ピクシブ百科事典

富野由悠季

とみのよしゆき

富野由悠季とは、日本のアニメーション監督。主にサンライズにて機動戦士ガンダムを始めとしたロボットアニメを手がける事で知られる。
目次[非表示]

人物

日本アニメーション監督。ファンからの愛称は禿、御大、御禿など。
1941年11月5日生まれ。
日本のTVアニメ黎明期よりアニメ制作に携わる人物。手塚治虫原作の「鉄腕アトム」より演出家として携わった後、70年代よりサンライズにて「ガンダムシリーズ」をはじめとした多くのロボットアニメを手がけている。
特に代表作の一つとして知られる「機動戦士ガンダム」は、日本のロボットアニメの方向性を定義付けた一作であるとして評価が高い。
日本を代表するヒット作を繰り出した一方で、アニメ監督業そのものについては「仕事がないので仕方なくはじめた」と振り返っており、現在も実写作品の製作の機会を伺っているという。

富野由悠季名義で活躍する以外にも、井荻麟斧谷稔井草明夫など幾つかのペンネームを使い分けており、これら名義で作詞脚本作画監督等を行う事もある。
自身の作品の主題歌の作詞やノベライズも多数てがけており、ガンダム関連ではモビルスーツモビルアーマーの特徴的なデザインの原案を提示するなど、監督業以外でも独特のセンスを発揮している。

とにかく発言がエキセントリックな事で知られ、時期や媒体によって内容が180度違う事も少なくはない。彼の作品内の登場人物も、「富野節」とファンに呼ばれて親しまれるほど独特な言い回しをするが、製作している本人も然りである。
特に、打ち合わせや仕事中の指示の際に(公共の場であっても)お構いなしに猥褻な単語を発射してくる点に関しては、彼の下で働いたことで神経が図太くなったスタッフたちも流石に閉口した(テレビ出演時には前もって控えていると語っているので、これらは無意識のうちに出る言葉ではなく、100%意図して発言していると思われる)。
自作他作問わず厳しい目で批評することから、話題になった作品を過激な言葉で批判したりといった面ばかりがメディアで取り上げられることが多いが、アニメージュ人生相談コーナーや、各地での講演では、未熟な質問を投げかけてくる若者に対しても真摯に回答を返しており、ただ物言いが過激なだけのおじさんではない事が伺える。
また、本人はあくまでも冗談やリップ・サービスのつもりで発言した言葉が、メディアや巷間で尾ひれが付いてしまったケースも多い。それだけ影響力を持つ人物であるということの証左でもあるだが…。

ネット上ではトレードマークであるスキンヘッドから頻繁にハゲ扱いされているが、アレは厳密な意味でのハゲではなく薄毛が進行したのを機に定期的に剃るようになっただけ(自著で明言している)である。
ただし本人はやはり一時期は非常に気にしていたらしく、「これだけ進んだのならスキンヘッドの方が楽」と開き直るまでは結構な時間を要したようだ。
なお、あるイベントで参加者に「ハゲー!」と言われて激怒し、演技指導の横暴スレスレな余りのやかましさに耐えかねた渡辺久美子に「うっさいハゲ!」と言い返された、という噂がある。

自らはアニメ業界に深く関わっている人物であるものの、オタク嫌いである事を公式に表明しており、アニメしか見たことが無いのにアニメが好きだからという安直な考えの下で、声優アニメーター脚本家などのアニメ業界を目指そうとするような人間には厳しい意見を述べる。
「アニメばかり見ていてアニメは作れない」「文芸演劇映画はもちろん、芸術に限らずいろんなアニメ以外のものに触れることが必須」という持論の持ち主であり、自身の作品の演出にも、演劇で言う上手・下手の流れを活かしており、講演などでもこれについて触れることが多い。
ガンダム Gのレコンギスタ」の製作発表会においては「オタクには観て欲しくない」とまで断言した程。それ故に商業的な理由から、オタク向けの萌え要素や過激なHシーンが多い作品が増えている現代のアニメを「若手声優を汚染した」と、前述の製作発表会の席上において痛烈に批判しており、「Gレコ」でアイーダを演じた嶋村侑がアフレコの際にいわゆる「萌え声」で演じた際に「相当な危機感を感じた。この子たちは現代のアニメに汚染されている、まずはそれを浄化する作業から始めないといけないなと感じた。」と語っており、作り声ではなく地声でやるように指導したという。

同じくアニメーターアニメ監督宮崎駿りんたろうと同い年。
りんたろうは虫プロ時代の同僚で、その後も対談を行ったりインタビューなどで互いに言及することが多い。宮崎とは対談企画などが正式に打たれた事はないが、富野は『未来少年コナン』で2エピソードだけ切ったコンテを宮崎に全部手直された(但し、宮崎は誰のコンテにも手を入れている)ことがあり、本人達によれば知り合いであるという。富野はインタビュー等で宮崎を意識した発言をよく行っている。

プライベートとしては、相当な甘党であり、特にケーキ類が好き。それらを前にすると童心に帰ったかのように喜ぶ。
喫煙者であり、メイキングやインタビューなどでタバコを吸ってる姿がたびたび目撃される。

略歴

オタク批判を行っているとはいえ、当時の少年の例に漏れず彼も手塚治虫に衝撃を受けた人間であった。最大のショックを受けたと語る来るべき世界で手塚治虫に興味を持つが、その時点ではまだ画家、映画志望だったが様々な事情が重なりいずれも断念。

富野のアニメ演出の初めての職場虫プロダクションであり、手塚治虫が直々に当時制作進行や演出助手を務めていた富野の才能を見出し彼を演出家に抜擢した。
富野はモノクロ時代の「鉄腕アトム」の絵コンテ製作など、まさに黎明期から日本のTVアニメの制作現場に関わっていたのである。
監督を勤めるようになる以前から、絵コンテの制作速度が異常に速い事で業界内で名を知られており、「コンテ千本切りの富野」の異名で呼ばれた(これに関して富野自身は「自分より絵が上手い奴がいくらでもいたことにショックを受けた。彼らに負けずに自分が出来ることは絵コンテを早く切ることだけだと思った。だからひたすら早く絵コンテを切り続けた」と語っており、当時は結婚式当日も絵コンテを書き続けたという)。
この仕事ぶりが評価されて、虫プロ時代は若干20代前半ながら、度々演出を任されるようになった。
また、『鉄腕アトム』の後半では『ジャングル大帝』に主要スタッフが引き抜かれてしまったことによる製作スケジュールの圧迫から、やむを得ず以前使用したカットを使い回して新しい話をでっちあげるということが横行していたが、この時の経験が後の劇場版ガンダム三部作を始めとする劇場版総集編作品の製作に役立ったという。

1967年に虫プロを退社した後、CM制作会社を経てフリーの演出家になり、ジャンルを問わず様々な作品に精力的に参加。先述の異様なコンテ制作速度も相まって現場が困った時のピンチヒッターのような扱いで活躍し、どこのスタジオに行っても仕事をしているのを見かける「さすらいのコンテマン」として業界内で名を馳せる。
1971年、手塚治虫原作の『海のトリトン』で監督デビュー。今となっては、富野の監督作品としては数少ない非ロボットもののアニメであり、経歴からはむしろ浮いているが、彼の作品の直撃世代であり大ファンでもある映画評論家の町山智浩は、「この作品こそ、後のすべての富野作品の源である」と評している。

その後、『勇者ライディーン』などを手がけた後、1979年に『機動戦士ガンダム』を世に送り出す。
テレビシリーズ放送当時こそ、玩具売り上げ不振で打ち切りになったものの、口コミ人気を呼び、やがて劇場版三部作が製作されるほどの大ヒットとなった。それからのシリーズの人気ぶりはもはや説明するまでもないだろう。
ただ、あまりにも高すぎる人気ゆえに、富野自身が完結を望んでも幾度となく続編を製作させられることになり、後に彼を苦しめることになった(もしかしたら今でも、かもしれない)。

また、元々リアリズムを追求する姿勢に加えて、アニメ作品に戦争群像劇を持ち込むという画期的な試みを行ったが故に、どんどん登場人物が戦死していった『ガンダムシリーズ』はもちろん、『伝説巨神イデオン』、『無敵超人ザンボット3』など、キャラクターがとにかく死にまくる作風がこの頃より顕著になっていく。

1988年、シリーズ最終作として『機動戦士ガンダム逆襲のシャア』を製作。アムロシャアの因縁、ひいては人類に希望を持つ者と絶望する者の争いの一つの到達点を描いた今作は、ファンはもちろん、押井守庵野秀明など同業者・後輩からも、シリーズに残る傑作として大きな支持を受けた。
が、結局ここでも、『ガンダムシリーズ』を完結させてはもらえず、新たなシリーズ作品を監督していくことになる。
そして、1993年の『機動戦士Vガンダム』では、製作環境の混乱などでひどいにまで陥り、シリーズ史上に残る陰惨な物語を描いた末に一時監督業を休止してしまう。

1998年、『ブレンパワード』『∀ガンダム』で監督復帰。この時点から、休止以前の作風とは打って変わって、明るく、登場人物達の死が少ない作風へと変化する。
以後、『OVERMANキングゲイナー』、『Zガンダム』の劇場版リメイクなど、コンスタントに監督業を行いつつ、以降は講演コラム掲載、対談などマルチな活躍が増えていく。

2014年、ガンダム35周年記念作品として『ガンダム Gのレコンギスタ』を発表。原作・総監督・製作総指揮の他、本編脚本執筆、EDの作詞、本編コンテなど齢70を超えてなお幅広く作品制作に携わる。
また、同作で「井荻翼」名義で声優デビュー。出演は最終回のみであるが、富野自らが物語に出演する事は、ファンの間で話題となった。

作風

自作に共通するテーマについて、本人は「人の自立と義務と主権の発見と、人が作ってしまう悪癖(業)の発見」と語っている。
味方といった立場で単純に善悪を規定するのではなく、それぞれが独自の正義に基づいて行動し「正義」の定義の違いが対立を生むという構図が多くの作品でみられ、物語が進むにつれて主人公側の「正義」がどんどん揺らいでいったり、終盤でいきなり覆される作品も多い。

また、ストーリー上の必然性無しに主人公達に英雄的な活躍をさせることを好まずリアリズムを重視し、『アトム』の頃から子ども向けアニメだからと迎合することなく哲学的なテーマやシニカルな皮肉といった毒っ気ある演出を盛り込んでいたことでも知られる。
この姿勢が当時はあくまでも子供向けとされていたロボットアニメに高年齢層の視聴に耐えうるシリアスで骨太な物語性を持たせ、『ガンダム』を始めとする数々の名作を生み出すことに繋がったといえる。
しかし、こうした富野の作家性は、作品の「物語」としての完成度の高さよりも関連玩具の売り上げ促進のためにとりあえずロボットやキャラクターを魅力的に描いて欲しいというスポンサー企業及び広告代理店の商業的な都合との間で軋轢を生むこともあり、『機動戦士Vガンダム』では製作環境の混乱の一因となった。

『Vガンダム』以前の陰鬱なストーリーや「理解し合うことのできない人の業」といった重いテーマを含んだ作風は、視聴者に強い印象を与え『黒富野』などと呼ばれた(一方で無敵鋼人ダイターン3戦闘メカザブングルのような明るい作風の作品も手がけている)。
登場人物クライマックスで全員(もしくは主人公以外ほとんど)が死ぬ展開が多かったため『皆殺しの富野』などという異名もあった。これについて富野自身は、「キャラが全員死ねば、視聴者が綺麗に作品から離れていける」「キャラが死ぬことでとりあえず劇的に見える」と解説していた。
但し、『伝説巨神イデオン』では制作上の事情もあったとはいえ流石にやり過ぎたと思ったのか、「『禁じ手』を使ってしまったのかもしれない」と発言している(キャラが死ぬことでとりあえず劇的に見えるということは、それだけで一つの作品として成立できてしまうということであるため)。

一方、監督業一時休止を経た『ブレンパワード』以降は、明るく前向きな作風に転じたため『白富野』と呼ばれている。
一説には、『イデオン』や『Vガンダム』に影響を受けた『新世紀エヴァンゲリオン』の、当時としては異様な完結に、自身の暗い作風の悪影響の大きさを知って考えを変えた、とも言われるが、この情報源はたまに出回るコピペなので、定かではない。

演出家としては過度に説明的な表現や記号的なケレン味、テンプレ的な演出を嫌い、あくまでもテーマに則ったドラマをリアルに描くことを優先するスタンスを取っている。
そのため、展開上重要な初出の設定や専門用語であってもキャラに一瞬しゃべらせるか、さりげなく描写するだけで説明を済ませてしまうことも多く、状況を目まぐるしくスピーディに展開させる演出も相まって、作品によってはただ見ているだけでは全体的なストーリーの進行状況が非常にわかりにくくなっているものもある(特に富野自身が脚本と演出の双方を手がけている作品で顕著)。
『ガンダム』以前は考証や設定を無視してまでドラマ性を優先することもあったが、この傾向は近年の作品では見られない(但し、『∀ガンダム』ではコンテ中にいきなり設定に無い武器が飛び出して来てスタッフが仰天するということはあったらしい)。
アクションシーンにおいては舞台設定やギミックを存分に活かした立体的で奥行きのある演出を持ち味とし、登場人物達が戦いながら自分の感情や主義主張を互いにぶつけ合うことで人間ドラマ部分を停滞させないという手法は氏の発明に類するものである。

キャラクターに生々しい肉付けを行うことでも知られ、登場人物たちは大なり小なり何かしらエゴコンプレックスを抱えた人間くさい造形がなされていることが多い。
そして、そんなキャラクター達が高ぶった感情をぶつけ合ったりする際に飛び出す独特の台詞回しは『富野節』と呼ばれ、ファンの間で親しまれて(?)いる。
また、『ブレンパワード』以降は生活描写や生理現象、癖といったキャラクターの肉体や身体性を意識させる描写を強調するようになり、よりキャラを生き生きと見せる演出が増えている。

初期の頃は「親子、兄弟姉妹、身内同士であっても決して理解し合えるわけではない」という家族愛へのアンチテーゼが散見され、富野が手がけた殆どの作品で主人公と家族の関係が悪いことが多かった。
特に両親であるキャラクターについて、父親は一見社会的には正常な思考を持ち合わせた常識人に見えるが家庭を顧みない無責任な一面のある人物として、また母親は親としての自覚に欠けており女性としてのエゴの強い人物として描かれるなど、人間的に醜悪な人物として描く傾向が強く、悲惨な死を遂げたり、存在を忘れ去られることが多かった。
これについては富野自身も両親に対して憎悪のような感情を抱いていたと述懐している。
しかし『機動戦士ガンダムF91』以降になると、すれ違いながらもなんとか互いに和解の道を模索して悪戦苦闘する親子の様子が描かれるようになっていき、物語を通してバラバラだった家族を再生させていく等、明らかな考え方の変化が伺える。

キャラクターデザインに関して、「目が大きいキャラは嫌い」と明言しており、その徹底ぶりは『機動戦士クロスボーンガンダム』にて作画を担当した長谷川氏に「目を小っちゃくしてよ!」と注文して氏を驚かせたほど(流石に無理があったためか、結局諦めた)。
『ブレンパワード』ではいのまたむつみ氏のキャラクターデザインをアニメーション用デザインにまとめる際、担当スタッフの重田敦司氏に「目を小さくして、口はもっと大きくしつつ、それでいていのまたさん風にして」とかなり無茶な指示をしていたという(こちらもやっぱり無理があったので諦めたらしい)。
これについて富野は「いわゆる萌えアニメのキャラの目が大きいのは、視聴層のオタクが、他人からの目線に飢えているため」と発言している。

作品制作の他の才能として、声優の発掘・育成がある。小劇場などで活躍していたところを彼に見出され、育成(もとい罵倒)を受けて大きく成長し、現在一線で活躍している声優は多い。

もちろん、アニメ製作の面においては、彼の元で仕事をしたスタッフの多くが、現在でも一線級の仕事をしているなど、アニメに与えた影響は計り知れないものがある。

代表的な作品


著書

  • だから僕は… 「ガンダム」への道

1981年に出版された自伝的エッセイ。
生い立ちや恋愛、奥さんとの馴れ初め、虫プロ時代のこと、若干の恨み節その他が書かれており、『ガンダム』以前の富野の人となりを知ることができる。

  • 映像の原則
映像を制作する上で誰もが踏襲すべき確固たる大原則について記されたノウハウ本。
『アニメ業界を志すものならば誰でも読んでおくべし。読んで内容が理解できないような人はやはり映像業界に付くことはお薦めできない』と著書内で述べている。

関連項目

人物 アニメーター アニメーション演出家 アニメーション監督
サンライズ
高橋良輔 永野護 あきまん 皆殺しの富野

作者は病気

pixivに投稿された作品 pixivで「富野由悠季」のイラストを見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 510945

コメント