概要
誰かのために自らを犠牲にする事。
英雄的な行いとして述べられる事が多い。
殉職や殉教等とも関連付けられたりもする。
災害や戦争や事件等が発生する際に発生しやすい。
国内の実話関連では、打坂峠 (地獄坂) 事件の鬼塚道男や塩狩峠事件の長野政雄等の話が有名だろうか。
究極の『利他心』として創作でも様々な作品に登場する。
主にヒーローが行う行為として描かれる様に思われがちだが、注意深く見ると悪役も結構行っている行為である。
ペッカリーやイセエビ等には、自らを囮にして仲間を逃がす習性がある。
ウルトラシリーズでは自己犠牲が物語のスタートとして採用される場合が往々にしてあり、主人公が自分の命を省みずに同胞を助けた→一体化(あるいはその姿を借りる)という流れが一種のテンプレとなっている(経験者はウルトラセブン、ウルトラマンジャック、ウルトラマンエース、ウルトラマンジョーニアス、ウルトラマンネオス、ウルトラマンマックス、ウルトラマンゼロ(三回このパターンを経験)、ウルトラマンタイガ、シン版ウルトラマン)。
自己犠牲の動機
以下創作作品に見られる自己犠牲の動機について述べる。
- 大切な人を救いたい(愛する者や主人の為に自己犠牲を行うパターン)
- できるだけ多くの人を救いたい
- 自分の犯した罪への贖罪(サバイバーズ・ギルトや他者を救えなかった罪悪感も含む)
- 平和を守るという使命感
- 反射的に
- 自分の信じるものや大義の為に
- 死を通して登場人物を成長させる(わざと悪役を演じるのもこのパターンである事が多い)
- 自分の中の虚無を埋める為、存在意義を探す為(他者に理由を求めるしかないパターン)
- 自分の願いや欲望の為に(世界を敵に回すパターンも往往にして見られる)
- 自分の命に価値を見出せなくなっている
- 底なしの善意ゆえに
問題点
自己犠牲はヒロイックな美学として語られる事が多い反面、「お人好しは馬鹿を見る」の究極系ともいえる行為である。
そうした行為に酔っている、又は後先の事を考えない無責任かつエゴイスティックな行為として非難される事もしばしば。
贖罪などを理由に自分の身を滅ぼすリスクを最初から承知の上で行っていたり、他に方法がなく自己犠牲するしかなかったパターンはまだいいが、そもそも元から自分に害が及ぶ事を何とも思わない、お人好しが過ぎる人物もいる。
また、自分を大事に出来ないという事は時に他人も同じ様に大事に出来ない事にも繋がり、人当たりが良過ぎて深い人間関係が作れなかったり、良かれと思ってやった事が裏目に出て、結局善意の押し付けになってしまうという事もよくある。結婚前は優しかったのに結婚した途端蔑ろにし出すなど、他人ではない故に大切な人を自己犠牲に巻き込んでしまうという事もある。
これらの理由から、残された人々を悲しませ、新たな悲劇を呼び起こす事もあれば、体良く利用しようとする不届き者によって搾取されてしまう事もある。
実際、心理学でも自己犠牲をする人間は周囲から軽く見られやすい事がわかっている。
つまり、自己犠牲は「自分を道具の様に雑に扱っていい」と周囲に宣言しているような行動なのである。
「他人は自分を映す鏡」という言葉通り、自分すら大事にできない人間が、他人から大事にされる筈がないのだ。
よって、自己犠牲する者をある種の異常者として描き、いかに向き合うかが主題になっている作品も多い(『Fate/staynight』や『仮面ライダーオーズ』等)。
自己犠牲が必ずしも正しい事とは限らないのだ。
Pixiv上では
自らの顔を他人に与える事で知られる某餡パン男のイラストも多い。(ネタ率も高いが)
The Hanged Manのモチーフも、自己犠牲といえば自己犠牲