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首藤剛志

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しゅどうたけし

首藤剛志とは、日本の脚本家・小説家。1970年代から2000年代初頭にかけてアニメを中心に活動しており、土着性のない乾いた作風や洒脱な台詞などに定評があった。(1949年-2010年)

概要

1949年8月18日生まれ、2010年10月29日没。

代表作としては『宇宙戦士バルディオス』、『魔法のプリンセスミンキーモモ』シリーズ、『戦国魔神ゴーショーグン』、アニメ版『ポケットモンスター』などが挙げられる。

作風・人物

首藤の手がけるアニメ脚本は、基本的に大人ではなく子供向けに描くことを重視しており、コメディ要素の強い脚本が多い。また、台詞に芝居がかった言い回しを多用しており、ミュージカルに近い雰囲気とも言われる。その特色はアニポケで首藤がキャラ付けを行ったロケット団に特に活かされているとも評されている。アニポケでのロケット団の名乗り口上「なんだかんだと聞かれたら〜」という名フレーズの生みの親も首藤であった。この他、手掛けた作品の次回予告がユニークな内容であることでも知られる。

一方で、「命」と「自己の存在理由」という現実的で重いテーマを描いたアニポケの映画第1弾『ミュウツーの逆襲』のように、たまに大人向けにシリアスな作風を描く二面性も首藤の持ち味の一つである。同作に代表される、「自分とは何か」という自己の存在の考え方は脚本から離れないバックボーンだったと、首藤自身も生前コラムにて言及している。

全体的な傾向として「子ども向け作品から子どもが卒業することなく、そのままノスタルジーと共にコンテンツを支援し続けていく」ということや、これに乗じて商売として成立させていくことに対しては「時勢的に『仕方がない』こと」と認めながらも、同時に非常に懐疑的あるいは時に批判的(いわゆる大人になれよ系)なスタンスを持つ、気難しい脚本家でもある。

中でも『ミンキーモモ』に端を発した「美少女(ロリコン)ブーム」、およびそこから続くムーブメントに対しては、モモやアニポケなどで共働の機会が多かった湯山邦彦ともども、あからさまな不快感を表明していたことでも知られている。また2010年前後に展開された同作の「30周年プロジェクト」にも、他のアニメ版主要スタッフと共に不参加であった。

前出のアニポケのシリーズ構成だった頃も、サトシがポケモンマスターになる夢は子どもの考え方だとしていずれ卒業させなければいけないと考えており、首藤の当初の構想では「今までの話は夢だった」という、物議を醸す最終回が考案されていた。

こうした考え方が、一時期のアニポケファンからは「作品の私物化」として強く批判されていた一面もあるが、そもそもこの最終回の構想はポケモンがまだそれほど人気のあるコンテンツに成長する以前の、それこそごく初期の段階で考え出されたものであり、後にアニポケのシリーズ構成を抜けた頃――即ちポケモンが長期的・世界的コンテンツとして軌道に乗った頃には、首藤自身もそういった考えをある程度見直していたことにも留意すべき必要はある。

経歴

出身地は福岡県だが、国家公務員であった父の仕事の都合上、幼少時には東京の渋谷・札幌市・奈良県などを転々しており、これが脚本家としての自身の作風の基礎を形作ったとされる。特に小学5年次より居住していた渋谷での経験は、後年自身が脚本を手がけたテレビアニメ『アイドル天使ようこそようこ』においても存分に活かされることとなった。

大学受験に失敗した後、シナリオ研究所を経て1969年にテレビ時代劇『大江戸捜査網』で脚本家デビュー。その後納得の行かない脚本の直しへの嫌気などから、一旦はシナリオ執筆から足を洗い、セールスマンとして勤める傍ら漫画原作の手伝いやドラマのプロット作成などを続けていた。やがてヨーロッパ放浪より戻った1976年に、知人の宮内婦貴子の伝手によりテレビアニメ『まんが世界昔ばなし』にて、脚本家としての活動を再開する。

その後も、『まんが世界昔ばなし』の制作会社であったダックスインターナショナルの手がけた作品に携わる一方、1980年代にはアニメ演出家の湯山邦彦と組んで、前出の『ミンキーモモ』や『ゴーショーグン』を世に送り出し、また同時期には『ゴーショーグン』のノベライズや、オリジナル作品である『永遠のフィレーナ』の執筆など、小説家としての活動も見られた。1990年代には再び湯山とタッグを組み、『ポケットモンスター』アニメ版の立ち上げにも参加、脚本・シリーズ構成として、無印編が終盤に差し掛かる2002年まで携わった。

晩年はそれまで居住していた小田原市から再び渋谷に居を移し、アニメ雑誌『アニメスタイル』のウェブサイトへのコラム寄稿などの他、脚本家としても『獣装機攻ダンクーガノヴァ』に参加するなど、往時ほど精力的ではなかったものの活動を継続していた。

一方で1990年代より、心身衰弱などで度々体調を崩しがちな状態が続いており、前出の『ようこそようこ』においてはこれを逆手に取って、スポンサーからの圧力をかわす形でアニメ制作を続行したという逸話も残されている。

また2002年頃には、脚本が書けないことを苦に当時自宅があった小田原市からかなり歩いたところにある海で、自殺未遂を引き起こしたこともある。これは『ポケモン』の脚本からフェードアウトしつつあった頃の出来事でもあり、海辺にいたホームレスに発見されて一命を取り留めたが、警察の事情聴取の際は筋道の通った受け答えができないほど心身が耗弱していた。何とか警察に自宅の電話番号を伝えられたため、小田原市内の精神病棟で入院治療を受けて最悪の事態は避けられたという。

2010年10月28日、訪問先のJR奈良駅くも膜下出血を発症し、救急搬送された後に緊急手術を受けたものの回復せず、翌29日未明に死去。享年61。生前、自身が携わった作品の脚本や関連する資料が、かつての居住地であった小田原の市立図書館に寄贈されており、その一部は現在でも小田原文学館にて常設展示されている。

また、没後の2017年に制作されたアニポケ劇場版『キミにきめた!』に、初期テレビシリーズからの引用が多かったことから「一部脚本」としてクレジットされている他、2019年にはかつて自身が手掛けた劇場版1作目のリブート版『ミュウツーの逆襲EVOLUTION』が制作されている。

関連項目

ポケットモンスター(アニポケ) ポケモンの没プロット

湯山邦彦

???:首藤の主張を端的に訳すとこうなる

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