概要
一定の技法や形式、内容が惰性的にくりかえされ、型にはまって刺激や独創性、新鮮味などが無くなること。
また、それに対して楽しんでいた者が飽きを感じ、評価を下げていく事も指す。
長寿作品や長期番組にとっては避けて通れない現象であり、主な原因としてネタ切れ等が挙げられ、マンネリ打破のためにテコ入れをして良い結果になるか悪い結果になるかは、制作側の手腕に問われる。
一定のレベルが維持されるならまだしも、緩やかにクオリティが下がり続ける場合は殊更に飽きられ易い。そうした評判低下で資金等のリソースが減り、路線の開拓どころか劣化を止められない負のスパイラルに陥るケースもしばしば。
また広義では粗製濫造の横行も含まれる事があり、現代人の成し得る発想力が枯渇していると揶揄する意見もある。
この様に何かと否定的にとらえられがちなマンネリだが、突き詰めてゆき「様式美」として称賛されるようになったレジェンドも極一部なれど実在する。
パターンが確立化されれば、それはいつしかスタンダードに昇華でき、流行に左右されない確固たる標準と化す。
こうなると求めるものは、どういう話を展開するかよりも、どうキャラが活躍するかに重点が移っていく。
歴史
語源は「マンネリズム(mannerism)」の略称であり、「万練り」や「使い過ぎた女性器」からきたのではない。
16世紀頃のルネッサンス期に西洋の美術文化は成熟を迎えたが、結果後世の芸術家は「その時代の巨匠達が生み出したベルラ・マニエラ(美の様式)を組み合わせれば良い。それで優れた美術作品を生み出せる筈だ」という「様式主義」を提唱した。
しかし当然ながら、「過去の傑作の良い部分だけを繋ぎ合わせる」「過去の巨匠達のいいとこどりをする」ような作品は「どこかで見たようなものにしかならない」「別々の人間が作ったのに同じようなものが大量に作られているだけ」「誰をモデルにしても似たような肖像画になる(それも往々にして作り物めいた生気のない顔)」になる危険性が高かった。
実際この影響を受けた美術作品は後世そう評価される事も多く、いつしか「マンネリズム」という言葉は「変わり映えのしない使い回し」という意味も定着してしまったのだ。早い話が現代で言うマスピ顔やなろう系のような事を人間の手でやってしまった訳である。
なお、元々の「様式主義」の意味のマンネリズムはイタリアを中心に起きた芸術運動だった為、日本ではイタリア語読みで「マニエリスム」と呼ばれる事も有る。
なお、こちらの意味での「マンネリズム」は、現代の日本で使われる「マンネリ」に比べて、ジャンル全体のマンネリ化という意味合いが強い。
ところが、現代の日本には、こちらの意味のマンネリズムと同じ発想(ルネッサンス期の巨匠の絵を目指す)から出発しながら他人には真似出来ない独特の画風を確立した漫画家が居る。
その漫画家とは、誰あろう荒木飛呂彦である。
結局のところ
創作の行き着く果ては王道を極めるか、邪道を極めて王道にするかである。
創作者はマンネリと戦うために日々新たな道を探るのみである。