曖昧さ回避
三越の元社長
三越百貨店で10年に渡り社長に君臨し「岡田天皇」と呼ばれたが、「三越事件」で解任された。後に特別背任で有罪となる。
来歴
1914年、京都府に誕生。
1938年、慶應義塾大学文学部を卒業し、三越に入社。宣伝部に勤務する。
1953年、三越の労働争議に際し、会社側で労使交渉をまとめる。
1963年、宣伝部長だった岡田はジャーナリスト・恩田貢から竹久みちを紹介され、愛人とする。
1969年、三越銀座店店長となり、女性店員の制服をミニスカートにするなどの改革を行う。杉山吉良のヌード写真展を開催し好評を博す。
1971年、銀座店にマクドナルド日本1号店をオープンさせた。他にも赤札をぶら下げ百貨店としての敷居を低くする、日曜遊歩道「歩行者天国」をスタートさせ話題作りに成功するなど経営手腕を示し、当時の三越社長・松田伊三雄から評価されるが、その一方、愛人を会社の金でパリ三越の開店式典へ行かせるなど公私混同が問題とされる。
1972年、社長に就任。常務・坂倉芳明の追放に始まり、自分に批判的な幹部を次々と左遷し、独裁体制をとる。愛人の竹久の会社「オリエント交易」は三越の大口納入業者となり、竹久は三越の社内人事にも介入し、「三越の女帝」と呼ばれた
1977年、パリ三越7周年を祝うパーティーをベルサイユ宮殿で開催。坂倉芳明が西武百貨店社長に就任し、岡田に疎んじられた三越時代の部下たちを率い、セゾン・グループを躍進させる。
1982年6月、取引先に商品を押し付ける等の優越的地位の濫用で公正取引委員会から審決を受ける。
8月24日、三越創業310年を記念して日本橋本店「古代ペルシア秘宝展」を開催。しかし開催前から美術品の真贋が疑われていた。
8月29日、贋作を作らされた彫金師らの情報提供で朝日新聞が「学者らも一致して贋作と断定」と報道。更には入手ルートも明らかとなる。
9月22日、取締役会で全員一致により社長を解任され、非常勤取締役に降格。会議前には社長退任を回避するため役員16名を相手にリハーサルをしていたが、その裏で三井グループからの圧力で岡田おろしが進められていた。岡田は「違法だ!」と怒鳴ったが、隣室に控えていた顧問弁護士が解任手続きに瑕疵がないと述べ、この時に岡田が発したとされる言葉「なぜだ!」はこの年の流行語となった。
10月、竹久が特別背任で逮捕、岡田も逮捕される。逮捕の際に取締役を辞任した。
1986年、西武百貨店から復帰した坂倉芳明が三越社長に就任。
1987年、東京地裁で懲役3年6ヶ月の実刑判決が言い渡される。
1993年、東京高裁で懲役3年の実刑判決が言い渡される。
1995年7月20日、係争中に腎不全のため死去。享年80歳。
東映の元社長
1924年生まれ。広島県出身。東京大学経済学部卒。
東横映画(後の東映)に入社し、東急グループからの独立を狙う社長・大川博の腹心として頭角を表す。
大川博死後は博の息子大川毅の世襲を阻止し社長に就任。東急とも和解復縁する。
斜陽の映画界で経営多角化などで東映を生き残らせることに成功。
仁義なき戦いなどヤクザ映画や仮面ライダーなどのヒーロー番組で存在感を示した。
またテレビランド創刊などメディア設立に*も関わる。
2008年死去。先代の世襲を批判したにもかかわらず自身は息子岡田裕介に後を継がせた。
政宗一成は親戚(いとこの子)。
昭和産業の元社長
昭和産業代表取締役社長、同社代表取締役会長、製粉協会会長、日本植物油協会副会長などを歴任した。
1953年2月27日、埼玉県に誕生。
1975年、明治大学農学部農芸化学科を卒業し、昭和産業へ入社。
2005年、執行役員に昇格。
2008年、常務取締役に昇格。
2010年、専務取締役に昇格。
2011年、昭和産業代表取締役社長に就任。
2016年、社長を辞し、代表取締役会長となる。