石原伸晃
いしはらのぶてる
日本テレビ勤務を経由して1990年に衆議院議員初当選し政治家デビュー。
その後規制改革担当大臣、国土交通大臣 (第3・4代) 、自由民主党政務調査会長 (第49代)
自民党幹事長を歴任。
2012年、谷垣禎一の代表任期切れに伴う自民党の代表選挙に出馬を表明したが、谷垣が当初は続投の意志をもっており執行部にありながら谷垣を後ろから撃つような形になったと非難された。特に麻生太郎からは当時幹事長だったこともあり「平成の明智光秀」と言われたほど。
谷垣がその後出馬を取りやめたことで支持者からの批判も高まる中、「中国は尖閣に攻めてこない。誰も住んでいないんだから」、「福島原発第一サティアンしかない」などの失言を連発。
保守系の掲示板スレッド等に常駐するネット住民達からも呆れられ「テルーピー」(鳩山由紀夫の「ルーピー」に由来)の渾名をつけられ、同じ党の佐藤正久からも苦言を呈された。
そのせいかどうかは不明であるが、総裁選では一般党員からの票が伸びず安倍晋三に敗北した。第二次安倍内閣では環境相に就任する。
自民党都連の会長も務めており、2016年の東京都知事選挙では立候補を表明した小池百合子と対立、彼女を推薦せず増田寛也を擁立したが増田は敗北。
この責任をとり、「都連のドン」とも呼ばれた内田茂とともに都連幹部を辞任したものの、その際に敗北の責任を谷垣禎一(重傷で入院中だった)に転嫁する発言を行っている。初めのうちは実力はあるかに思われたが、この様な常識外の失礼極まりない失態が多く重なった結果、党からも信頼されなくなり、最後は国民からは無能の烙印を押される形となった。
2021年10月の衆議院解散総選挙では、立憲民主党所属の吉田はるみに小選挙区で敗れ、比例ですら当選できず、あえなく落選となった。