スクールウォーズ
すくーるうぉーず
賢治「ここはもう学校じゃない!世紀末だ!戦場だーーーーー!!」
『スクール☆ウォーズ』(School Wars)は、1984年10月6日から1985年4月6日まで、大映テレビ制作・TBS系で毎週土曜日21:00-21:54に放送された特別編も含む全27話の学園ドラマである。正式名称は『スクール☆ウォーズ 〜泣き虫先生の7年戦争〜』
京都市立伏見工業高等学校ラグビー部とその監督で、元ラグビージャパン代表フランカーの山口良治をモデルとして、作家・馬場信浩が執筆したノンフィクション『落ちこぼれ軍団の奇跡』を基に制作されたドラマである。
高校ラグビー界で全く無名な弱小チームが、とある一人の教師が赴任してから全国優勝をたった数年で果たすまでの軌跡を描いた。その伝説的なキャラクターはどういう人物なのか?
などを描いている。
勿論、大仰な台詞、菊池俊輔BGM、お馴染みのキャスティング、洋楽カバーソングの主題歌の大映テレビ4点セットは本作も健在である。
初回放送年であった1984年は、少年の非行や校内暴力がジャパンで社会問題になっていた時期であり、オープニング映像で校舎内の廊下をバイクで走ったり、窓ガラスを破るなどの場面に表現されている。
高視聴率番組の『8時だョ!全員集合』の後座という時間帯で放送され、初回の視聴率は6.9%であったが、その後は視聴率を徐々に上げ、後半では20%を超える事もあり、最終回の2日後(月曜日)に再放送(関東地区)が開始する程の大人気ドラマとなった。その再放送でも、視聴率は20%台を記録した。
スクール☆ウォーズの影響もあって、1985年度の全国の高校ラグビー部の入部希望者数も増加、同年の新規登録チーム数も前年比1.5倍の増加率となった。また、それから8年後の1993年においても、あるラグビー雑誌の調査で、高校の全国大会に出場した選手のうち36人が、スクール☆ウォーズをきっかけにラグビーを始めたという回答のデータが残っている。
大映テレビ取締役でプロデューサーでもある春日千春が、山下真司が演じた教師・滝沢賢治のモデルとなった山口良治の講演会を1983年の8月にたまたまテレビで観た。当時は校内暴力が社会現象化しており、校内暴力を根絶しようという意図でドラマの制作を思い立ち、1週間で企画を書いてドラマ化に至った(この時は、山口の講演会を録画したビデオテープを起こす作業など春日の妻も協力した)。この年(1984年)に50歳を迎えた春日は、本作を「50歳の記念に、自分のドラマ人生集大成としたい作品」と語っている。
仮タイトルは、原作のタイトルから「落ちこぼれ軍団の奇跡」だったが、TBS側から「"落ちこぼれ"軍団というのは差別的表現ではないのか」と難色を示され、そこで春日が考案したものが、ヒット映画シリーズ「スター・ウォーズ」をもじって作った、この「スクール☆ウォーズ」である。
放送開始に先駆けて、本作のモデルとなった伏見工業高校を春日、荒川洋両プロデューサーが訪れ、同校関係者の前で第1話、2話の試写を行った。しかしオープニングで窓ガラスを割り続けたり廊下や校庭をバイクで走り回ったりなど、校内暴力などのシーンに同校校長らは絶句、原作から学校名や設定なども変えてよりフィクション化したにもかかわらず「これでは伏見工は不良の溜まり場だと誤解されかねない」として、同校での会議の結果、TBS側に放送を差し止めてもらうよう要求することを決め、後日同校校長、教頭がTBSを訪れたが、その日が放送開始4日前であったことからTBS側も「さすがにそういうわけにはいかない」として学校側の要求は通らず、予定通り放送が開始。これに同校ラグビー部OBが「あの熱血ぶりは(山口良治に)そっくりだ」などと好感的に反応し、5、6話進んだ頃には伏見工業の中でも本作に対する異論は無くなっていった。第3話より、「一人の教師の記録」から「熱血教師達の記録」へとナレーションが変わった。
「この物語は……。」のナレーションで始まる、1980年代の大映ドラマを代表する作品の一つ。伏見工業の所在地は京都府京都市であるが、スクール☆ウォーズは神奈川県の「川浜市」(神奈川県の川崎市と横浜市から1文字ずつ取っている)という架空な地域になっている。制作会社であった大映テレビは当時、東京都府中市・中河原にスタジオを構えていたので、ロケは川崎市に加えて東京都府中市と多摩市が必然的に多かった。
TBS側からの「他局で期首特番となる裏番組をつぶしたい」という要請で1話延長された。ジャパンテレビ番組製作社連盟(ATP)が主催した第2回ATP賞テレビグランプリ(1985年5月30日)にて、ATP賞ベスト20番組にランクインされた。
2001年以後には、テレビドラマ版DVDがキングレコードより発売されている。2016年9月7日にBlu-ray版が発売された。
※川浜高校と川浜市を筆頭に、地名・施設名・団体名・キャラクター名はすべてフィクションであり、ストーリーも大映風に多少脚色された部分もあるが、歴史や出来事自体は一部を除き(山崎加代の事故死と下田大三郎の刺殺はドラマオリジナル展開)すべてノンフィクションである。
「負け犬根性をなくせ!無名な弱小チームを高校ラグビー日本一に導いた青年監督の、信頼と愛に貫かれた教育の姿!」 (初回番組広告より。「毎日新聞」1984年10月6日付夕刊7頁に掲載)
東都体育大学出身元ラグビージャパン代表の名フランカーだった滝沢賢治は、現役引退すると川浜市教育委員会に勤務し、ラグビー指導などをしていた。それに目をつけた市立川浜高校の山城晋平校長から川浜高校体育教師の職にと懇願されたが、その悪いことなら県下ナンバーワンなワースト高校が川浜高校であったため、妻・滝沢節子は猛反対した。しかし、一方では賢治の夢は教師になることで、悩み抜いた末、川浜高校に赴任した。
賢治が赴任してからは、ラグビー部の上級生たちによる反抗や、不良たちの嫌がらせに耐えつつも、心ある一部な部員や教師、周りな人々たちに支えられ、自らの手腕を以ってラグビー部や校内の環境は徐々に改善されていった。後にラグビー部の監督に就任してからは弱体チームとして県大会に挑み、後々に宿敵となる相模一高に109-0で大惨敗し、打倒・相模一高を目標にして猛練習に励んだ末、部員の不治な病による死に直面しながらも、練習試合で因縁な相模一高に勝利。後に新任の岩佐校長により部活動が勉強の妨げになるというポリシーの下、ラグビー部存続の条件としてテストにおいて好成績を収めるべく試練を課せられたが、これも部員らのチームワークによって克服し、ラグビー部の休止を免れた。そして数々な苦難を越えながら、県大会での優勝を筆頭に、国体においての城南工大高(東京)との同点優勝、全国大会(花園)への進出、決勝へと快進撃する。オープニングの主題歌「ヒーロー/HOLDING OUT FOR A HERO」の前奏では、モデルとなった「伏見工業高校vs大阪工業大学高校の決勝戦」(第60回大会決勝 1981年1月7日)のキックオフ前後の映像が流れる。
「この物語は、とある学園の荒廃に闘いを挑んだひとりの教師の記録である。高校ラグビー界において全く無名な弱体チームが、この教師を迎えた日から、わずか7年にして全国優勝を成し遂げた奇跡を通じて、その原動力となった愛と信頼を、余す所なくドラマ化した物である。」
(オープニングナレーション。第1,2話)
「この物語は、とある学園の荒廃に闘いを挑んだ熱血教師たちの記録である。高校ラグビー界において全く無名な弱体チームが、荒廃の中から健全な精神を培い、わずか数年で全国優勝を成し遂げた奇跡を通じて、その原動力となった信頼と愛を、余す所なくドラマ化した物である。」
(オープニングナレーション。第3話以後) ナレーター:芥川隆行氏
太字:ストーリーの根幹に非常に大きくかかわっているキャラクター
★:川浜高校ラグビー部全国大会初優勝当時の選手及びスタッフ(監督・コーチ・マネージャー)
☆:川浜高校ラグビー部歴代キャプテン
🏉:社会人ラグビー川浜浜っ子クラブのメンバー及びスタッフ
😢:劇中で殉職
1984年10月6日~1985年4月6日、全26話
各話 | 放送日 | サブタイトル | 概要・内容 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 1984/10/6 | それは涙で始まった | 滝沢賢治、神奈川県下ワーストな川浜高等学校赴任! | 伝説の始まり! |
2 | 1984/10/13 | 泥まみれなニュースーツ | 内田勝、森田光男にレイトタックル! | 極悪非道なレイトタックル! |
3 | 1984/10/20 | 謎な美少女 | 富田圭子、賢治の眼前に現る! | ラグビー部3年生による陰湿なパワハラ! |
4 | 1984/10/27 | 開かれた戦端 | 水原亮、川浜高校にカムバックする! | 賢治、水原たちの暴力に耐えまくる! |
5 | 1984/11/3 | 最後な闘魂 | 水原とラグビー部3年生、下級生に血判状を捺印させる! | 節子、実家に帰る! |
6 | 1984/11/10 | 涙の卒業式 | 内田兄、尾本、水原が無事卒業!水原が賢治に超高級ワインをプレゼント!その影で光男がダブリ(留年)を喰らい、尾本に殺人未遂する! | 恐怖なリベンジ的お礼参りが全くなし! |
7 | 1984/11/17 | 嵐の新学期 | 大木大助と奥寺浩(イソップ)、川浜高校入学! | 大助、入学式早々いきなりタイマン! |
8 | 1984/11/24 | 愛すればこそ | 川浜高校、相模一高に歴史的大惨敗!賢治、部員たちに鉄拳制裁を加える!大助、ラグビー部に入部する! | 109対0! |
9 | 1984/12/1 | 愛とはなんだ | 賢治、ラグビーの基本精神をおざなりにする! | 賢治、自己懺悔! |
10 | 1984/12/8 | 燃える太陽 | イソップ、川浜高校の新ユニフォームを考案する! | ライジングサン(昇る太陽)! |
11 | 1984/12/15 | 死と友情と | イソップ、自殺未遂を起こす! | 川浜相模両校、イソップ合同捜索! |
12 | 1984/12/22 | 愛は死線を越えて | イソップ、賢治たちに生きる意味を問う! | 賢治、ラグビーを通じた人生観を諭す! |
13 | 1984年12月29 | 力の限り生きた! | イソップ、脳腫瘍でついに死す! | 川浜関係者、1人目の殉職者! |
特別編 | 1985/1/5 | スペシャル総集編(これが青春だ) | 喫煙、バイク暴走、ガラス割り、麻雀、カツアゲ、暴力、リンチなんでもあり! | 松田優作の暴力教室さながら! |
14 | 1985/1/12 | 一年目の奇跡 | 川浜高校、強化試合で相模一高に14対13で逆転勝利! | 大助、イソップの死に大号泣する! |
15 | 1985/1/19 | 不良教師 | 山城晋平、校長を定年で引退!岩佐邦靖、新校長に就任! | 学力学歴超至上偏重主義! |
16 | 1985/1/26 | 学校とはなんだ | 川浜ラグビー部、5教科平均72点で存続可能! | 賢治、大助カムバックのために両足を負傷! |
17 | 1985/2/2 | 最後なグラウンド | 川浜高校、公式戦で相模一高に過信とスタンドプレイから39対15で敗北! | 光男、高校ラグビー現役引退! |
18 | 1985/2/9 | 去りゆくキミへ | 山崎加代、川浜高校を卒業する! | 賢治、就任3度目の卒業式! |
19 | 1985/2/16 | 友よ安らかに眠れ | 加代、交通事故で死亡する! | 大助と名村直、加代の墓前で懺悔する!川浜関係者、2人目の殉職者! |
20 | 1985/2/23 | 我ら花園に立つ | 川浜高校、公式戦で相模一高に24対23で勝利!花園へ初出場! | 大助、仇敵・名村謙三を一発殴ってノーサイド! |
21 | 1985/3/2 | 勇気なき者は去れ | 川浜高校、城南工業大学付属高校に36対4で3回戦敗退! | 内田治男、タックル恐怖症のイップス! |
22 | 1985/3/9 | 勝ってから泣け | 川浜高校、城南工業大学付属高校と国体で10対10の両校優勝! | 歓喜な城南に対する屈辱的な川浜! |
23 | 1985/3/16 | 下町なヒーロー | 下田大三郎、三下ヤクザに刺されて他界! | 川浜関係者、3人目の殉職者! |
24 | 1985/3/23 | 花園へ飛べ千羽鶴 | 川浜ラグビー部、八木のスパイク盗難騒動で空中分解寸前! | 平山派3年生と八木派1・2年生で対立激化! |
25 | 1985/3/30 | 微笑む女神 | 藤山・大北両元監督、賢治に「信は力なり」を諭す! | One for all,all for one! |
26 | 1985/4/6 | 花園よ永遠なれ | 川浜高校、城南工業大学付属高校を7対3で下し悲願な全国大会初優勝! | 最終決戦&最終回!川浜関係者、人目を憚らず全員大号泣! |
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