解説
女性(ストリッパー)が踊りながら衣服を脱いでいくショー。ストリップティーズとも。
男性版もあるが、ショーの形態や傾向、客層はやや異なる。
ともすればキンキンキラキラのミラーボールやポールダンス、ピンクの照明といった「場末」のイメージが強いが、近年では必ずしもそうではない。
また海外ではこの限りではなく、正装でないと入れないような格調高い店もある。
個人宅への出張サービスもあり、パーティーの盛り上げ役を担うケースもある。
歴史
世界各国の神話においても「女神の裸」をモチーフとした物語が種々雑多存在している。日本におけるアメノウズメの「天の岩戸伝説」、メソポタミア神話のイシュタル(シュメール神話のイナンナ)の冥府下りなど。
聖書においては、新約聖書においてヘロディアの娘(サロメ)がヘロデ王の為に踊ったダンスが「七つのヴェールの踊り」として後世に伝わり、オスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」を始めとした芸術作品で描写されている。
ストリップが認知されるのは1890年代以降のフランスで、パリの『ムーラン・ルージュ』などのショウで、必要最低限の布をまとった女性のダンスが人気を博したのがきっかけとされる。1905年にはマタ・ハリが華麗なるデビューを遂げて絶賛され、1930年代には「黒いヴィーナス」ことジョセフィン・ベーカーのセミヌードでのダンスが好評を博した。
アメリカでも同年代に「バーレスク」と呼ばれる興行形態が盛んとなり、1960年代にはトップレスでのゴーゴーダンスが主流となる。バーレスクの「時代遅れの演目」についてはその後ニュー・バーレスクという形で復刻されており、芸術的評価が高い。
日本でストリップが盛んになったのは戦後で、1947年には「ヴィーナスの誕生」をモチーフにしたヌードショーが開催されている。当時はGHQが検閲に目を光らせており、規制回避の為にモデルは動く事を禁じられた「額縁ショー」だったが、大変な人気を博したと伝えられている。
その後規制は緩和され、ショーは過激化の一途を辿りつつ全国各地の歓楽街での興行が相次ぐ。しかしこれを追いかけるように法改正が繰り返され、1970年代には過激なパフォーマンスを対象に、公然わいせつ罪による逮捕者が相次いだ。かつては客を舞台に上げて性交する「まな板ショー」を始めとする過激な演目もあったが、現在ではまず見られない。
現在ではごく限られた劇場のみが細々と生き残っているが、根強いファンや、近年では女性客も見られるようになっている。
詳しくは→ストリッパーへ。
その他
写真や動画の撮影、踊り子の肌や衣装に触れるのは禁止。
ただし、店によっては追加料金を払うと体を擦り付けながら踊る「プライベート・ダンス(ラップ・ダンス)」を楽しめることもある。
ショーの後でポラロイドでの撮影やチップを送る時間を取る事もあり、これらは入場料とは別に、踊り子や劇場の貴重な収入になっている。
ストリップ劇場では前座としてコントや漫談の披露を行い、古くは売れていない芸人の受け皿兼修行場でもあった。
浅草フランス座等は渥美清、ビートたけしなどを輩出しており、海外でもスタンダップコメディが合間に挟まれる事が多い。
関連動画
『うぐいすだにミュージックホール』というストリップショーを歌った笑福亭鶴光の曲
関連タグ
ストリップショー(表記ゆれ、かなり少ない)