概要
高校サッカーで。
2004年、滋賀県立野洲高等学校に進学。2年生で左ウイングのレギュラーをつかみ2005年度の第84回全国高等学校サッカー選手権大会に出場、大会優勝を経験した。
翌年はU-21日本代表に選出されて2試合に途中出場。直前にスパイクを盗まれる事件に巻き込まれながら2得点を挙げた。しかし、チームは3回戦敗退。
Jリーグで。
2007年に横浜F・マリノスへ入団。J1第2節・対横浜FC戦でプロデビューを果たしたものの、出場機会に恵まれず2008年6月からセレッソ大阪へ期限付き移籍し、香川真司と息の合ったプレーを披露。J1昇格はできなかったがシーズン終了後に活躍を認められセレッソ大阪に完全移籍。
2009年1月20日、アジアカップ・カタール大会の予選、イエメン戦で金崎夢生とともにA代表デビュー。同年セレッソ大阪が4年ぶりにJ1昇格を果たす。
ドイツ・ブンデスリーガで。
2011年8月1日、ドイツ2部のVfLボーフムに完全移籍。30試合出場、チーム7得点を上げるが昇格ならず。
2012年6月25日、ドイツ1部に1年ぶりに昇格するアイントラハト・フランクフルトへの完全移籍。
9月16日、ホームのハンブルガーSV戦でブンデスリーガ初ゴールを決めた。最終的に2012-13シーズンのブンデスリーガ所属の日本人選手最多となる6ゴールを挙げる。
2013-14シーズンは、序盤こそ出場機会があったが、徐々に出番が減り無得点で終わる。
2014年11月14日、約1年ぶりの代表復帰となったキリンチャレンジカップ・ホンジュラス戦で代表初得点。
2014-15シーズンは1得点だったが出場機会は確保した。
スペインのリーガ・エスパニョーラで。
2015年8月27日、リーガ・エスパニョーラのSDエイバルへ完全移籍。
2015年9月23日、第5節レバンテUD戦において、トップ下スタメンでリーガデビュー。
2016年1月10日、第19節のRCDエスパニョール戦でリーグ戦初得点。
2017年5月21日、2016-2017シーズンのリーガ・エスパニョーラ最終節のFCバルセロナ戦では2得点の活躍をし、日本人として初めてバルセロナから得点を奪った。
同年5月25日、日本代表のメンバーに選出され、6月7日に行われたキリンチャレンジカップ2017シリア戦にて途中出場し、2年ぶりの代表戦復帰を果たした。
2018年6月1日、レアル・ベティスと2021年までの3年契約を締結。エイバル側は契約延長を希望していたが、提示年俸の差とエイバルのメンディリバル監督の契約満了で移籍を決意。
同年、ロシアW杯日本代表に選出。出場32カ国の登録選手の中で体重59kgは最軽量である。
6月25日、グループリーグ第2戦セネガル戦でワールドカップ初得点を決めた。
2019年1月5日、練習中に負傷離脱となった中島翔哉に代わり、AFCアジアカップ2019の日本代表メンバーに追加召集。
同月に出場機会を求めてデポルティーボ・アラベスとシーズン終了までの期限付き移籍が発表。
2019年7月24日、約1年ぶりにエイバルへ復帰。
2020-21シーズンはリーガ最下位におわり、セグンダ・ディビシオン降格が決定。2021年6月28日に退団を発表。
10年振りのJ復帰。
2021年8月31日、セレッソ大阪復帰が正式に発表。
2022年4月5日に行われた柏レイソル戦において、起こした行動が問題となりクラブから練習参加を禁じられる重いペナルティーを受ける事態に。その後話し合いの末、2022年6月9日、クラブとの契約を両者合意で解消し退団したことが発表された。
6月15日よりファジアーノ岡山の木山監督と乾に親交があったことから練習に当面の間、参加。
2022年7月22日、最下位でJ2降格圏に沈んでいた清水エスパルスへの完全移籍が発表。
出場機会を得られ、一時は11位まで順位を上げるのに貢献。しかし、当時の監督が彼がスタメンを外すと順位はズルズルと低下。最終的に同シーズンは17位で降格決定した。
2023年
降格したエスパルスだったが、乾は残留。4月の監督交代で秋葉監督就任以降はそれまでの主戦場となっていた左サイドからより得点に絡むことの多いトップ下へコンバート。得点に絡む機会が増え、チームの欠かせない主力に定着した。この年35歳になるが、エスパルスに恩を感じており、インタビューでは「特別なクラブになりました。続けてればオファーが来るかもだし、ずっとエスパルスでやれたら一番ですね」と語っている。
秋葉監督は「戦術乾」と称しており、権田修一からは「乾がいなかったから最初の方は勝てなかった」と言うほど、チームの中では大きな力を持っているが、サッカーダイジェストTVに出演した際には「いつかは自分らを差し置いてスタメン出場する選手が出てきてほしい」と言っており、若手に大きな期待を持っていた。