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概要編集

1990年4月から1991年2月にかけて、テレビ東京系列局(放送時点では全5局)、三重テレビ岐阜放送奈良テレビテレビ和歌山およびフジテレビ系列局約12局、日本テレビ系列局・TBS系列局・テレビ朝日系列局いずれも約2局づつで放送された、葦プロダクションテレビせとうち制作のアニメ。『アイドル伝説えり子』に引き続き、実在するアイドル・田中陽子とのタイアップで製作された。

また、タイアップではないものの、もう1人の主人公サキにもモデルとなる人物(滝花幸代)がおり、彼女も一部の回で脚本に参加している。


前作の『えり子』が大河ドラマ指向の重厚で大仰なストーリーであったのに対し、『ようこ』は渋谷をモチーフとした「SHIBUYA」を舞台に、バブル期時点のリアリティのあるストーリーを、あえて少し幻想的なミュージカル仕立てで描いた作品となっている。

声優、かないみかの初主演作品。また、この作品で共演したことをきっかけにかないは山寺宏一と交際を始め、1994年には結婚している(2006年に離婚)。


監督はアミノテツロー、キャラクターデザインは近永早苗(当時は小林沙苗名義)、シリーズ構成およびメイン脚本は首藤剛志(スタッフロールでは原案・構成と紹介)が手掛けた。

当初は52話の放送を予定し、好評ならば60話まで延長することを考慮して60本の脚本を書き上げた。


首藤は全員が主役であることをコンセプトに制作し、全体としては主人公のようこを中心にしつつも、サキ主体、京子主体のストーリーをはじめ、さまざまなキャラクターを主体とするストーリーとなっている。また、『不思議の国のアリス』も物語のテーマの一つとなっている。


普通のセリフの途中から歌い出す、BGMにそのまま歌詞を当てて歌う、といった、当時としては珍しい形でミュージカルパートが制作されている。また、歌の収録はセリフとは別のタイミングで行われており、アミノにより声優に向けてデモテープが制作されている。

しかし、肝心のミュージカルパートのマスターテープが紛失しており、現在全てを収録したCDやデジタルデータの配信は難しくなっている。


アニメキャラクターとしての田中ようこと、実際のアイドルである田中陽子のイメージには大きなギャップがあったことや、田中陽子が事務所との軋轢に悩んだ結果デビューからわずか1年半で(自らの意思で)芸能界を引退したこと、後述の打ち切りもあって大きな話題とはならなかったが、葦プロの『えり子』以降から続く「アイドルタイアップもの」の代表作として現在でも親しまれている。


音楽は安藤高弘

先述のミュージカルパートも含めて、作中でのようこの歌唱シーンはほとんどかないみかが担当している。


一部の地方での1994年頃の再放送では、先述のとおりミュージカル仕立てでありながら、聴覚障碍を持つ視聴者のために字幕表示を行うという、今で言うバリアフリー的な試みもなされた。


ストーリー編集

シンガー志望のようこと女優志望のサキが、上京する新幹線の中で出会うところから物語が始まる。

とりあえず東京にやってきたものの、特に当てもない二人は、サキの提案でSHIBUYAに行き、おもちゃの倉庫で寝泊りをしながらスカウトされるのを待つことにする。

そんな中、たまたま怪しげなビデオ女優のスカウトをしていた原田と知り合い、彼を巻き込む形で弱小芸能事務所「アイスター」の所属タレントとして半ば強引にデビューすることとなるのであった。


主な登場キャラクター編集


主題歌編集

  • OPテーマ

「陽春(はる)のパッセージ」

歌:田中陽子、作詞:森雪之丞、作曲:岡本朗、編曲:鷺巣詩郎


  • EDテーマ

「一人にさせない」

歌:田中陽子、作詞:許瑛子、作曲:山口美央子、編曲:鷺巣詩郎


「陽のあたるステーション」

歌:田中陽子、作詞:田口愛、作曲:山口美央子、編曲:鷺巣詩郎


打ち切りの経緯編集

スポンサーの降板により、本来の予定を変更し全43話で打ち切り終了となっている。これはいわゆるホビーアニメであることから、物語の構成や一部キャラクターの登場について、監督・脚本ら制作側と、スポンサーの意向が大きく対立したことが原因となっている。


山杜サキの存在編集

もう1人の主人公ともいえる山杜サキは、(タイアップとは特に関係のないキャラクターであったことから)容姿や性格が純粋に評価され、林原めぐみの声質や演技がマッチしていたこともあり、ようこと比べても人気が高かった。

しかし、主人公であるようこは多数の玩具が販売され、グッズ展開的に恵まれていたのに対し、サキにはその人気とは裏腹に売りになる玩具が用意されなかったため、放送期間の中盤には玩具売上に影響が出た。

サキの人気に嫌気がさしたスポンサーは、シリーズ構成を担当した首藤剛志にサキを出演させないよう圧力をかけ、それができなければスポンサーを降りて番組を打ち切らせることも示唆した。

首藤はこの事件を「ようこそようこ山杜サキ暗殺指令事件」と名付けている。

サキの行く末については「故郷に帰す」「外国に飛ばす」などがあったようである。

入院しながらの執筆編集

首藤は当初から「ようこだけでなく登場人物全員が主役である」という思想の元脚本を執筆しており、サキがいなければ『ようこそようこ』は製作できないと考えていた。そこで、監督やスポンサーとの脚本打ち合わせ(本読み)を避けるため、わざと病院に入院し、隠れて製作を継続した。

当時の首藤自身も仕事のストレスや心労、それによるアルコール依存症などにより体調が悪く、プロデューサーサイドからは医師から即入院と告げられてもおかしくないほど健康状態が最悪と告げられていた。

打ち合わせは病院の電話を利用して監督のアミノテツローとしか行わず、持ち込んだワープロで脚本を作り、完成したらすぐに郵送、もしくは製作スタッフに渡した上でアミノテツローの了解の上で絵コンテを切る、というハードなリレーを行ったため、アニメ制作に携わった葦プロダクションにとっては大変なものだったと首藤は語っている。

また、首藤が入院していた病院は当時、病室のベッドのそばにテレビがなく、病棟ごとにテレビの部屋があったが、男性病棟のテレビの部屋だと『ようこそようこ』のチャンネル権を得にくかったため、医師の許可を得て女性病棟のテレビの部屋で『ようこそようこ』を毎週チェックしていた。

こうして首藤は『ようこそようこ』のミュージカルらしさをそのまま維持し、ストーリーにおいても最後までサキを生かすことができた。

打ち切り編集

しかし視聴率や玩具売上が低下したところに、首藤とアミノが先述の勝手な行動によりスポンサーの意向を無視した製作体制を取ったため、玩具メーカーなどスポンサーの怒りは尋常なものではなく、スタッフ、葦プロに苦情や損害賠償請求が殺到。

結局1990年末、一部のスポンサーが一方的に降板し、番組製作が困難となり、アミノは1991年1月をもって制作を打ち切ることを決断した。

こうして『ようこそようこ』は2月4日の第43話をもって終了した。そのため次番組として1991年4月からスタートするつもりでいた『ゲッターロボ號』は急遽約2ヶ月前倒しでスタートするハメになった。

なお、使われなかった脚本の一部は、『魔法のプリンセスミンキーモモ(海モモ)』に流用されたほか、舞台演劇を意識したストーリー演出やアイドルという存在に対する首藤の思想は『超くせになりそう』でも活かされている。


関連タグ編集

田中陽子 よっきゅん かないみか ようこ サキ

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