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プリキュアタブー

ぷりきゅあたぶー

20年以上の長い歴史を誇るアニメ『プリキュアシリーズ』に存在するアンリトゥンルール(暗黙の了解)。
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概要編集

アニメプリキュアシリーズ』は作品毎にテーマも世界観もストーリーも異なる。

だが、何をやるのかはバラバラでも「絶対にこういう場面を描いてはならない」という「鉄則」は作品を超えて共通している。

『プリキュアシリーズ』は「やること」ではなく、「やらないこと」でシリーズの統一性が図られているという、少し珍しいアニメシリーズなのである。


元々は第1作『ふたりはプリキュア』 - 第5作『Yes!プリキュア5GoGo!』までプロデューサーを務めた『プリキュアシリーズ』生みの親・鷲尾天氏がシリーズでは「絶対やってはならないこと」の制約を現場に通達していたことが始まりとされるが、彼がプロデューサー引退後のシリーズでも幾つかが「お約束」として伝統化して行った様子、

鷲尾Pは自分が作ると男達ばかりが見たがる様なアニメとなってしまうという自覚があった。そこで逆に、少女向けとしては相応しくないであろう要素を明文化。後はそれを遵守しつつ好き勝手やらせて貰おうという点があった模様。


その伝統は現在でも続いており、まず「やってはならないこと」を定めてからそれ以外の部分で既成概念に挑戦する様な描写をやる…というのが『プリキュアシリーズ』の各作品製作方針である。

また、代々継承されて来た「やってはならないこと」が守旧的で時代に合わないと既に判断されていれば、それを壊して行ってもいる。逆に、最初にはなかった新たな決まり事もある。10年を超えて続いた本シリーズであるため、「プリキュアらしさ」も少しずつ変化している。


勿論批判もあり、自主規制に自縄自縛となるTV・アニメ業界の悪しき例や朝日新聞のイデオロギーに沿っているのではないかとしてよく批判される。特に特撮オタク側は昨今のニチアサの規制強化をプリキュアの影響に求める向きがある。


そんなタブーは本当にあるのか?編集

初代作の時にタブーが明文化されていたことは各種スタッフの発言で事実と確定しているが、それが現在でも教則の様に継承されているのかは実際の所不明瞭である。

ここでは作品を超えて継承される「プリキュアタブー」と呼ばれるものが現在でもあるという前提で、様々な「決まり事」について書かれているが、その多くはシリーズ全体を俯瞰した時に見える共通性から推測した仮説に過ぎない。


なお、4代目プロデューサー・神木優氏は2018年(平成30年)の『プリキュア』15周年記念のインタビューで、『プリキュアシリーズ』には暗黙に受け継がれているお約束の様なものは確かにあるとは発言している。ただ、やはり「暗黙」ではある様なので、少なくとも現在では禁則事項という程、強制力がある様なものではない様である。事実、神木は長らく続いていたプリキュア水着禁止の伝統を破棄した人物でもある(後述)。



タブー一覧編集

プリキュアの立ち位置について編集

様々なメディアで『プリキュアシリーズ』が紹介される際、プリキュアは「人々を守る『正義のスーパーヒロイン』」と扱われている場合が多い。しかし、初期では「プリキュアを『正義の味方』として描いてはならない」という考え方があった。数多いプリキュアタブーの中でも作風に強い影響を与えたものである。


初期の基本は「偶然友達となった異世界の妖精を敵から守ってあげること」が戦う目的であり、自分達が住む世界を守る意識はほぼ皆無であった。敵は妖精が持つ秘密を狙って妖精達を襲おうとするので、妖精を匿うプリキュア達が敵を一網打尽にして行く、というのが毎回の話の基本構造であった。

敵陣営がその目的を達成すればこの世界自体が脅威に晒されることとなるため、プリキュア達が敵を退けることが結果的に世界を守ることに繋がっているに過ぎない。

そもそも敵側陣営はプリキュア・妖精以外の一般人達にはそれ程興味を持っておらず、全く無関係な一般人達を悪意を持って傷付けようとすることはごく稀にしか起こらなかった。

これはプリキュア達に「皆」を守らなくてはならない様な大きな使命感を持たせない様にするためであり、戦いを離れた軽い日常を過ごすシーンを違和感なく描きやすくするためでもある。初代ED曲の名フレーズ「地球のため、みんなのため、それもいいけど忘れちゃいけないことあるんじゃないの」がそれを象徴している。

つまり、初期のプリキュアはあくまで「身近な友達を助けるため」に戦っており、そのついでに世界も救う物語であった。


この流れが大きく変化したのは第6作目『フレッシュプリキュア!』である。そこで描かれた敵である管理国家ラビリンスは「プリキュア等は無視し、人間の不幸の感情を集めるために一般人を狙って悪事を働く悪党」であった。そしてこの作品のプリキュアは敵が襲ってくるまで待ち構えるのではなく、悪事を行う敵を懲らしめるためにこちらから戦いを挑む存在となった。

『フレッシュ』以降のシリーズでも多くの敵は大なり小なり「一般人に迷惑を掛ける存在」として描かれる様になる。そしてプリキュア達も「街の一般人達を敵側より守ること」を目的に戦う分かりやすい正義のヒーロー像が強化されることとなる。つまり、「皆のため」に戦うプリキュアへのシフトである。


第11作目『ハピネスチャージプリキュア!』以降は方針にさらに変化が生じ、プリキュア達は「一般人のために戦う要素」よりも「自分のため」に戦う要素が強調される様になった。

正義のヒーロー像は踏襲されつつ、「一般人達に迷惑を掛ける存在」が自分にとって大切なものも奪おうとするため、自分達も戦いに挑むという流れとなっている。

これは製作スタッフ達の間で「女性や子供達に自己犠牲を強いることを肯定・推奨する様なコンテンツとなってはならない」という考えが自然に強まって行ったためでもある。この辺は女性や子供に関する権利意識の社会的変化の流れとも通じている(このことに関する詳細は後述の「日常シーンの扱い」の節に詳しい)。


つまり、プリキュア達が戦う主要な理由は「友達のため」→「皆のため」→「自分のため」と変化して行ったこととなる。

もっとも、これらの要素は相互排他的ではないため、初代の頃からプリキュアは友達のために戦うと同時に他人が戦いに巻き込まれたら必ず助けようとしており、現在のプリキュアも当然ながら自分のためだけでなくみんなを守るために戦い、特に見知らぬ人よりも身近な友人を助ける際の方がより感情的になる。


『プリキュアシリーズ』15周年記念時に使われたキャッチフレーズの1つに「私達は私達の大切なものを守りたいだけ」というものがある。恐らく、これが歴代全プリキュアに共通する戦う理由なのであろう。


チームワーク重視編集

プリキュア達は基本的にプリキュア2名以上+妖精2名以上の「チーム」で戦う。

相棒及びチームとの絆はプリキュアシリーズのどの作品でも最重視される。

しかしながら、チームワークを最重視することの反動として仲間と協力せずに1人で戦うことは非常に否定的に描かれる。

プリキュアが単独で戦うシーンが全くない訳ではないが、それは基本的に負けフラグであり、ピンチに追い詰められた後に仲間達が駆け付けて逆転する展開がお約束である。

つまり、「1人で活躍してはならない」というプリキュアタブーがある(初覚醒回を別とすると、仲間達が変身出来ないあるいは戦闘不能な状況であったため、キュアフラワーキュアムーンライトキュアビューティキュアハッピーキュアエースキュアフォーチュンキュアテンダーの様に戦闘をやむなく単独敢行して完遂させたケースはごく稀にある)。


1人の短所を仲間達全員の長所で補いながら支え合うことでプリキュア全員で成長して行こうとするのがプリキュアとしてのライフスタイル、及びそれと並行している日常生活の要としてどの作品でも描かれている。

いうなれば、プリキュア基本スタイルは昭和時代の伝説的な熱血ラグビードラマ、スクールウォーズ同様、「ワンフォーオール、オールフォーワン(1人は皆のために、皆は1つ《目標・勝利・希望・平和・夢》のために、そしてノーサイド)」というチームワークを構築させる旗印から構成されており、その旗印の下に「プリキュアに1人だけの特別なヒーローは要らない」「プリキュアに仲間達を出し抜いたり、蹴倒してまでスーパーヒーローチートキャラにのし上がる1人だけのヒーローは要らない」「脱落者は1人も出さない」「皆が心を1つとし、力を合わせて不可能を可能とする」といわずに語らずな合言葉を信条としている。

HUGっと!プリキュア』第37話では『プリキュア』15周年記念とその秋映画の番宣として『プリキュアオールスターズ』が特別出演した際はそれが最も顕著に現れたエピソードとなっていた(詳細は「TV版プリキュアオールスターズ」を参照)。


もっとも、チームワークが最重視されるのはそういう教育的な思想以上にバトル演出上の見栄え故である。飛んだり跳ねたりの激しいアクションを基本とするプリキュアシリーズでは1人1人がバラバラに攻撃するよりも、複数人が連携して攻撃する方がテンポが良くなる。初代作監督・西尾大介氏が形とした演出方針が絶えず継承されているといえる。


ただし、等身大で人型敵幹部と戦う場合、プリキュアとその敵幹部は「1VS1」という構図を取る場合がある。これは人間と同じ見た目とサイズの敵を、プリキュア側が複数人で殴る蹴るというのはリンチと捉えかねないためである。

この場合、仲間達も他所で別の敵と戦っている等、プリキュア側も単独で戦わなければならない理由付けがされていることも多い。タイマン構図になる場合は、「仲間達への思い」をモノローグとして独白する等の形で、1人で戦っている様に見えても心は常に繋がっているという演出がその都度挿入されている。


なお、日常シーンにおける仲間同士の友情の描き方は作品によって差異がある。

例えば、「笑顔と友情」をテーマとした第9作目『スマイルプリキュア!』は日常シーンでも「いかなることでも仲良く一緒に助け合う」を美徳として扱っていたが、「夢と自立」をテーマとした第12作目『Go!プリンセスプリキュア』では「自分の夢は自分だけのものであり、その領域にはプリキュア仲間同士でも干渉出来ない」ということを個人の尊重という考え方で肯定的に描いており、ある意味でこの2作は真逆の作風となっている。


また、過去にはマンネリ打破のため、1人で戦うプリキュアが企画されたこともある。

単独バトルヒロインものはキューティーハニーシリーズやカードキャプターさくらなど珍しいものでないが、プリキュアとしては大きなアドベンチャーとなる筈であった。

しかし、運悪く企画が動き出すのとほぼ同時に東日本大震災が発生。今このタイミングで単独ヒロインものを作ることは「1人で頑張らないといけない」というイメージがついて回るとして急遽中止となる。そして、練り直された企画が「1人ではなく、皆で頑張るというメッセージ」を込めた『スマイルプリキュア!』であった(なお、1人プリキュア企画の名残なのか、同年の映画には戦闘こそないが、単独で活躍する映画オリジナルプリキュアが登場している)。

単独プリキュア企画が今後も復活するのかどうかは不明瞭ではあるが、テーマ以上に玩具的な都合から非常に難しいのかもしれない。

桃キュアが好きな子供もいれば、紫キュアが好きな子供もいる。なので1年間に活躍するプリキュアはある程度人数がいる方が玩具販促的には望ましい。

例として、2013年(平成25年)の『ドキドキ!プリキュア』は初期3人+追加戦士1人という構成の予定が、大人の事情で急遽初期4人+追加戦士1人と人数が増やされたという裏話もある。

また、2016年(平成28年)の『魔法つかいプリキュア!』はプリキュア人数こそ初期2人+追加戦士1人という構成であるが、初期2人が4種類の異なる変身をするため、「プリキュアの姿」としては実質的に4倍となり、バリエーションを増やしたいという玩具側の要請に応えている。


ジェンダーとの向き合い方編集

「女の子だって暴れたい」というキャッチコピーから始まった『プリキュアシリーズ』はその最初の時点から伝統的なジェンダー(社会活動における性差の壁)に対して慎重な立場を取っている。

鷲尾Pは初代作を立ち上げる際に西尾大介監督とある約束をしている。それは「『男の子らしさ』『女の子らしさ』という言葉を使わない」ということ。敢えて乱暴にいえば俗世間的なイメージにおける「ジェンダーフリー」に近しい考えである。

『プリキュアシリーズに』おいて「男性キャラ扱い」「恋愛要素扱い」にある種の共通思想があることは後述に詳しいが、それらは全てこのジェンダーに対する慎重な意識が背景にある。

この部分は鷲尾がTVシリーズ現場を離れてからも継承され続けており、それどころか年々強まっている。これは日本社会でジェンダーに関する意識改革が始まった時期とプリキュアシリーズ設立が被っているからである。

特に、「育児」をテーマとした第15作目『HUGっと!プリキュア』ではジェンダーに関するメッセージが従来よりも表面化しており、作中で主人公のはな若宮アンリに発した名台詞「良いんだよ、男の子だってお姫様になれる!」は「女の子だって暴れたい」への15年越しアンサーとして話題ともなった。

ログまとめ1アンはなとお姫様だっこ+α


しかし、実際の所は「女子向け」コンテンツとして用意されていることはどう見ても明白であり、プリキュアシリーズは女の子が好みそうなキラキラ可愛いビジュアルは揺らいでいない(スポンサーの意向もあるが)。男女どちらを対象とするかイマイチ定まっていなかった以前の『東映不思議コメディーシリーズ』と比較すれば圧倒的に「女子向け」の作りになっている。

特撮ドラマシリーズである『仮面ライダー』・『戦隊』と比較すれば色使い・フォント・キャラデザ・ストーリーの全てにおいて「男子向け」コンテンツとは全く異なっている。「女の子はキラキラ可愛いものが好き」「女の子は殺伐としたシーンは嫌い」という現実を否定する程のラジカルさは実現出来そうにもない。

つまり、プリキュアは寧ろ女児達に「君達は『仮面ライダー』よりこっちを見なさい」と「女の子らしい」コンテンツを提供して「女の子らしい」コンテンツを好む様に育てているともいえる。これは逆説的にジェンダーレス志向との矛盾を浮かび上がらせている。

ただ、プリキュアシリーズはどの作品であっても、女の子の可能性を「キラキラ可愛い」だけに狭めてしまわない様に意識されている。

4代目プロデューサー・神木優氏は「プリキュアはキラキラしているけど、作り手はキラキラしているとは思っていない」「可愛いものを提供するだけではシリーズは終わってしまう」と言い切っている(参考)。


余り気付き難いが、プリキュアシリーズでは「可愛い」「綺麗」「美人」等という表現に対して極めて慎重に扱っており、それらの褒め言葉が用いられる場合はルッキズムに繋がらない様にしている(作中で「可愛い」と明言されるのは妖精・動物・赤ちゃん等といった性別とは余り関係ないものが主流)。しかし、実際には決して「醜い」キャラデザのキャラが主役となることはないため、そこは大人の事情である。

ただ、変身後のコスチュームについては玩具販促に絡むため、作中でも「可愛い」と憧れられることは多い。それでも、どの作品であってもプリキュアが「可愛い」という意味合いで褒められる場合は「格好かわいい」という意味合いが込められる。つまり、格好良さがまず前提にあって、そこに可愛さもスパイスとして加わっているというニュアンスとなる。

これはプリキュア達が「凛々しい」「格好いい」を体現する存在であり、それへの憧れは男子女子を問わないはずという作り手の思いと密接に繋がっている。「凛々しい」「格好いい」が男の子特有なものでなく、女の子だって持てるなら、「可愛い」だって女の子特有なものではない。だから、女の子は可愛くてもいいし格好良くても良いのである。「可愛い」も「格好いい」も女の子であるから、男の子であるからとの区別はないということである。

そして、これらのことは『プリキュアシリーズ』が「可愛い」という概念を玩具商売として扱っているからこその責任感ともいえるのであろう。



言葉遣いのルール編集

鷲尾時代に存在していたことが判明しているルールの1つに「プリキュアは汚い言葉や人を傷付ける言葉は絶対に使わない」という言葉遣いのタブーがある。

激しいアクションで敵に対して殴る蹴るをするとしても、敵に対して挑発を仕掛けたり罵声を浴びせる様なことはしない。子供の教育がどうとかいうような単なる「良い子のお約束」的な事情という訳ではなく、そもそもプリキュアはあくまで「大切なものを守るために」戦っているのであり、「憎悪を抱いて」戦っているのでは決してないためである。敵キャラに対する言葉遣いに関するその方針は現在でも継承されている。


もっとも、プリキュアといえども大体中学生程の女の子であるため、ついカッとなって酷いことを言い放ってしまうこともある(参考→「プリキュア三大失言」)。

ただし、この様な失言があった場合は後々和解する様な流れは意識されている。


また、意外と見落とされがちながら上記のジェンダーにも深く関与することであるが、「男性語ヤクザ口調攻撃的で荒っぽい印象を与え、女性語優しく知的で聡明な印象を与える」という様なギャップ狙いな役割語でのキャラ付けをプリキュアシリーズでは避けられがちである。

これはプリキュアのみならず、サブ・モブキャラも含め、男性にも女性にも全体的に中性口調が設定されている。

ただし、これは飽くまでも「傾向」であるだけであり、女性語を使うプリキュアや女子キャラも勿論いる(特に、青キュア母親オネエ割合が圧倒的に多く、その次に紫キュア白キュアの順に多い)。


だが、各作品で主人公となる桃キュア主役キュアについては女性語を全くといって良い程使わない(中性口調が常時徹底されている)ということが初代から現在まで踏襲されている。

ただし、厳密にはなぎさのぞみは女性語も指折り数えられる程度に使用しており、常時徹底されているといえるのはラブ以降である。

なお、のぞみ・めぐみはなは男性語を指折り数えられる程度に使用する。

何故主役キュアが役割語を使用せずに中性口調を重用するのか、それは男性らしさや女性らしさを強調させる言葉遣いにおける性差別を助長させない様にする狙いがあるためであり、同時に男子の女性化、女子の男性化という新しい価値観を肯定させる、「個性」と「多様性」の尊重でもある。


なお、「普通な日常」や言葉使いに関して徹底していながら、主要人物が日常生活では絶対に使わないような口癖(「めちょっく!」「キラやば~!」「生きてるって感じー!」「トロピカってる~!」等)を多用している点については、別の女児向けアニメでも良くやっていることなので、そこはニチアサ仕様と御容赦願いたい。


ちなみに、言葉遣いに関するトリビアとして初代作主人公・美墨なぎさ2年に渡る作中で「ぶっちゃけ」という言葉を1回しか喋っていないというものがある。理由はそんな言葉遣いを彼女

がする訳がないという制作スタッフのこだわりからとのこと(有名なフレーズ「ぶっちゃけありえない」はなぎさの口癖でなくてOPの歌詞。彼女の口癖は「ありえな〜い!」である)。


日常シーン扱い編集

作中では日常で専用アイテムを(主に育成等で)使用したり、作品によって日常でプリキュア以外の別の姿に変身したりする描写こそあるが、基本的に戦闘以外でプリキュアに変身してその力を行使することはほぼなく、歴代のOP映像(特に映画版)では意外と見落としがちであるが、そのほとんどが「プリキュアとしてのシーンがついで扱い」という描写が強調されている。

というのも、初代 - 現在まで共通しているプリキュアタブーとして、プリキュアとして戦うことを主人公達の生活の中心としてはならないという点がある。

そもそも彼女達は本来、戦いとは関わりが一切ない「普通の女の子としての日常」の中で生活しており、その日常の中ではプリキュアとしての使命感や緊張感を引き摺らせない事が意識されている。

なので一部の作品とかにあるような戦いと無関係なユルい日常を過ごせない様なプロフェッショナル過ぎるキャラは寧ろプリキュアとしては相応しくないとされ、「番組中盤より加入する追加キュアが、最初は日常に溶け込めない孤高な戦士として登場するも、主人公達との触れ合いの中で戦いと無関係なユルい日常を楽しめる様に絆されて行く」という展開がされることも多い。


「プリキュアとして強くなるために特訓する」様なシーンもあるにはあるが、それは飽くまでもレクリエイション程度の和気藹々としたアマチュア的なノリが基本に置かれており、一部スポーツものやバトルフィクションよろしく、本格的且つ人生や生命自体を賭ける様な実戦さながらな激しい修業は滅多に行われないが(そこは後述の「戦闘シーン」にも関係している)、パワーアップのための様々なイベントはある。

激し過ぎる修行は描写されないというのは作中の時間軸での話であり、作中よりも過去にその様な厳しい修行を耐え抜いたという設定のプリキュアは僅かではあるがいる(例:『ひろがるスカイプリキュア』のソラ・ハレワタール/キュアスカイ


プリキュアの日常の立ち位置については、11作目『ハピネスチャージプリキュア!』を境に大きな変化も生じている。

それより前のプリキュア作品では、プリキュアとしての戦いを日常と切り離すために「主人公達はプリキュアを仕方なくやっている」というニュアンスが多少なりとも必ず盛り込まれていた。

ところが『ハピネスチャージ』ではプリキュアは「みんなのために戦うヒーロー」であると同時に、主人公達全員がプリキュアをやることにごく個人的な動機が存在している。いわば自分にとってメリットがあるからプリキュアをやっているわけである。

主人公達がプリキュアとして戦うモチベーションを強めることは長年避けられてはいたので、これはかなり大きな転換である。この決断がなされた理由は、主人公達がプリキュアを仕方なくやっているというスタンスを長年続けた結果「プリキュアが他人を守るために自己犠牲的な戦いを強いられる悲劇的な存在になってしまっているのではないのか」と問題提起された為である。

『ハピネスチャージ』以降も「主人公達が望んでプリキュアになりたがっている」というスタンス自体は継続されることになり、プリキュアという役割が押し付けられた義務ではなく、本人が望んだ権利という形へと再構築されることになった。

ただ、戦いと日常を切り離すという点は最重要要素として守られているため、主人公たちがプリキュアをやりたがっていると言っても「戦うことが大好き」という設定にはあえてせず、プリキュアに選ばれることでやりたいことや日常の楽しみが獲得できたという形になっている。日常を守るプリキュアから、新たな日常を獲得するプリキュアになったともいえるだろう。

近年ではそれをよりわかりやすく描くために、プリキュアには戦う神秘的な力はあっても、戦い自体を目的にした存在ではないという設定の作品も出てきている。そのような作品の場合、「伝説の戦士」というプリキュアシリーズの伝統的な称号では呼ばれず「伝説の○○」というその作品に即した称号で呼ばれるが多い(例:『魔法つかいプリキュア!』→「伝説の魔法つかい」)。『キラキラ☆プリキュアアラモード』では遂にプリキュアが戦いと無関係の使命を持っていることがルミエルの台詞から間接的に明かされた。


ヒーリングっど♥プリキュア』は地球のお医者さんであるヒーリングアニマルの補佐という立場やのどかの行動理念から珍しく使命感をやや強調した作風だが、それでも自己犠牲を否定的に扱う点は欠かさず挿入している。ただし、本人が問題なく実現可能なレベルの話ならば最後は認める柔軟さも取り入れた。


戦闘シーン編集

戦闘シーンは女児向けアニメの中では過激と言われるプリキュアシリーズだが、実際は数多くの自主規制がある。

有名な点は以下。


  • あからさまに見た目が武器っぽいデザインのアイテムは持たせない。
  • アイテムで敵を攻撃するときは、そのアイテムを敵に接触させる攻撃方法にはしない。
  • 主人公側のプリキュア同士の戦いはNG(MH映画版2作目以降)。
  • 流血描写はしない。
  • 顔面や腹部に打撃が加えられる瞬間を直接描かない。

「見た目が武器っぽいデザインはNG」についてはあくまでアイテム自体の見た目である。

そして、アクセサリーや化粧道具のようなファンシーなアイテムから、エネルギー状の弓だの剣だのが召喚されるのはプリキュアではよくあることである(剣キュア弓キュアを参照)。

また、見た目がギターのアイテムをライフルとかバズーカとかの火器に見立てて攻撃することも何も問題なかったりする。

重要なのは見た目が武器そのものではないことであり、アイテムの機能が武器に類していることには制限はないのである。

これについては玩具販促アニメならではの事情がある。見た目が武器そのものならやはり「女の子向け」には敬遠されるのである。特に剣など近接武器そのものの形をしている玩具は、子供達は剣の様にふり回して遊ぶので、プリキュアごっこをする子供達が玩具を使って誰かに怪我をさせてしまうリスクがある。それを避けるために「見た目が武器そのものはNG」になっているのである。

プリアラ』でのレインボーリボンは長めのリボンを振り回すという若干危険性を伴う仕様の玩具だが、ダンス遊びをメイン用途に据えている。また、アニメ本編でもリボンで叩く描写は避けられ、手足を縛る、足場とする、輪っか状のエネルギーを発射する等、仮に真似しても危険性が少ない(若しくは真似出来ない)アクションが中心とされた。

「アイテムで攻撃する際は敵に接触させない」というルールも玩具遊びへの配慮からである。アイテムから何かのエネルギーが生み出され、それが敵に接触するという形が前提である(上述の「レインボーリボン」も劇中ではエネルギー状のものがロッドより生成されてリボンを形成している)。

プリキュア5ハピネスチャージプリキュア以外のシリーズで近接系の必殺技が存在しないのもそのためなのであろうか。


主人公サイドでのプリキュア同士の戦いを行わないことにはMH映画版2作目で視聴者の子供達が怖がったことが影響している。ただし、子供達が怖がったのはあくまで「仲間割れ」の描写であるため、悪のプリキュアとの戦いや、主人公チームに属していないプリキュアと敵対することに制約はない。

過去に発売されたプリキュアゲームで公式におけるアクションゲームRPG対戦型格闘ゲームがないのもこの影響がある模様(バンナムから発売されているプリキュアゲームはトランプお絵かきパズルアドベンチャーゲームダンスアクションが主なコンテンツである)。


流血描写禁止についてはプリキュアに限らず、今の時代に子供向け作品を地上波で放映するならば基本的に付いて来る制約であろう。ダメージについては汚れ描写で代替している。

しかし、ただ過激にしたいだけでなく、子供達にも意図が伝わる様な意味ある演出ならば流血描写もアリな模様であり、『ドキドキ!プリキュア』の劇場版で、魔獣化したマシューの噛み付き攻止めたキュアハートが流血したシーン(「演出上やむを得ないことであった」とスタッフが明かしている)が2025年現在唯一の流血描写として存在している。


腹への打撃描写の禁止はやはり「プリキュアは戦士といっても女の子」というスタッフ達の配慮であろう。ただ、劇場版等の過激な演出がある程度許される機会では挿入されることが何度かある。

詳細は「[**[[腹パン>腹パン(プリキュア)]]」を参照。


腹への打撃描写や流血描写は僅かではあるが存在しているのに対して、「顔への打撃描写禁止」は現在まで徹底して守られ続けている。(顔に泥をつけられたプリキュアならいるが)

戦闘シーン以外で顔を殴打すべきシーンについても、ビンタの場面を効果音だけで済ませたりと一定の配慮がある。

ただし、『ドキドキ!プリキュア』第8話の様に眠気を払うために顔を挟み込んだり、互いに相手の頬をつねったり、デコピンしたりする程度の描写はOKの模様。また、顔面に何かがぶつかる、転んだ拍子に顔を壁や地面にぶつけるといったギャグ描写であれば別段制限はない。

ちなみに、プリキュアではないキャラが顔面を殴られるのは全く問題ない模様で、『Go!プリンセスプリキュア』第48話ではシャットクローズがお互いに相手の顔を殴り付けるシーンが登場している。


その他のダメージシーンとして、洗脳・石化・凍結・結晶化・封印等の状態異常描写が見られる。


また、上述の通り、プリキュア側が複数人で敵幹部1人を殴る蹴るするのは「リンチ」と見られかねないので、そういう戦闘描写とならない様に気が遣われている。

基本的に敵幹部はプリキュア達の何倍も巨大な怪物を召喚する。これはプリキュア側が複数人で戦わないとならないことへの説得力を高めている。

例外的に『ハートキャッチプリキュア』のダークプリキュアや『ハピネスチャージプリキュア!』のプリキュアハンター等、桁違いな戦闘能力を有するとされるキャラは単身でプリキュア複数人同時に相手にする(プリキュアから見て互角か優勢となる場合は基本タイマンであるが)。

若干異質な例として『プリアラ』は敵味方共に遠距離攻撃(敵は精神攻撃も)を中心とするためなのか、等身大サイズの敵幹部が普通に単身でプリキュアチーム相手に戦う場合も多かった。



変身シーン編集

プリキュアシリーズ以前の変身ヒロインものの変身シーンでは変身時に光に包まれるヒロインのシルエットが裸の様に見える描写が多かったが、プリキュアシリーズでは『ふたりはプリキュア』と『スイートプリキュア♪』以外は体のラインを見せない様に、光の集合体や衣装を纏う等して上手く工夫されている(『ふたりはプリキュア』・『スイートプリキュア』の様な体のラインを見せる場合でも敢えて肌色にはしていない)。


主人公達がプリキュアに変身するためには『ふたりはプリキュアSplash☆Star』までは2人一組で一緒に変身しなければならなかった。2人変身の場合、変身シーンは最後のキメポーズシーンを除き単独変身バンクが存在せず、一画面に2人が同時に映り込む形で一緒に変身する。

「1人で活躍してはならない」というタブーがある以上、単独変身もタブーとした方が話作りとしては自然なのであるが(そうすればそもそも1人で活躍することが出来ないため)、『Yes!プリキュア5』以降は単独変身が可能となり、その後のほとんどの作品でも単独変身している。

その理由は勿論1人でも戦える様にするためではなく、キャラ1人1人をアピール出来る単独変身バンクがスポンサーからの需要で盛り込まれたため。

その後も『スイートプリキュア』や『魔法つかいプリキュア!』等2人同時変身タイプの作品も出ているが、シリーズ全体を見ると単独変身の方が主流となっている。


変身後の呼び合い編集

プリキュアに変身した後は、昔のスーパー戦隊シリーズ2000年代以降は本名呼びするケースが多い)やセーラームーンシリーズ同様プリキュアとしての名前で呼び合う。

例えば、美墨なぎさは相方・雪城ほのかから変身前は「なぎさ」と呼ばれているが、変身後はプリキュア名「ブラック」と呼ばれる。これは初代より貫かれており、例え普段敬語で接していても年齢差があろうと変身後はプリキュア名で呼び捨てする(ただし、呼び名以外は敬語のまま)。例として、『Go!プリンセスプリキュア』の春野はるかは先輩・海藤みなみにさん付け且つ敬語で接しているが、変身後は「マーメイド」と呼び捨てにして敬語を使っている。

なお、サポート役・妖精達も変身前は本名で呼んでいたのを変身後はプリキュア名で呼ぶ。


基本的にプリキュアは一般人達に正体を秘匿するのが通例なのであるが、一般人達が周囲にいない様な場所でもモノローグでも変身後に仲間を本名で呼ばないため、正体秘匿のためというより、プリキュアとなった時点で一個人ではなく、プリキュアの戦士という演出の意味合いが強いと考えられる。

玩具販促の視点からすると「子供達にプリキュアの名前を早く覚えて欲しい」という大人の事情もあるのであろう(ほとんどの玩具は変身前の名前でなく、プリキュア名をパッケージとするため)。


ただし、ごく稀に相手を変身前の本名で呼ぶこともある。それは意図的な演出であり、「プリキュアの仲間同士」という繋がりを超えた所にある個人的な友情を強く示す必要がある時のみ使われる。

これはとっておき演出として扱われており、プリキュアシリーズ全体を通じても数える程しかない。覚醒直後に変身前の名前を呼んだり、正体確認として呼ぶエピソードを除けば「本名呼び」するシーンが確認出来るのは2025年令和7年)時点では全TVシリーズ・映画を合わせても16回のみ(『ふたりはプリキュア』第42話、『Yes!プリキュア5』第24話、『スイートプリキュア♪』第29話・劇場版、『ドキドキ!プリキュア』第49話、『キラキラ☆プリキュアアラモード』第29・35話、『HUGっと!プリキュア』第47話、『スター☆トゥインクルプリキュア』第11・43話、『ひろがるスカイ!プリキュア』第5・22・33・40話、『わんだふるぷりきゅあ!』第7・49話)。


敵キャラがプリキュア名を呼ぶ際は少々規定が緩くなり、「プリキュアの正体を知っており、変身前の姿の時から個人的な因縁がある」場合は相手を変身前の本名で呼ぶ。特に、敵組織より寝返ってプリキュア側に付いた光堕ちキュアは以前の同僚と相対した際、組織で名乗っていた名前で呼ばれることが多々ある。


大変面白い例としては『フレッシュプリキュア』の妖精・タルトがいる。彼はプリキュアに変身していない状態でも仲間をプリキュア名で呼んでおり、変身前の本名を呼んだことがオールスターズ版を含み全くといって良い程ない(例外的にプリキュアの正体を知らないカオルちゃんに対し、キュアピーチを「ラブはん」と呼んだことが1度だけある)。ただし、プリキュア以外の一般人キャラクターの場合は本名で呼んでいる(実例:ミユキはん大輔はんカオルはん等…)。


正体バレカミングアウト編集

既にご存知の方も多いであろうが、プリキュアシリーズでは「自分の正体を周囲に隠す」ということが伝統的に受け継がれている。

勿論、正体がバレたら記憶を消されたり動物に変えられたり…等といったペナルティがある訳ではなく(ただし、『魔法つかい』『スタプリ』等には「プリキュアであること」とは別の形で秘密厳守義務が存在し、厳しい罰則もある)、特に誰に止められている訳でもなく、ほぼ自主的に取り決めている傾向が多い。プリキュア変身者達が自分の正体を隠そうとしている理由は人それぞれであるが、中核にあるのは「周囲の大人達に説明が出来ないから」というごく一般的且つ日常的な感覚が基本である。

というのも「ある日突然、異世界の妖精に出会って聞いたこともない伝説の戦士に選ばれ、平和を守る為に悪と戦う正義のヒロインになった」といった所で普通は誰も信じないであろうし、仮に知った所で親や先生は怪物と戦うなんて危険なことを当然許してくれる訳がないためである。


鷲尾Pが担当していた頃の初期シリーズではの正体が第3者にバレるのかもしれないということが話のネタに使われることが多かった反面、最終的には本当にバレることはなかった。

しかし鷲尾が現場を離れてからは身近な知人に正体がバレてしまう展開も増えてきた。また、止むを得ず正体を自分からカミングアウトしたケースもいくつかある。


実例を挙げると…

  • 管理国家ラビリンスとの最終決戦を前に、ラブ達がクローバータウンの住民達にカミングアウトしたフレプリ。真実を知らされたプリキュア変身者の親は、自分の娘が世界を守るために戦いに赴くことに反対するという、至極まっとうであるが今までは曖昧にされていた展開がきちんと描かれている。
  • 感情が昂ったマナが「アタシを誰だと思っているの? アタシは大貝第1中学生徒会長・相田マナよ!」と、大声で盛大に全世界にカミングアウトしたドキプリ』。その結果、最終回以降も誰もが知る憧れな超スーパーヒロインとして大活躍することに。

やっぱマナさんはすげぇよ…

  • 相楽誠司に正体を見られた愛乃めぐみが増子美代にカミングアウトした『ハピプリ』。
  • 七瀬ゆいに正体を見られ、最終決戦でノーブル学園の全生徒達にもやむなくカミングアウトした『ゴープリ』。これにより、プリキュア達と生徒達の間に真の信頼関係が生まれ、それがプリキュア達をグランプリンセスに進化させる最後の鍵となった。
    正体バレ、エラいことに
  • ハイハ~イ、私がプリキュa…」とお調子者ないちかがカミングアウトしかけたが、仲間達に口を塞がれ、何とか事なきを得た『キラプリ』。

プリアラワンドロ 12話

ハグプリワンドロ 48話その1

  • 学校をノットレイダー襲来より守るため、クラスメイト達が見ている前で変身した『スタプリ』。クラスメイト達はプリキュアの1人・ララ内閣府宇宙開発特別捜査局より守るため、正体を漏らすことはなかった。
  • 黒幕との最終決戦過程でプリキュア達全員の正体がすこやか市民全員に知れ渡るが、逆にプリキュア達の方が正体がバレたことに全く気付いていないまま戦いが終わったヒープリ』。すこやか市民の皆は「秘密としないとならない事情があったのであろう」と察してプリキュアの正体に対し、敢えて知らぬ存ぜぬを決め込むこととした上で、プリキュア達が町を陰日向で護ってくれた功績に感謝と敬意を表し、プリキュア達は勿論、妖精達にもバレぬ様に様々な手伝いをしてくれたり、土産を気前良くプレゼントしてくれたりする。

今週のヒープリらくがきお部屋でご飯だ若おかみ!

  • 黙ってさえいれば正体どころか「プリキュア」という存在すら知らないというにもかかわらず、邪悪なエナジーに侵された動物を助けるためとはいえ、注意力が散漫な上に噓や隠し事が全く出来ないの不注意によってボーイフレンド友達にいろはの両親(ついでに、コラボ相手が知らない子供まで)と、結構早いタイミング且つピンポイントで(しかもまだ初期メンバーが揃ってすらいない内に)見事に地雷を踏み抜いたわんぷり』。これまで秘匿性を重視していたシリーズではまさに最短記録である。ちなみに、両親に関しては(同様に自らの不注意で身バレし)メエメエの機転でプリキュアの部分はぼかされ、「街で迷子になっているニコガーデンの動物を保護するお手伝いをしている」ということとなっている。また、後から入った猫組の場合、こむぎ達がバレそうになりながらも必死に隠していたのに対し、こちらは隠すどころか寧ろ何の躊躇もなく堂々とまゆの母の目の前で変身してみせた(秘匿性とは…?)。

悟くん、悟る!いろはの変身バンクに悟君大興奮♡わんぷりワンドロ 3話

せめて隠して

すみれ、畏れ



…等が挙げられる。なお、各シリーズとも初期エピソードでは、後にプチームに加わる人物の前では正体が結構簡単にバレてしまうことも多いが、これは彼女達がプリキュアに覚醒するキッカケを作る上では必要不可欠なイベントであり、お約束の1つといっていいだろう。

逆に言えば、基本的にプリキュアは「受け身スタイル」がほとんどなので、例え当人達が知らないような正体不明のプリキュアが現れたとしても本人が自分からカミングアウトしない限り…もとい自らボロを出さない限り決して正体を知られることもなければそも正体を探ろうとする者すらいないのが現状。また上記の通り、プリキュアは「自ら望んで変身する」前提でないと覚醒しないため、どのみちその過程で自分から正体をバラすことは避けて通れぬ道となる。秘密を共有する以上、変身するのも黙秘するのもカミングアウトするのも全ては「自己責任」ということである。


敵キャラの扱い編集

プリキュアシリーズの敵キャラの特徴についてはプリキュアの敵一覧にも記載があります


敵キャラ行動制約編集

敵キャラ演出方針は実はプリキュア以上に制約がある。

最も有名なのは「プリキュアが変身する前に襲い掛かってはならない」である。まぁ、これは子供むけヒーロー番組ではプリキュアに限らず良くツッコまれる矛盾であるが、その違和感をどの様にして目につかないようにするのかは各作品の脚本家・演出家の腕の見せ所となる。


敵キャラはその最終目的が世界征服や世界破滅という様な壮大なものであったとしても、プリキュア視点からすると「自分達の日常を乱す悪者」という身近なものとして扱われるのが基本である。

上述したように第6作目『フレッシュプリキュア!』以降のプリキュアは「街の一般人達を敵から守る」ことを目的に戦うわかりやすい正義なヒーロー像が強化されたが、これはあくまで自分達が住む日常の生活空間である「自分の町」を守るために戦っているという意味でもある。どこか遠くの街でのことまで気にかける責任は持たされていない(ただし、遠くの国に住む誰かが助けて欲しいと自ら頼んで来たのなら見過ごすことはない)。

なので、プリキュアシリーズの敵キャラのほとんどは「プリキュアの身近にいる妖精などのキャラクターを捕獲すること」「プリキュアあるいは妖精の所持するアイテムを奪うこと」あるいは「プリキュアを倒すこと」自体が使命として与えられており、プリキュアがいる街で悪事をわざわざ行うことに理由づけが一応されている。


敵に対するプリキュアの対処法編集

プリキュア側から敵組織のアジトあるいは本拠地に侵攻を積極的に仕掛けるという戦法を全くといって良い程敢行しないのも本シリーズの特徴でもある(『フレッシュ』で美希ラビリンス幹部達が陣取る占いの館に攻め込むことを提案したことがあるが、結局は採用されなかった)。

そのため、非道を働く敵キャラと彼らがけしかける怪物を毎回毎回追い払うだけで追い討ちはしないという受け身スタイルが一貫されている。

つまり、相手が悪事を行わない限りはこちらからは攻撃しないというプリキュアタブーが存在しているといえるのである。


プリキュアの多くは敵キャラクターを「追い払いたい」と考えているだけであるが、一部には物語序盤の頃は敵に対して「憎悪」や「殺意」の感情を持っていた者もいる(紫キュアに多い)。ただしそのようなプリキュアたちも、他のプリキュア仲間や周囲な人々との触れ合いで、憎しみや殺意が次第に薄れ、最終的には敵キャラクターを許すことになるのが基本的なパターンである。


これらのことから、敵地での戦いは敵側の作戦によって受動的に引き摺り込まれた場合か、連れ去られた大切な仲間や奪われた重要アイテムを奪還するというやむにやまれぬ事情によって生ずることがほとんどであり、後者については最終決戦の場合が多い。

この点は子供向けヒーローアニメでの恒例行事といえるが、作品によっては奇襲をかけたくても場所が単純にわからない、プリキュアが行き来する手段が全くないなどそれなりの理由付けも一応なされている。

『ヒープリ』では敵地への侵入手段が見付かった場合にプリキュア側から攻め込む展開が見られたが(実は敵側の罠であった)、これは「ビョーゲンズ」という組織の性格による所も大きいであろう。


「死と殺害」に関する描写編集

上記の戦闘シーンについて記されている通り、これがあくまで「ニチアサの子供向けアニメ」であることに配慮して、プリキュアは敵を倒した時に、命を奪っているという扱いとしない演出が全シリーズを通じて徹底されている。

まず、基本的に毎回戦う怪物達は敵キャラが目に付いた適当な道具や動植物、街の人々等に「邪悪なエナジー」の様なものを注ぎ込むことで生み出すというのが基本である。怪物のデザインや行動もコミカルさをある程度出すようにされていることが多く、メイン視聴者・年少の少女層を怖がらせ過ぎない様におどろおどろしさは『仮面ライダーシリーズ』や同じ美少女変身物『セーラームーン』等と比べるとかなり控えられている(ただし、『魔法つかいプリキュア!』のデウスマスト』は、今までの敵キャラと比べてかなりおぞましい外見となっている)。怪物を倒すとその邪悪なエナジーのようなものが霧散し、怪物の触媒にされていたものは本来の姿を取り戻す。

ハートキャッチプリキュア!』以降はその辺りをより強調するため、敢えて怪物を倒す瞬間の演出を痛々しいものではなく、優しく癒して元の姿に戻す様な演出とするようになった。

この頃からプリキュアシリーズは怪物を倒すことを「浄化する」という表現に言い変えることが多くなった。同時に「必殺技」という呼び方も公式サイドでは余り使われなくなり、代わりに「キメ技」と呼称されるようになった。


怪物を生み出す敵キャラ達(「幹部」と呼ばれることが多い)は知性・人格を持ち、プリキュア達と交流もする。外観も人間とほぼ変わらない場合が多い。そのため、彼らが倒される場面の演出はよりデリケートである。

プリキュアシリーズでの首領格やその配下達の定番設定として、彼らは自然な形で生まれた「生物」ではなく、「闇」「欲望」「絶望」「憎悪」「嫉妬」「復讐」「不幸」等、何らかのマイナス要素を有する概念や感情が、凝り固まることで意思を有した「邪悪な化身」とされる場合が多い。

そのような敵キャラ達は、基本的にプリキュアたちに倒されると「跡形もなく消滅」し、死体を残さないことで「死」のイメージを薄めている。

第1作『ふたりはプリキュア』では、最初の敵キャラ・ピーサードを消滅させた際、キュアホワイトが自分達はとんでもないことをしてしまった(=敵を殺してしまった)のではないのかと一瞬パニックとなるが、妖精のメップルがすかさず「闇に還っただけ」フォローするシーンがある。これはホワイトに対してよりも視聴者に向けたメッセージの意味合いの方が強いであろう。


シリーズが進むに連れて、敵キャラが「闇の化身」ばかりでは物語のマンネリ化を避けられないため、『フレッシュ』からは主人公達同様「血が通った、命ある人間」が敵キャラとして立ち塞がるケースも出て来ている。

命ある人間の敵キャラ達はプリキュア達によって「消滅(討伐)」させられたことが未だないが、上述の浄化プロセスによって元の姿を取り戻したり、浄化とは無関係に改心したりもする。

プリキュアと同年代の少女キャラがライバル的ポジションとして登場することもあり、その場合プリキュア達と和解したり、自分が覚醒したりする展開が多い。


令和に入って以降はコンプライアンスの取り締まりが厳しくなったためか、人間に近しい外見の敵幹部に関してはプリキュアとの直接的な物理戦闘が最終回まで行われないまま物語に決着が付くパターンも増えてきている。


キャラの台詞でも「殺す」とか「死ぬ」とかというストレートな表現は自粛される傾向もおり、言い回しを工夫して「倒す」「消す」「失う」「いなくなる」等の比喩的な表現に言い換えられている。

「殺す」とか「死ぬ」とかの言葉をなるべく使わないというルールはプリキュア側だけでなく敵キャラクターにも適用されている。ただしこれにも例外はあり、「生きる」をテーマとした『ヒーリングっど♥プリキュア』では、その対立概念である「死ぬ」という言葉が別段な配慮なく直接的に用いられている。


なお、同じく東映アニメーションの少女向け戦闘少女作品『美少女戦士セーラームーン』の様に敵との戦闘でプリキュアが戦死・殉職したケースは一切ない。例外として、「東せつな」は「イース」として寿命が尽き、「キュアパッション」として転生する、戦闘後の事実上の「死」が描かれている。だが、これはあくまで組織の敵として暗躍していたキャラの死であり、プリキュアとしての死亡・戦死ではなく、そのシーンもほぼ一瞬であった。


また、「死と殺害」のプリキュアタブーはあくまで「主人公側のプリキュア達が命ある人間を殺すことはしない」ということであり、敵の侵略や暴力によってプリキュア達の身近な者が命を落とし、最終回となっても蘇ることもないということは普通にある(例:『ハートキャッチ』の月影博士コロン、『ドキドキ』のマリー・アンジュ)。


戦闘に無関係な日常シーンにおいても「死」描写は極力避けられている。描かれるとしても回想シーンに留まり、本編開始前に既に亡くなっているということがほとんどである。

しかし、『わんだふるぷりきゅあ!』第44話では主人公の知り合い飼い犬が作中で寿命によって死を迎える様子が描かれている。これは作品のテーマが「動物(特にペット)と人間との絆」であることから、ペットとの死別は決して避けることが出来ない問題であったため。従って、死の描写はリアル且つストレートなものとなっている。


セクハラ対策編集

当然、上記のコスチュームや変身シーンにもあるようにプリキュアシリーズは不要とあらば極力性的な描写は避けるということが意識されている。


  • 下着扱い

プリキュアシリーズは「ドレスの様な華美なコスチュームで激しいアクション」というのが重要視されているため、ほとんどのプリキュア達がふんわりしたスカートを履く。

そのため、ジャンプしたりキックしたりするとスカートの中身が見えないとおかしいアングルとなることが多々ある。

だが、『プリキュアシリーズ』では何があっても自前のパンツ(下着)自体が見えることはないという大前提がある。


大きく分類すると、


  1. スパッツドロワーズといった見えても良い下着を着用。
  2. パニエを着用して完全に隠す。
  3. スカートではなく、短パンとする。

このどれかである。


まず、基本的に鉄壁スカート演出が基本であり、早々中は見えない。

カットアングルの都合上で鉄壁スカートが出来ない様な場合、以前は「スパッツなりレオタードなりで誤魔化す」というアドリブで対処していた。どう誤魔化すのかは完全に現場判断であったため、ある話でレオタードがチラ見えしていたキャラが別の話ではスパッツがチラ見えしていたり…と、統一性はなかった。


ハピネスチャージプリキュア!』以降はドロワーズを着用したプリキュアが登場(キュアラブリーキュアミラクル等)。また、コスチュームデザインレベルでスカートの中がどうなっているかが色や形まで厳密に設定される様になったため、以降のプリキュアは見せパンとして肌の密着度が薄いオーバーパンツが履かれている。


何故スカートの中まで丁寧に設定する様になったのかというと、『プリキュアシリーズ』が3DCGによるコンテンツを制作する様になったことと関係している。CGでは鉄壁スカートという非現実的な演出がしにくく、スカートの下が実際に映像に映ることが多々ある。なので「見えても大丈夫な様に見せパンを履かせる」という現実的な対応が必要となってしまったのである。


ドロワーズ&パニエ時代となってからはTV本編中でも割とそれが見えることも増加したが、これはドロワーズやパニエは体積が大きいために鉄壁スカートでも誤魔化し切れないケースが相次いだたため。

プリキュアシリーズは初期の頃は鉄壁スカートが出来ない時にはいてないを想起させるカットも良く合ったが、現在はどうしようもなければ素直にパンツ(=スカートの中)を見せる傾向である。見せパンとしてデザインしているのであるため、そちらの方がまだ性的とならないというのは確かではある。


平成末期以降はコスチュームデザインも多様化して来ており、スカートがキュロット若しくはバルーンパンツに近い形状となっており中、が見えにくい。そもそもスカートではなく、短パンなので見えない様な工夫をされているものもいる(キュアフェリーチェキュアジェラートキュアエトワール等)。

スパッツをレッグウェアとして扱い常時見える様にしているものも多い(キュアブラックキュアヤムヤム等)が、普段隠れているが動き次第でパンツが判明するプリキュアも多数存在する(キュアブロッサムキュアラブリーキュアニャミー等)。


ちなみに、パニエで中が絶対見えないプリキュアはプリキュアショーにおいてはさらにその下にスパッツを履いているケースが大半である。ショーではCG以上にごまかしが効かないため、妥当な判断といえよう。


  • コスチュームへのダメージ

同じく東映アニメーション制作『セーラームーン』ではセーラー戦士が敵との戦闘でコスチュームに傷が付き、破れたり、ボロボロとなったりすることがあるが、『プリキュアシリーズ』では公言されてはいないがタブーであるとされている。

プリキュアのコスチュームの衣装が敵との戦闘で汚れたり、顔が汚れたりすることはあっても、コスチュームの衣装が傷付き、破れたりボロボロになったりしている作品はシリーズで1度もない。

ただし、プリキュア以外の戦士は例外の模様。『デパプリ』ではレギュラーの男子の戦士・ブラックペッパーが敵との戦闘でコスチュームに傷が付き、服が破れたりしている。


  • その他

当然ながらプリキュアメンバーのトイレや入浴シーンは完全NG。基本入浴シーンは丸々省略されることが多い。勿論「カポーン」なんて効果音が鳴ったりバスタオルを巻いてたりもしないし、初期のアニメ版ポケモンとかみたいに水着で入浴したりもしない。シャワーシーンも『フレッシュプリキュア』第2話で美希のシャワーシーンが登場したのみで、当然戦闘で衣服が破けたり湯気謎の光が使われたりする様なシーンも一切ない。なお、男性の脇役や妖精等についてはその限りではない。


なので、上記の「ジェンダー」の事情等もあり、プリキュアシリーズにはその手の日常ものに良くありがちなお約束展開」はほぼ皆無である。

特殊な例として、1度のみ「出産シーン」が描写されたことがある。



親キャラ扱い編集

これまた見過ごされがちであるが、親の立場にいるキャラは悪者となり過ぎない様に配慮されている。当然ながら、ネグレクト虐待体罰教育ママのシーンは一切存在しない。

実際、プリキュア達の親の多くはほぼ例外なく子供の夢や自立に対する良き理解者として描かれる。

親子仲がギクシャクしているプリキュアもいるが、誤解やコミュニケーションの行き違いが原因であることが多く、最終的には相互理解に落ち着くのがお約束。


また、敵キャラであっても「子」を持つ父や母ならば基本的には和解可能として描かれる。

その場合は親子どちらかが他人に洗脳されていた等、致し方がない理由が据えられるのが基本。ただし、サラマンダー男爵の様な血が繋がらない保護者役ならば悪事を働いても問題ない模様(彼は後に和解している)。

幼児が視聴するアニメは親がチェックするため、親が不快とならない様にという意味合いが大きいと思われる。


なので、同じニチアサ枠の30分違い世界1時間違いの世界に出て来た自分の娘蘇らせるために何人もの人間を犠牲にした父親自分の子供を実験材料としか見ていない科学者の様なキャラをプリキュアに出す事は大変困難といえる。プリキュアシリーズにシャダム中佐の様な人物はいない。

なお、親の過剰な愛故に騒ぎを起こしたマアムについては愛情自体を決して否定しない様に考慮された。



解禁されたタブー編集

水着扱い編集

プリキュアシリーズでは性的な描写を抑制していることは上述したが、性的な描写の基準として初代作で鷲尾Pが例示したのが「水着シーン」であり、そのためにプリキュアシリーズではいわゆる水着回は長らく存在しなかった。これは子供向けアニメ全体としても極めて珍しい事であった(プリキュアシリーズ以外では『おジャ魔女どれみ』シリーズTV本編など僅かしか存在しない)。


…とはいえ、正直な所デザイン上水着より際どい格好になることは普通にあったりする。なので、性的な描写の自粛がいつの間にか水着NGという形骸化したルールに置換わっているのではないか? という疑問が言われることもしばしばあった。

水着NGの影響で、海やプールを舞台とするシーンのシナリオ展開が極端に制限されていると指摘するファンの声も良くあった(水着NGならわざわざ海やプールの場面を出さない方が余程自然なのであるが)。

特に、「別に性的じゃない様に水着を描けば良いだけじゃないのか、何故それが出来ないのか」というもどかしさはシリーズを長く視聴しているファン達程良く感じることであった。


水着NGが子供のためじゃなくて単に作品の幅を無意味に狭めているという思いは現場スタッフの間でも問題意識として共有されていたようで、2015年の『Go!プリンセスプリキュア』で「今年は海のプリキュアがいるため、海での遊びの楽しさをちゃんと描きたい」という現場の思いを優先し、当時のプロデューサーで・神木優氏が慣例を破り、「変に媚びた様な演出とならないこと」を念押しした上で水着回の許可を出した(結果、それが功を奏して特に問題にもならなかった模様)。それ以降も水着回は夏の定番として後続の作品でも見られる様になっている(詳細は「プリキュア水着解禁を参照)。


成長したプリキュア達の描写編集

『プリキュアシリーズ』では主人公を含めた多くのキャラは将来の夢等を持っているものの、「キャラクター達の未来像」を明確に描くことが以前は避けられていた。

最終回後にエピローグを描くことはあっても数ヶ月後までであり、「舞台となる学園を卒業後」を絵で見せることはなかった。


小説スマイルプリキュア!』を執筆した小林雄次氏によると、「プリキュア達の10年後を描いて良いか」と東映側に確認を取った所、映画「プリキュアオールスターズ」との兼ね合いがあるためキャラ達が成長した姿を書いてはならないと忠告されたことをトークショーで話しており、これがタブーとされていたことが判明している(詳細はこちらを参照)。


プリキュア全員が揃うという意味でのオールスターズ映画が1度休止状態に入った2015年(平成7年)以降、この辺りの制限は緩くなった模様。同年放映作『Go!プリンセスプリキュア』最終回では主人公が大人になった姿がエピローグで描かれ、古くからの視聴者を驚かせた。

それ以降もいくつもの作品でプリキュア達の数年後の姿が描かれる様になっている(どの作品で描かれているのかについては「ヤングプリキュア」を参照)。


成長した姿を避けて来た理由は上記の『プリキュアオールスターズ』関連も原因であるが、変身要素がそもそもある女児向けアニメではキャラ成長による変化を描くのはメインターゲット・女児からは好き嫌いが分かれやすい。

プリキュアへの「変身」でキャラ変化があるため、プリキュアとなる前の素の姿が成長によって変化してしまうのは「変身」の憧れを現実的なものに落としてしまうためである。この点はプリキュアシリーズに限らず魔法少女アニメ等で昔から指摘されていた傾向である。

そのため、大人になった主人公達が大人姿のプリキュアに変身する描き方は長らく避けられていた(『魔法つかいプリキュア』で主人公達が大人になった未来を描いた時は、彼女達が中学生の姿に戻ってしまうというトラブルを描いた上でプリキュアに変身させ、『HUGっと』で大人となった過去作キャラが客演した際も同様の手段でわざわざ若返らせてから変身させる様にされている)。


しかし、2023年(令和5年)になって大人となったプリキュア達が活躍する姿を映像として描くオトナプリキュアという施策が公式で始まったことで、(無論、わざわざ子供の姿に若返らせた上での変身であるが)成長NGのタブーは完全に解禁されることとなった。

ただし、この施策はあくまで「大人となったプリキュアファン」に向けたものとされており、メインターゲット・女児の好き嫌いを度外視していることは付記しておく。


男性キャラ扱い編集

「恋愛要素」にも関係することであるが、『プリキュアシリーズ』では「人間の見た目をした男性キャラはバトルシーンでプリキュアを助けてはならない」ということがかつては強く意識されていた。

重要なのは、これは人間の女子キャラや妖精の見た目をしたキャラであれば、バトルシーンで主人公達をサポートする助っ人として登場出来ていたということである。


何故「人間の見た目をした男性キャラ」のみNGなのかというと、元々は『美少女戦士セーラームーン』との差別化という意識が強くあったかららしい。90年アニメ版『セーラームーン』はタキシード仮面を毎回登場させるため、セーラー戦士のピンチを毎回作らなくてはならないという脚本上の制約があったことで有名(そもそも、『セーラームーン』は変身バトル少女チーム物の元祖なため、男性の助っ人なしに少女だけのチームで敵と戦うという案が採用されずらい時代感であったのもある)で、尚且つ後発の多くのバトルヒロイン作品が『セーラームーン』のフォーマットを継承したため、「不自然なヒロインピンチはバトルヒロイン物のお約束」としてかつて良くネタとされていた。

プリキュアの初代P・鷲尾氏は主人公達を「格好いいヒーロー」と位置付けていたため、この不自然なヒロインピンチ展開を撤廃しようと考えていた。しかし、初代プリキュアが放映された当時は男性キャラが助っ人として登場するのは当たり前と誰もが無意識に刷り込まれていたため、「人間の見た目をした男性キャラを活躍させてはならない」と具体的に指示するくらいでないとその空気を打消せなかったのである。


『プリキュアシリーズ』も20年周年を迎え、『キミとアイドルプリキュア♪』で22年目を迎えたを超えた現在、ヒロインピンチのお約束認識もすっかり薄れ、男子キャラ活躍禁止と別段声高にいう必要もなくなった模様で、プリキュア達をサポートする形で戦場に留まれる程度の強さを有する男子キャラもそれなりに登場して来ている。

ただ、この様なキャラはあくまでサポートが基本で、敵と直接戦うことはあってもザコキャラを薙ぎ払ったり、足止めをしたりする程であり、怪物を浄化し、敵幹部を直接倒すといったプリキュア達と同じ形で勝利を収めることは絶対にない。そのためなのか男子が中心となりやすい警察軍隊(あるいは自衛隊)が登場することは少ない(「お巡りさん」程度であれば登場することはある。また、同じ理由で普通にマナーが悪かったり、悲しい事情があって悪役となったりする人間こそいれど、単純に犯罪に走る様な悪人は存在しない)。


もっとも、プリキュアシリーズの味方側の男性キャラ達に求められる基本的な役割はプリキュアの日常の支えとなる理解者・サポーターである。戦場でのサポーターとなれるキャラであっても、それ以前にプリキュア達にとっての「守るべき大切な日常の象徴」となっていることが求められる。

これはプリキュアが従来の様な男性に守られるヒロインではなく、あくまで男性を含む弱者を守るヒーローであるという初代から続く伝統が受け継がれているが故である。


時は流れ、時代がジェンダーフリーとなったこともあり、『ハグプリ』では初の男子がプリキュアに変身する「キュアアンフィニ」が登場している(ただし、最終決戦では一般人男女共に皆がプリキュアに変身している)。

『デパプリ』ではプリキュア達の日常面や戦闘面でのサポートをするオネエキャラの「ローズマリー」や、男性の戦士に覚醒してプリキュアと共に敵と戦う「ブラックペッパー」がレギュラーキャラとして伝統芸を披露したりと、男女共に助け合って戦っている。タブーは解禁され「男女一緒になって共に戦う」作品も見られる様になる。また、男の子の視聴者にも配慮してか、番組最後で流れる応募視聴者の名前を呼ぶ企画でも、男の子の名前が読み上げられたりもしている。


『ひろプリ』では遂に男の子がレギュラーキャラで、プリキュアに変身する「キュアウィング」が誕生した。

それに続き、舞台『Dancing☆StarプリキュアTHE_STAGE』では「メンバー全員が男子高校生で構成されたプリキュア」が誕生した。


プリキュアの条件編集

初期の頃はタイトルに『ふたりは』や『5』と書かれており、プリキュア人数を表す数字が必ず付いていた。

それに矛盾しない様にするためか、初期シリーズの追加キュアシャイニールミナス(『ふたりはプリキュアMaxHeart』)やミルキィローズ(『YES!プリキュア5GoGo!』)等は、プリキュアではない別戦士とされ、「キュア」の名を冠することが出来なかった。

加えて、この2人はどちらも純粋な人間ではなく、ローズに至っては元が異世界出身の妖精であったため、「プリキュアとなれるのは『普通の人間の少女』でなければならない」というルールが決まっているのでは? ということがファンの間では一般的であった。

上述した通り、初期作ではプリキュアとなる少女達に「大きな使命感」を持たせない様にすることに気が払われていたこともこの定説を作り出した一因である。もし先祖や血縁者にプリキュアがいたり、異世界人等という様な設定があれば、そのキャラクターはストーリー上でシリアスな設定がどうしても課せられてしまう為だ(キュアソードキュアフォーチュンキュアスカーレットキュアコスモ等が分かりやすい例だろうか)。


特別な存在ではない、どこにでもいる様な「普通の女の子」が、何でもない日常を守る為だけに、世界の命運を賭けた戦いを受け入れる… この構図は初期のプリキュアシリーズでは明確に意識されていた事は、スタッフインタビュー等でも明らかとはなっている。そのため、これもシリーズ初期には実在したプリキュアタブーである。


しかし、この「普通の女の子」を重視する考え方はシリーズが進むに連れて崩れて行く様になった。これは「『普通』にこだわり過ぎることは多様性排除に繋がるのでは?」という懸念がスタッフと視聴者の間に少しずつ積み重なって行ったためである。

代わって登場したのが「女の子は誰でもプリキュアになれる」という考え方である。これは映画『プリキュアオールスターズNewStage』で使われたキャッチコピーであるが、それ以降のプリキュアシリーズにも作品を超えて脈々と継承されている。

「普通・異端」の線引きはせず、それぞれの個性を肯定し、受入れる作風にシリーズ全体がシフトして行った。


例えば、現在の『プリキュアオールスターズ』ではルミナス・ローズもプリキュアとしてカウントされ、「復権」している。

また、異世界人や人外という特殊な出生経緯を有するプリキュアも現れている(詳細は「異世界キュア」「妖精キュア」「亜人プリキュア」等を参照)。

そして、これらの特別な出自を持つプリキュア達はほとんどがストーリー上でシリアスな設定が課せられて「大きな使命感」を持って戦って行く。


このように、プリキュアとなるための敷居が下がって行く中でも各作品におけるメイン主人公については放映当時の社会性における「身近なイメージ」のキャラ造形が意識される流れは強く残っていた。

一族の血統や生まれ変わりといった神秘的な宿命を背負っていたり、人間ではない種族であったりすることは避けられ、「両親が存命中の日本人女子中学生」であることが前提となっていた。

だが、これも2023年(令和5年)の『ひろがるスカイ!プリキュア』で異世界出身者・キュアスカイ/ソラ・ハレワタールを主人公に据えたことで慣例が破られることとなった。これは当時の公式インタビューで「新たなるチャレンジ」と語られていたことから、異世界主人公NGというタブーが実際にあったことが示唆されている。


現在の所、プリキュアシリーズにはごく一部の例外を除いて海外出身であったり、親子や姉妹でプリキュアをやっている者は存在しないが、これも放映される時代の社会性によってはその内変化して行くのかもしれない(その割に異世界人であったり、アンドロイドであったり、人魚であったり、ペットであったりと変化球を狙った様な設定のプリキュアばかりが増加して寧ろ段々「普通」から段々遠ざかっている気がするが…)。

事実、主人公を取り巻く家庭環境(特に主人公の母親の立ち位置)はシリーズが進むに連れて少しずつ変化しており、近年では専業主婦がほぼ見られなくなっている他、母親が海外で活躍する仕事をしている為に殆ど家に帰れず、父親に育てられている主人公も珍しくなくなっている(いちか)。

ただ、主人公を取り巻く家庭環境がどんなに変化しても、プリキュア主人公の母・父の人間性は非常に高く、仲も良いが過保護で甘やかし過ぎる事も無く、躾もきっちりしている理想的な家庭像が描かれている。


なお、メイン主人公でないプリキュアなら家庭環境については様々なパターンがある。

片親若しくは両親がいないプリキュアは意外に多く、その原因が離婚ということもある(美希ほまれ)。家族と良好な関係が築けていないプリキュアも非主人公ならば意外と見られ、中には父を不幸にも亡くし母子家庭になってしまった家庭も見られる(ゆりやよい)。


恋愛描写扱い編集

基本的にプリキュア達は「愛」のために戦う存在であり、メンバーの中には自ら「愛のプリキュア」を名乗る者も少なからずいるものの、最も肝心な所であろう「恋愛要素」は作中では薄めに扱うことが多い。

これは、『プリキュア』初代作が作られた頃の少女向けアニメが「イケメンを出してキュン死描写させとけばそれなりに受ける」という思考停止で作られているものばかりであったことへのアンチテーゼであり、イケメンで釣るやり方は避けようとこだわったためである(例外的に第4作目『Yes!プリキュア5』が恋愛要素が強く意識された作風になっているが、これは前年作の不振からのテコ入れのためであり、後の製作スタッフへのインタビューでは「少しやり過ぎた」と述懐されている)。


ただ、これは「恋愛要素」を作品テーマに据えないというだけの話であり、作品のスパイスとして淡い恋愛描写を演出することは別に問題はなかった。

実際、鷲尾がプロデューサーを担当していた初期の5作品では「メイン主人公がある異性に想いを寄せており、尚且つ自覚している」という少女漫画的かつ古典的な描写が常に存在していた。

しかし、梅澤淳稔氏が2代目Pとして担当に就いてからは恋愛に憧れる感情を描くこと自体がタブーの様に扱われ、スパイスとしての恋愛要素も敬遠される様になってしまった。

これは、梅澤Pがプリキュアを初担当することとなった第6作目『フレッシュプリキュア』で主人公の淡い恋愛描写に苦情が来たことが原因である。「リアルな中学生なら普通のこと」を描くのは梅澤Pがこだわりを持っていた部分であったため、それが否定されたことで色々と考えることもあった様子。とにもかくにも、苦情が来てからの梅澤Pはプリキュアとなる少女達が恋愛に憧れる様な描写を極力排除する制作態度を取り続ける様になった(完全に排除されていた訳ではないが…)。

この結果、一部の大きなお友達からは「プリキュアは百合アニメ」と揶揄する声が出た程である。

大きなお友達によるプリキュアの次創作作品で百合キュアが主流となってしまったのはこの4年間がキッカケである(それ以前は百合キュアは2次創作でも傍流扱いであった)。


梅澤Pが身を引いて以降、男性キャラとの淡い恋愛描写も少しずつ復活してくる様になり、男性キャラの存在感も増した。

特に、第11作目『ハピネスチャージプリキュア!』では「プリキュアシリーズがいつの間にか積み重ねていた恋愛タブーの空気を和らげるきっかけとしたい」と強く意識していた作品であり、主人公・愛乃めぐみが地球の神・ブルーに恋心を抱く様になる一方、自分は幼馴染・相楽誠司に好意を昔から寄せられている、というプリキュア史上初の明確な多角関係が描かれている。


上記の誠めぐ恋愛簿よりも深く踏み込んだ恋愛模様が、プリキュア15周年記念作品『ハグプリ』のハリほま恋愛簿である。

フィギュアスケートとハリーとの恋愛の狭間で心が激しく揺れ動いたほまれが、「輝木ほまれは、ハリーのことが大好きです!」とハリーと仲間達の面前で遂にカミングアウトしたが、「すまん……ワイはおまえの気持ちに応えられへん。(中略)そやあらへん。ワイも気持ちを伝えたいと思っておる奴がおる。それをうやむやにしたまま、お前の気持ちには応えられへん。ごめんな…」とプリキュア史上初となる明確な失恋劇が描かれている。

恋愛結末がいつも曖昧で有耶無耶にされる当シリーズには非常に珍しいほど、白黒ハッキリとした決着に後味がスッキリし、その後明るい未来と輝ける姿が描写されているハッピーエンドで当作品が締めくくられていた。


一方、『オトナプリキュア』では、『プリキュア5』の夢原のぞみがココ(小々田コージ)のプロポーズを受取り、結婚式を挙げており、遂にシリーズ初のレギュラーキャラ同士のゴールインした公式カップリングが誕生した(『ハグプリ』の野乃はなも、ジョージ・クライとの子供(後にはぐたんとなる子)を妊娠・出産しているが、作中でははなの夫がジョージであるかは顔に影が付いており、ハッキリとはしていなかった)。


そして、21年目『わんだふるぷりきゅあ!』では遂に犬飼いろは兎山悟による公式カップリングが誕生。ハリほまの来歴と逆を行く恋愛の行末をハッキリと描き、無事成就する形での公式カップリング誕生は『プリキュアシリーズ』本編では初の事例(『オトナプリキュア』はシリーズ上は外伝作品扱い)である。細やかな来歴は「悟いろ」に譲る。



大人向けプリキュア限定で解禁されたタブー編集

以下の内容は大人向けシリーズ限定で解禁されている要素であり、メインシリーズで解禁された訳ではない。


食事描写の扱い編集

意外に見過ごされがちな点として、プリキュアシリーズでは「食べ物の好き嫌いを極力描かない」と言うことが意識されている。

これは「プリキュアみたいになりたければ好き嫌いはなくそう」という食育的な側面が意識されているため。このことは鷲尾Pが様々なインタビューで明言している。


「プリキュアに好き嫌いはない」ことを分かりやすく描くため、プリキュアには小食を特徴とするキャラは一切いない(一応、年頃の女の子なので食事の摂り方に気を使うことはある)。逆に、大食漢は多い。この点については「プリキュア大食い仲間」も参照。

初期シリーズの頃はアニメ的な過剰演出故、普通の人間には不可能なレベルの暴飲暴食をするプリキュアも割といた。今の時代の映像倫理ではこれでは逆に健康的とは言い難いということで近年のプリキュア達の摂食量は流石に常識的なものとなっている。


ただし、食べ物の好き嫌いがあるプリキュアも少なからずおり(玉ねぎが苦手ななぎさ、ニンジンが嫌いなラブ亜久里、ピーマンが苦手なせつなここねあげは)、近年ではプリキュア達にも嫌いな食べ物はあると描いた上でそれを克服するエピソードを製作することで食育的な内容を実現している。


また、その影響なのかプリキュアシリーズ全体には徹底して「どんな状況であろうと絶対に食べ物を粗末にしない」姿勢が定着しており、事実として「食べ物」を題材とした作品においても食べ物を武器や敵モンスター素材としたりは一切せず、どころか食べ物自体ではなくそれに間接的に纏わるふわっとした概念をメインに扱い、登場する敵も直接食べ物を奪ったりするのではなく「『食』という概念自体を否定する存在」として描かれている。


その一方、『オトナプリキュア』では人間が食べ物を粗末とするといった現代の問題・環境問題描写が本編よりも強調されている。一例として、プリキュアではない一般人が、「手を付けていない弁当を棄てる」「飲んでいない飲料を放置する」といった行為を行っている。


飲酒・喫煙描写について編集

『プリキュアシリーズ』では成人であっても、飲酒や喫煙をしている描写は見られず、公言はされていないものの、タブーであるとされている(ただし、初代ではなぎさの父が飲酒を仄めかす発言はしており、『5』のドラマCDでもココ&ナッツがおでん屋で飲酒をしたと思われる描写がある)。


また、喫煙シーンに関しても、敵味方成人問わず、喫煙をしている描写は見られていない。


オトナプリキュアシリーズ』ではこの規制は緩和されており、『キボウノチカラ』ではプリキュアメンバー、『魔法つかいプリキュア!!~MIRAIDAYS~』ではサブキャラがそれぞれ飲酒をしている場面が見られる。



関連タグ編集

プリキュアシリーズ 大人の事情 縛りプレイ 仕様 様式美 コンプライアンス



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