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折口信夫

おりくちしのぶ

日本の民俗学者で詩人・歌人。
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概要

日本民俗学者の一人で、歌人として「釈迢空(しゃくちょうくう)」と号し、額の痣をもじって「靄遠渓(あいえんけい)」とも名乗った。
大和民族の魂を「まなぁ」であるとし、山、ニライカナイなどからまれに来るものがマレビトとして祝福(ほがい)を垂れまなぁを与えるとする独特の説をとなえた。

生涯

1887年(明治20年)2月11日~1953年(昭和28年)9月3日
大阪で生まれ、短歌に興味を持って様々な歌を詠んだが、ナイーブな性格からか16歳の時に自殺未遂をした。

1905年に上京して國學院大學に入り、卒業後に生涯の師となる柳田國男と出会う。柳田から話を聞いたことをきっかけに1921年に沖縄旅行をし、沖縄に古の日本文化の面影を見出し、古代研究に傾倒していく。

弟子の学生の折口春洋を可愛がって養子とし、事実上の婚姻関係にあったが、太平洋戦争硫黄島の戦いで亡くし、終戦の際は箱根に籠もった。戦後しばらくして胃がんで死去。折口春洋の死後は、岡野弘彦が書生として同居し、死期を看取った。

人物

芸能史と国文学を中心に文学者や詩人としての視点から日本文化を研究した。柳田とともに日本民俗学の礎を築いた重鎮であり、独特の神秘性から今でも多くの人が惹かれている。

しかし、日本民俗学を近代的な学問として確立させることを目指した柳田は、折口の才能を評価しつつも学問的厳密性に欠けるとして批判的面も示しており、認め合いながら批判もする対等な師弟関係を持っていた。

なお、柳田と折口の関係に限らず、日本の民俗学は師弟の上下関係は薄く、今に至るまで自由な学風が続いている。

柳田は下品なものの収録には躊躇していたが、折口は「洋服を着た人へ、子供が「へえたいさん ちんことラッパと替えてんか」と言って寄り付く(女の子版もあり)」と言ったものを若干収録している。

コカイン中毒であるため、文章が読みにくい。

太平洋戦争敗戦後、「日本の神が西洋の神に負けた」と悲嘆の涙に暮れていたが、どこかから國學院大學の一角へ木彫りの河童の像を持ってきて、ある日に菓子をささげるという儀礼を始めたという。

男色家(同性愛者)であることを隠さず、男子中学生同士の恋を描いた小説もある。

「同性愛を変態だと世間では言うけれど、そんなことはない。男女の間の愛情よりも純粋だと思う。変態と考えるのは常識論にすぎない」

関連タグ

民俗学 歌人 同性愛

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