネジメント契約の解除を通告された。
この衝撃は業界ならびにめちゃイケメンバー・スタッフの間にも走り、当初は相方の加藤ですら事態の全容が全く飲み込めていないまま、翌日『スッキリ』で涙の謝罪をする羽目になった。
のちに少女との間に示談が成立して不起訴処分となった(田村淳によると少女が年齢を偽っていたらしく、それも不起訴になった理由だと思われる)ものの、それ以前にも(相手は成人であったが)女性とのトラブルを週刊誌に暴露されており、加藤が事務所共々謝罪文を発表する羽目になっていたこと、さらにこの事件が茨城ゴールデンゴールズ関係者をも巻き込んだ結果萩本欽一の顔を潰したことなどもあり事実上芸能界を追放された。
山本はこれが初犯という訳ではなくこの事件を起こすまでは素行が悪く(テレビに報道されていない内容もあったらしくクビになったのは素行の悪さの蓄積)いつクビになってもおかしくない状況であった。
吉本興業がまた何かあっても尻拭いをしてくれると彼は勘違いしたのだろう。
山本の降板が後に番組の凋落と岡村休業と新メンバー追加という大打撃を与えた。
その後は宮崎県日向市に住居を移し、青果市場のアルバイトやサーフィンのインストラクター、肉巻きおにぎり店の広報、僧侶見習いなど様々な職業を転々としており、たまにTVに顔を出したものの吉本興業や萩本欽一なども「まだ早い」として復帰を簡単には認めなかった。しかし本人は芸能界への未練を捨てきれず少しずつ復帰準備をフリーで開始していた。
めちゃイケ新メンバーオーディションでは一回戦で敗退したが仮に受かったとしても常にモザイクは必要だしそれに当時はカタギの一般人とは言え吉本が認めない限り新メンバーに追加されることはできない為帳消しになる。
それから8年半後の2015年1月、下北沢駅前劇場でお客が料金を決める投げ銭制のお笑いライブを開催する。
その開演の前、山本は萩本欽一に事務所へ来るよう言われ行ってみると、萩本は「ライブには行けないけどまず最初にやっとかなきゃな」とライブの投げ銭を手渡しでくれたという。
しかし、ライブでは復帰がなったものの吉本は事務所復帰を中々許可しなかったという。
その復帰を後押ししたのは実は明石家さんまで、状況を見かねて山本へ突然に電話し「時間はかかるかもしれんけど大丈夫やから」とだけ伝え、吉本社長へ復帰を打診し続けてくれたことで復帰がなったと、さんま(および次長課長の河本準一)をゲストに迎えた宮崎県ローカルの山本の番組にて明かしている。
その後、2016年7月30日放送の「めちゃ×2イケてるッ! 夏休み宿題スペシャル!!」のコーナー「ゴクラク少年愚連隊」にて10年ぶりに地上波に復帰して、加藤と共にコンビとして改めて関係者に謝罪した。これを受けてコンビ再結成。同年11月をもって、吉本興業も再度の所属を許すこととなった。
これが全てではないがめちゃイケが長寿化する事ができたのは皮肉にも山本が番組を降板し彼が復帰するまで続けたのも理由の一つである。
逆に山本がいた場合実際より早く終わっていた可能性があったが新メンバーオーディションはやる事はなくめちゃイケは綺麗な終わり方であっただろう。
復帰後
Youtubeチャンネル「極楽とんぼ山本圭壱の◯本圭壱」を開設。
しかし、延々と草野球やサーフィンをやってる動画が流れるだけという内容に視聴者数が伸びる筈もなく、そこではじめしゃちょーのアドバイスにより「けいちょんチャンネル」と改題して再始動。
演出家のマッコイ斎藤との絡みや、旧めちゃイケメンバーの自宅へのアポなし訪問などがバズって、視聴者数・登録者数ともに一挙に伸びるに至った。
2022年11月22日の『いい夫婦の日』に、元AKB48の西野未姫と入籍したことを自らのYoutubeチャンネルにて発表した。年齢差は31歳、山本は西野の両親より年上である。
これというのも山本が芸能界を去ったからこそできた事とも言える、そう山本が芸能界を続けていたらできなかった世界線とも言えよう。
「軍団山本」とは山本を中心に集まった芸人の飲み仲間のグループ(上島竜兵でいうところの「竜兵会」)。山本が若手や売れない芸人を面倒みていたことから徐々に巨大化し、不祥事を起こす前には100名を超すメンバーがいたという。
エピソードとして、100名は流石に店に入りきらないため、末端の若手は店の外で待機して入れ替わりで席に着いたという。また、「焼酎茶漬け」というものがあり(単に焼き肉を食べた際などに余ったご飯へ焼酎をかけただけのもの)、軍団員は必ず一度はその洗礼を受けたらしい。
山本の不祥事後は散り散りになったかのように思われたが、主要メンバーは1年に1回は山本が移り住んだ宮崎県を訪ねるようしていたという。なお、めちゃイケでの山本再出演の際の加藤の怒りが爆発した際に加藤から明かされたのが、軍団のメンバーである田村淳が特に自身が世間から嫌われる事を覚悟の上で山本復帰に骨を折っていたそうである。
山本休業中に大成した主要メンバーも少なくないが、復帰後もメンバーとして存続している者も少なくないほど未だ慕われており(現在は家庭もあって且つ忙しいメンバーが多いため集まる頻度は減っているそう)、遠藤章造などは山本が西野未姫と付き合う前のこと、車を運転中にこのまま山本が結婚できないまま死んでいくんじゃないかと思ったら涙が溢れ出てきたという。
石橋貴明(とんねるず):2004年の27時間テレビの企画「生・笑わず嫌い王決定戦」において、山本を嫌いな芸人として扱われた(嫌いな理由は女と別れる時に後腐れを残す・体がケモノ臭い・当時の妻である鈴木保奈美に嫌悪されている)。
ユンソナ:好きな女性タレントだが、本人からは嫌悪され(嫌いな理由は後輩芸人を使う・焦りすぎ・しつこい)、石橋と同様に山本を嫌いな芸人として扱われている。
三中元克:元めちゃイケレギュラー、こちらは不祥事ではなくプロレス企画をお蔵入りにしたあげくめちゃイケメンバー再オーディションを受け不合格になった為クビになった。
山本と違い降板後は最終回まで出演しなかった。デブ芸人かつめちゃイケを悪化させたという意味では山本と共通している。
ちなみに三中の記事ほどこちらは編集合戦になっていない。
明松功:めちゃイケを悪化させた元凶その2、ちなみに山本がレギュラー時代だった頃は新人AD、めちゃイケプロデューサーになった以降はガリタ食堂という企画を連発させまくりめちゃイケをグルメ番組に仕立てた上に古くから見ていためちゃイケファンの視聴者が離れ視聴率を激減させた。彼がプロデューサー降板後はガリタ食堂も消滅し元の企画に戻したが古参のめちゃイケファンも視聴率も戻ってこず番組が衰退し終了した。