概要
農業や漁業が行われており、ミカン、ナシ、梅干、かまぼこ、干物などが特産品になっている。
古くからの商業地でもあり、現在は大型ショッピングモールも複数所在。
また電機や化学製品などの多くの工場が集まる。
歴史・文化
小規模な古墳群や出土した土器類等から、かなり古い時代より比較的大きな集落が存在していたとされる。
平安末期に源氏の源頼朝が挙兵後に初めて平氏軍と戦った「石橋山古戦場」があり、そのすぐ近くには「佐奈田霊社」がある。
頼朝が鎌倉幕府を開いた翌年に起きた「日本三大仇討ち」の一つ、曽我五郎・十郎兄弟の仇討ち(曽我物語)の舞台となるのもこの小田原である。
この物語に因んだ「傘焼き祭り」が毎年5月中旬に行われ、相撲関係者も参加している。
ちなみにこの兄弟の名を冠する、市北部の曽我地区は梅の名所である。
「五郎」や「十郎」という名前の品種も生産され、毎年2月上旬から3月上旬にかけて「梅祭り」が開催。
戦国時代には北条早雲(「後北条氏」の祖)が小田原城の新城主となり、5代に渡り南関東を統治。
戦国時代最後の戦いの舞台にもなった。
北条5代の活躍を元にした『北条五代祭り』は、市の最大のイベントとして、毎年5月3日に大名行列を開催。
11月後半には、小田原城をスタート・ゴール地点とする「城下町おだわらツーデーマーチ」(ウォーキング大会)が行われている。
小田原城は明治維新政策による廃城で一度解体されたが、1960年代に鉄筋コンクリート製の観光施設ながらも再建。
内外装共に往年の姿を忠実に復元したものではないが、敷地内に昭和天皇もご覧になったという藤棚の「御感の藤」がある。
また豊臣秀吉が小田原攻めに際して築城した「石垣山一夜城」跡地は、小田原城西方の早川にある歴史公園として見学できる。
早川の山中には、江戸城の石垣に使用された石切場がある。
江戸時代は箱根の関所を管轄する小田原藩が置かれ、東海道の宿場町として発展。
その末期に農政改革に尽力し、「積小為大」や「至誠勤労」などの言葉が有名にもなった二宮尊徳の生誕地でもある。
明治時代には政府官僚や著名人の別荘地として賑わい、南町(西海子小路(さいかちこうじ))や板橋(旧東海道沿い)には現在もその居構が残り一部は観光用に公開されている。
交通
鉄道は、
箱根登山鉄道(軌道線)
の5社が開通しており、県西部の交通の要所である。
中心駅は小田原駅。
新幹線の開発技術における発祥の地の一つでもあるので、興味のある方はJR鴨宮駅周辺を訪ねるのもおすすめである。
また御殿場線の国府津駅と下曽我駅の間には「国府津車両センター」があり、運が良ければ東海道線の車両がズラッと並んでいる光景を眺められる。
主要道路では、
国道1号、135号、255号、271号、
が通じる。
現在は交通の利を背景に国内でも有名な大手企業系列の工場・研究所・物流センターが設置されている。
お正月の箱根駅伝の第4区→第5区や、第6区→第7区の中継地点としてもお馴染みである
その他
南西部江之浦の海岸地帯は「東洋のリビエラ」と呼ばれる事もあり、風光明媚な観光地である。
童謡『お猿のかごや』にも登場する小田原提灯なども有名で、風魔忍者の発祥の地とされる風祭地区では近年忍者に関連した観光PRも行われている。
また『天国と地獄』など、数々の映画やテレビドラマの撮影ロケ地になった。
先述の北条氏が版図を広げた事に起因すると考えられるが、荻窪、板橋、新宿(しんしゅく・しんじゅく)など東京都内の有名地域と共通する地名が多い。
旧帝国海軍の艦船名の由来の地にもなっており、それを擬人化したゲーム『艦隊これくしょん』の(酒匂など艦娘達の名にもなった。