概要
1947年に阪急ブレーブスにプレイングマネージャーとして入団
45歳でのプロ入りは最年長プロ入り記録である。
1950年には48歳4か月で最年長勝利投手記録を樹立。
同年に引退し指導者に専念。
阪急監督時代に息子・浜崎勝(1931年-)を入団させ、プロ野球史上初めての親子選手として話題を呼んだ。(浜崎勝は2年で引退。)
実弟の浜崎忠治(1915年-没年不明)も元中日ドラゴンズに2年在籍、後パリーグ審判になった。(真二とは14歳離れていて、広島商業(現:広島県立広島商業高等学校)のチームメイトだった鶴岡一人ら数人がプロ野球選手に。)
監督として、高橋ユニオンズ/トンボユニオンズ(現:千葉ロッテマリーンズ)や国鉄スワローズ(現:東京ヤクルトスワローズ)に、コーチとして毎日オリオンズ (現:千葉ロッテマリーンズ)や読売ジャイアンツ に在籍した。
国鉄監督を退いた後、解説者に転身。
1978年、野球殿堂入り。
1981年5月6日死去した。享年81(79歳没)。
小柄な身長(150cmから160cmまでいくつかの説がある。因みに実弟・忠治、息子・勝も小柄だった。)から日本プロ野球史上最も背の低い選手と言われている。
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主な親子の野球選手
日本プロ野球の最年長記録保持者
山本昌・・・最年長試合出場、先発出場、登板、先発登板(以上、50歳57日)、勝利及び先発勝利(49歳25日)、奪三振(49歳363日)、打席(49歳43日)、完投勝利及び完封勝利(45歳24日)、ホールドポイント(47歳1ヶ月)、ノーヒットノーラン(41歳1ヶ月5日)
※最年長記録の内、浜崎の持つ投手の記録と打席は山本昌に全て塗り替えられたが、打撃(得点、安打、二塁打、三塁打、打点、盗塁)と投手としてのパリーグの最年長記録は浜崎が保持している。
岩本義行・・・最年長本塁打(45歳5ヶ月)
工藤公康・・・最年長ホールド(46歳4ヶ月)
斎藤隆・・・最年長セーブ(44歳4ヶ月)