概要
ふざけたり、相手の笑いを誘うことを狙って何かを発言することや、またそういった言葉である。ダジャレや下ネタなどを含むこともある。
「ウケているのは自分だけ」で場を白けさせたり、悪ふざけで不謹慎ネタを発して相手を怒らせたりすることもあるので、自らを客観視することが大事である。また、「本気で思っていない必要ない悪ふざけは本気で悪口を言うよりも悪質」と考える人もいるため、言うときは状況判断と覚悟が必要である。
メイン画像のように、言った本人には「分かり切ったウソ」のつもりでも、あまりに生々しい内容から周囲にマジネタと受け止められてしまうことも往々にしてある。これが風評被害や名誉棄損といった事案に発展したら目も当てられないが、そんな事例もこれまた沢山ある。
なにより世の中には冗談が通じない人間や集団(=生真面目や頑固、公権力、あるいはそれらと正反対の反社他)が存在することも肝に銘じておかねばならない。
動画は「冗談の仕返し」というのがオチだが、ガチのやべーやつに手を出してアカンことになったバカッター・インスタ蝿・炎上系のユーザーの報告例は後を絶たない。
「冗談というのはみんなでゆかいに笑えることをいうのです。」
マンガ『エスパー魔美』にて、世間においてともすれば無秩序に蔓延する冗談(=ジョーク)に関連する風刺というか真理めいたことが綴られた回として有名なのが「マミ・ウォッチング」である。
以前から映研の先輩である黒沢にエスパー持ちであることを疑われていた主人公佐倉魔美ー--。
黒沢は、魔美から秘密を引き出すべく、自身はいい所のボンボンで成績優秀者なので将来有望が確実だと自分語りした上で彼女に結婚を迫る。そして自分に秘密を打ち明けるよう言う。
当たり前だが魔美は「勝手に決められても困るのだ。」とマトモに対応しようとしない。
業を煮やした黒沢は証拠をしっかりと押さえようと意地になる。
そして写真部に赴き、後輩の篠山よしひろを半ば騙すかたちでスカウトして証拠激写の協力を依頼する。本当の依頼を知った篠山は嫌がるが、袖の下一万円とスクープをネタにまるめ込まれてしまう。
その際に黒沢は魔美のことを「ぼくの将来の妻」と称した。また、篠山に望遠カメラで魔美の私生活を盗撮させた際にパンチラが撮れた時にはその写真を食い入るように見入っていた。そっちの下心もムクムクしていたようである。
(※パンチラ写真自体は篠山のプロ意識によってすぐに廃棄された。)
そして、篠山をコネで確保した高層マンションの一室に配置した黒沢は、後日に魔美に無理やりエスパーを発動させるために自宅にいた彼女を襲撃して不幸せなキスを強要する。
魔美は「誰か来てぇ⁉」という悲鳴をあげ、これを聞いた彼女のボーイフレンド高畑和夫が駆けつけて黒沢をボカッと殴り倒した。
黒沢
「いってえなあ……」
「冗談にきまってるだろ。ちょっとふざけてたんだよ。」
高畑
「冗談というのはみんなでゆかいに笑えることをいうのです。」
黒沢の言い分は高畑によって一蹴されたのであった。
冗談もなにも、黒沢がやったことは図々しく他人の部屋に上がりこんだうえに自身の歪んだ知的好奇心と性的欲望を満たすために魔美にせまったのが実態である。本当の陰謀を2人は知らないが、傍目からして黒沢がタチの悪いセクハラを仕掛けたことには変わりない。そもそも篠山にエスパーの証拠写真を撮らせようとしていたのもそれをネタに魔美を脅迫しようとしていたのが読者にはバレバレなのだが、そのことも彼はお棚に上げている。
そして、この強姦未遂さながらの顛末を目撃した篠山は離脱を決意してマンションを脱出。が、直後に最近その地域に出没していた強盗にカメラを入れたケースが引ったくられてしまうが、異変を察して駆けつけた魔美がテレキネシスでこれを取り返した。
これに恩義を感じた篠山は、事の発端のある黒沢に対して自身が激写していた彼が魔美に襲い掛かっている証拠写真を突き付け、彼女への追及を諦めるよう警告したのであった。
これはあくまでマンガのネタだが、『冗談』という概念がいかに「イタズラなどでのトラブル」や「いじめなどの犯罪行為」に際して加害者側によって言い訳や詭弁等を目的にした後出しじゃんけんや開き直りや自己正当化(要は保身)の手段として多様されているか、また「冗談」という言葉や概念の在り方が、いかに本来の意図とかけ離れた用いられかたをしているか、結果「冗談」という言葉そのものの意味がいかに誤解を含んで蔓延しているかが分かる逸話である。
余談
こういう「加害者側が『冗談』を盾に自己保身を図る」事例は、それこそ過去から多くあり『エスパー魔美』の連載と同時期(1979年)に出されたフォークソングバンドである海援隊(ボーカル:武田鉄矢)の歌にも、これをテーマにした歌である『JODAN JODAN』がある(『贈る言葉』の一つ前に出されたシングル)。
この曲の主旨は、そのものズバリで「感情に任せて本音を吐露してしまった後は、大抵は人間関係を損なわないために『冗談だ』と誤魔化す(それが『大人の礼儀』というものでソレを突っ込んでも指摘した本人を含めて誰も幸せにならない)。みんなやってる事だ」というのと同時に「誰だって本音を我慢して生きている。それでも我慢している本音が漏れてしまう事がある。誰も冗談で『冗談』なんか言わない。それが人間というもので、お互い様なんだ」といったもの。この曲はそんな昭和時代のノリを、それこそシャレのキツすぎる皮肉を交えて痛烈に揶揄した上で、それを「冗談(ネタ)だ」と笑い飛ばして「ネタにマジレスすんなよ」と逃げる(それすらもネタの一部とした)コミックソングなのである。
しかも、この曲のリリースはソレ自体(曲を作り、さらに出した、その経緯そのもの)が「冗談」の「本来の意味」と「詭弁としての意味」の両方を確信犯的にない交ぜにして出したものであり、その一部始終を知ってしまうと本当に「冗談」というものを的確に表現した曲と解る。
そして武田鉄矢は、のちにこの曲に関して「曲名からして『冗談(JODAN)』なんだから(無茶苦茶な事をしても歌っても)許して貰えるんじゃないかと思った」とまで述べている(この曲の歌唱時における振り付けは、当時に大ヒットを飛ばしていた『YMCA』(西城秀樹)のオマージュパロディ)。
実のところ、かの孔子も牛刀割鶏の故事でこの論法を用いている。
ある時に市場に赴いた孔子と弟子たちだったが、ふとした拍子に孔子が「あの肉屋、なんでわざわざ大きな牛刀で小さなニワトリをさばいてるんだろうね?」と弟子たちに尋ねる。ほとんどの弟子は師匠が単なる話題として振ったものと受け取ったが、意識の高い弟子の一人がいきなり「師匠はボクたちを試しておられるのだぞ、分かってないな、お前ら全員たるんでる!」とブチ切れだした。その場はいっきに孔子からの問いかけの解釈をめぐる論議の場と化したが、孔子はあわててこう言った。「冗談! ただの冗談だってば……」 (「論語」陽貨より要約)
……これは紀元前の大昔のはなしである。人間はほとんど進歩していないようだ。
関連タグ
ブラックジョーク…冗談のタチの悪いバージョン。
あまりにも生々しい冗談へのツッコミの一例。例えギャグとかウケ狙いのつもりでもこうした反応をされたならばそれ以上いけないと言われたも同然である。それが「振り」かどうかも判別できないなら冗談以前の問題になってくるだろう。
冗談で済むなら警察はいらない:相手の気分を害する言動をしたり、危害を加えるような仕打ちをしておいて、謝罪もせずに『冗談』という言葉でなあなあで済ますのはもってのほかである。