解説
創設年 | 1994年 |
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Jリーグ加盟年 | 1996年 |
ホームスタジアム | サンガスタジアム by KYOCERA |
クラブカラー | 紫(パープル) |
マスコット | パーサくん&コトノちゃん |
クラブ設立から2010年ごろまで ~天皇杯優勝と「エレベータークラブ」~
京都サンガの前身は1922年に京都師範学校(現在の京都教育大学)のOBチームとして発足した「京都紫光SC」である。
1994年、それまでの京都紫光SCを母体として、プロ化&Jリーグ参入に向けて地元・京都の企業である京セラを中核に任天堂などが出資した新しい運営会社が設立される。一般公募によりクラブ名が京都パープルサンガとなる。
1995年、JFLで2位になり、翌年からJリーグ加盟。
1996年、Jリーグデビューからいきなりシーズン開幕17連敗のリーグワースト記録を樹立(当時は延長Vゴール方式により引き分けが無かったが、延長負けを除外しても開幕12連敗であった)。
シーズン途中にラモス瑠偉らを補強したことで後半戦は少し持ち直すものの、Jリーグ1年目は8勝22敗で最下位に終わる。
その後の数年は14位、13位、12位と二桁順位で推移する。
2000年、前年から昇降格制が導入されたJ1で15位に終わり、初のJ2降格。翌2001年はJ2で優勝し、一年でJ1に返り咲く。
2002年シーズンには松井大輔、朴智星、黒部光昭らを擁して天皇杯で優勝し、関西のクラブではJリーグ発足後初のタイトルを獲得する。リーグ戦でも年間順位5位と躍進。
……しかし、翌2003年はオランダのPSVへ移籍した朴智星の穴を埋めることができず最下位に終わり、2度目のJ2降格。
2005年、J2で2度目の優勝を飾りJ1へ再昇格。
2006年、またまたJ1で最下位に沈み3度目のJ2降格。
2007年に現在の名称である京都サンガF.C.にクラブ名を変更。「F.C.」は単にFootball Clubの略というわけではなく、フットボール(Football)を通じ、ファン(Fun)、ファミリー(Family)と共に未来(Future)を創るクラブ(Club)でありつづけるという願いが込められている。他のクラブと違いFとCの後にドット(.)があるのが特徴。
サンガF.C.初年度はJ2リーグで3位に終わるも、その年のJ1で16位に終わったサンフレッチェ広島との入れ替え戦に勝利し一年でのJ1復帰に成功する。
その後、2シーズンは14位、12位と低空飛行ながらJ1残留を果たすも、2010年は17位に終わり4度目のJ2降格。
2011年から2020年ごろまで ~J2の沼と迷走するクラブ運営~
2011年シーズンは当時高校生だった久保裕也らの活躍によってJ2ながら2度目の天皇杯決勝に進出する。史上初のJ2同士での対戦となった決勝戦では惜しくもFC東京に敗れ準優勝。
その後はなかなかJ2から抜け出せず、J1昇格プレーオフに3度進むもののことごとく敗退し(詳細は後述)11シーズンをJ2で過ごす。
とくに低迷を極めたのが2017年から就任した布部陽功監督時代。布部は監督経験が一切無く、前年5位でプレーオフ進出を果たした石丸清隆監督を解任しての就任には京都サポーターも懐疑的だった。しかも監督に就任した理由が、強化部長を務めていた小島卓と友人だったから。サッカーの内容も中々酷いものだった。この年から加入した田中マルクス闘莉王のFW起用という荒技による15得点などで一時は調子を上げるも、対策され始めると調子は再び下がり打つ手が見つからず。最終的に残留を果たすも順位は前年より大きく下がり12位。低迷するチーム状況にもかかわらず、布部監督は続投。
そして翌2018年、状況が改善するわけでもなく一時はJ2最下位に沈むという緊急事態に。試合後にはサポーターからも 「J3に落ちたらどうするんだよ!」 と怒りの声が起きたが、小島強化部長は「落ちひん。そんなこと言ってるから落ちるんだよ!」と返答し、さらにサポーターをヒートアップさせることになった。結局、布部監督はシーズン途中で退任(事実上の解任)し、コーチを務めていたボスコ・ジュロヴスキーが監督に就任、この年はクラブ史上ワーストの19位で辛くもJ2に残留する。
2019年、新監督として中田一三が就任。シーズン前から自らのSNSで匿名掲示板にあったサポーターの書き込みを引用して批判するなど、想像の斜め上を行くアクの強さを見せる中田監督にファン・サポーターはまたも懐疑的だった。しかし、シーズンが始まると昨年までの不調とは一転、魅力的なポゼッションサッカーを展開して前半戦を首位で折り返すなど、経験豊かなコーチ陣を活かした独自の「完全分業体制」でチームを立て直す。後半戦からは勝てなくなり始めたが、最終節までプレーオフ圏内へ入る可能性を残す。そしてその最終節アウェーでの柏レイソル戦である事件が起きる。(詳しくは後述)。
プレーオフ進出は叶わず最終順位8位。中田監督はこの年限りで退任。
2020年、前年コーチを務めていた實好礼忠が監督に就任。本拠地を京都市右京区の西京極陸上競技場から亀岡市に新設された「サンガスタジアム by KYOCERA」に移す。
新スタジアムでのホームゲームでは無類の強さを発揮するものの、アウェイではまるで勝てず。プレーオフ圏前後を行ったり来たりして最終順位は8位。實好監督もまた一年で退任。
2021年以降 ~J1復帰から現在まで~
2021年、元湘南ベルマーレ監督の曺貴裁が監督に就任。曺は2年前にパワハラ問題によって1年間の資格停止処分を受けており、ハラスメント防止研修や流通経済大学サッカー部でのコーチを経ての現場復帰となった。曺監督就任後、4-3-3をベースとする当時のリヴァプール式堅守速攻スタイルを短期間で浸透させ、元々の失点の少なさも相まって躍進、ジュビロ磐田と首位争いを繰り広げる。
最終的にJ2を2位でフィニッシュし12年ぶりのJ1昇格を果たす。曺監督が就任して僅か1年での昇格であり、彼の監督としての手腕が錆びついていないことの裏付けでもあった。
久々のJ1参戦となった2022年は前半戦こそエースであるFWピーター・ウタカの大活躍もあって健闘していたが、夏場以降は相手の対策やウタカのコンディション不良が顕著になってくると得点力不足に陥り、ずるずると順位を下げる。徳島ヴォルティスから加入したスーパーセーブを連発する守護神・上福元直人の活躍もあり、最終的にリーグ戦を16位で終えロアッソ熊本との参入プレーオフへ回る。プレーオフは1-1の引き分けに終わり、規定により辛くもJ1残留に成功した。ウタカ以外の得点源がほとんど無かったこと、失点の少なさは顕在だったこと、上福元は神だったことが象徴的なシーズンであった。
2023年も継続して曺監督が指揮。前半戦から一定の手ごたえはあるものの勝てない試合が続き、6連敗を喫するなどで残留争いに巻き込まれつつあった。が、ガンバ大阪から移籍したFWパトリックや夏の移籍で加入したFW原大智、GKク・ソンユンの活躍などにより、徐々に調子を上げ、最終順位は13位と前年よりも上の順位でシーズンを終えることができた。
2024年は前半戦から絶不調に陥り、リーグ前半戦を終えて僅か3勝と一時は最下位に沈む。しかし、後半戦から攻守の戦術を修正して復調軌道に乗ると、夏に加入したFWラファエル・エリアスがマルコ・トゥーリオ、原大智と共に3トップを形成することで相乗的に攻撃力がアップ。一気に勝率を上げて降格圏脱出に成功する。エリアスはJリーグデビューから10試合で10得点到達という歴代最速タイ記録を達成し、8月には月間MVPを受賞した。
3試合を残して3年連続のJ1残留を決めて最終順位は14位。クラブのJ1連続在籍年数を更新することになった。
特徴
Jリーグの昇降格制の導入以降はなかなかJ1に定着できず、J1とJ2を行ったり来たりするエレベータークラブと化しており(2023年現在、降格4回・昇格4回)、2011年から2021年までは長らくJ2で過ごすシーズンが続いていた。
2011年まではJ2の3位までがJ1に自動昇格できたが、2012年から自動昇格枠が2になったところ、サンガは2012年・2013年と2年続けて3位で自動昇格できず、J1昇格プレーオフでも敗退し昇格を逃している。似たような成績推移をしているジェフユナイテッド千葉とは、Jリーグ古参クラブ・国内タイトル獲得経験あり・大企業がスポンサーなど共通項が多く、両チームの対戦はしばしば「ズッ友ダービー」とも呼ばれる。
ユニフォームの胸スポンサーは京セラで、背中スポンサーは任天堂。J参入の1994年から、2023年現在30年近くこの組み合わせは変わっていない。サンガのユニフォームを着たマリオの公式絵が出たこともある。
その他、ワコールや島津製作所、au、オムロン、堀場製作所など、スポンサーには京都に縁のある有名企業が多い。
ホームタウンは2023年現在、京都府内の14市3町である。府内市町村数の過半数であるが、京都市周辺エリアでも参加していない市町もある。
スタジアム
サンガスタジアム by KYOCERA(京都府立京都スタジアム)
京都府亀岡市に2020年1月オープン。JR亀岡駅北口を出てすぐの位置にある。
1990年代から京都市内外で二転三転してきた候補地の選定や、亀岡駅北に決定して以降の環境保護問題などでスタジアム建設は難航したが、結果的に当初の予定地よりもJR亀岡駅に近い場所(駅から徒歩1~2分)に建設された。Jリーグ全体でも最寄り駅から最も近いスタジアムとも言われる。阪急桂駅(帰路はJR京都線の桂川駅へも)から直行バスも運行している。
サッカーだけでなくアメフトやラグビーでも使用可能な球技専用スタジアムで、スタンドからピッチまでの最短距離は7.5m。このスタジアムの完成で、2020年時点のJリーグ関西主要4クラブは全て球技専用スタジアムをホームとすることになった。
スタジアムにはフードコートやボルダリング施設、バスケコート、フットサル場、保育園、足湯などが併設されている。
2019年までは、阪急京都線西京極駅前にある運動公園内に建てられている京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場(通称・西京極、現・たけびしスタジアム京都)をホームスタジアムとしていた。
ここに限らず、Jリーグのスタジアムは国民体育大会のために建設・改修されることが多いが、ここでは1988年の国体で北サイドスタンド部分に炬火台(いわゆる聖火台)が設置された。これが現在も残っているため、サンガサポーター席のゴール裏の半分がこのスペースに取られてしまっている。ちなみに西京極も最寄り駅である阪急西京極駅からかなり近い。
マスコット
鳳凰と不死鳥が混ざった「パーサくん」と「コトノちゃん」。
なお、中国でJリーグクラブ名を表記する際、当然カタカナはないので漢字に直されるが、通常はそこが直訳になったり当て字になったりするところ、サンガは京都不死鳥となり、唯一クラブ名称ではなくシンボルのみが由来となっている。
クラブカラー
同じく紫色をクラブカラーとするサンフレッチェ広島がバイオレット(青紫)なのに対して、サンガはパープル(赤紫)である。
その他・ネタ
「昇格どすえ!」事件
2012年、J2で自動昇格圏内の2位にいた京都は、最終節で既にJ2優勝が決まっていたヴァンフォーレ甲府をホームで迎え撃つことになった。甲府は得点王のダヴィを累積警告で欠いており、京都の絶対的優位は明らかだった。
しかし、試合はスコアレスドローに終わり、3位の湘南ベルマーレがアウェイでFC町田ゼルビアに勝利したため順位が逆転。例年ならば3位でも自動昇格できたのだが、この年からJ1昇格プレーオフが導入され、京都はプレーオフへ回ることになった。
……しかしその翌日、京都の公式サイトはJ1昇格記念特設ページをオープンさせてしまった。ページ内の「監督からの感謝のたより」は「テキストテキストテキストテキスト」…という文字列で埋められており、どうやらあらかじめ用意していた昇格記念ページを誤って更新してしまったものと思われる。
他サポたちからは「先走って縁起物を出したら逆効果」の前例である「Vやねん!タイガース」になぞらえ「Vどすえ!京都サンガFC」と散々ネタにされ、プレーオフ初戦では京都ホーム、90分間で決着がつかなければ京都勝利扱いと、条件に恵まれていたにもかかわらず、6位の大分トリニータに0-4という大敗を喫して敗退。J1昇格の夢は潰え、特設ページが正式な形でリリースされる機会も失われてしまった。
ちなみにこの年、サッカー専門誌の老舗である週刊サッカーマガジンも、ロンドンオリンピック時の表紙でVやねん(メダルだ!メダルだ!メダルだ!)してしまった為、「昇格だ!昇格だ!昇格だ!」というネタも見られた。
前代未聞の大敗 1-13
2019年11月24日、J2リーグ7位につけていたサンガはプレーオフ進出に一縷の望みをかけて既にJ2優勝を決めていた柏レイソルとのシーズン最終戦に臨んだ。
……しかし、結果は1-13というサッカーにあるまじきスコアで大敗し、8位でシーズンを終えることに。柏のFWオルンガに8得点(Jリーグ最多記録・史上二度目かつリーグ公式戦初のダブルハットトリック)を許す前代未聞の惨敗を喫してしまった。
Jリーグのアンタッチャブルレコードに刻まれるであろう大敗に、中田一三監督(当時)の名に合わせた「(一三スコア)」やら、2005年プロ野球日本シリーズで同じ千葉県のチーム(千葉ロッテマリーンズ)に惨敗した、同じ関西圏にある阪神タイガースにとばっちりが及ぶ事態が飛んだりとネタにされてしまった。ちなみにロッテのこの年の1試合最多得点は12(失点は11)とレイソルより少なかった。
なお、これほどの大差がついた要因としては、
1.サンガのプレーオフ進出には勝利が絶対条件だったのでとにかく攻めて点を取るしかなかった(実質、何点差で負けても同じだった)。
2.前半14分にサンガのセンターバック・本多勇喜がアキレス腱断裂の大怪我を負い交代、前半終了時にもう一人のセンターバック・闘莉王も接触プレーによる流血で交代を余儀なくされたが、ベンチに本職センターバックの選手がおらず守備が崩壊した。
3.オルンガ、クリスティアーノ、江坂任、マテウス・サヴィオら強力なレイソル攻撃陣の調子がすこぶる良かった。
……などが挙げられる。
ちなみに、このシーズンのサンガは一時は首位に立つなど、前年の19位から8位へと躍進しており低迷期から脱しつつあった。また、この試合は元日本代表である田中マルクス闘莉王の現役ラストゲームでもあった。
京都パープルサンガ設立時の枝分かれ
京都紫光SCが京都パープルサンガとしてプロクラブ化していった際、結果として3つの枝分かれが起きている。(※1つ目の枝がサンガ)
- 2つ目の枝はサンガに参加しなかった京都紫光SCのメンバーを中心に、1994年に創設された2代目京都紫光SCである。2代目は現在も関西サッカーリーグに在籍し存続している。一時期はJリーグ参入を目指してJ3リーグまで昇格しようという計画もあった。
- 3つ目の枝はクラブ組織としての京都パープルサンガが創設した1994年、プロ契約を勝ち取れなかった同クラブの選手たちの出場機会確保の為の受け皿となった実業団チーム・教育研究社FC(1989年創設)である。後にクラブチーム化して「FC KYOKEN→FC KYOKEN京都→FC京都BAMB1993」と名称を変遷していき、2000年から2003年までの4年間はJFLにも在籍していたが2009年を最後に解散した。その後、トップチームは同じ京都市のスポーツクラブであるアミティエSCに移管され、同クラブのサッカー部門の2代目トップチームとなった。
- アミティエSCは後におこしやす京都ACに改称して関西サッカーリーグに在籍している。こちらはJリーグ参入を目指すクラブとして活動しており、2021年の天皇杯2回戦ではJ1のサンフレッチェ広島相手に5-1という衝撃のジャイアントキリングを起こしたことで一躍有名となる。
関連タグ
ガンバ大阪 セレッソ大阪 ヴィッセル神戸……同じく関西圏を本拠地とするJ1リーグのクラブ。
奈良クラブ FC大阪……同じく関西圏を本拠地とするJ3リーグのクラブ。