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西崎義展

にしざきよしのぶ

アニメ業界の伝説的プロデューサーにして「宇宙戦艦ヤマト」の原作者。ガミラス帝国のデスラー総統は彼がモデルともいわれている。
目次 [非表示]

本名:西崎弘文(1934年~2010年)

日本のプロデューサーアニメーション監督


略歴編集

1934年
1947年
1950年
1955年
  • 東京大学受験に2年続けて失敗し、父親から勘当されるが金銭的援助はそれなりにあったらしく、ヨーロッパ旅行に出向くなど青春を謳歌していた。
1957年
1958年
1963年
1968年
  • 西ヨーロッパへ渡航。フランス人プロモーターの進行助手となる。共産圏の舞踊団バレエ団を招いてヨーロッパ全土を巡業し、マネージャーを務めた。
1971年
1972年
  • 海のトリトン」アニメ化(監督:富野由悠季、音楽担当:鈴木宏昌)権利を所得。これが自身初のプロデュース作品となるが、商業的に失敗。
  • 「オフィス・アカデミー」を商標及びその二次使用会社とする。
1973年
1974年
1977年
  • 「宇宙戦艦ヤマト」がオタク層から根強い支持を受けていたため、テレビ版を編集して劇場映画化する事を思いつく。各社から断られ、東映岡田茂社長に泣きついて東京での上映のみながら配給してもらう。
  • 月刊OUT」が6月号でファンクラブ「ヤマト・アソシエイション」の協力により全60ページの「ヤマト大特集」を掲載し、前売券が大量に売れた。9月号でも2度目の大特集が組まれ、テレビ版のサウンドトラック日本コロムビア)が大ヒットするなど公開前から盛り上がりを見せる。
  • 公開前夜の映画館に2万人の行列が出来ているのを知った西崎は、東急レクリエーション系4館にかけつけてファンと握手した。
  • 8月6日、劇場版「ヤマト」が公開されると動員225万2000人、配給収入9億円、興行収入21億円のヒットとなり、「アニメブーム」なる言葉が生まれた。
  • ウエスト・ケープ・コーポレーション」を設立。
1978年
1979年
1980年
1982年
  • 「オフィス・アカデミー」の資金繰りが悪化し、会社を整理し手形の処理を行った。活動の拠点を「ウエスト・ケープ・コーポレーション」に変更して再出発を図る。
1983年
  • 劇場映画「宇宙戦艦ヤマト 完結版」を制作。「ヤマト」シリーズは一旦終了となる。
1985年
1987年
1996年
1997年
  • 東京地裁に対し「ウエスト・ケープ・コーポレーション」と西崎個人が破産を申立てる。「ヤマト」シリーズを含む西崎の保有する著作権が東北新社へ譲渡された。
  • 覚醒剤取締法違反で逮捕される。
1999年
  • 銃砲刀剣類所持等取締法火薬類取締法、覚せい剤取締法違反で現行犯逮捕される。
  • 「ヤマト」シリーズのパチンコ、ゲームソフト化などによる利益を争い、西崎と松本、東北新社、バンダイ、バンダイビジュアルの著作権裁判が始まる。裁判について塀の中から指示。
2003年
  • 「宇宙戦艦ヤマト」などの著作者人格権確認訴訟の控訴審は法廷外で和解。西崎が著作者、著作者人格権者であることが確定。
2004年
  • 西崎と東北新社、バンダイ、バンダイビジュアルの間の控訴審も和解が成立。
  • 「新宇宙戦艦ヤマト 復活編」の製作を「株式会社エナジオ」社長の西崎彰司(西崎の養子)が発表。
2007年
  • 刑期を終えて出所。
2008年
2010年
  • 11月7日、会社所有のクルーザー「YAMATO」から転落死。
  • 12月1日、実写版映画「SPACEBATTLESHIPヤマト」が公開された。

エピソード編集

  • 「超神伝説 うろつき童子」のOVAは80年代にアメリカで予想外の大ヒットを記録したが、ロイヤリティーを払いたくないため原作者の前田俊夫に秘密にしていた。1998年に事実を知った前田が西崎に交渉に行くと、「お前の作品を海外で売るためどれだけ金をかけていると思っているんだ!」などと言って出し渋り、結局3%のロイヤリティーから「活動費」をさんざん差し引いた額を払った。その後、西崎はワニマガジン社にも「俺たちがうろつき童子を有名にしてやった」と言って金を要求した。
  • 虫プロ出身の安彦良和は西崎について「簡単に言うと、ヤクザが入ってきた。金を持ったヤクザが来て、会社を乗っ取られたというね」と語っている。
  • ある資金トラブルに巻き込まれた西崎は部下の伝手をたぐって田中角栄への数分間の面談にこぎ着け、トラブルの解決の糸口をつかむが、角栄からは「西崎はヤクザという事は初めから知っていた」と酷評された。西崎自身が暴力団と積極的に絡んだ形跡はないとはいえ、一般的に芸能界とヤクザの関係は長い間連綿と続いていた。
  • 大塚康生によると西崎は東京ムービーリムジンで乗り付け、社長の藤岡豊と会談。その際大塚に「お手を拝借」と手を出させ、その手の中で指を一本二本立てて(指一本が1億円)、「これでどうです?」と「宇宙戦艦ヤマト」への参加をもちかけたが、大塚は「自分の得意分野は車類であって、これはメガネ違い」と断った。「生暖かい手だった。オオサンショウウオにさわったような…」とのこと。
  • 富野由悠季海のトリトンで一緒に仕事をした際、ジャズやフォークなどのアニメに合っていないタイアップを持ってこられたり苦労したようで、トリトンの繋がりで西崎に宇宙戦艦ヤマトの4話の絵コンテを依頼されたが、シナリオに不満を持ち改変したところ、激怒され、すぐ差し戻す事になった。その後西崎からは声がかかることは無くなったが、富野は「結果的に縁が切れて良かった」と「富野由悠季全仕事」にて振り返っている。
  • 山本弘はヤマトの新作の科学考証を依頼されたが西崎のワンマンぶりを知っていた為(「白色矮星」を「白色彗星」に変えさせた、等)丁重に断っている。
  • オフィス・アカデミーでは数名の美女を秘書にして、身の回りの世話までさせ、ハーレム状態だった。また、所有するクルーザーで映画のキャンぺーンガールオーデションを開いた。
  • 1997年12月2日、宮下公園渋谷区)前の路上で運転していた乗用車から、覚醒剤50グラム、ヘロイン6グラム、大麻8グラムが発見され、逮捕された。
  • 1999年2月1日、自宅のワゴン車擲弾発射器付き自動小銃、小銃用実弾約1800発、擲弾約30発、覚せい剤20グラムを所持していた件で銃砲刀剣類所持等取締法、火薬類取締法、覚せい剤取締法違反で現行犯逮捕。
  • 1999年5月12日、保釈中、自動小銃の密輸容疑再逮捕。所有する外洋クルーザー「オーシャンナイン号」に隠していたが、清水港ドックに入れる際に隠すため、自宅に移し替えていたとみられる。西崎は海賊対策のために香港で購入したと供述したが、警察は武器の密輸と転売で利益を得ようとしたのではないかとみていた。公判では尖閣諸島へ上陸した石原慎太郎を警護する必要からフィリピン沿岸警備隊の司令官から購入したと供述を変えた。


関連タグ編集

プロデューサー 山師 虫プロ オフィスアカデミー

宇宙戦艦ヤマト 宇宙空母ブルーノア オーディーン光子帆船スターライト

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