本名:西崎弘文(1934年~2010年)
略歴
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エピソード
- 「超神伝説 うろつき童子」のOVAは80年代にアメリカで予想外の大ヒットを記録したが、ロイヤリティーを払いたくないため原作者の前田俊夫に秘密にしていた。1998年に事実を知った前田が西崎に交渉に行くと、「お前の作品を海外で売るためどれだけ金をかけていると思っているんだ!」などと言って出し渋り、結局3%のロイヤリティーから「活動費」をさんざん差し引いた額を払った。その後、西崎はワニマガジン社にも「俺たちがうろつき童子を有名にしてやった」と言って金を要求した。
- 虫プロ出身の安彦良和は西崎について「簡単に言うと、ヤクザが入ってきた。金を持ったヤクザが来て、会社を乗っ取られたというね」と語っている。
- ある資金トラブルに巻き込まれた西崎は部下の伝手をたぐって田中角栄への数分間の面談にこぎ着け、トラブルの解決の糸口をつかむが、角栄からは「西崎はヤクザという事は初めから知っていた」と酷評された。西崎自身が暴力団と積極的に絡んだ形跡はないとはいえ、一般的に芸能界とヤクザの関係は長い間連綿と続いていた。
- 大塚康生によると西崎は東京ムービーにリムジンで乗り付け、社長の藤岡豊と会談。その際大塚に「お手を拝借」と手を出させ、その手の中で指を一本二本立てて(指一本が1億円)、「これでどうです?」と「宇宙戦艦ヤマト」への参加をもちかけたが、大塚は「自分の得意分野は車類であって、これはメガネ違い」と断った。「生暖かい手だった。オオサンショウウオにさわったような…」とのこと。
- 富野由悠季は海のトリトンで一緒に仕事をした際、ジャズやフォークなどのアニメに合っていないタイアップを持ってこられたり苦労したようで、トリトンの繋がりで西崎に宇宙戦艦ヤマトの4話の絵コンテを依頼されたが、シナリオに不満を持ち改変したところ、激怒され、すぐ差し戻す事になった。その後西崎からは声がかかることは無くなったが、富野は「結果的に縁が切れて良かった」と「富野由悠季全仕事」にて振り返っている。
- 山本弘はヤマトの新作の科学考証を依頼されたが西崎のワンマンぶりを知っていた為(「白色矮星」を「白色彗星」に変えさせた、等)丁重に断っている。
- オフィス・アカデミーでは数名の美女を秘書にして、身の回りの世話までさせ、ハーレム状態だった。また、所有するクルーザーで映画のキャンぺーンガールのオーデションを開いた。
- 1997年12月2日、宮下公園(渋谷区)前の路上で運転していた乗用車から、覚醒剤50グラム、ヘロイン6グラム、大麻8グラムが発見され、逮捕された。
- 1999年2月1日、自宅のワゴン車に擲弾発射器付き自動小銃、小銃用実弾約1800発、擲弾約30発、覚せい剤20グラムを所持していた件で銃砲刀剣類所持等取締法、火薬類取締法、覚せい剤取締法違反で現行犯逮捕。
- 1999年5月12日、保釈中、自動小銃の密輸容疑で再逮捕。所有する外洋クルーザー「オーシャンナイン号」に隠していたが、清水港のドックに入れる際に隠すため、自宅に移し替えていたとみられる。西崎は海賊対策のために香港で購入したと供述したが、警察は武器の密輸と転売で利益を得ようとしたのではないかとみていた。公判では尖閣諸島へ上陸した石原慎太郎を警護する必要からフィリピン沿岸警備隊の司令官から購入したと供述を変えた。