歴史
プロサッカー選手の誕生
発端はサッカーの母国、イングランドある。
19世紀においてのイングランドでは、プロという立ち位置が確立される前の選手はサッカーとは別に仕事を抱えており、当然収入はここから得ていた。その後、クラブ間・チーム間の競合が激しくなるにつれてサッカーそのものに対して過熱していくようになると、選手にもレベルアップが求められるようになる。結果、収入先を絶たれるような怪我を恐れないように選手たちがサッカーをやれる為の経営体制を各クラブ共に取るようになり、選手としての働きそのものに対して『保証金』の形で報酬が支払われるようになる。
ただし、当時のイングランドにおいてこのプロ化の進行が速かったのは工業都市が並んでいた国内北部であり、国内南部では依然としてアマチュアリズムが強く、それにより生じた差が1884年のFAカップの結果によって表面化された。この年のFAカップ決勝にて北部のチームが南部のチームを破ったのだが、南部のチームが「この結果は不当なプロフェッショナリズムによるものだ!!!(迫真)」として結果を覆すことを求めて抗議した。
当然、北部のチームはこの抗議に対して憤慨したのは言うまでもないが、このことを契機に北部を拠点とする多くのチームによるイングランドサッカー協会(FA)に対しての抗議へと発展していき、「プロを認めないとFAの対抗組織を作んぞゴラァ!!!(# ゚Д゚)」と主張した結果、FAは1年半後にプロを認めるようになる。こうして1885年7月、イングランドにおいてサッカーにおけるプロが公式に認められる歴史的な瞬間となった。
一方、イングランドのお隣であるスコットランドでは「ウチはウチ、ヨソはヨソ」ということでイングランドの影響に動じることもなく頑なにプロ形態を禁止にする。しかし、そのせいでスコットランド人の選手たちがプロ契約を求めてイングランドへ移るという事態が起こってしまう。結果、イングランドでのプロ公認から10年も経たない内にスコットランド内もプロを認めることとなる。
以降、1900年代以降、選手や指導者のプロ化が世界中にじわじわと浸透していくこととなる。
ちなみに世界最古のプロリーグはイングランド国内サッカーリーグであるフットボールリーグ(現:イングリッシュ・フットボールリーグ(EFL))だが、創設年が1888年なので、この時点で既にアマチュアリーグとしてでなく最初からプロリーグとしてスタートしていたものであると観て取れる。
日本におけるプロサッカー
社会人サッカーの記事のほうに詳しく書かれているのだが、Jリーグの前身であるJSLの最終年となる1991年-1992年シーズンまでプロに対する制限があった。その為、JSL時代において特に選手のほうのプロ活動は特定の制度が科せられたJSLでしか活動できなかった。その後、1992年開始の旧JFL及び1993年開始のJリーグを以って、欧州サッカー界と同様にプロの選手や指導者がカテゴリを問わず無条件で在籍できるようになった。これは「必ずしも(プロが在籍できる)どの社会人カテゴリにおいてもアマチュアよりプロが強くて当然」という図式が時代を重ねるにつれての国内サッカーの底上げが現在でも右肩上がりで続いていることにより成り立たなくなっていったことも大きい。
「国内サッカーの底上げが現在でも右肩上がりで続いていること」の一例として2021年のJFL第23節のいわきFC vs ホンダFCを挙げる。オールプロで臨んだ当時暫定首位であるいわきFCは、オールアマチュアである当時暫定2位のホンダFCに1-5で大敗した(※しかも前半で4失点している)。余談だが、この年のいわきFCはJFL初優勝でJ3リーグ初昇格を決め、翌2022年のJ3リーグでは"初昇格初優勝"によるJ2リーグ初昇格の快挙を達成している。
セミプロフェッショナル(セミプロ)
発端はアメリカである。当時のアメリカ国内のスポーツにおける強いアマチュアリズムの風潮から逃れるために出来たものであり、選手との契約を"プロ選手に準じる(semi)"形で契約を行うことから生まれた。その為、身分上はアマチュア選手である。
・・・が、現在では、選手としての報酬だけでは食べていけないのでサッカー以外の仕事もやっているという、ダブルワークと化している状態の選手をもセミプロと指すようになっている。日本国内のプロサッカーシーンにおいては、J3リーグ以下のカテゴリでよく観られる形態であり、稀にJ2リーグでも観られたりする模様。せめてJリーグ全体だけでもどうにか世界有数のお金持ちリーグになり、Jリーグに在籍する全選手がこの状態から脱出して選手としての報酬一本だけで食べていけるようになってほしいものである。
別名・表記ゆれ
- セミプロサッカー