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Jリーグオリジナル10の1つでもある。


解説

創設年1991年
加盟年1991年
ホームスタジアムIAIスタジアム日本平
クラブカラーオレンジ
マスコットパルちゃん

1991年創立。

「清水」の名は旧清水市に由来し、静岡市との合併後もクラブ本社と本拠地スタジアムは清水区にある。


1993年にJリーグ開幕10クラブの中で、唯一実業団ではないクラブとして参加した。


Jリーグでは優勝なし(ステージ優勝1回もチャンピオンシップ敗退)だが、ナビスコカップと天皇杯で1度ずつ優勝。

2015年シーズンにJ2に降格してしまうが、2016年のJ2で2位となり1年でJ1復帰を果たす。

しかし2022年11月5日J2降格が決定した。ジュビロ磐田もJ2降格が先に決定した為、2023年は静岡県からJ1クラブが不在と言う事態になった。


度重なる監督交代劇と悲劇

上記の通り、2022年に17位でJ2に降格した。その背景に数多くの監督交代劇が影響してチームのスタイルが確立できなかったことが挙げられるので、整理したい。


2019年。ヤン・ヨンソン監督が指揮していたが、開幕から11試合を消化した時点で解任。後任には篠田善之監督が就任。しかし、北海道コンサドーレ札幌戦でホームの地で0-8の歴史的大敗を喫するなどで苦戦し、残留争いに巻きこまれる(大敗こそしたが、後に湘南ベルマーレ戦では0-6の大勝を納めた)。結果、最終節のサガン鳥栖戦で勝利して一気に12位に順位を上げて残留を果たす。この年の失点数は69と、リーグワースト記録だった。


2020年。ピーター・クラモフスキー監督が就任。この年はコロナ禍による特別なレギュレーションとなり、J2への降格は無かった。戦術浸透や才能ある選手の発掘などのチャンスがあった(実際にサガン鳥栖はこれが功を奏し、翌年ACL出場権争いに長く加わり7位で終える)にもかかわらず、11月に残り9試合の時点で監督交代。最終順位は16位。従来ならプレーオフに出場してJ2クラブとの入れ替え戦に臨むことになる順位である。複数得点することも多かったが、失点もトータル70と、この年もリーグワースト記録となってしまった。


2021年。前年までセレッソ大阪を率いて上位へ導いたロティーナ監督が就任。守備に定評のある監督を呼び、守備の改善を試みた。しかし、セレッソ以上に戦術浸透に時間がかかり、やはり残留争いに巻き込まれる。結果、残り4試合となったタイミングで監督交代。ロティーナ監督の後継ぎは前年にクラモフスキー監督の後継ぎもした平岡宏章監督。4試合を3勝1分で乗り切り、14位でフィニッシュ。最終節のセレッソ大阪戦ではリーグ戦現役ラストとなった大久保嘉人によってオウンゴールを誘発させられ大ピンチに陥るも、2点を返して逆転勝利を果たし、J1残留を自力でなんとか掴み取った。失点数もワーストではなくなった。得点面ではこの年加入したチアゴ・サンタナが総得点の約3分の1にあたる13得点を記録し、海外より帰ってきた守護神権田修一が幾度となくピンチを救った。


2022年。今度は開幕から平岡宏章監督が指揮。しかし、中々勝てずに16節で3連敗を喫した翌日に監督交代。後任はゼ・リカルド監督。すると、夏にセレッソ大阪を退団した乾貴士の獲得などもあって、徐々に調子が上がっていく。そして、一時は11位まで浮上。今年も残留できるだろうと思われた。しかし、後半や終盤での失点グセが大きく響き、9月以降は勝ち無しで一気に降格圏へ沈んだ。最終節北海道コンサドーレ札幌戦まで残留の可能性を残すも、清水は勝利が絶対条件かつ京都とガンバが共に敗北しないといけないという極めて過酷な条件となった。この試合でも2回逆転しておきながら終盤での失点グセは治らず。4-3の撃ち合いの末に敗れ、無条件にJ2降格が確定(なお、ガンバと京都は共にドローとなり、ガンバはギリギリの残留を果たし、京都はプレーオフへと回った)。なお、チアゴ・サンタナは14得点で得点王に輝き、権田修一はカタールワールドカップの日本代表正GKに選ばれたため、無情にも得点王と日本代表の守護神がいながらJ2降格を喫するという異例の事態になった。


2023年。ゼ・リカルド監督は続投。1年でのJ1復帰を目指すため、乾貴士ら大半の主力が残留。さらには柏レイソルでディフェンスリーダーとして活躍した高橋祐治、名古屋で2021年は大活躍していたが、前年は監督交代の影響もあって出番を失っていた守備職人吉田豊らが移籍加入。開幕直前まで権田修一、チアゴ・サンタナ、松岡大起、鈴木唯人の4人の去就が不明に。結果、鈴木がフランスに(ただし夏に復帰して再び海外へ)、松岡がシーズン途中にブラジルへ旅立ち、権田とサンタナは残留した。といったJ2とは到底思えない豪華な面々で2023シーズンを迎えることになったため、2019年の柏レイソルのような独走劇・圧勝劇を繰り広げると当初は思われていたが...



2回目のJ2での戦い

J2リーグ2023シーズンが開幕。開幕から7試合消化した時点で、5試合連続ドロー&その後の2連敗で7戦未勝利と苦しむ。2連敗目になった4月1日のヴァンフォーレ甲府戦での敗戦を受けて清水はゼ・リカルド監督を解任。5年連続シーズン途中での監督交代となった。後任は水戸ホーリーホックでアツすぎる監督として前年に話題になり、2023年からは清水のコーチをしていた秋葉忠宏。秋葉監督はリカルド体制では何故か干され気味だった乾を積極的に起用し、これまでサイドアタッカーとして名をはせた彼をトップ下へコンバート。これが的中し、30代半ばにしてトップ下という新境地を開拓し、J2ではチートクラスのプレーを度々見せてファン・サポーターを大いに沸かせている。チーム全体も一気に調子を上げてボトムハーフ脱出どころかプレーオフ圏内付近、さらには自動昇格圏にまで昇り詰めた。


J2制覇でのJ1復帰を目指しており、チーム自体の調子は非常に良かったものの、40節のロアッソ熊本戦でホームながら1-3の逆転負けを喫したことによってJ2優勝は2試合残してFC町田ゼルビアのものになった。その後の41節は大宮アルディージャに4-0で快勝して勝ち点73の2位、すぐ後ろに迫る3位ジュビロ磐田と4位東京ヴェルディが共に勝ち点72という状況で最終節を迎える。そして、最終節の相手は奇しくも秋葉監督の古巣である水戸ホーリーホック。その結果は...















0-0で迎えた後半に先制を許し、その後1点返すものの、逆転までは力及ばず1-1のドロー。そして、磐田とヴェルディはそれぞれ勝利。この結果、順位がガラッと入れ替わり、2位磐田・3位ヴェルディ・4位清水という結果になり、最終節にして自動昇格を逃してしまい、ヴェルディと共にプレーオフに回ることが決定。


そしてプレーオフ。1回戦の相手は序盤8連敗を喫したものの驚異的な勢いで順位を上げ、最終節に勝利してプレーオフ圏内に滑り込んだ5位モンテディオ山形。J2とは思えぬ戦力の清水vsラスト5連勝で勢いのある山形という構図だったが、この試合は互いに決め手に欠いてしまい、スコアレスドロー。しかし、年間順位が上である清水のホームでの試合であったため、「ドローの場合はホームチームの勝利」というプレーオフの規定により、2回戦進出決定。


続く2回戦。昇格をかけた最終決戦の相手はリーグ最少失点で守備が堅く、夏のレンタル組が躍動してきた3位の東京ヴェルディ。決戦の舞台は国立競技場であり、順位は清水の方が下なので昇格には勝利が絶対条件である。この試合は前半はスコアレスドローで折り返すものの、後半にはPKを獲得して先制に成功。その後もヴェルディの猛攻を耐え凌いできたが...














後半ATに痛恨のPKを献上してしまい、追いつかれてしまう。その後も反撃及ばず、1-1で試合終了。1年でのJ1復帰という目標達成まで残り僅かのところで消えてしまった。



マスコット

「パルちゃん」。

カトちゃんペ

よく『』だの『コアラ』だの言われるが、モデルになった生物はいない。


パルちゃんより一回り小さい『こパルちゃん』が2体いるが、パルちゃんとの関係は不明である。

2012年には、パルちゃんの彼女として『ピカルちゃん』が登場した。

スタジアム

静岡市清水日本平運動公園球技場

(命名権名称、IAIスタジアム日本平)

芝生の手入れの良さは有名で、2008年から2015年までずっとJリーグベストピッチ賞を受賞していた(2016年はJ2のため対象外で、同年限りで賞が廃止)。

ゴール裏スタンドのみ2層式。アウェイ側スタンドからは駿河湾と富士山が一望できる。

このスタジアムへは、ビン・缶はもちろん、ペットボトルも一切持ち込めないので注意。

最寄駅からは相当遠く、清水駅または静岡駅からシャトルバスを利用する。帰りのバスの運行台数は非常に多いので、たとえバスの列は長くてもそんなに待たない。


自動車利用の、オフィシャル駐車場は、2017年よりシーズンシート保持者専用になった。

このため一般利用者は、エスパルスドリームプラザなど清水港周辺に止めて、シャトルバスを利用して向かう。スタジアムに近いところには民間駐車場も多数ある。

問題は民間駐車場から無秩序に車が出るため、シャトルバスの運行路が渋滞してしまうことである。


トップチームの前身

クラブ公式でも触れられていないので、トップチームに前身は無いと思われがちだが実はある


前身は1974年(昭和49年)に設立された2代目・清水サッカークラブ(清水クラブ)であり、設立母体は静岡県サッカー協会中東部支部を兼ねる清水サッカー協会である。


ソースは清水サッカー協会公式サイトの『沿革 昭和23年~49年』と中日新聞東海本社の記事である『あのとき、それから しずおか平成史 Jリーグ(1) 清水エスパルス<上>』である。


清水サッカー協会の沿革のほうには「昭和49年」の項目に「清水クラブ新発足」と書かれている(※ちなみに沿革には「昭和31年 清水クラブ 全国都市対抗3位」とも書かれている。これがピクシブ百科事典のこの記事において前身を『2代目』と形容した理由でもある)。そして、同チームの発足経緯としては後者である中日新聞東海本社の記事書かれている。取材当時の清水サッカー協会副会長によると発足前から高校や大学を出た選手がプロとして働ける場が欲しいとの話し合いがあり、結果、地元有望選手の受け皿を目的に清水クラブが発足した。その後、清水クラブは後に静岡県サッカー協会理事長ともなる堀田哲爾によって小中高生の選抜強化組織である清水FCのトップに位置付けられ、プロリーグ(Jリーグ)入りを推し進められることになる。(この時の清水FCが清水エスパルストップチームの直接の前身であるのは周知の通りである。その後チームはJリーグ発足後に清水FCエスパルスと改称し、1996年に正式に清水エスパルスと改称して今に至る。)


なお、清水クラブから清水FCへと改称したのがいつ頃なのかは具体的なソースがないので割愛させていただくが、少なくとも東海社会人サッカーリーグから降格し、再び静岡県社会人サッカーリーグ1部に在籍し始めた後の時期であるというのはハッキリしている。


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