概要
名称は当時のベルギー人サッカー選手「ジャン=マルク・ボスマン」に由来する。
ベルギー2部のRFCリエージュというクラブでプレーしていたボスマンは、契約満了後にフランス2部のUSLダンケルクへ移籍しようとした。しかし、当時のルールでは契約が切れた後も所有権は所属元のクラブにあるとされ移籍にはクラブの許可が必要であり、移籍金を要求することもできた。リエージュはダンケルクに対し移籍金を要求し交渉は決裂する。移籍は破談となり、またリエージュはボスマンとの再契約も行わなかったためボスマンはプレーするクラブがなくなり去就が完全に宙に浮いてしまった。
これを不服としたボスマンはリエージュとベルギーサッカー協会に対し裁判を起こし勝訴する。しかしこの件でトラブルメーカーとなったボスマンと契約したがるクラブはほとんど現れず、残りのキャリアをアマチュアクラブで過ごした後、現役を引退した。
ここで終わっていればただの契約トラブルだったのだが、ベルギーの若手弁護士「ジャン・ルイ・デュポン」がボスマンに対してUEFAを訴えることを提案する。その内容は
- クラブは契約が切れた選手の保有権を主張できず、選手は移籍金なしで移籍することができる。
- EU加盟国籍所有者の移動と就労を制限してはならないとしたEUの労働規約をサッカー選手にも適応すべきである。
というものであり、こちらにも勝訴した。
影響
これまでは契約が切れた後もクラブが保有権を主張できるという、パワーバランスがクラブ側に偏った制度となっていたが、それが一変した。選手には契約延長を拒否し、契約満了後にタダで出ていくという新たな選択肢が生まれた。クラブ側はそれを阻止するため、選手を高年俸で引き留め、さらに長期間の契約を結んで移籍する際には残りの契約期間を買い取ってもらうという形で収入を得るようになる。
しかし、中小規模のクラブにはそんなことをする資金力はなく、逆に一部のビッグクラブが金に物を言わせて選手をかき集めるようになり移籍金と年俸は一気に高騰し、ビッグクラブとそれ以外のクラブの格差は大きく広がった。
EU圏内の選手であれば外国籍として扱われなくなったことにより各国リーグの「外国人枠」が事実上大幅に拡大することになり、国際移籍が活発化する。これも移籍金と年俸の高騰に拍車をかけた。
元々はEU圏内のみの話であったが、2005年にFIFAが契約切れ選手の移籍自由化を明文化したため世界中に波及した。Jリーグでも2009年にそれまで定めていた独自の移籍金ルールを廃止し、ボスマン判決に沿う形に規約を変更している。