本名:北見健一(1940年12月11日~)
概要
日本の漫画家。『釣りバカ日誌』(原作:やまさき十三)のヒットで知られる。
赤塚不二夫のアシスタント時代は「フジオ・プロ四天王」の一人に挙げられていた。
略歴
1940年12月11日、満州国の新京(現在は中華人民共和国の長春市)に誕生。
1946年、日本に引き揚げ板橋区(東京都)で暮らす。父がシベリアに抑留されており、生活は苦しく区内を転々とした。
1950年、母が蓮沼(板橋区)の米軍基地で職を得、近くの都営住宅に住めるようになった。同年、父がシベリアから帰る。手塚治虫や関谷ひさしに憧れ、漫画家になりたいと母に打ち明けるが泣いて反対された。
1956年、東京都立化学工業高等学校に入学し、写真部に入部。
1959年、高校を卒業後、化学メーカー「日本ゼオン」に就職するが大失敗をやらかし、入社3ヶ月目で退社。多摩美術大学付属芸術学園の写真科に入るが、漫画も描き続けていた。
1962年、芸術学園を卒業し、富士見市の鶴瀬(埼玉県)で写真店を経営。町にたった一軒の写真店のため大繁盛し、漫画を描く時間が無くなる。地元高校の写真部の生徒たちに現像を教えて作業をさせ、その隙に漫画を描いて出版社に持ち込んでいた。
1964年、小学館で赤塚不二夫の担当編集だった樺島基弘の紹介で赤塚不二夫のアシスタントになり、写真屋は知人に譲る。
1965年、フジオ・プロが設立され、社員となる。以降、赤塚の全盛期の主要作品すべてに関わった。
1970年、「まんが王」(秋田書店)で『ショック』を連載(ペンネーム:北見健一)。
1975年、結婚して子供も生まれたため、独立を考えるようになる。
1979年、フジオ・プロから独立。「週刊少年キング」(少年画報社)に『どじょっこふなっこ』が掲載される(ペンネーム:北見けんいち)。「ビッグコミックオリジナル」(小学館)で『釣りバカ日誌』の連載が始まる(現在も連載中)。
1983年、中日新聞系列の日曜版に『どじょっこふなっこ』のリメイク作品『焼けあとの元気くん』を掲載(翌年から「まんがタイムファミリー」にも掲載される様になる)。余談だが、元気くんの従兄とおるが「赤塚不二夫のアシスタント」をしていたり、友人マー坊の父親がシベリアに抑留されていたりしていた(マー坊の父親は第一部終盤に無事帰国)。
1988年、『釣りバカ日誌』が松竹で実写映画化(2009年でシリーズ終了)。
主な作品
愛しのチィパッパ(原作:やまさき十三)
元気くんシリーズ(『焼けあとの元気くん』『元気くん パート2~4』『昭和の元気くん』『はらっぱの元気くん』)