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経歴編集

日本の元弁護士オウム真理教の元幹部。1960年3月9日生まれ、大阪府柏原市出身。ホーリーネームは「アパーヤージャハ」。


アパレル系の上場企業の社長を父に持ち、裕福な家庭で育った。大阪府内トップクラスの偏差値を誇る高津高校から京都大学法学部に進学。在学中に当時最年少記録の21歳で旧司法試験に合格している。


卒業後に弁護士事務所に入所。電車での通勤中に発症した腰痛の治療のために、オウム真理教主催のヨガ教室に通ったところ腰痛が治ったことからオウムに傾倒。1988年に入信する。


1989年に弁護士事務所を独立し出家。教団の顧問弁護士を務めるようになり、教団が省庁制を採用してからは法務省大臣に任命された。以降、法律の知識を生かして様々な交渉や謀議に参加するようになる。


1995年地下鉄サリン事件で主要幹部が一斉に逮捕されると、弁護士の立場を悪用して各容疑者に接見。「これは無言の行だ(=喋らない修行だ)」などと言い、黙秘を強要して回ったとされる。


同年に上九一色村のサティアン付近でサリンが検出されたのを、地元の肥料会社社長の仕業として告訴したが、逆に肥料会社社長への名誉棄損で警察に逮捕される。更に坂本堤の後任である滝本太郎弁護士への殺害計画に加わったとして殺人未遂起訴された。裁判では反省の態度を見せなかったことから検察側の心証は大いに悪く、懲役12年の実刑判決を受けた。


2009年に刑期を満了し出所したが、その後の動向は不明。また、裁判の過程で弁護士資格を失効している。


関連タグ編集

オウム真理教 弁護士

上祐史浩:教団を擁護するために、共にワイドショーに出演することがあった。

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