概要
主に男女間の「男女差別」を意味し、その中でも特に女性差別を指すが、性的少数者(LGBT)に対する差別もこれに含まれる。
性差別を撤廃することを「男女平等」というが、性的少数者と関連づけてジェンダー平等と言い換えられることが増えている。
解説
人類社会においては、年長男性が女性や子供に対して絶対的な権力をふるう「家父長制」の文化がほぼ普遍的に根付いており、生殺与奪も思いのままであった。家系が母方の系統で継承される母系制の社会もあるが、これは女性が優越して権利を有する「母権制」を必ずしも意味しない。
人類社会に根付いた男性中心主義はあまりに根深いものがあり、それは、多くのフェミニストたちが女性の自由と権利のために声を上げた結果、女性の社会進出が進み、性別役割分担が撤廃されつつある現代日本においても過去のものにはなっていない。選択的夫婦別姓について、反対派から「国のあり方が変わる」という意見があるが、「家父長制的な社会を変えたくない」という彼らの本音を図らずも表現しているといえよう。
女性差別と同性愛者差別は全く別個のものではなく、その本質はミソジニー(女性蔑視)とホモフォビア(同性愛嫌悪)に基づいた男同士の絆(ホモソーシャル)であることが明らかにされつつある。男性自身も家父長制に苦しんでいる。男性の中には「男性差別」を声高に叫ぶ主張もあり、その多くには既得権益への執着や、性差別是正の動きへの反動(バックラッシュ)や、単なる女嫌い(ミソジニー)が少なからず潜んでいるが、中には妥当な主張もなくはない。家父長制やホモソーシャルに否定的か否かが妥当性の基準になるだろう。多くの女性たち、フェミニストですら無意識に家父長制を受け入れていたり、ミソジニーやホモフォビアを抱いていることもあるのだから。
LGBTに関しても、ゲイとMtFトランスジェンダーばかりが幅を利かせ、レズビアンは疎外されがちである。LGBT向けを称するコンテンツが実質ゲイ向けである、というケースもよくあり、例えば「LGBT向けゲーム」を称する『東京放課後サモナーズ』の実態はほぼ「ゲイ向けゲーム」である。このため、レズビアンには、"身体男性"の占有物となった「LGBT」という語を嫌い、トランスジェンダーなどと一緒に扱われること自体を忌避する者もいる。
AIと性差別
AIは「人間と違って公平な判断ができるのでは」と思われがちだが、インターネットのデータを学習データとして用いているため、むしろ露骨な性差別を行うことがわかっている。Amazon.comは、AIが履歴書のランク付けを行うシステムを使用していたが、女性を意味する単語が含まれるだけで評価を下げる偏見があったことが問題視され、同社はこの評価システムの使用を打ち切った。
かてて加えて、熱心なAI支持者は"AIbros"と称されるように男性が大多数で、しばしば生成AIを女性(女性一般と女性クリエイターの両方)への搾取と性差別のツールとして使っているという実態がある。
AIイラストをめぐる問題は、まさにその図式を体現するものであり、データセットには大量の女性クリエイターの作品が含まれているにもかかわらず、生成された図像の多くは女性嫌悪と性差別的な表現に満ちている。生成AIを使って性的な動画を作る「ディープフェイクポルノ」も出回っている。生成AIが一般化する前から、美少女アバターを使ったり女性になりすまして女性嫌悪的な発言を垂れ流す男性ネットユーザーは少なからずいたが、女性声優らの声を生成AIで再現するボイスチェンジャーが出てくると、声優そっくりの声で不謹慎発言や卑猥な発言をするなどのやりたい放題が罷り通るようになった。
ピクシブ百科事典におけるAIイラストおよびStableDiffusionなどの関連記事のメイン画像が「野獣先輩」である(いわゆる「淫夢厨」は、ゲイポルノをノンケ男性が消費の対象とすることで馴れ合いを表現する典型的にホモソーシャルなネット文化である)ことや、反AIの記事が、生成AIの被害を訴える女性クリエイターらの声をフェミニストと重ね合わせて冷笑する表現に満ちていることなども、それを端的に物語っているといえよう。