概要
1985年にカプコンに入社、アートディレクターとして活動する。
1998年に有限会社あきまんを立ち上げ、イラストレーター・キャラクターデザイナーとして社外の仕事も受け持つようになる。
2003年にカプコンを退社。現在に至るまでフリーランスで活動している。
「あきまん」名義の他、本名の「安田朗」や、「akiman」名義で活動することもある。本人によれば「基本は『あきまん』で、サンライズ作品では『安田朗』、マックスファクトリー作品では『akiman』と使い分けている」とのこと。
「あきまん」のペンネームは、ドラクエで使っていたプレイネーム(本名の「アキラ」から取った「アキラマン」を短縮したもの)を、カプコン入社後参加したゲームのスタッフクレジットに「AKIMAN」として使用し、そのまま定着したもの。
自身の営業のため、インターネットでの活動には昔から執心しており、有限会社あきまん立ち上げから間も無く自らのホームページを作成。近年では、ブログやTwitter、「あきまんTV」における動画配信などを行っている。また、pixivユーザーでもあり、イラストを投稿している。
創作界隈や過去の仕事に対する歯に衣着せぬ発言、過激な下ネタを好むため、その言動には賛否両論がある。
ダイナミックかつ緻密に構築された作風で、格闘ゲーム・アクションゲームメーカーとしてのカプコンの一時代を築いた。
一方、凝り性の職人気質であるためか仕事のペースは早いとは言えず、本人も「仕事が遅い」と認めている。
イラストレーターの西村キヌは、カプコン時代の後輩であり、キヌが『OVERMANキングゲイナー』に参加するきっかけを作ったほか、退社後もお互いに仕事を紹介し合う仲である。ただし、安田が「キヌシタン」と呼ぶ、自身を蔑んでキヌを持ち上げる言動をする無礼なキヌファン(※安田は「キヌファン」そのものではなく、安田に向かってわざわざ「キヌの方がいい」と宣言するような悪質なファンであると強調している)を大変嫌っている。
同じくカプコン時代の後輩のBENGUS(剛田チーズ)や吉川達哉もあきまんのことを慕っている。
ガンダムシリーズファンであることが縁で富野由悠季の目に付き、『∀ガンダム』のキャラクターデザイン(初めはメカニカルデザインを担当する予定だった)、『ガンダム Gのレコンギスタ』のメカニカルデザインを担当することになった。
かつて日本テレビ系で放送されていた人気番組『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』で、木梨憲武扮する「芸術家・木梨憲太郎」が『マーヴル・スーパーヒーローズ VS. ストリートファイター』のゲストキャラクター「憲磨呂」を製作する企画で、テレビ出演した経験がある。
略歴
幼少期はドガ、ダリ、安彦良和の絵に影響を受ける。将来は絵の仕事に就きたいと考えていた。
高校卒業後、地元に就職先がなかったために上京。新聞奨学生として、東京デザイナー学院に入学。しかし、早朝の新聞配達の仕事のため、授業中に居眠りするなどしてしまい、同校を中退する。新聞屋の上の階の住まいで、趣味でパソコンを用いて絵を描いて過ごす。
その後、みゆきプロダクション(現:東京アニメーションセンター)に入社しアニメーターになるも、あまりに安い給料のために食べていけず、数ヵ月で退職。当時は「コンポラキッド」、「北斗の拳」などの作画を描いていた。
退職後、漫画家やイラストレーターなども考えたものの諦めて、体力を使わないように天井を見つめる毎日を送る。
1985年、ゲーム会社カプコン東京支社にアルバイトとして入社。求人には「広告の仕事」とあったが、実際はゲームグラフィックのドット打ちや販促イラストの仕事であった。
販促イラストの仕事自体はあくまでも本業のドット打ちの合間にやっていたものであり、あまりイラストに時間を割くと怒られる勢いだったとのこと。
また安田自身は、カプコンへの入社は、あくまで腰掛けに過ぎないと考えており、長くいるするつもりはなかったという。
入社後の初仕事は『サイドアーム』のキャラクターデザインと背景グラフィック。また、ファミコン用ソフト『1942』のパッケージイラストも担当。
1986年、カプコン大阪本社第3企画室に異動。大阪に移住。
カプコンが経営難に陥った際、資金調達のために「ユウガ」の会社名で発売した脱衣麻雀ゲーム『麻雀学園 卒業編』(1988年)でも、グラフィックを担当。その艶かしいグラフィックが評判となってゲームは大ヒットし、カプコンは経営難を脱した。
その事実上の続編となる、『スーパー麻雀○禁版』(1990年)でもグラフィックを手掛けたものの、当時の人気アイドルに酷似したキャラデザ、前作よりも過激な性描写などが問題となり、JAMMAより倫理規定(自主規制)が制定されるに至ってしまう。
そして、『ファイナルファイト』(1989年)、『ストリートファイターII』(1991年)のヒットタイトルに、プランナーとしても関わる。ただし、いずれもメインプランナーは「NIN」こと西谷亮である。
なお、ストIIのキャラデザは安田が全て考えたと誤解されることが多いが、実際は複数の製作スタッフによって考え出されている。安田が考案したのは、前作『ストリートファイター』に登場したリュウとケンおよびサガットのリニューアル、春麗、ガイル、エドモンド本田、ブランカ、ザンギエフである。しかし、ゲームグラフィックのドット絵は別のスタッフが担当しており、その過程でデザインも変化している。
また、そう言った事情をよく知っていることから、キャラクターイラストを描いたイラストレーターの名前が目立つゲームを快く思っていない(キャラクターは多くの製作スタッフで作り上げていると考えているため)。
1997年、『ストリートファイターIII』で、全てのキャラデザ、プレイヤーセレクト画やリュウなどのプレイヤーキャラクターのドット画を担当。
1998年、有限会社あきまんを設立。本業であるゲーム業と平行して、一般向けの仕事も行うようになる。
2001年、『レッド・デッド・リボルバー』のキャラデザとして関わる。開発のためにアメリカへ移住。
2003年、『レッド・デッド・リボルバー』の開発が終了。日本に帰国し、東京へ移り住む。カプコンを退社し、フリーとなる。
以降はイラストレーター、キャラクターデザイナー、メカニックデザイナーとして様々な作品に参加している。また『ストリートファイター』関連などカプコンの仕事も継続して受け持っている。
逸話
カプコン入社の際、「パジャマ姿で面接を受けに行き、最初は驚かれたが、その場で描いた絵があまりに上手かったので岡本吉起に気に入られて採用になった」「さらに面接の後に『電車賃を持っていないのでこのままでは帰れない、交通費を出してくれ』と発言した」という逸話については、後年になって「(当時交際していた女性の)パジャマで出社したことはあるが、面接がパジャマだったという記憶はない。絵はその場で描いたのではなく専門学校〜アニメーター時代のものを(ポートフォリオとして)持っていった」「面接では(本人が申し出なくても)交通費が出たと思う、実際に交通費が出せなくて通えなかったのはアニメーター時代の話」とTwitterにて言及している。
ただし、パジャマで面接を受けたことについては『ゲームクリエイターの原体験』という書籍に掲載されたインタビューにて本人が発言しているため、記憶違いか(書籍のインタビューの時に)エピソードを盛っているかのどちらかと思われる。
しかしながら面接を担当した岡本吉起によると面接に来た際は片方のメガネのフレームが折れており毛糸を耳にかけている、服装はジーンズに襟付きの白いシャツ(彼女のパジャマ)でポートフォリオは何も持参せずその場で描かせると非常に上手かったので採用したとのことなのだが、あきまん自身がカプコン入社時にはメガネのフレームが折れていて電車賃もなかったので週給にしてもらっていたことを認めているので真偽は不明といったところ。
参加作品
ゲーム(カプコン)
『サイドアーム』
『ロストワールド』
『麻雀学園 卒業編』
『マジックソード』
『戦場の狼2』
『ストリートファイターシリーズ』
『パニッシャー』
『X-MEN』
『ウォーザード』
『パワーストーン』
ゲーム(カプコン退社後)
『ブレイブ ストーリー 新たなる旅人』 - キャラクターデザイン(里見直、岡本吉起と共同)
『[[不思議のダンジョン 風来のシレンDS>風来のシレン』 - パッケージイラスト、キャラクターイラスト
『スターオーシャン5 -Integrity and Faithlessness-』 - キャラクターデザイン
アニメ
『∀ガンダム』1999-2000年 - キャラクターデザイン
『OVERMANキングゲイナー』2002-2003年 - メインメカニックデザイン
『コードギアス 反逆のルルーシュ』2006年 - ナイトメアフレームデザイン
『モーレツ宇宙海賊』2012年 - アニメーションキャラクター原案
『ガンダム Gのレコンギスタ』2014年 - メカニカルデザイン
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