概要
江戸時代前期に伊勢国松阪(現三重県松阪市)の商人・三井高利が江戸日本橋に開いた呉服店「越後屋」を発祥とする。三井グループの源流となる企業である。
創業以来、国内初(あるいは世界初)となる様々な新商法・新設備導入を打ち出してきた日本の百貨店のパイオニア的存在だが、近年は業績が振るわず、2008年に伊勢丹と経営統合した。
現在、関連会社や提携先も含めると北海道から沖縄までの各地方に一つ以上は「三越」を屋号に掲げる店舗が存在する。
年表
1673年 | 江戸日本橋に呉服店「越後屋」を開業 |
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1683年 | 両替店(現在の三井住友銀行)を併置 |
1872年 | 明治政府の意向により、三井財閥本体を金融業に専念させるべく呉服店ビジネスを切り離す |
1893年 | 越後屋を「合名会社三井呉服店」に改組 |
1904年 | 「株式会社三越呉服店」設立。初代専務に日比翁助が就任 |
1905年 | 「デパートメントストア宣言」を発し、日本初の「百貨店」への道を歩み始める |
1914年 | 日本橋本店落成 |
1928年 | 社名を株式会社三越に改める |
1932年 | 東京地下鉄道(現東京メトロ銀座線)三越前駅を建設 |
1982年 | クーデターにより岡田茂社長解任。岡田「なぜだ!」 |
2008年 | 伊勢丹との共同持株会社「三越伊勢丹ホールディングス」を設立、同社の完全子会社となる |
トリビア
- 創業時から「店前現銀売り(店頭販売)」「現銀掛値無し(正札販売)」「小裂何程にても売ります(切り売り)」等、画期的な商法を打ち出し、それまで富裕層だけのものだった呉服を一般庶民にも広めた。なお、正札販売はこれが世界初の実施でもある。
- 初代日本橋本店ビルは落成当時「スエズ運河以東最大の建築」とも称され(ただ実際にはその間にモスクワやモスクやジッグラトが存在するので多分間違い)、エスカレーター・エレベーター・全館暖房等、当時最先端の設備も多数備えていたが、1923年の関東大震災により壊滅的被害を受けた。
- 女子社員の採用・イルミネーション広告・バーゲンセール開催・ファッションショー開催……etc.、日本初となる試みを多数行う。ちなみにお子様ランチもここの本店食堂が発祥。
- 日本橋本店玄関口に設けられた2体のライオン像は、初代本店落成時から震災や戦火を逃れ現存しているもので、その後他の主要店舗にも同様の像が設置されている。ちなみに「誰も見ていないときに受験生がこれに跨ると、志望校に合格できる」という都市伝説も存在する。
- なお三越周辺は夜中でもそれなりに交通量が多いため、達成は困難を極めると思われる。地道に受験勉強を重ねて合格する方がまだ簡単だろう。
関連イラスト
紙袋は破れなくても財布は大破します。
関連タグ
「越後屋、そちも春よのう」:逆手に取って三越が春商戦で使ったキャッチコピー。
艦隊これくしょん:2016年秋以降、定期的にコラボ展開。百貨店ならではの逸品ぞろいに定評があり、コラボのたびにオンラインショップランキングを独占する。
やなせたかし:かつて三越の宣伝部に勤務。現在も用いられている包装紙上の「mitsukoshi」のレタリングは彼の手によるもの。