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概要編集

赤塚不二夫(1935年9月14日~2008年8月2日)

満州国出身の漫画家。本名は赤塚藤雄(読みはペンネームと同じ)。

ギャグ漫画というジャンルを作り上げ、一代で終わらせたとも言われる。主にギャグ作品を執筆した。漫画家活動にとどまらない活動でも有名。


来歴編集

幼少期編集

1935年9月14日、満州国熱河省で父・藤七(バカボンのパパのモデル)、母・リヨ(おそ松達の母のモデル)の間に誕生。6人兄弟の長男であった。


父は陸軍憲兵学校を出て1931年より関東軍の憲兵として満洲に渡り、リットン調査団の護衛も務めた。しかし上官の理不尽な言動が我慢できずに職を辞し、藤雄が生まれた頃には宣撫を担当する特務警察官となり、1944年からは奉天市鉄西の消防分署長となった。厳格だが人情に篤い正義漢で、現地の中国人満洲人を下に見ることなく、人間として分け隔てなく接するよう子供たちを教育した。

父が普段から支援物資を現地人に分け与えていた事や部下を大切にしていた事(※)もあってか、日本の降伏後に多発したゲリラに日本人が襲撃される事件(赤塚家の隣人一家は惨殺された)に巻き込まれず、逆に現地人達から助けられたという。

その父もシベリア抑留から帰国した時には抑留生活の苦労で人が変わったようになっていた。

※当時現地人の部下が職務で失敗をした事に叱責こそしたが赤塚家に部下が食べ物といった手土産を持ち反省の意をもって詫びる為に訪れた際に「母ちゃん、絶対に(持ってきた物を)受け取るなよ」と当時の満州での食糧事情を省みて釘を刺していた。


母・リヨは結婚前は芸者だったらしく、赤塚曰く「母の身体には芸者時代に入れた他の男の名前の刺青」があったが、父は一切その事には不問であったという。だが、そんな夫の為にと後にその刺青を消した。


満洲を引き揚げ帰国に至る過程は壮絶で妹を喪っている。もしも母親の手を離していたらそのまま中国残留孤児になっていたと生前語っている。

帰国後、母の故郷・奈良県大和郡山で暮らすが、満州出身者はよそ者扱いで苦しい日々を送った。この事もあって「自分は満州出身」と強く意識していた。

1949年、母のわずかな稼ぎでは子供たちを養っていくのが困難となり、藤雄は新潟県に住む父親の姉に預けられた。

1950年、父が帰国し、母を除く家族は父の本籍地の西蒲原郡四ツ合村(現在は新潟市)に転居するが、やはりよそ者扱いされていると感じた。

1952年、中学校を卒業して看板屋に就職。映画の看板を描いた花月劇場の管理人と仲良くなり、映画を無料で鑑賞できた。手塚治虫の『ロストワールド』を読んで漫画家を目指す様になる。

1954年、上京し、化学薬品工場に勤務しながら『漫画少年』(学童社)に漫画を投稿した。それを見た石森章太郎(後の石ノ森章太郎)から、彼が主宰する肉筆回覧同人誌墨汁一滴」に勧誘され参加する。


漫画家デビュー編集

1956年、貸本少女漫画『嵐をこえて』(曙出版)を出版。曙出版の社長が同郷だった縁でのデビューであった。同年、石森の住んでいたトキワ荘に入居して、本格的に執筆活動を始める。

トキワ荘の仲間たちが華々しく活躍する中、赤塚は一向に芽が出なかった。漫画家としての仕事は皆無で、生活力に欠ける石森の身の周りの世話をしたり、アシスタントをしたりして暮らしていた。

一時は漫画家としてやっていく事を諦めかけたが、トキワ荘の兄貴分であった寺田ヒロオや仲間達の励ましで奮闘する。

トキワ荘に赤塚の暮らしぶりを見に行った伯母がやつれ果てた姿に驚き、身の周りの世話をしてやるよう注進したため、1957年、母・リヨが上京して同居する。赤塚だけでなく石森章太郎水野英子よこたとくお等もリヨに食事の世話や洗濯などをしてもらい、一番稼いでいた石森が月4,000円をリヨに渡していた。


1958年、秋田書店壁村耐三から「まんが王」用の穴埋め原稿を依頼され、『ナマちゃん』を執筆。刷り上がった「まんが王」を見ると「連載作品」と書かれていて仰天する。赤塚は初のギャグ漫画の連載を持った。

赤塚は近所の紫雲荘に引っ越すが、その後もリヨの住むトキワ荘に飯を食いにきていた。

1961年に赤塚が結婚・独立した後も、リヨは世界一周旅行の借金で引っ越せなかった石森の面倒を見ていた。この年には父・藤七も上京してリヨと同居し、2人はトキワ荘グループのメンバーが皆出て行った後もトキワ荘に住んでいた。


1962年、代表作の1つ『おそ松くん』の連載開始以降、次々とヒット作を生み出していく。


もし── ぼくがトキワ荘の住人にならなかったら………

ぼくは現在まんがをかいてなかったかもしれない──────


『トキワ荘物語』(1978年)赤塚不二夫編ラストより。


晩年編集

晩年はアルコール依存症の悪化により、執筆活動は滞り、入退院を繰り返した。アルコールが手放せなかったのは、自身が「大の恥ずかしがり屋」だったからだという。社交的かつ様々な活動をしていた彼がシャイだったとはとても信じられない話である。

なお、フジオ・プロでの『彼の右腕』と称された長谷邦夫は赤塚がアルコール依存症となってもなお残っていた古参スタッフだったが、段々と仕事の打ち合わせにも支障をきたしだしてしまい、ある日赤塚が台所に向かい水割りを作る音がした瞬間、ついには黙ってその場から彼のもとを去ったという…が、実際に彼の下から去る事を決意したのはある時から企画会議に呼ばれなくなった事が理由だったとのこと。


2002年春に検査入院中に脳内出血を発症し、一切の創作活動を休止。これ以降、没するまで再開できなかったため、事実上の活動終了となっている。

その後動静が伝えられることはほどんどなかったが、2004年頃に植物状態に至ったという。2006年にフジオ・プロ社長を務めていた後妻が長年にわたる社長業と介護のストレスからか、くも膜下出血で先立ってしまった。このためイギリス滞在中だった娘が急遽帰国し、会社を継承している。2008年7月末、前妻にも先立たれ、その葬式の日取りが決まらないうちの8月2日夕方に、自らも追いかけるように旅立った。享年74(満72歳没)。


娘は実の両親を立て続けに喪い、普通の人が経験することは極めてまれである、葬式を2回続けて挙げるという経験をすることになった。ナーバスになっていた娘であったが、赤塚が夢枕に立って励まし、生きる希望を与えたのだという。


逸話編集

  • 大の映画好きであり、トキワ荘時代は石森章太郎と一緒に映画館に行った。自宅にAVオーディオ・ヴィジュアルの方)ルームを作っていた。
  • トキワ荘時代は『トキワ荘一の美男子』の異名があり、今で言うイケメンであった。メイン画像のような頃とは本当に別人ではないかと思うくらいである(赤塚の父も憲兵時代は中々の男前である事が赤塚の幼少期の写真で残っている事からその点は父譲りなのだろう)。
  • 知人、友人の多くは彼の人柄をバカボンのパパそのもの」と評しており、その言葉に偽りなく破天荒な性格の人物としても知られている(バカボンのパパと違い、女好きなプレイボーイとしての一面もある)。
  • 多くの人に慕われる人柄で、右腕とされた長谷邦夫を筆頭としてさらに「赤塚四天王」(古谷三敏高井研一郎北見けんいちあだち勉)と呼ばれるブレーンや、アシスタントを使って創作活動を続けた。赤塚は「アシスタント制度を最初に導入したのは自分である」という意味のことを言っている。アシスタントから土田よしこ、芳谷圭児ら多くの漫画家を輩出した。ギャグのアイディアはこのアシスタント達から生まれた。なお、赤塚はギャグ一辺倒ではなく劇画作品をプロデュースしたいとかつてフジオ・プロには「劇画部」なるチームが存在していた。
  • イタズラ好きでもあり、「バカボン」の原稿に「バカボンのパパとバカボンのママがアーン♡」な事をしている原稿(勿論、その下にはきちんと本来のものを描いているのがある)を紛れ込ませて渡し、慌てふためく編集者をからかうような事もあったという。他にも背景スタッフに緻密な市街地を描かせておきながら「ボツ!」と言いスタッフを青ざめさせたが、実はその回では全編実験的な手抜き同然の手法でやるものだった為、スタッフが暇にならないようにワザと緻密に描かせるよう指示するイタズラだったという。
  • 藤子・F・不二雄の死の際はマスコミのインタビューに「(ただの)友人じゃないんだよね、兄弟なんだよ。」と惜しむコメントをしている。
  • 1971年頃、三里塚闘争に駆けつけた。自分と同じ引き揚げ者の安住の地となるはずの地で起きた事件に義憤に駆られたと思われる。
  • 同姓同名の音響技師「赤塚不二夫」がいる。こちらは本名であり、赤塚とも交流があった。
  • タモリの独特な才能を見出し、九州に帰らせては勿体ないと自宅に居候させた。赤塚不二夫の告別式でタモリは弔辞を読み上げ「私もあなたの数多くの作品のひとつです。合掌。」と締めた。
  • 過去に完成した原稿を締切前に編集者がタクシーに忘れてしまいどうにもならず編集者が途方に暮れていたところ、「わかった。まだ時間があるから(一緒に)呑みに行こう」といい、ネーム(下描き)がまだ残っていた為紛失した原稿と同じ内容を数時間で描き上げて渡した事もある。紛失した原稿が後に発見されたが、描き直したものと紛失したものは内容から構図に至るまでほとんど同じものだったという。紛失した原稿は後に赤塚の元にタクシー会社から送られてきたが、「二度と同じ失敗をしないようにお前が持ってろ」とその編集者に贈られた。編集者は自身への戒めとして約35年大事に持ち続けたが、赤塚の死に際して「この原稿の役割は終わった」としてフジオ・プロに返したという。
  • 作画スタッフが多かった為、ほぼスタッフ任せと言われていたが実際はネーム・構図・シナリオは赤塚が綿密に練り決めていたとスタッフが後に否定している。
  • 1974年、税務署の調査でフジオ・プロが税金を長期に渡り滞納していることが発覚。原因は経理担当者による横領でフジオ・プロは破産状態となる。ただ、赤塚はこの経理担当者に温情をかけたらしく、裁判沙汰にはしなかったというが、横領された2億円の中にはフジオ・プロ所属の漫画家らのプール金もあり、芳谷圭児と古谷三敏は生活の為独立してしまった。後に赤塚は彼らに完済している。
  • 全盛期には永井豪山上たつひこジョージ秋山など新鋭の漫画家を敵視し、酒席に呼び出しては理不尽に叱責した。
  • 極稀にカニバリズム描写を描く事があり、そう言った作品は悉く発禁回収騒ぎとなった
  • 自身の作品のアニメ版の配役において、イヤミ(おそ松くん第一作)とバカボンのママ(第四作まで)に関しては特に拘りがあった。前者は小林恭治が赤塚にとっては一番イヤミの声としてハマっていたとされ、後者は増山江威子を赤塚がいたく気に入っていた事から生前はバカボンのママは増山が演じる事が絶対条件だった。

主な作品編集

おそ松くん ひみつのアッコちゃん 天才バカボン もーれつア太郎 レッツラゴン


現行後継連載作品編集

  • 少年バカボン(2014~2016年):『天才バカボン』時代は最初の方だけ主役で後はずっとパパに主役を取られていたバカボンだったが、小学校に通い、パパと同じ格好をして主役に返り咲く。時間枠は『天才バカボン』より少しだけ進んでいる。吉勝太作画。
  • 私立アカフジ高校 へんな子ちゃん:へんな子ちゃんが女子高生になったという設定で、二代目へんな子ちゃんをベースに作られたフジオ・プロ作品。
  • 赤塚不二夫 ドリームタイムズ:とある現代社会に生きるサラリーマンが、赤塚不二夫ワールドに迷い込んでしまった!?フジオ・プロ公認の漫画作品。いずみはらきみ作画。
  • おそ松さん(漫画版):アニメ『おそ松さん』の設定を踏襲しつつ、原作のネタを混ぜたりした独自路線の漫画作品。作画はシタラマサコ

本当にやらかした実験一覧編集

  • 「実物大漫画」:見開きで顔を描くという手法で、1/1サイズの漫画を執筆。飽きて6ページでやめた
  • 「描写逆転漫画」:吹き出しの中に絵文字で、枠線の中に描写を台本風に描きこむ。
  • 「読みづらい漫画」:わざとコマの順番をバラバラにし、何度も読者を往復させる。
  • 「読みやすい漫画」:一々コマにでっかく「ナシ」と書いて読みやすくする。
  • 「左手漫画」:全キャラや背景を左手で描く。
  • 「夏痩せバカボン」:痩せ過ぎた、ということで全キャラ棒人間
  • 「ネーム漫画」:わざとネームの段階で掲載。
  • 「天才バカボンの劇画なのだ」:読んで字のごとく。

赤塚不二夫生誕80周年記念企画製作物編集

  • 天才バカボンの時代なのだ:赤塚不二夫に関わった人、フジオ・プロに在籍していた漫画家達による、共作やその個人から見た赤塚不二夫の人物像の漫画に、赤塚不二夫作品の再録もしているコミック作品。
  • 天才バカヴォン:正式名称は『天才バカヴォン~蘇るフランダースの犬~FROGMANによるFlash映画作品。
  • 男子!レッツラゴン男子はだまってなさいよによる『レッツラゴン』の舞台化作品。
  • おそ松さん:おそ松くんの六つ子が20代になった姿を描いたアニメ作品。
  • 漫画をはみ出した男 赤塚不二夫:『笑ってくれれば死んでもいい!』が煽り文のアニメとドキュメンタリー作品。色んなギャグ作品(時にシリアス作品)を生み出したが本人はもっと面白い!?自身が最高傑作とした『レッツラゴン』のキャラクターを案内役に本人の映像や、秘蔵写真、関係者などを通した複数の視点によって『赤塚不二夫』という男の知られざる姿が綴られる。
  • ひみつのアッコちゃんμ:今となってはプリキュアシリーズコミカライズでおなじみ上北ふたごによるリメイク作品。シナリオは天外魔境シリーズやコロコロイチバン桃太郎電鉄で知られる井沢ひろしが担当。伝説の名作を、ふたごがタツノコ&プリキュアチックに描く。

アシスタント編集

演じた俳優編集

  • 松田洋治:NHK銀河テレビ小説『まんが道青春篇』(1987年)
  • 堤大二郎:NHKドラマ新銀河『これでいいのだ』(1994年)
  • 阿部サダヲ:日本テレビ『いつみても波瀾万丈 赤塚不二夫』(1994年、再現ドラマ内)
  • 大森嘉之:映画『トキワ荘の青春
  • 水橋研二:フジテレビ土曜プレミアム『これでいいのだ!!赤塚不二夫伝説』(2008年)
  • 浅野忠信:映画『これでいいのだ!!映画★赤塚不二夫』(2011年)
  • 池田鉄洋:NHKプレミアムドラマ『これでいいのだ!!赤塚不二夫と二人の妻』(2012年)
  • 又吉直樹:関西テレビ『神様のベレー帽〜手塚治虫のブラック・ジャック創作秘話〜』(2013年)
  • 玉山鉄二:NHK土曜ドラマ『バカボンのパパよりバカなパパ』(2018年)
  • 林遣都:日本テレビ『ヒーローを作った男 石ノ森章太郎物語』(2018年)
  • 音尾琢真:映画『止められるか、俺たちを』(2018年)

関連タグ編集

赤塚先生 赤塚不二夫先生追悼リンク トキワ荘 シェー タモリ 赤塚賞


外部リンク編集

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