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概要編集


1936年9月26日、鹿児島県鹿児島市に生まれる。


日本大学を卒業後宇野重吉に師事するなどして演劇を学び、人形劇団の演出部に所属していた際にNHKの人形劇『ひょっこりひょうたん島』で演出を行った。


巨人の星』で初めてアニメの演出を手掛ける。一時アニメから離れたが『勇者ライディーン』の後半で復帰。


サンライズで制作した『超電磁ロボコン・バトラーV』、『超電磁マシーンボルテスV』、『闘将ダイモス』の三作品は長浜ロマンロボシリーズと呼ばれ一世を風靡した。


未来ロボダルタニアス』の制作中に『ベルサイユのばら』の制作のため降板するが、33話まで脚本監修としてクレジットされており、物語終盤への問題定義を促した。

1980年11月4日、フランスとの合作『宇宙伝説ユリシーズ31』の制作中に急逝した。


自身の手がける作品において妥協を許さず度々スタッフと衝突しており、『ベルサイユのばら』の様に自身が降板したり、『侍ジャイアンツ』の様にスタッフが降板したりする事態を引き起こしている。


余談編集

ファンとの親交を大事にしており、ファンレターには必ず目を通したという。出渕裕は制作現場に見学に来た際歓迎され、持参のイラスト集を評価されたことがダイモスの敵メカデザインを担当することになったという。曰く「長浜さんに拾ってもらわなかったらここ(アニメ業界)にいなかったかもしれない」とのこと。初監督作『ラーゼフォン』(特に「ブルーフレンド」回)は直に長浜作品へのオマージュである。


勇者ライディ-ンが初監督作だった富野由悠季は、オカルト路線を受け入れないテレビ朝日と現状維持を望むスポンサーサイド及び製作サイドの要求に応えきれず責任を取る形で降板させられてしまったが、後任を引き受けた長浜は富野を擁護すると同時に重責を課した局や製作サイドに異議を申し立てたという。富野は降板後も彼の元で仕事をしつつ演出の仕方等を学んだ。


舞台出身でコン・バトラーⅤが声優デビュー作である三ツ矢雄二も同じく舞台演劇の経験がある長浜の演技指導に助けられたという。この現場が一番やりやすかったとか。


ボルテスⅤの最終回にて、最後の敵守護神ゴードルのコンピュータ音声役でノンクレジットでゲスト出演した。


上記の通り『長浜ロマンロボシリーズ』の監督として有名だが、「ロボット物」と言うジャンルには複雑な思いを持っていたようであり(これは当時では珍しく無かったが)、ある時など知人に「○月×日の放送の回では、ロボットがいっさい活躍しません。ついにロボットものでロボットが活躍しない話を作りました」と言う内容の手紙を送っている。

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