概要だってよぅ
日本の漫画家。
本名は秋山勇二(あきやま ゆうじ)
1943年4月27日、東京都荒川区日暮里で誕生。父は朝鮮人の造花職人。
1953年、父親が事業に失敗し栃木県足利市へ転居。
中学生時代から漫画を描き始め、卒業後に上京し貸本漫画の取次店『芳明堂』に就職。
『芳明堂』を退職後、ピンク映画会社「国映」が作ったアニメ制作会社「日本放送映画」でテレビアニメ「戦え!オスパー」の作画を手伝う。歳の近い同僚にとりいかずよしがおり、仲良くしていた。
その後森田拳次に弟子入りし、アシスタントの傍ら『少年画報』1965年2月号の「トッピナ作戦」でデビュー。
1966年、『別冊少年マガジン』掲載の「ガイコツくん」が成功し人気漫画家となる。当初は笑いとペーソスを得意としていたギャグ漫画家だった。
1970年代になると、「罪と罰」「人間の業」「物事の善悪」を描写した凄まじい作品を何故か子供が読む少年誌で立て続けに発表する様になる。
『少年サンデー』には「銭ゲバ」や「ザ・ムーン」を、『少年ジャンプ』には「デロリンマン」や「灰になる少年」を連載。
『少年マガジン』には飢餓という極限状態の世の中を舞台にした「アシュラ」を連載。第1話からカニバリズムを描き各自治体で有害図書指定を受けるなど社会問題にまで発展した。
作中に何度も何度も挿入されるセリフ「生まれてこないほうがよかったギャア」は強烈な印象を植え付けた。
2012年にフルCGで映画化され、野沢雅子が主人公の声を当てた。
1971年、『週刊少年サンデー』で「告白」を連載し、その終了と共に持っていた連載を全て終了させ引退を宣言。しかし3ヶ月後には『週刊少年ジャンプ』で「ばらの坂道」の連載を始めた。
1973年から2017年まで『ビッグコミックオリジナル』に「浮浪雲」を連載。
破滅一歩手前で救いがある人間ドラマは多くの読者の支持を集めた。
「浮浪雲」の連載終了後はアシスタントを解散し、漫画も発表していない。
1980年から1984年まで『週刊漫画ゴラク』にて成人向け漫画『ピンクのカーテン』を連載。
兄妹の近親愛を描いたこの作品は映画化やVシネマ化され、2009年には蒼井そら主演のアダルトビデオにもなった。
2020年5月12日に死去したことが発表された。享年77歳。