「飛びます、飛びます」
通称「二郎さん」(後に相方となる萩本からは「二郎ちゃん」)。
概要
鹿児島市内の百貨店・丸屋呉服店に勤務する。
1953年、『のど自慢素人演芸会』(NHK)で鹿児島県代表に選ばれ優勝したのを機に、歌手を目指し上京する。
さまざまな職業を経て青木光一の付き人や島倉千代子の専属司会者を経て、獅子てんや・瀬戸わんや門下となり、漫才コンビ「内藤ロック・安藤ロール」を結成。
解散後、「安藤ロール」の名のままストリップ劇場・「浅草フランス座」のコメディアンとなり、阿部昇二に師事。幕間コントで萩本欽一と共演した。萩本と出会ったのは1962年の秋のことだった
キャバレーの営業等で食いつないでいた1966年、萩本と再会し、お笑いコンビ「コント55号」を結成する。「飛びます、飛びます」や「コタローね」といったギャグで人気を集める。
コント55号として活動中の1972年頃より役者としても活動し、1976年にコンビとしての活動中断以降は本格的に出演した
1974年に『学校の先生』が約30万枚を売り上げてヒットした。
その後は『風まかせ 新・諸国漫遊記』テーマソングとなる『風まかせ』や、ユニコーンとのコラボレーションである『デーゲーム』などを歌う。
2011年3月10日午前9時40分、脳梗塞のため栃木県那須塩原市の病院で死去。76歳没。
葬儀には萩本も参列し、「どうして俺を置いて死んだんだ」との意味を込め、「二郎ちゃんの馬鹿」と相方の死を惜しんでいた。