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プリキュアタブー

ぷりきゅあたぶー

プリキュアタブーとは、15年以上の長い歴史を誇る「プリキュアシリーズ」に存在する暗黙な了解である。
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概要

プリキュアシリーズは一作ごとにテーマも世界観もストーリーも異なる。
だが、プリキュアシリーズでは、作品ごとに何をやるのかはバラバラでも、こういう場面を描いてはいけないという点は作品を超えて共通している。
プリキュアシリーズは「やる事」ではなく「やらない事」でシリーズの統一性が図られているという、少し珍しいアニメシリーズなのである。

元々は第1作『ふたりはプリキュア』から第5作『Yes!プリキュア5GoGo!』までプロデューサーを務めた鷲尾天が、プリキュアシリーズでは「やってはいけない事」の制約を現場に通達していた事が始まりとされるが、鷲尾がプロデューサーを引退した後のプリキュアシリーズでも幾つかが「お約束」として伝統化していった様だ。
鷲尾Pは自分が作ると男が見たがる様なアニメになってしまうという自覚があった。そこで逆に、少女向けとしては相応しくないだろう要素を明文化して、後は好き勝手やらせてもらおうという点があったようだ。

その伝統は現在でも続いており、まず「やってはいけない事」を決めてから、それ以外の部分で既成概念に挑戦するような描写をやるというのが、プリキュアシリーズの各作品の製作方針である。
また、受け継がれてきた「やってはいけないこと」が守旧的で時代に合わないと既に判断されていれば、それを壊して行ってもいる。逆に、鷲尾Pの最初のルールにはなかった新しい決まり事も生まれて行っている。10年を超えて続いた本シリーズであるので、「プリキュアらしさ」も少しずつ変化している。

そんなタブーは本当にあるのか?

初代作の時にタブーが明文化されていた事は各種スタッフの発言で事実と確定しているが、それが現在でも教則の様に受け継がれているのかは、実際の所不明瞭である。
ここでは作品を超えて受け継がれるプリキュアタブーと呼ばれるものが現在でもあるという前提で、様々な「決まり事」について書かれているが、その多くはシリーズ全体を俯瞰した時に見える共通性から推測した仮説に過ぎない。

なお、4代目プロデューサーである神木優は2018年のプリキュア15周年記念のインタビューで、プリキュアシリーズには暗黙に受け継がれているお約束の様なものは確かにあるとは発言している。ただやはり「暗黙」ではある様なので、少なくとも現在では禁則事項という程、強制力があるようなものではない様である。事実、神木は長らく続いていたプリキュア水着禁止の伝統を破棄した人物でもある(後述)

プリキュアの立ち位置について

様々なメディアでプリキュアシリーズが紹介される際、プリキュアは人々を守る正義のスーパーヒロインと扱われている事が多い。しかし、初期のプリキュアシリーズでは「プリキュアを正義の味方として描いてはいけない」という考え方があった。数多いプリキュアタブーの中でも作風に強い影響を与えたものである。

初期のプリキュアの基本は「たまたま友達になった異世界の妖精を守ってあげる事」が戦う目的であり、自分達が住む世界を守る意識はほぼ皆無であった。敵は妖精が持つ秘密を狙って妖精達を襲おうとするので、妖精を匿うプリキュア達が敵を返り討ちにしていく、というのが毎回の話の基本構造だったのである。
敵側陣営はプリキュアと妖精以外の一般人には然程興味を持っておらず、一般人を悪意を持って傷つけようとする事はごく稀にしか起こらなかった。敵陣営がその目的を達成すればこの世界そのものが脅威に晒される事になるので、これを退ける事が結果的に世界を守る事に繋がっているに過ぎない。
これはプリキュアに「みんな」を守らなくてはいけない様な大きな使命感を持たせない様にする為であり、戦いを離れた軽い日常を過ごすシーンを違和感なく描きやすくする為でもある。初代ED曲の名フレーズ、「地球のため、みんなのため、それもいいけど忘れちゃいけないことあるんじゃないの」がそれを象徴している。
つまり初期のプリキュアはあくまで「身近の友達を助ける為」に戦っていて、そのついでに世界も救う物語だったのである。

この流れが大きく変わったのは6作目『フレッシュプリキュア!』である。そこで描かれた敵である管理国家ラビリンスは「プリキュア等は無視して、人間の不幸の感情を集める為に一般人を狙って悪事を働く悪党」であった。そしてこの作品のプリキュアは敵が襲ってくるまで待ち構えるのではなく、悪事を行う敵を懲らしめる為にこちらから戦いを挑む存在となった。
『フレッシュ』以降のシリーズでも多くの敵は大なり小なり「一般人に迷惑をかける存在」として描かれる様になる。そしてプリキュアも「街の一般人達を敵から守る」事を目的に戦う分かり易い正義のヒーロー像が強化されることになる。つまり「みんなのため」に戦うプリキュアへのシフトである。

第11作目の『ハピネスチャージプリキュア!』以降は方針に更に変化が生じ、プリキュアは「一般人の為に戦う」要素よりも「自分の為」に戦う要素が強調される様になった。
正義のヒーロー像は踏襲されつつ、「一般人に迷惑をかける存在」が自分にとって大切なものも奪おうとする為、自分達も戦いに挑むという流れになっている。
これは製作スタッフ達の間で「女性や子供に自己犠牲を強いる事を肯定・推奨する様なコンテンツになってはいけない」という考えが自然に強まっていった為でもある。この辺は女性や子供に関する権利意識の社会的変化の流れとも通じている(この事に関する詳細は後述の「日常シーンの扱い」の節に詳しい)。

つまりプリキュアの戦う主要な理由は「友達のため」→「みんなのため」→「自分のため」と変化していった事になる。
最も、これらの要素は相互排他的では無い為、初代の頃からプリキュアは友達の為に戦うと同時に他人が戦いに巻き込まれたら必ず助けようとしており、現在のプリキュアも当然ながら自分の為だけでなくみんなを守る為に戦い、特に見知らぬ人よりも身近な友人を助ける際の方がより感情的になる。

プリキュアシリーズ15周年記念の時に使われたキャッチフレーズの1つに「わたしたちはわたしたちの大切なものを守りたいだけ。」というものがある。おそらくこれが歴代全てのプリキュアに共通する戦う理由なのだろう。

チームワークの重視

プリキュア達は基本的にプリキュア2名以上と妖精2名以上の「チーム」で戦う。
相棒及びチームとの絆はプリキュアシリーズのどの作品でも最重視される。
しかしながら、チームワークを最重視する事の反動として、仲間と協力せずに一人で戦う事は非常に否定的に描かれる。
プリキュアが一人だけで戦うシーンが全くない訳では無いが、それは基本的に負けフラグであり、ピンチに追い詰められた後に仲間たちが駆けつけて逆転する展開がお約束である。
つまり、「1人で活躍してはいけない」というプリキュアタブーがあるのである(初覚醒回を別にすると、仲間達が変身出来ない、あるいは戦闘不能な状況だった為、キュアフラワーキュアムーンライトキュアビューティキュアハッピーキュアエースキュアフォーチュンキュアテンダーの様に戦闘をやむなく単独敢行して完遂させたケースはごく稀にある)。

1人の短所を仲間全員の長所で補いながら支え合う事で、プリキュア全員で成長していこうとするのがプリキュアとしてのライフスタイル、及びそれと並行している日常生活の要としてどの作品でも描かれている。
言うなれば、プリキュアの基本スタイルは昭和時代の伝説的な熱血ラグビードラマ、スクールウォーズ同様、「ワンフォーオール、オールフォーワン(ひとりはみんなのために、みんなはひとつ《目標・勝利・希望・平和・夢》のために、そしてノーサイド)」というチームワークを構築させる旗印から構成されており、その旗印の下に「プリキュアに一人だけの特別なヒーローはいらない」「プリキュアに仲間達を出し抜いたり、蹴倒してまでスーパーヒーローチートキャラへとのし上がる一人だけのヒーローはいらない」「脱落者は一人も出さない」「みんなが心を一つにして、力を合わせて不可能を可能にする」という言わず語らずな合言葉を信条にしている。
HUGっと!プリキュア』の第37話では、プリキュア15周年記念とその秋映画の番宣としてプリキュアオールスターズが特別出演した際は、それが最も顕著に現れたエピソードとなっていた(TV版プリキュアオールスターズの項目を参照)。

最も、チームワークが最重視されるのはそういう教育的な思想以上に、バトル演出上の見栄えゆえである。飛んだり跳ねたりの激しいアクションを基本とするプリキュアシリーズでは一人一人がバラバラに攻撃するよりも、複数人が連携して攻撃する方がテンポが良くなるのである。初代作の監督の西尾大介が形にした演出方針が絶えず受け継がれていると言える。

但し、等身大で人型敵幹部と戦う場合、プリキュアとその敵幹部は「一対一」という構図をとることがある。これは人間と同じ見た目とサイズの敵を、プリキュア側が複数人で殴る蹴るというのはリンチと捉えかねないからである。
この場合、仲間たちも他所で別の敵と戦っている等、プリキュア側も単独で戦わなければならない理由付けがされている事も多い。タイマン構図になる場合は、「仲間達への思い」をモノローグとして独白する等の形で、一人で戦っている様に見えても心は常に繋がっているという演出がその都度挿入されている。

なお、日常シーンにおける仲間同士の友情の描き方は作品によって差異があり、例えば上記の『スマイル』は日常シーンでも「いかなる事でも仲良く一緒に助け合う」を美徳として扱っていたが、「夢」をテーマにした『Go!プリンセスプリキュア』では「自分の夢は自分だけのものであり、その領域にはプリキュア仲間同士でも干渉出来ない」という事を個人の尊重という考え方で肯定的に描いていた。

また、過去にはマンネリ打破のために一人で戦うプリキュアが企画された事もある。
単独バトルヒロインものはキューティーハニーシリーズやカードキャプターさくらなど珍しいものでないが、プリキュアとしては大きなアドベンチャーとなる筈であった。
しかし、運悪く企画が動き出すのとほぼ同時に東日本大震災が発生。今このタイミングで単独ヒロインものを作る事は「一人で頑張らないといけない」というイメージがついて回るとして急遽中止となる。そして練り直された企画が「一人ではなく、みんなで頑張るというメッセージ」を込めた『スマイルプリキュア!』であった。
単独プリキュア企画が今後も復活するのかどうかは不明瞭ではあるが、テーマ以上に玩具的な都合から非常に難しいのかもしれない(その名残なのか、その年に戦闘こそないが単独で活躍するプリキュア映画オリジナルとして登場している)。
桃キュアが好きな子供もいれば、紫キュアが好きな子供もいる。なので一年の間に活躍するプリキュアはある程度人数がいる方が、玩具販促的には望ましい。
例として、2013年の『ドキドキ!プリキュア』は初期3人+追加戦士1人という構成の予定が、大人の事情で急遽初期4人+追加戦士1人と人数が増やされたという裏話もある。
また、2016年の『魔法つかいプリキュア!』はプリキュアの人数こそ初期2人+追加戦士1人という構成だが、初期2人が4種類の異なる変身をするため「プリキュアの姿」としては実質的に3倍となり、バリエーションを増やしたいという玩具側の要請に応えている。

プリキュアの条件

初期の頃はタイトルに『ふたりは』や『5』などのプリキュア人数を表す数字が必ずついていた。
それに矛盾しないようにする為か、初期シリーズの追加キュアであるシャイニールミナス(『ふたりはプリキュアMaxHeart』)やミルキィローズ(『Yes!プリキュア5GoGo!』)等は、プリキュアではない別の戦士とされて「キュア」の名を冠する事が出来なかった。
加えてこの2人はどちらも純粋な人間ではなく、ローズに至っては元が異世界出身の妖精だった為、「プリキュアになれるのは普通の人間の少女でないといけない」というルールが決まっているのでは? という事がファンの間では一般的だった。
上述した通り、初期作ではプリキュアとなる少女たちに「大きな使命感」を持たせない様にする事に気が払われていた事もこの定説を作り出した一因である。もし先祖や血縁者にプリキュアがいたり、異世界人等という様な設定があれば、そのキャラクターはストーリー上でシリアスな設定がどうしても課せられてしまう為だ(キュアソードキュアフォーチュンキュアスカーレット等が分かりやすい例だろうか)。

特別な存在ではない、どこにでもいる様な「普通の女の子」が、何でもない日常を守る為だけに、世界の命運を賭けた戦いを受け入れる… この構図は初期のプリキュアシリーズでは明確に意識されていた事は、スタッフインタビュー等でも明らかにはなっている。その為、これもシリーズ初期には実在したプリキュアタブーである。

しかし、この「普通の女の子」を重視する考え方はシリーズが進むにつれて崩れていく様になった。これは「普通」に拘り過ぎる事は多様性の排除に繋がるのではという懸念が、スタッフと視聴者の間に少しずつ積み重なっていった為である。
代わって登場したのが女の子は誰でもプリキュアになれるという考え方である。これは映画プリキュアオールスターズNewStageで使われたキャッチコピーだが、それ以降のプリキュアシリーズにも作品を超えて脈々と受け継がれている。
「普通・異端」の線引きはせず、それぞれの個性を肯定し受け入れる作風へとシリーズ全体がシフトしていった。

例えば現在の『プリキュアオールスターズ』ではルミナスとローズもプリキュアとしてカウントされ「復権」している。
また、異世界人や人外という特殊な出生経緯を有するプリキュアも現れている。(異世界キュア妖精キュア亜人プリキュア等を参照)
そしてこれらの特別な出自を持つプリキュア達は殆どが、ストーリー上でシリアスな設定が課せられて「大きな使命感」をもってプリキュアとして戦っていく。

ただし、プリキュア各作品におけるメイン主人公については放映当時の社会性における「身近なイメージ」のキャラクター造形が意識されているため、一族の血統や生まれ変わりといった神秘的な宿命を背負っていたり人間ではない種族であったりする例はまだない。そして全員が「両親が存命中の日本人女子中学生」であり、プリキュアシリーズにはごく一部の例外を除いて海外出身だったり親子や姉妹でプリキュアをやっている者は存在しないが、これも放映される時代の社会性によってはその内変わって行くのかもしれない。

事実、主人公を取り巻く家庭環境(特に主人公の母親の立ち位置)はシリーズが進むにつれて少しずつ変化しており、近年では専業主婦がほぼ見られなくなっている他、母親が海外で活躍する仕事をしている為に殆ど家に帰れず、父親に育てられている主人公も珍しくなくなっている(いちか)。
ただ、主人公を取り巻く家庭環境がどんなに変化しても、プリキュア主人公の母親と父親の人間性は非常に高く、仲も良いが過保護で甘やかし過ぎる事も無く、躾もきっちりしている理想的な家庭像が描かれている。

なお、メイン主人公でないプリキュアなら家庭環境については様々なパターンがある。
片親もしくは両親がいないプリキュアは意外に多く、その原因が離婚という事もある(美希ほまれ)。家族と良好な関係が築けていないプリキュアも非主人公ならば意外と見られ、中には父親を不幸にも亡くし母子家庭になってしまった家庭も見られる(ゆりやよい)。

ジェンダーとの向き合い方

「女の子だって暴れたい」というキャッチコピーから始まったプリキュアシリーズは、その最初の時点から伝統的なジェンダー(社会活動における性差の壁)に対して慎重な立場をとっている。
鷲尾Pは初代作を立ち上げる時に西尾大介監督とある約束をしている。それは「『男の子らしさ』『女の子らしさ』という言葉を使わない」という事。あえて乱暴に言えば俗世間的なイメージにおけるジェンダーフリーに近しい考えである。
プリキュアシリーズにおいて「男性キャラクターの扱い」「恋愛要素の扱い」にある種の共通思想がある事は後述に詳しいが、それらは全てこのジェンダーに対する慎重な意識が背景にある。
この部分は鷲尾がTVシリーズの現場を離れてからも受け継がれ続けており、それどころか年々強まっている。これは日本社会でジェンダーに関する意識改革が始まった時期とプリキュアシリーズの立ち上げが被っているからである。
特に育児をテーマにした15作目の『HUGっと!プリキュア』ではジェンダーに関するメッセージが従来よりも表面化しており、作中で主人公のはな若宮アンリに発した名セリフ「いいんだよ、男の子だってお姫様になれる!」は「女の子だって暴れたい」への15年越しのアンサーとして話題ともなった。

ログまとめ1
アンはなとお姫様だっこ+α



しかし実際の所、「女子向け」コンテンツとして用意されているのはどうみても明らかであり、プリキュアシリーズは女の子が好みそうなキラキラ可愛いビジュアルは揺らいでいない(スポンサーの意向もあるが)。男女どちらを対象にするかいまいち定まっていなかったかつての『東映不思議コメディーシリーズ』と比べれば、圧倒的に「女子向け」の作りになっている。
仮面ライダー・戦隊と比べれば色使い、フォント、キャラデザ、ストーリーの全てにおいて「男子向け」コンテンツとは全く異なっている。「女の子はキラキラ可愛いものが好き」「女の子は殺伐としたシーンは嫌い」という現実を否定するほどのラジカルさは実現できそうにもない。プリキュアに草加雅人はいないのだ。
つまり、プリキュアはむしろ女児に「君は仮面ライダーよりこっちを見なさい」と「女の子らしい」コンテンツを提供して「女の子らしい」コンテンツを好むように育てているともいえる。これは逆説的にジェンダーレス志向との矛盾を浮かび上がらせている。
ただ、プリキュアシリーズはどの作品であっても、女の子の可能性を「キラキラ可愛い」だけに狭めてしまわない様に意識されている。
4代目プロデューサーにあたる神木優は「プリキュアはキラキラしているけど、作り手はキラキラしているとは思っていない」「可愛いものを提供するだけではシリーズは終わってしまう」と言い切っている(参考)。

あまり気付き難いが、プリキュアシリーズでは「可愛い」「綺麗」「美人」等という表現に対して極めて慎重に扱っており、それらの褒め言葉が使われる場合はルッキズムに繋がらない様にしている(作中で「可愛い」と明言されるのは妖精、動物、赤ちゃん等といった性別とはあまり関係がないものが主流である)。しかし実際には決して「醜い」キャラデザのキャラが主役になることはないので、そこは大人の事情である。
ただ、プリキュアの変身後のコスチュームについては玩具販促に絡む為、作中でも「可愛い」と憧れられる事は多い。それでも、どの作品であってもプリキュアが「可愛い」という意味合いで褒められる場合は「格好かわいい」という意味合いが込められる。つまり、格好良さがまず前提にあって、そこに可愛さもスパイスとして加わっているというニュアンスとなる。
これはプリキュアが「凛々しい」「格好いい」を体現する存在であり、それへの憧れは男子女子を問わないはずという作り手の思いと密接に繋がっている。「凛々しい」「格好いい」が男の子特有なものでなく女の子だって持てるなら、「可愛い」だって女の子特有なものではない。だから、女の子は可愛くてもいいし格好良くてもいいのである。「可愛い」も「格好いい」も女の子だから、男の子だからとの区別は無いという事である。
そしてこれらの事はプリキュアシリーズが「可愛い」という概念を玩具商売として扱っているからこその責任感とも言えるのだろう。

言葉遣いのルール

鷲尾時代に存在していたことがわかっているルールの1つに「プリキュアは汚い言葉や、人を傷つける言葉は使わない」という言葉遣いのタブーがある。
激しいアクションで敵に対して殴る蹴るをするとしても、敵に対して挑発を仕掛けたり罵声を浴びせる様な事はしない。子供の教育がどうとか言うような単なる「良い子のお約束」的な事情という訳では無く、そもプリキュアはあくまで「大切なものを守るために」戦っているのであって、「憎悪を抱いて」戦っているのでは決してないからである。敵キャラクターに対する言葉遣いに関するその方針は現在でも引き継がれている。

最も、プリキュアといえども中学生の女の子なので、ついカッとなって酷い事を言ってしまう事もある(参考→プリキュア三大失言)。
但しこの様な失言がなされた場合は、後になってちゃんと和解する様な流れは意識されている。

また、意外と見落とされがちながら上記のジェンダーにも深く関与する事だが、「男性語ヤクザ口調攻撃的で荒っぽい印象を与え、女性語優しく知的で聡明な印象を与える」という様なギャップ狙いな役割語でのキャラクター付けをプリキュアシリーズでは避けられがちである。
これはプリキュアだけでなくサブキャラクター、モブキャラクターも含め男性にも女性にも全体的に中性口調が設定されている。
ただしこれは飽くまでも「傾向」であるだけであり、女性語を使うプリキュアや女子キャラクターも勿論いる(特に青キュア母親オネエの割合が圧倒的に多く、その次に紫キュア白キュアの順に多い)。

だが、各作品で主人公となる桃キュア主役キュアについては、女性語を全くと言っていい程使わない(中性口調が常時徹底されている)という事が初代から現在まで踏襲されている。
ただし厳密にはなぎさのぞみは女性語も指折り数えられる程度に使用しており、常時徹底されているといえるのはラブ以降である。
なお、のぞみ、めぐみはなは男性語を指折り数えられる程度に使用する。
なぜ主役キュアが役割語を使用せず中性口調を重用するのか、それは男性らしさや女性らしさを強調させる言葉遣いにおける性差別どこぞの組織委員会会長のように助長させないようにする狙いがあるからであり、同時に男子の女性化、女子の男性化という新しい価値観を肯定させる、「個性」と「多様性」の尊重でもある。

なお、「普通な日常」や言葉使いに関して徹底していながら、主要人物が日常生活では絶対に使わないような口癖(「めちょっく!」「キラやば~!」「生きてるって感じー!」トロピカってる~!等)を多用している点については、今時な女児向けアニメならよくやっていることなので、そこはニチアサ仕様だとご容赦願いたい。

ちなみに、言葉遣いに関するトリビアとして、初代作の主人公である美墨なぎさ2年に渡る作中で「ぶっちゃけ」という言葉を一回しか喋っていないというものがある。理由はそんな言葉遣いをなぎさがする訳が無いというスタッフのこだわりからとのこと(有名なフレーズ「ぶっちゃけありえない」はなぎさの口癖でなくOPの歌詞。なぎさの口癖は「ありえな〜い!」である)。

日常シーンの扱い

作中では日常で専用のアイテムを(主に育成等で)使用したり、作品によって日常でプリキュア以外の別の姿に変身したりする描写こそあるが、基本的に戦闘以外でプリキュアに変身してその力を行使する事はほぼなく、歴代のOP映像(特に映画版)では意外と見落としがちだがそのほとんどが「プリキュアとしてのシーンがついで扱い」という描写が強調されている。
というのも初代から現在まで共通しているプリキュアタブーとして、プリキュアとして戦うことを、主人公達の生活の中心にしてはならないという点がある。
そもそも彼女達は本来、戦いとは関わりが一切ない「普通な女の子の日常」の中で生活しており、その日常の中ではプリキュアとしての使命感や緊張感を引き摺らせない事が意識されている。
なので一部の作品とかにあるような「戦いと無関係なユルい日常」を過ごせない様なプロフェッショナルすぎるキャラクターはむしろプリキュアとしては相応しくないとされ、「番組中盤から加入する追加キュアが、最初は日常に溶け込めない孤高な戦士として登場するも、主人公達との触れあいの中で戦いと無関係なユルい日常を楽しめる様に絆されていく」という展開がなされる事も多い。

「プリキュアとして強くなる為に特訓する」様なシーンもあるにはあるが、それは飽くまでもレクリエイション程度の和気藹々としたアマチュア的なノリが基本におかれており、一部のスポーツものやバトルフィクションよろしく、本格的且つ人生や生命そのものを賭ける様な実戦さながらな激しい修業は絶対に行われないが(そこは後述の「戦闘シーン」にも関係している)、パワーアップの為の様々なイベントはある。

プリキュアの日常の立ち位置については、11作目『ハピネスチャージプリキュア!』を境に大きな変化も生じている。
それより前のプリキュア作品では、プリキュアとしての戦いを日常と切り離すために「主人公達はプリキュアを仕方なくやっている」というニュアンスが多少なりとも必ず盛り込まれていた。
ところが『ハピネスチャージ』ではプリキュアは「みんなのために戦うヒーロー」であると同時に、主人公達全員がプリキュアをやることにごく個人的な動機が存在している。いわば自分にとってメリットがあるからプリキュアをやっているわけである。
主人公達がプリキュアとして戦うモチベーションを強めることは長年避けられてはいたので、これはかなり大きな転換である。この決断がなされた理由は、主人公達がプリキュアを仕方なくやっているというスタンスを長年続けた結果「プリキュアが他人を守るために自己犠牲的な戦いを強いられる悲劇的な存在になってしまっているのではないのか」と問題提起された為である。
『ハピネスチャージ』以降も「主人公達が望んでプリキュアになりたがっている」というスタンス自体は継続されることになり、プリキュアという役割が押し付けられた義務ではなく、本人が望んだ権利という形へと再構築されることになった。
ただ、戦いと日常を切り離すという点は最重要要素として守られているため、主人公たちがプリキュアをやりたがっていると言っても「戦うことが大好き」という設定にはあえてせず、プリキュアに選ばれることでやりたいことや日常の楽しみが獲得できたという形になっている。日常を守るプリキュアから、新たな日常を獲得するプリキュアになったともいえるだろう。
近年ではそれをよりわかりやすく描くために、プリキュアには戦う神秘的な力はあっても、戦い自体を目的にした存在ではないという設定の作品も出てきている。そのような作品の場合、「伝説の戦士」というプリキュアシリーズの伝統的な称号では呼ばれず「伝説の○○」というその作品に即した称号で呼ばれるが多い(例:『魔法つかいプリキュア!』→「伝説の魔法つかい」)。『キラキラ☆プリキュアアラモード』では遂にプリキュアが戦いと無関係の使命を持っていることがルミエルの台詞から間接的に明かされた。

ヒーリングっど❤︎プリキュア』は地球のお医者さんであるヒーリングアニマルの補佐という立場やのどかの行動理念から珍しく使命感をやや強調した作風だが、それでも自己犠牲を否定的に扱う点は欠かさず挿入している。ただし、本人が問題なく実現可能なレベルの話ならば最後は認める柔軟さも取り入れた。

戦闘シーン

戦闘シーンは女児向けアニメの中では過激と言われるプリキュアシリーズだが、実際は数多くの自主規制がある。
有名な点は以下。

  • あからさまに見た目が武器っぽいデザインのアイテムは持たせない。
  • アイテムで敵を攻撃するときは、そのアイテムを敵に接触させる攻撃方法にはしない。
  • 主人公側のプリキュア同士の戦いはNG(MH映画版2作目以降)。
  • 流血描写はしない。
  • 顔面や腹部に打撃が加えられる瞬間を直接描かない。

「見た目が武器っぽいデザインはNG」についてはあくまでアイテム自体の見た目である。
そして、アクセサリーや化粧道具のようなファンシーなアイテムから、エネルギー状の弓だの剣だのが召喚されるのはプリキュアではよくあることである(剣キュア弓キュアを参照)。
また、見た目がギターのアイテムをライフルとかバズーカとかの火器に見立てて攻撃することも何も問題なかったりする。
重要なのは見た目が武器そのものではないことであり、アイテムの機能が武器に類していることには制限はないのである。
これについては玩具販促アニメならではの事情がある。見た目が武器そのものならやはり「女の子向け」には敬遠されるのである。特に剣など近接武器そのものの形をしている玩具は、子供達は剣のようにふり回して遊ぶので、プリキュアごっこをする子供達が玩具を使って誰かに怪我をさせてしまうリスクがある。それを避けるために「見た目が武器そのものはNG」になっているのである。
プリアラ』でのレインボーリボンは長めのリボンを振り回すという若干危険性を伴う仕様の玩具だが、ダンス遊びをメイン用途に据えている。またアニメ本編でもリボンで叩く描写は避けられ、手足を縛る、足場にする、輪っか状のエネルギーを発射するなど仮に真似しても危険性が少ない(もしくは真似できない)アクションが中心とされた。
「アイテムで攻撃するときは、そのアイテムを敵に接触させない」というルールも玩具遊びへの配慮からである。アイテムから何かのエネルギーが生み出されて、それが敵に接触するという形が前提である(上述のレインボーリボンも、劇中ではエネルギー状のものがロッドから生み出されてリボンを形成している)。
プリキュア5ハピネスチャージプリキュア以外のシリーズで近接系の必殺技が存在しないのもその為なのだろうか。

主人公サイドでのプリキュア同士の戦いを行わないことには、MH映画版2作目で視聴者の子供達が怖がったことが影響している。ただし、子供達が怖がったのはあくまで「仲間割れ」の描写であるため、悪のプリキュアとの戦いや、主人公チームに属していないプリキュアと敵対することに制約はない。
毎年リリースされるプリキュアゲームで公式におけるアクションゲームRPG対戦型格闘ゲームがないのもこの影響があるようである(バンナムから発売されているプリキュアゲームはトランプお絵かきパズルアドベンチャーゲームダンスアクションが主なコンテンツである)。

流血描写の禁止については、プリキュアに限らず今の時代に子供向け作品を地上波で放映するならば基本的についてくる制約であろう。ダメージについては汚れ描写で代替している。
しかし、ただ過激にしたいだけでなく、子供達にも意図が伝わるような意味ある演出ならば流血描写もアリなようで、『ドキドキ!プリキュア』の劇場版で、魔獣化したマシューの噛みつき攻撃を受け止めたキュアハートが流血したシーン(演出上やむを得ないことだったとスタッフが明かしている)が2018年現在唯一の流血描写として存在している。

腹への打撃描写の禁止はやはり「プリキュアは戦士といっても女の子」だからというスタッフの配慮であろう。ただ、劇場版など過激な演出がある程度許される機会では挿入されることが何度かある。
詳細は、腹パン(プリキュア)を参照。

腹への打撃描写や流血描写は緩和されていったのに対して、「顔への打撃描写禁止」は徹底して守られ続けている。(顔に泥をつけられたプリキュアならいるが)
戦闘シーン以外で顔を殴打すべきシーンについても、ビンタの場面を効果音だけで済ませたりと一定の配慮がある。
ただし『ドキドキ!プリキュア』第8話のように眠気を払うために顔を挟み込んだり、お互いに相手の頬をつねったりデコピンしたりする程度の描写はOKのようである。また、顔に何かがぶつかる、転んだ拍子に顔を壁や地面にぶつけるといったギャグ描写であれば別段制限はない。
プリキュアではないキャラが顔面を殴られるのは全く問題ないようで、『Go!プリンセスプリキュア』第48話ではシャットクローズがお互いに相手の顔を殴りつけるシーンが登場している。

その他のダメージシーンとして、洗脳、石化、凍結、結晶化、封印などの状態異常の描写が見られる。

また敵側は基本的に巨大な怪物を召喚して戦うか、プリキュアとほぼ同人数でまとめて直接襲いかかるが、これはいわゆる『リンチ』描写を極力減らすため。
例外的に『ハートキャッチプリキュア』のダークプリキュアなど桁違いな戦闘能力を持つとされるキャラクターは、単身で乗り込んでも問題ない様子(プリキュアから見て互角か優勢になる場合は基本タイマンだが)。
若干異質な例として『プリアラ』は敵味方ともに遠距離攻撃(敵は精神攻撃も)を中心とするためなのか、等身大サイズの敵幹部が普通に単身でプリキュアチーム相手に戦うことも多かった。

変身シーン

プリキュアシリーズ以前の変身ヒロインものの変身シーンでは変身時に光に包まれるヒロインのシルエットが裸のように見える描写が多かったが、プリキュアシリーズでは『ふたりはプリキュア』と『スイートプリキュア♪』以外は体のラインを見せないように、光の集合体や衣装を纏うなどして工夫されている(『ふたりはプリキュア』と『スイートプリキュア』のような体のラインを見せる場合でも敢えて肌色にはしていない)。

主人公たちがプリキュアに変身するためには、『ふたりはプリキュアSplash☆Star』までは二人一組で一緒に変身しなければならなかった。2人変身の場合、変身シーンは最後のキメポーズシーンを除き単独変身バンクが存在せず、一画面に二人が同時に映りこむ形で一緒に変身する。
「1人で活躍してはいけない」というタブーがある以上、単独変身もタブーにした方が話作りとしては自然なのだが(そうすればそもそも1人で活躍することができないから)、『Yes!プリキュア5』以降は単独での変身が可能になり、その後のほとんどの作品でも単独変身している。
その理由はもちろん1人でも戦えるようにするためではなく、キャラクター1人1人をアピールできる単独変身バンクがスポンサーからの需要で盛り込まれたため。
その後も『スイートプリキュア』や『魔法つかいプリキュア!』など2人変身タイプの作品も出ているが、シリーズ全体を見ると単独変身の方が主流となっている。

変身後の呼び合い

プリキュアに変身した後は、昔のスーパー戦隊シリーズ(2000年代以降は本名呼びするケースが多い)やセーラームーンシリーズと同じくプリキュアとしての名前で呼び合う。
例えば美墨なぎさは相棒の雪城ほのかから変身前は「なぎさ」と呼ばれているが、変身後はプリキュア名の「ブラック」と呼ばれる。これは初代から貫かれており、例え普段敬語で接していても年齢差があろうと変身後はプリキュア名で呼び捨てする(但し呼び名以外は敬語のまま)。例として、『Go!プリンセスプリキュア』の春野はるかは先輩である海藤みなみにさん付けかつ敬語で接しているが、変身後は「マーメイド」と呼び捨てにして敬語を使っている。
なお、サポート役である妖精たちも、変身前は本名で呼んでいたのを変身後はプリキュア名で呼ぶ。

言うなればプリキュア名というのは所謂「芸名」や「ヒーロー名」のようなもので、基本的にプリキュアは一般人に正体を秘匿するのが通例なのだが、一般人が周りにいないような場所でもモノローグでも変身後に仲間を本名で呼ばないので、正体秘匿のためというより、プリキュアになった時点で一個人ではなくプリキュアの戦士であるという演出の意味合いが強いのだと考えられる。
玩具販促の視点からすると「子供達にプリキュアの名前を早く覚えて欲しい」という大人の事情もあるだろう(ほとんどの玩具は変身前の名前でなくプリキュア名をパッケージにするため)。

但し、ごく稀に相手のことを変身前の本名で呼ぶ事もある。それは意図的な演出であり、「プリキュアの仲間同士」という繋がりを超えたところにある個人的な友情を強く示す必要がある時のみ使われる。
これはとっておきの演出として扱われており、プリキュアシリーズ全体を通じても数えるほどしかない。覚醒直後に変身前の名前を呼んだり、正体確認として呼ぶエピソードを除けば、「本名呼び」するシーンが確認できるのは2019年12月時点では全TVシリーズと映画を合わせても10回だけである(『ふたりはプリキュア』第42話、『Yes!プリキュア5』第24話、『スイートプリキュア♪』第29話・劇場版、『ドキドキ!プリキュア』最終回、『キラキラ☆プリキュアアラモード』第29・35話、『HUGっと!プリキュア』第47話、『スター☆トゥインクルプリキュア』第11・43話)

敵キャラがプリキュアの名前を呼ぶときは少々規定が緩くなり、「プリキュアの正体を知っていて、変身前の姿の時から個人的な因縁がある」場合は相手を変身前の本名で呼ぶ。特に敵組織から寝返ってプリキュア側についた光堕ちキュアは、かつての同僚と相対したとき、組織で名乗っていた名前で呼ばれることが多々ある。

大変面白い例としては『フレッシュプリキュア』の妖精・タルトがいる。彼はプリキュアに変身していない状態でも仲間をプリキュア名で呼んでおり、変身前の本名を呼んだことがオールスターズ版を含み全くといっていいほどない(例外的に、プリキュアの正体を知らないカオルちゃんに対してキュアピーチを「ラブはん」と呼んだことが一度だけある)。ただし、プリキュア以外の一般人キャラクターの場合は本名で呼んでいる(実例:ミユキはん大輔はんカオルはんなど…)。

男性キャラクターの扱い

後述する「恋愛要素」にも関係することだが、プリキュアシリーズでは、「人間の見た目をした男性キャラクターは、バトルシーンでプリキュアを助けてはいけない」ということがかつては強く意識されていた。
重要なのは、これは人間の女子キャラクターや妖精の見た目をしたキャラクターであれば、バトルシーンで主人公たちをサポートする助っ人として登場できていたということである。

なぜ「人間の見た目をした男性キャラクター」だけがNGなのかというと、もともとは美少女戦士セーラームーンとの差別化という意識が強くあったかららしい。アニメ版のセーラームーンはタキシード仮面を活躍させるためにセーラー戦士のピンチを毎回作らなくてはならないという脚本上の制約があったことで有名で、なおかつ後発の多くのバトルヒロイン作品がそのフォーマットを継承したため、「不自然なヒロインピンチはバトルヒロイン物のお約束」としてかつてよくネタにされていた。
プリキュアの初代プロデューサーである鷲尾は主人公たちを「格好いいヒーロー」と位置付けていたため、この不自然なヒロインピンチ展開を撤廃しようと考えていた。しかし、初代プリキュアが放映された当時はイケメンキャラクターが助っ人として登場するのは当たり前と誰もが無意識に刷り込まれていたので、「人間の見た目をした男性キャラクターを活躍させてはいけない」と具体的に指示するくらいでないとその空気を打ち消せなかったのである。

プリキュアシリーズも15年を越えた現在ではヒロインピンチのお約束認識もすっかり薄れ、男子キャラクター活躍禁止と別段声高に言う必要もなくなったようで、プリキュアをサポートする形で戦場にとどまれる程度の強さを有する男子キャラクターもそれなりに登場してきている。
ただ、このようなキャラクターはあくまでプリキュアのサポートが基本で、敵と直接戦うことはあってもザコキャラクターを薙ぎ払ったり敵キャラクターの足止めをしたりするくらいであり、怪物を浄化し、敵幹部を直接倒すといったプリキュアと同じ形で勝利を収めることは絶対にない。そのためなのか男子が中心となりやすい警察軍隊(あるいは自衛隊)が登場することは少ない。(「お巡りさん」程度であれば登場することはある。また同じ理由で普通にマナーが悪かったり悲しい事情があって悪役になったりする人間こそいれど、単純に犯罪に走るような悪人は存在しない)

もっとも、プリキュアシリーズの味方側の男性キャラクターに求められる基本的な役割はプリキュアの日常の支えとなる理解者・サポーターである。戦場でのサポーターになれるキャラであっても、それ以前にプリキュアたちにとっての「守るべき大切な日常の象徴」となっていることが求められる。
これはプリキュアが従来のような男性に守られるヒロインではなく、あくまで男性を含む弱者を守るヒーローであるという初代から続く伝統が受け継がれているが故である。

正体バレカミングアウト

既にご存知の方も多いだろうが、プリキュアシリーズでは「自分の正体を周囲に隠す」ということが伝統的に受け継がれている。
もちろん正体がバレたら記憶を消されたり動物に変えられたり…………等といったペナルティがあるわけではない(ただし『魔法つかい』『スタプリ』などには「プリキュアであること」とは別の形で秘密厳守の義務が存在し、厳しい罰則もある)。プリキュア変身者たちが自分の正体を隠そうとしている理由は人それぞれであるが、中核にあるのは「周囲の大人たちに説明ができないから」というごく一般的かつ日常的な感覚が基本である。
というのも「ある日突然、異世界の妖精に出会って聞いたこともない伝説の戦士に選ばれ、平和を守る為に悪と戦う正義のヒロインになった」なんて言ったところで普通は誰も信じないだろうし、仮に知ったところで親や先生は怪物と戦うなんて危険なことを当然許してくれるわけがないからである。

鷲尾Pが担当していた頃の初期シリーズでは、プリキュアの正体が第三者にバレるのかもしれないということが話のネタに使われることが多かった反面、最終的には本当にバレることはなかった。
しかし鷲尾が現場を離れてからは身近な知人に正体がバレてしまう展開も増えてきた。また、止むを得ず正体を自分からカミングアウトしたケースもいくつかある。

実例を挙げると…………

  • 管理国家ラビリンスとの最終決戦を前に、ラブたちがクローバータウンの住民たちにカミングアウトしたフレプリ。真実を知らされたプリキュア変身者の親は、自分の娘が世界を守るために戦いに赴くことに反対するという、至極まっとうだが今までは曖昧にされていた展開がきちんと描かれている。
  • 感情が昂ったマナが「アタシを誰だと思っているの?アタシは大貝第一中学生徒会長、相田マナよ!」と、世界中に堂々と大声で盛大にカミングアウトしたドキプリ。最終回後も誰もが知る憧れのスーパーヒロインとして活躍することに。

やっぱマナさんはすげぇよ…


  • 相楽誠司に正体を見られた愛乃めぐみが増子美代にカミングアウトしたハピプリ
  • 七瀬ゆいに正体を見られ、最終決戦でノーブル学園の全生徒たちにもやむなくカミングアウトしたゴープリ。このカミングアウトによってプリキュアたちと生徒たちの間に真の信頼関係が生まれ、それがプリキュアたちをグランプリセンスに進化させる最後の鍵となった。

正体バレ、エラいことに


  • 「ハイハ~イ、わたしがプリキュ……」お調子者ないちかがカミングアウトしかけたが、仲間たちに口を塞がれ何とか事なきを得たキラプリ

プリアラワンドロ 12話


ハグプリワンドロ 48話その1


  • 学校をノットレイダーの襲来から守るため、クラスメイトたちが見ている前で変身したスタプリ。クラスメイトたちはプリキュアの一人であるララ内閣府宇宙開発特別捜査局から守るために正体を漏らすことはなかった。
  • 黒幕との最終決戦の過程でプリキュアの正体がすこやか市の全員に知れ渡るが、プリキュアたちの方は正体がバレたことに全く気づいていないまま戦いが終わったヒープリ。すこやか市民のみんなは「秘密にしないといけない事情があったのだろう」と察してプリキュアの正体に対し知らぬ存ぜぬを決め込むことにしたうえで、プリキュアたちが町を陰日向で護ってくれた功績に感謝と敬意を表し、プリキュアたちはもちろん妖精たちにもバレないように色んなお手伝いをしてくれたり、お土産を気前よくプレゼントしてくれたりする。

今週のヒープリらくがき
お部屋でご飯だ若おかみ!


…………などが挙げられる。なお、各シリーズとも初期エピソードでは、後にプリキュアチームに加わる人物の前では正体が結構簡単にバレてしまうことも多いが、これは彼女たちがプリキュアに覚醒するきっかけを作る上では必要不可欠なイベントであり、お約束の一つといっていいだろう。

敵キャラクターの扱い

プリキュアシリーズの敵キャラの特徴についてはプリキュアの敵一覧にも記載があります。

敵キャラクターの行動制約

プリキュアシリーズの敵キャラクターの演出方針は、実はプリキュア以上に制約がある。
もっとも有名なのは「プリキュアが変身する前に襲いかかってはいけない」である。まあこれは子供むけヒーロー番組ではプリキュアに限らずよくツッコまれる矛盾だが、その違和感をどのようにして目につかないようにするのかは各作品の脚本家、演出家の腕の見せ所となる。

プリキュアシリーズの敵キャラクターは、その最終目的が世界征服や世界破滅というような壮大なものであったとしても、プリキュア視点からすると「自分たちの日常を乱す存在」という身近なものとして扱われるのが基本である。
上述したように6作目『フレッシュプリキュア!』以降のプリキュアは「街の一般人たちを敵から守る」ことを目的に戦うわかりやすい正義なヒーロー像が強化されたが、これはあくまで自分たちが住む日常の生活空間である「自分の町」を守るために戦っているという意味でもある。どこか遠くの街でのことまで気にかける責任は持たされていない(ただし、遠くの国に住む誰かが助けてほしいと自ら頼んできたのなら見過ごすことはない)。
なので、プリキュアシリーズの敵キャラクターのほとんどは「プリキュアの身近にいる妖精などのキャラクターを捕獲すること」「プリキュアあるいは妖精の所持するアイテムを奪うこと」あるいは「プリキュアを倒すこと」自体が使命として与えられており、プリキュアがいる街で悪事をわざわざ行うことに理由づけが一応されている。

敵に対するプリキュアの対処法

プリキュア側から敵組織のアジトあるいは本拠地に侵攻を積極的に仕掛けるという戦法を全くと言っていいほど敢行しないのも本シリーズの特徴でもある(『フレッシュ』で美希ラビリンス幹部たちが陣取る占いの館に攻め込むことを提案したことがあるが、結局は採用されなかった)。
そのため、非道を働く敵キャラクターと彼らがけしかける怪物を毎回毎回追い払うだけで追い討ちはしないという受け身スタイルが一貫されている。
つまりは、相手が悪事を行わない限りはこちらからは攻撃しないというプリキュアタブーが存在しているといえるのである。

プリキュアの多くは敵キャラクターを「追い払いたい」と考えているだけだが、一部のプリキュアには物語序盤の頃は敵に対して「憎悪」や「殺意」の感情を持っていた者もいる(紫キュアに多い)。ただしそのようなプリキュアたちも、他のプリキュア仲間や周囲な人々とのふれあいで、憎しみや殺意が次第に薄れ、最終的には敵キャラクターを許すことになるのが基本的なパターンである。

これらのことから、敵地での戦いは敵側の作戦によって受動的に引きずり込まれた場合か、連れ去られた大切な仲間や奪われた重要アイテムを取り戻すというやむにやまれぬ事情によって生ずることがほとんどであり、後者については最終決戦の場合が多い。
この点は子供向けヒーローアニメでの恒例行事といえるが、作品によっては奇襲をかけたくても場所が単純にわからない、プリキュアが行き来する手段が全くないなどそれなりの理由づけも一応なされている。
『ヒープリ』では敵地への侵入手段が見つかった場合にプリキュア側から攻め込む展開が見られたが(実は敵の罠だった)、これはビョーゲンズという組織の性格によるところも大きいだろう。

「死と殺害」に関する描写

プリキュアは敵を倒したときに、命を奪っているという扱いにしない演出が全シリーズを通じて徹底されている。
まず基本的に毎回戦う怪物たちは、敵キャラクターが目についた適当な道具や動植物、街の人々などに「邪悪なエナジー」のようなものを注ぎ込むことで生み出すというのが基本である。怪物のデザインや行動もコミカルさをある程度出すようにされていることが多く、メイン視聴者である年少の少女層を怖がらせすぎないよう、おどろおどろしさは仮面ライダーシリーズや同じ美少女変身物であるセーラームーン等に比べるとかなり控えられている(但し『魔法つかいプリキュア!』のデウスマストは、今までの敵キャラクターと比べて、かなりおぞましい外見となっている)。怪物を倒すとその邪悪なエナジーのようなものが霧散し、怪物の触媒にされていたものは本来の姿を取り戻す。
ハートキャッチプリキュア!』からは、そのあたりをより強調するために、あえて怪物を倒す瞬間の演出を痛々しいものではなく、優しく癒して元の姿に戻すような演出にするようになった。
このころからプリキュアシリーズは怪物を倒すことを「浄化する」という表現に言い変えることが多くなった。同時に、いわゆる「必殺技」という呼び方も公式サイドではあまり使われなくなり、代わりに「キメ技」と呼称されるようになった。

怪物を生み出す敵キャラクターたち(「幹部」と呼ばれることが多い)は知性と人格を持ち、プリキュアたちと交流もする。外観も人間とほぼ変わらない場合が多い。そのため、彼らが倒される場面の演出はよりデリケートである。
プリキュアシリーズでの首領格やその配下たちの定番設定として、彼らは自然な形で生まれた「生物」ではなく、「闇」「欲望」「絶望」「憎悪」「嫉妬」「復讐」「不幸」など何らかのマイナス要素を有する概念や感情が、凝り固まることで意思を有した「邪悪な化身」とされることが多い。
そのような敵キャラクターたちは、基本的にプリキュアたちに倒されると「あとかたもなく消滅」し、死体を残さないことで「死」のイメージを薄めている。
第一作『ふたりはプリキュア』では、一番最初の敵キャラクターであるピーサードを消滅させたときに、キュアホワイトが自分たちはとんでもないことをしてしまった(=敵を殺してしまった)のではないのかと一瞬パニックになるが、妖精のメップルがすかさず「闇に帰っただけ」とフォローするシーンがある。これはホワイトに対してよりも視聴者に向けたメッセージの意味合いの方が強いだろう。

シリーズが進むにつれて、敵キャラクターが「闇の化身」ばかりでは物語のマンネリ化を避けられないため、『フレッシュ』からは主人公たちと同じような「血が通った、命ある人間」が敵キャラクターとして立ちふさがるケースも出てきている。
命ある人間の敵キャラクターたちはプリキュアによって「消滅(討伐)」させられたことがいまだないが、上述で述べた浄化のプロセスによって元の姿を取り戻したり、浄化とは無関係に改心したりもする。
プリキュアと同年代の少女キャラクターがライバル的ポジションとして登場することもあり、その場合プリキュアと和解したりプリキュアに覚醒したりする展開が多い。

キャラクターの台詞でも「殺す」とか「死ぬ」とかというストレートな表現は自粛される傾向もおり、言い回しを工夫して「倒す」「消す」「失う」「いなくなる」など比喩的な表現に言い換えられている。
「殺す」とか「死ぬ」とかの言葉をなるべく使わないというルールはプリキュア側だけでなく敵キャラクターにも適用されている。ただしこれにも例外はあり、「生きる」をテーマにした『ヒーリングっど♥プリキュア』では、その対立概念である「死ぬ」という言葉が別段な配慮なく直接的に用いられている。

ただ、「死と殺害」のプリキュアタブーはあくまで「主人公側のプリキュアたちが命ある人間を殺すことはしない」ということであり、敵の侵略や暴力によってプリキュアたちの身近な者が命を落とし、最終回になっても蘇ることもないということは普通にある(例:『ハートキャッチ』の月影博士コロン、『ドキドキ』のマリー・アンジュ)。

セクハラ対策

  • 水着の扱い

上記のコスチュームや変身シーンにもあるようにプリキュアシリーズは不要とあらばなるたけ性的な描写は避けるということが意識されている。
「日曜朝の女児向けアニメ」ならば至極当然だろうし、それ自体は理解できる方針だが、性的な描写の基準として初代作で鷲尾Pが例示したのが「水着回の有無」であり、プリキュアシリーズではキャラクターたちが水着を着ることが「プリキュアの戦闘コスチュームはそもそもある意味そこらの水着以上に扇情的なデザインをしている」という理由で長い間避けられ続けていた。これは子供向けアニメ全体としても極めて珍しい事であった(プリキュアシリーズ以外では『おジャ魔女どれみ』シリーズTV本編など僅かしか存在しない)。

…とはいえ、正直なところ水着より際どい格好になることは普通にあったりする。なので、性的な描写の自粛がいつの間にか水着NGという形骸化したルールに置き換わっているのではないか?という疑問が言われることもしばしばある。
水着NGのせいで、海やプールを舞台とするシーンのシナリオ展開が極端に制限されていると指摘するファンの声もよくあった(水着NGならわざわざ海やプールの場面を出さない方がよっぽど自然なのであるが)。
特に「別に性的じゃないように水着を描けばいいだけじゃないのか、何故それができないのか」というもどかしさはシリーズを長く視聴しているファンほどよく感じることであった。

しかし、これにはちゃんとした「ある理由」が存在する。実は初代~5GoGoを担当した鷲尾Pが「プリキュアの戦闘コスチュームはそもそもある意味そこらの水着以上に扇情的なデザインをしている」という理由で、それを配慮して自主規制したのが始まりである。その後2代目の梅澤Pに交代した最初の作品である『フレッシュプリキュア!』で「中学生の女の子らしい日常をちゃんと描く」ことを目的にあえてタブーを破って美希の水着姿を描いたことがある。この時はそんなに性的なシーンにはならないようにしていたのだが、この時に周りの男の子たちが美希に見とれるシーンがあったため、逆に性的っぽく誤解されやすい状態となり、親からの苦情にも繋がった。水着NGをあえて破るように主導したのは梅澤P本人であったためこれは強いトラウマとして残り、彼がプロデューサーを担当する4年間にプリキュアシリーズでは鷲尾P時代以上に水着に対する忌避感が強く現れるようになり、梅澤Pが退いた後もその空気がずっと引き継がれていったのだ。特に『ハートキャッチプリキュア』および『ハピネスチャージプリキュア』では、自身が担当する作品のキャラの水着シーンを「自分の娘の水着姿を衆目に晒す様だから」という理由で苦手とする長峯達也が監督を努めていたため忌避感がより一層強力なものになっていた。

水着NGが子供のためじゃなくて単に作品の幅を無意味に狭めているという思いは現場スタッフの間でも問題意識として共有されていたようで、2015年の『Go!プリンセスプリキュア』で「今年は海のプリキュアがいるので、海での遊びの楽しさをちゃんと描きたい」という現場の思いを優先して、当時のプロデューサーであった神木優が慣例を破って水着回の許可を出す。変に媚びたような演出にならないように注意したことが功を奏し、特に問題にもならなかったようで、それ以降も水着回は夏の定番としてプリキュアでも見られるようになっている。
プリキュア水着解禁の項目を参照のこと)

  • 下着の扱い
プリキュアシリーズは「ドレスのような華美なコスチュームで激しいアクション」というのが重要視されているため、ほとんどのプリキュアがふんわりしたスカートを履く。
そのため、ジャンプしたりキックしたりするとスカートの中身が見えないとおかしいアングルになることが多々ある。
だが、プリキュアシリーズでは何があってもパンツそのものが見えることはないという大前提がある。

まず、基本的に鉄壁スカートの演出が基本であり、そうそう中は見えない。
カットアングルの都合上で鉄壁スカートができないような場合は、かつては「スパッツなりレオタードなりで誤魔化す」というアドリブで対処していた。どう誤魔化すのかは完全に現場判断だったので、ある話でレオタードがチラ見えしていたキャラが別の話ではスパッツがチラ見えしていたりと統一性はなかった。

しかし『ハピネスチャージプリキュア!』からは、コスチュームデザインのレベルでスカートの中がどうなっているかが色や形まで厳密に設定されるようになったため、以降のプリキュアは見せパンとして肌の密着度が薄いオーバーパンツが履かれている。多くはドロワーズを履いており、さらにスカートの中がパニエ構造(多重フリル)になっているというのが基本。スカートが細めだったり短めだったりする場合はスパッツを履いていることが多い。

なぜスカートの中までちゃんと設定するようになったのかというと、プリキュアシリーズが3DCGによるコンテンツを制作するようになったことと関係している。CGでは鉄壁スカートという非現実的な演出がしにくく、スカートの下が実際に映像に映ることが多々ある。なので見えても大丈夫なように見せパンを履かせるという現実的な対応が必要になってしまったのである。

ドロワーズ&パニエ時代になってからはTV本編中でも割とそれが見えることも増えたが、これはドロワーズやパニエは体積が大きいので鉄壁スカートでも誤魔化しきれないケースが増えたため。
プリキュアシリーズは初期の頃は鉄壁スカートができない時にはいてないを想起させるカットもよく合ったが、現在はどうしようもなければ素直にドロチラさせる傾向である。見せパンとしてデザインしているのだから、そちらの方がまだ性的にならないというのは確かではある。

近年ではコスチュームデザインも多様化してきており、スカートがキュロットもしくはバルーンパンツに近い形状になっていて中が見えにくいような工夫をされているものもいる(キュアフェリーチェキュアジェラートなど)。
その逆の発想として、ドロワーズやスパッツを下着という扱いで隠すのでなく、レッグウェアとして扱い常時見えるようにしているものも出てきている(キュアフローラキュアショコラなど。なお、初期のキュアブラックもスパッツは下着扱いではなくレッグウェアとして隠していなかった)。

  • その他
当然ながらプリキュアメンバーのトイレやお風呂のシーンは完全NGで、基本入浴後だったりすることが多い(もちろん「カポーン」なんて効果音が鳴ったりバスタオルを巻いてたりもしないし、ポケモンとかみたいに水着で入浴したりもしない。シャワーシーンも『フレッシュプリキュア』第2話で美希のシャワーシーンが登場したのみで、当然戦闘で衣服が破けたり湯気謎の光が使われたりするようなシーンも一切ない。また、男性の脇役や妖精などについてはその限りではない)。

なので上記の「ジェンダー」の事情等もあって、プリキュアシリーズにはその手の日常ものによくありがちな「お約束展開」ほぼ皆無である(もっとも、一度だけ出産シーンが描写されたことがあるが……)。

食事描写の扱い

意外に見過ごされがちな点として、プリキュアシリーズでは「食べ物の好き嫌いを極力描かない」と言うことが意識されている。
これは「プリキュアみたいになりたければ好き嫌いはなくそう」という食育的な側面が意識されているため。

「プリキュアに好き嫌いはない」ことをわかりやすく描くために、プリキュアには小食を特徴とするキャラは一切いない(食事の摂り方に気を使うことはある)。逆に大食漢は多い。この点についてはプリキュア大食い仲間の項目も参照。
初期シリーズの頃はアニメ的な過剰演出ゆえに普通の人間には不可能なレベルの暴飲暴食をするプリキュアも割といた。今の時代の映像倫理ではこれでは逆に健康的とは言い難いということで、近年のプリキュアたちの摂食量はさすがに常識的なものとなっている。

ただし、食べ物の好き嫌いがあるプリキュアも少なからずおり(玉ねぎが苦手ななぎさ、ニンジンが嫌いなラブ亜久里、ピーマンが苦手なせつななど)、近年ではプリキュアたちにも嫌いな食べ物はあると描いた上で、それを克服するエピソードを作ることで食育的な内容を実現している。

親キャラクターの扱い

これまた見過ごされがちだが、親の立場にいるキャラクターは悪者になりすぎないよう配慮されている。
実際、プリキュア達の親の多くは子供の夢や自立に対する良き理解者として描かれる。
親子仲がギクシャクしているプリキュアもいるが、誤解やコミュニケーションの行き違いが原因であることが多く、最終的には相互理解に落ち着くのがお約束。

また、敵キャラであっても「子」を持つ父や母ならば基本的には和解可能として描かれる。
その場合は親子どちらかが他人に洗脳されていたなど致し方がない理由が据えられるのが基本。ただしサラマンダー男爵のような血の繋がらない保護者役ならば悪事を働いても問題ない模様。(彼は後に和解している)
幼児が視聴するアニメは親がチェックするため、親が不快にならないようにという意味合いが大きいのだと思われる。

なので同じニチアサ枠の30分違いの世界に出てきた自分の娘を蘇らせるために何人もの人間を犠牲にした父親や、自分の子供を実験材料としか見ていない科学者のようなキャラクターをプリキュアに出す事は大変困難といえる。
なお親の過剰な愛ゆえに騒ぎを起こしたマアムについては、愛情自体を決して否定しないよう考慮された。

恋愛描写の扱い

基本的にプリキュアは「愛」の為に戦う存在であり、メンバーの中には自ら「愛のプリキュア」を名乗る者も少なからずいるものの、しかし最も肝心なところであろう「恋愛要素」は作中では薄めに扱うことが意識されている。
これは、プリキュア初代作が作られた頃の少女向けアニメが「イケメンを出してキュン死描写させとけばそれなりに受ける」という思考停止で作られているものばかりだったことへのアンチテーゼであり、イケメンで釣るやり方は避けようとこだわったためである。
(例外的に第4作『Yes!プリキュア5』が恋愛要素が強く意識された作風になっているが、これは前年作の不振からのテコ入れのためであり、後の製作スタッフへのインタビューでは「少しやりすぎた」と述懐されている)

ただ、これは「恋愛要素」を作品の中心テーマに据えないというだけの話だけであり、作品のスパイスとして淡い恋愛描写を演出することは別に問題はなかった。
実際、鷲尾がプロデューサーを担当していた初期の5作品では「メイン主人公がある異性に想いを寄せており、尚且つ自覚している」という少女漫画的かつ古典的な描写が常に存在していた。
しかし梅澤淳稔が2代目プロデューサーとして担当についてからは、恋愛に憧れる感情を描くこと自体がタブーのように扱われ、スパイスとしての恋愛要素も敬遠されるようになってしまった。
これは梅澤Pがプリキュアを初めて担当することになった第6作『フレッシュプリキュア』で主人公の淡い恋愛描写に苦情が来たことが原因である。「リアルな中学生なら普通のこと」を描くのは梅澤Pがこだわりを持っていた部分であったため、それが否定されたことで色々と考えることもあったようだ。とにもかくにも、苦情が来てからの梅澤Pはプリキュアとなる少女達が恋愛に憧れるような描写を極力排除する制作態度を取り続けるようになった(完全に排除されていたわけではないが……)。
この結果、一部の大きなお友達からは「プリキュアは百合アニメ」と揶揄する声が出たくらいである。
大きなお友達によるプリキュアの二次創作作品で百合キュアが主流になってしまったのはこの4年間がきっかけである(それ以前は百合キュアは二次創作でも傍流扱いだった)。

梅澤Pがプリキュアシリーズ担当から身を引いて以降は、男性キャラとの淡い恋愛描写も少しずつ復活してくるようになり、男性キャラの存在感も増した。
特に第11作目の『ハピネスチャージプリキュア!』では「プリキュアシリーズがいつの間にか積み重ねていた恋愛タブーの空気を和らげるきっかけとしたい」と強く意識していた作品であり、主人公の愛乃めぐみが地球の神ブルーに恋心を抱くようになる一方で自分は幼馴染の相楽誠司に好意を昔から寄せられている、というプリキュア史上初の明確な多角関係が描かれている。

そして、上記の誠めぐ恋愛簿よりもさらに深く踏み込んだ恋愛模様が、プリキュア15周年記念作品のハグプリのハリほま恋愛簿である。
フィギュアスケートとハリーとの恋愛の狭間で心が激しく揺れ動いたほまれが、「輝木ほまれは、ハリーのことが大好きです!」とハリーと仲間たちの面前でついにカミングアウトしたが、「すまん………ワイはおまえの気持ちに応えられへん。(中略)そやあらへん。ワイも気持ちを伝えたいと思っておるヤツがおる。それをうやむやにしたまま、おまえの気持ちには応えられへん。ごめんな……」とプリキュア史上初となる明確な失恋劇が描かれている。
恋愛結末がいつも曖昧で有耶無耶にされる当シリーズには非常に珍しいほど、白黒ハッキリとした決着に後味がスッキリし、その後明るい未来と輝ける姿が描写されているハッピーエンドで当作品が締めくくられていた。

成長したプリキュアの描写

プリキュアシリーズでは主人公を含めた多くのキャラクターは将来の夢などを持っているものの、「キャラクター達の未来像」を明確に描くことがかつては避けられていた。
最終回後にエピローグを描く事はあっても数ヶ月後までであり、「舞台となる学園を卒業した後」を絵で見せることはなかった。

小説スマイルプリキュア!を執筆した小林雄次によると、「プリキュア達の10年後を描いていいか」と東映側に確認をとったところ、映画「プリキュアオールスターズ」との兼ね合いがあるのでキャラクター達が成長した姿を書いてはならないと忠告された事をトークショーで話しており、これがタブーとされていたことが明らかになっている。詳細についてはこちらを参照。

プリキュア全員が揃うという意味でのオールスターズ映画が一旦休止状態に入った2015年以降、このあたりの制限は緩くなったようで、2015年放映作『Go!プリンセスプリキュア』の最終回では主人公が大人になった姿がエピローグで描かれ、古くからの視聴者を驚かせた。
それ以降もいくつもの作品でプリキュアたちの数年後の姿が描かれるようになっている。(どの作品で描かれているのかについてはヤングプリキュアの項目を参照)

成長した姿を避けてきた理由は上述のプリキュアオールスターズ関連も原因だが、変身要素がそもそもある女児向けのアニメでは、キャラクターの成長による変化を描くのはメインターゲットである女児からは好き嫌いが分かれやすい。
プリキュアへの「変身」でキャラクターの変化があるのだから、プリキュアになる前の素の姿が成長により変化してしまうのは「変身」の憧れを現実的なものに落としてしまうからだ。この点はプリキュアシリーズに限らず魔法少女アニメなどで昔から指摘されていた傾向である。
そのため、大人になった主人公達が大人姿のプリキュアに変身する描き方は現在でも避けられている。
(『魔法つかいプリキュア』で主人公達が大人になった未来を描いた時は、彼女達が中学生の姿に戻ってしまうというトラブルを描いた上でプリキュアに変身させ、『HUGっと』で大人になった過去作のキャラクターが客演した際も同様の手段で若返るようにされている)

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プリキュアシリーズ 大人の事情 縛りプレイ 仕様 コンプライアンス

外部リンク

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