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概要編集

1997年5月20日生まれ、大分県生まれ、神奈川県出身。

ポジションはMF(左SH、左WBなど)登録だが、川崎時代はFWでの出場が多く(左WG)、途中からとはいえDF(左SB)を務めることもある。


地元のサッカークラブであるさぎぬまサッカークラブを経て、川崎フロンターレユースに加入すると頭角を現し、18歳時にはトップチーム昇格間違いなしとフロントも含め思われていたが、一つ上の世代選手の活躍と自らプロでやっていける自信がなく、もう一度自らを鍛えなおすために筑波大学へ進学した。


大学2年生時に出場した天皇杯ベガルタ仙台戦ではアウェイにもかかわらず2ゴールを決めて勝利に貢献。大学では主に体育学だけでなく運動生理学や栄養学など論理的なことも学び、これが現在の徹底した体調管理の元となっている。


2020年川崎フロンターレトップチームデビュー。第7節湘南ベルマーレ戦でプロ初ゴールを決めると、その後も公式戦でゴールを量産してクラブの複数タイトルに貢献、最終的にリーグ戦において1年目新人最多記録タイとなる13ゴールを達成、アシスト数も12とし、史上4人目となるプロ1年目のベストイレブンを受賞、さらには日本年間最優秀選手賞も受賞し、サッカーファンに衝撃を与えた。また、フロンターレのバンディエラ、中村憲剛の現役ラストゴールをアシストしたのも彼である。


2021年も8ゴールをリーグ戦で記録すると、8月にブライトンへ移籍。しかし当時はA代表経験がまだなかったためにイギリスの労働許可が降りず、ブライトンとつながりを持つベルギーのロイヤル・ユニオン・サン=ジロワーズに期限付き移籍。すると10月のスラン戦で、0-2のビハインドに加えて退場者を出して数的不利という状況から途中出場すると、ハットトリックを達成して逆転勝利にチームを導いた。

2022年3月24日のアジア最終予選豪州戦で2ゴールを挙げ勝利と予選突破に貢献。その後ブライトンに復帰。11月に行われたゲームで初ゴールを記録すると、同試合では元バルセロナの選手にレッドカードを誘発して退場に追い込んだ。現在はブライトンの主力に定着した。


同年のFIFAワールドカップカタール大会の日本代表に選出。初戦ドイツ戦では途中出場すると、先制点と起点となり勝利に貢献。続くコスタリカ戦には敗れたものの、スペイン戦では誰もが敗退と予想する中、途中出場すると、同点で迎えた後半6分、スペインのゴール側でラインに1.88mm残った状態で逆足でクロスを上げると、さぎぬま時代からの幼馴染、田中碧がゴール。守備にも貢献し歴史的勝利に貢献した。

最終的に日本代表はベスト16で敗退となったものの、この大会で幾度も決定機と得意のドリブルを演出し、特にスペイン戦でのアシストや世界一のサイドバックと呼ばれるカルバハルを抜いたプレーなどで世界に衝撃を与えた。

ちなみに放送の中で本人出演のブルーロックスマホゲームのCMが流れていた。



大会後レギュラーシーズンに戻ってからもブライトンで驚異的な突破力やテクニックを披露し、日本でもよくトレンドワード入りしている。2023年4月には、同シーズン7得点目をあげ、1シーズンにおけるプレミアリーグ日本人最多記録を更新した。終盤はマークにあいやや苦戦したものの、クラブ史上初のヨーロッパリーグの出場権獲得に大きく貢献した。


私生活では、2022年7月に大学時代から交際していた女性と結婚したことを発表した。


少年時代に住んでいたマンションの隣には俳優の松重豊が住んでおり、学校から帰ると母親が帰ってくるまで松重宅に居させてもらい、リビングのソファに転がってゲームしながら待っていたという。後に互いに引っ越したものの、以降も家族ぐるみの付き合いは続いているとのこと。カタールW杯開催時には松重は取材に答え三笘にエールを送ったり、観戦しに行った勝村政信に「カタール行ったらかおるくんに、よろしくって伝えてと言われた」と無茶振りしたりしている。


また訳あって名前は非公開だが兄がおり、上記のワールドカップでの日本代表敗退直後にその兄が結木滉星氏であることが報道され、その後結木氏側が認めた。なお、動画を見てもらえれば分かるが、2人は声も雰囲気も喋り方もそっくりである。(Twitterより



名字を『三』(くさかんむり)と誤記される事が多い。(正しくは『三』(たけかんむり))


特徴編集

主戦場は左サイド。独特なタッチのドリブルで相手を抜き去りチャンスを演出し、自らも高い決定力でチームを救うことのできる選手。彼の予測不能なドリブルを止めることのできた選手は非常に少ない。逆に彼を止めれば、彼が活躍するたびに持ち上げられる。が、ファウルでないと止められない選手がほとんどである。

ちなみに、公式戦で1度もゴールを決められていない2020年、21年のJ1所属クラブは、柏レイソルヴィッセル神戸アビスパ福岡サガン鳥栖など非常に少数であり、それ以外のクラブは全チームが2年間の間に公式戦で最低1失点して敗戦、または引き分けとなっている。なぜか九州をどの時代も順位カテゴリー問わず無条件に苦手とする川崎でも例にもれず、九州相手には生まれ故郷のクラブである大分トリニータ以外には決めていない。


ガンバ大阪には最多の計4ゴール、セレッソ大阪には対戦した3試合すべてで1ゴールずつ決めるなどの大阪キラー。2020年に勝利した際は川崎をセレッソ戦におけるヤンマースタジアム長居での20年ぶりの勝利に導き、2023年のFAカップでは39年ぶりとなるカップ戦における対リヴァプール戦勝利に導くなど、「鬼門破り」でもある。


川崎時代は左ウィングを主戦場としており、ベルギー時代には左ウィングバック、左サイドバックを務めたこともあり、現在のブライトンや日本代表では左サイドハーフで活躍しており、攻撃のみならず守備にも大いに貢献ため、左サイドならどこでも起用できる。


基本的には利き足の右足しか使わないが、これはかつては逆足も使えるようにしようとしたものの、当時の指導者から「利き足にこだわれ」といわれたため、利き足を重視する方向となった。本人曰く「利き足8割、逆足2割」とのこと。もっとも、ディエゴ・マラドーナ名波浩のように利き足でない方の足を全く使わないというわけではなく、「両足を使えるならそれに越したことはない」とも発言しており、上記のワールドカップでは、その左足で世界中で話題となったスーパープレーを見せているほか、状況に応じては左足を使うこともあり、ブライトンで2年目以降はそれも増えている。


ユース時代はサイドハーフサイドバックトップ下ボランチなどを経験しており、高校2年時にポジションが空いていたことから、左サイドハーフを務めるようになった。ゴールスコアラーとしての能力が高くなった一方で、現在でもチャンスメーカとしての側面も持っており、アシストも多い。

ユース時代は守備が嫌いだったというが、プロ入り後は守備での貢献も多く、特にベルギーでのウイングバック、サイドバックの経験は大きく生きており、攻守ともに高いプレーを行っている。


その活躍ぶりはすさまじく、Twitter上では、もちろんファンのネタではあるものの#三笘被害者の会が発足し、多くの強豪を含めゴールを決められて敗戦、もしくは得点に絡まれたチームが入会しており、これらのサポーターは彼の活躍の度に「三笘は○○(そのサポーターの応援しているチーム)が育てた!」と呟くのが定番となっており、2022年にはワールドカップでの優勝経験国であるドイツとスペインさえも会員にしてしまった

このようなこともあり、過去にゴールを決められたチームのサポーターには彼が代表でゴールを決めると「喜びよりもトラウマや悪夢がよみがえる」といった声も少なくない。ちなみに会長候補はガンバ、べガルタ、セレッソ、マリノス、リヴァプール、スランなど多岐にわたる。


関連タグ編集

サッカー日本代表

結木滉星:実兄。彼がサッカーを始めた理由には結木氏の影響がある。


凪誠士郎:漫画『ブルーロック』の登場人物。三笘が2023年1月29日のリヴァプール戦で決めた、「センタリングのパスをワンタッチで浮かせ、そのままボレーかと思わせて更にトラップ、最後に浮いたボールを押し込んでゴール」というプレーが、凪の得意技、「二段式空砲直蹴撃」(フェイク・ボレー)を思わせると話題になった。

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