我々ウルトラマンは、決して神ではない。どんなに頑張ろうと救えない命もあれば、届かない想いもある。
概要
2006年9月16日公開の映画ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟での言葉。
『自身が倒した怪獣が一人の少年の心に深い傷を残していた』事実に苦悩するウルトラマンメビウスことヒビノ・ミライに初代ウルトラマンことハヤタ・シンが送った言葉である。
見出しの項目にもあるとおり、ウルトラマンの持つ心得を説いた言葉である。
怪獣と言う天変地異にも匹敵する恐ろしい巨大生物を常に3分以内で倒す人知を超越したような力を持つウルトラマンたちだが、実際には彼らも苦悩と葛藤を持ち、自らの力にも限界が存在していた。迫り来る悲劇を防ぐ事が出来なかったり、時には自身の正義と相反する選択を取らざるを得なかったことが度々あった。
事実、初代ウルトラマンには(そうしないと更に多くの命が失われるという危険があったとはいえ)守るべき地球人の命をこの手で奪った経験があったのだから…。
だからこそ、自身への戒めと若いウルトラマンへの応援を込めて、この言葉を贈ったのだろう。
事実、光の国にはこれを体現してしまった者が存在していたので、間違いではない。
しかもその内の一人が後にウルサマ情報局2022のボイスドラマにて、自分の息子の夢に現れてはこの言葉を説くという、かつて覇道を突き進んだ末に葬られた父親から、自らの手で引導を渡した息子へ送られた言葉という、なんとも感慨深いシチュエーションでもある。
同様の台詞・諌め
ウルトラマンコスモスにて
第43話「操り怪獣」にてノワール星人が死に際に放ったネルドラント・メカレーターが暴れはじめたが、痛覚も遮断されているようでEYESの攻撃をものともせず、麻酔弾やフルムーンレクトすら通じない。
コスモスはエクリプスモードになり、コズミューム光線を分散させて体内の装置だけを除去することに成功。それを見てネルドラントは助かったとアヤノ隊員は安堵した。しかし、ネルドラントは改造の影響で弱っており、直後にコスモスの目の前で命を落としてしまう。カワヤ医師は改造によるショック死だと断定、それを聞いたアヤノ隊員は泣き出してしまう。それを見たヒウラキャップは「コスモスも、神ではない…」とウルトラマンにも不可能なことはあると慰めるのだった。
ウルトラマンジードにて
2018年3月10日公開の劇場版「つなぐぜ!願い!!」にて、巨大人工頭脳ギルバリスと、ギャラクトロン軍団という強大な敵や、比嘉愛琉から託された使命などを受けて、一人焦りを覚えて、心に余裕がなくなりつつあった朝倉リク/ウルトラマンジードに対してクレナイ・ガイ/ウルトラマンオーブは自らの体験も踏まえた上で「ウルトラマンだって完璧じゃない。一人で出来ない事もある」と、自分一人で抱え込もうとせずに、肩の力を抜くようにアドバイスを送っている。
ウルサマ2022ボイスドラマにて
2022年に行われたウルサマボイスドラマ「ぼくがぼくらしくいるために」においてジードが見た夢の中に突如彼の父ベリアルが夢枕の前に現れる。
ジードが『どうして父さんは悪の道を選んだのか?』と聞くとベリアルが『俺様はただ相手を屈服させられるほどの圧倒的な力が欲しかった、そこに善悪などない』と答える。
納得のいかないジードが『ウルトラマンは正義の使者なのに何で?』と更に聞くと、ベリアルは『ウルトラマンは神でもなんでもない。自分もジードも一つの生命体に過ぎず、生命体だからこそ誰しもが悪意を持っており、同時に善意も確かに持っている。結局は己の中の道は選ぶ動機にはなっても他人によって決められるものではない。自身の行動が善なのか悪なのかは結果論でしかない、肝要なのは、自身の選択に対する責任を自覚する事であり、後悔はその外側にあるもの』と悪のウルトラマンとして自分なりの理論を説いた。
そして彼の前から去る時ベリアル『この先も、お前は多くの選択を迫られる。その時にどんな答えを導き出すにしろ、覚悟を決める事だ。お前はお前らしく好きに生きろ……死ぬまでな。』と息子としての警告とも激励ともとれる言葉を伝えた。
シン・ウルトラマンにて
2022年5月13日公開の映画『シン・ウルトラマン』でも、主人公の神永新二(と融合したウルトラマン)が類似したセリフとして、「ウルトラマンは万能の神ではない。君たち(人類)と同じ、生命(いのち)を持つ生命体だ。」という言葉を残している。こちらは主人公のウルトラマンに対しての台詞ではなく、無力感を覚え神のようにウルトラマンに縋るだけになってしまいかけた人類や禍特対メンバーに、ウルトラマンも一人では勝てない敵がいることや「人類自身が力と知恵と勇気を振り絞って禍威獣に立ち向かうこと」の重要さを伝える台詞である。
関連タグ
ウルトラマンSTORY0:こちらでも同様に「我々は神ではない」という台詞が有る。しかも言った本人はゾフィーである。
ウルトラマンキング・ウルトラマンノア:このセリフとは逆に神の如き存在として描かれるウルトラマン。ただし無闇に力を行使する事はなく、基本的に最後まで諦めない勇気ある者達に協力する(これは全てのウルトラマンに共通する)スタンス。
ノアの神:かつての地球人から神扱いされてしまったウルトラマン。
イーヴィルティガ、イーヴィルトリガー:ウルトラマンの力を使って神になろうとしたが、力に飲まれてしまった悪の巨人。
ウルトラマンティガ、ウルトラマンダイナ:この言葉が特に前面に出されたシリーズ。
ジャミラ:ウルトラマンの言う「救えない命」の代表ともいえる存在。
蛭川光彦:ウルトラマンの言う「届かない想い」の代表ともいえる存在。
ユーゼス・ゴッツォ:ウルトラマンを「神に等しい存在」と前置きした上で、「(手の届かぬ)神ではなく、人間がその力を手にする事も出来る」と評した。ちなみにスーパーヒーロー作戦は1999年発売(当然メビウス劇場版よりも前)である。
ヘラー:U40のウルトラ人。「ウルトラ人といえど神ではない」ことに耐えられずウルトラマインドの力で不老不死を目指した。『ウルトラマンが神ではないが故に邪悪に堕ちた存在』である。