三重県名張市出身で、セレッソ大阪の下部組織出身。2009年にトップチームに昇格。
イケメン選手として多くのセレ女の獲得に貢献したが、同年にFC東京戦で右膝外側半月板損傷。戦列を離れることに。
2015年シーズン終了後に、ドイツ・ブンデスリーガのハノーファー96へ移籍。
2016年1月に初出場したものの、3月の代表戦で鼻と眼窩底を骨折。
その後の試合には出場できずチーム降格となった。
同年6月にはセレッソに復帰。復帰時に「育ったクラブを離れ、セレッソに対する思いが想像以上に強くなった。今後の人生をすべてこのクラブと共に生きていきたい」と語っていた。同年にクラブはJ1昇格を決める。
2017年シーズンには天皇杯とルヴァンカップの2冠に貢献し、セレッソの初タイトルに貢献した。
しかし2018年シーズン終了後、ヴィッセル神戸からオファーが届く。これまでの経緯からセレッソに残留すると思われたものの、1億円の年俸提示、世界的スター選手であるアンドレス・イニエスタと共にプレーできるということが決め手となり、ヴィッセルに移籍。彼の移籍は裏切りの移籍とされることもあるが、セレッソフロントと揉めていたらしく、退団も仕方ないことだとの声もある。
1年目から主力に定着し、同シーズンには天皇杯を制しクラブの初タイトルに貢献。現在も主力として活躍中。
2023年には大迫勇也・武藤嘉紀・酒井高徳といった欧州&日本代表経験組らと共にJ1初優勝に大きく貢献。蛍自身は終盤、ケガで離脱することになったが、優勝を決めた33節にベンチ入りを果たしてギリギリでケガからの復帰に成功、無事シャーレを掲げることができた。
日本代表としては、2010年にU-21日本代表に選出されて以降は継続して招集されている。
人物
サッカー選手としての最大の特徴は運動量であり、中盤のダイナモとも称される。運動量を活かした果敢なボール奪取でボールを刈り取りつつピンチの芽を摘み取り、素早くチームを攻勢に転じる。30代に突入した2020年代でも全く衰えず、ほぼ全試合に出場している、日本人トップレベル級のMFである。
時折放たれる強烈なミドルシュートも彼の強力な武器。特にロシアワールドカップ最終予選のイラン戦ではATに獲得したCKのこぼれ球からミドルシュートを放ってネットを揺らし、勝利と日本代表のワールドカップ本大会出場に大きく貢献。「山口蛍といえばコレ」ともいえる彼の代名詞的なシュートである。
2019年共に戦ったダビド・ビジャからも「Jリーグで一番凄いと思った」「彼はスペインでも成功できる」というお墨付きも貰っている。
セレッソ大阪時代、共にボランチで躍動した扇原貴宏とはルートこそ異なるものの、2022年にヴィッセル神戸にて再会。扇原は2022年は不調に終わったものの2023年の後半戦には復調を果たし、4-2-3-1では蛍と扇原のボランチコンビが神戸の地で実現。
プライベートではかなりの愛犬家。愛犬専用のインスタグラムアカウントがある。よく愛犬の写真が投稿される。