プリキュアの敵一覧
プリキュアの敵一覧を参照。
敵キャラクターの立ち位置の変化
プリキュアシリーズにおいて欠かせない存在である敵キャラクターだが、担当するプロデューサーによって敵の扱いも変わるのが特徴である。特に、初代プロデューサーである鷲尾天と、2代目プロデューサーである梅澤淳稔が考える敵象は正反対である。
勧善懲悪の時代(2004年~2008年)
初代プロデューサーの鷲尾天が担当した2004年の『ふたりはプリキュア』から2008年の『Yes!プリキュア5GoGo!』までの初期5作に登場した敵は、最後は“邪悪な存在”として倒される者が多い。
例
この頃の敵は「闇」「滅亡」「恐怖」「無情」という非人間的かつ概念的なものとして登場する存在であり、邪悪さ、怖さ、不気味さを兼ね揃えていた。そして、それらは平和や生命を害する脅威として存在し、思想戦の趣きが強いのが特徴。
キャラクターデザインにおいても筋肉質系、中年・老人系、人外系といった見るからにワルそうな外見の敵が多く、最期は化け物じみた最終形態へと変化する者が多い。
アジト内における描写では、 上司への報告や失敗した部下への叱責が大半を占める他、基本的には仲間意識が皆無なため同僚同士の会話が少ないのも特徴である。
物語においては、数回もの失態を犯した者は上層部からのプレッシャーを受けるようになり、「これ以上目的を果たせない場合は消される」ところまで追い詰められたあげく、最終的にはプリキュアに敗れて消滅し、その後は後任の新しい敵が登場するといった流れが定番である。
この頃のプリキュアは使命よりも「大切な人や自分たちの日常を守る」ことを最優先に考えて行動し、一方の敵側もプリキュアを「目的上の理由で倒すべき敵」としか考えていない者が多いため、プリキュアが敵に同情することなく倒すという展開が必然的に多くなる。
これらについて鷲尾天は、プリキュアの敵とは「 理不尽を押しつける悪い大人 」「 個人の意思を否定する大人社会そのもの 」と位置付けている。
敵の容姿についても、「 子供のために怖くない敵にしたらいいのかというと、そうではない。泣いて親の影に隠れながらも、頑張ってプリキュアを応援してくれている 」と述べ、子供にとって怖い敵はむしろアトラクションとして機能するという利点を挙げている。
また、「 アクションものである以上、敵は気持ちよく倒されてほしい 」というこだわりの下、バトル作品としてのカタルシスも重視している(『プリキュアシンドローム!』のインタビューにて)。
このように、この時代に登場した4勢力は殆どの者が改心することなく倒される展開となっている。映画版でもこの考え方は基本的に継承されており、この時の映画版のラスボスである魔女、フリーズンとフローズン、サーロイン、シャドウは絶対悪として描写されているが、唯一ムシバーンのみ消滅間際に改心している。
救済の時代(2009年~2012年)
2代目プロデューサーの梅澤淳稔が担当した2009年の『フレッシュプリキュア!』から2012年の『スマイルプリキュア!』までの4作に登場した敵は、最後は改心して救済される者が多い。
例
『フレッシュプリキュア!』で初めてプロデューサーが交代し、これまでのプリキュアの伝統を守りつつ,一新するということが求められた。
この頃の敵は「不幸」「怒り」「悲しみ」「怠惰」という感情を象徴する存在であり、敵の性格もどこか憎めないところも特徴になっている。葛藤に苦しむ一般人が怪人化するなど「心」を中心に物語を展開する。
キャラクターデザインにおいても少女や青年、成人といった人間に近い外見の敵が多く、怪人形態であっても憎めないようにデザインされている。
アジト内における描写では、幹部の日常生活が大半を占める他、 基本的に仲間意識が多少あるために同僚同士の会話が多いのも特徴である。
物語においては、敵側の幹部が基本的に3人(いわゆる三幹部)だけで構成されていることが多く、彼らはプリキュアとライバル関係でもあるために物語終盤まで登場し続けることが定番である。また、敵が物語途中で殉職するという展開は皆無であり、それ故に新しい敵が登場することも極めて少ない。
この頃のプリキュアは「不幸を背負った敵を説得して和解させる」という意思が強く、一方の敵側も実は黒幕によって操られていることが多いため、最終的に敵は改心して人間と共存したり、消滅させられる場合でも心穏やかに浄化されていくという展開が必然的に多くなる。
これらについて梅澤淳稔は、プリキュアの敵とは「 叱ってくる親や意地悪な子供 」「 子供の身の回りにいる存在 」と位置付けている他、「 私が担当するプリキュアでは“絶対悪”は存在しません 」とまで宣言している。
また、「 敵にもそれぞれの思う幸せがある 」という考え方や「 プリキュアが敵を倒す描写はグロテスクに見える 」という理由でプリキュアが敵を安易に倒していく展開に疑問を抱いており、敵であっても謝罪をすれば解り合えると、プリキュアと敵の関係性を重視している(『アニメージュ』等のインタビューにて)。
このように、この時代の4勢力は殆どの者が改心する展開となっている。映画版でもこの考え方は基本的に継承されており、この時の映画版のラスボスであるトイマジン、サラマンダー男爵、魔王は改心する敵として描写されているが、唯一ハウリングのみ絶対悪として描写されている。
再構築の時代(2013年~2016年)
鷲尾Pの考える敵のあり方は男児アニメの敵組織と似ており、それまでの女児アニメにはなかったものである。初期のプリキュアシリーズでは珍しいものとして大ヒットしたものの、梅澤Pの考える敵のあり方の方が女児の保護者が受け入れやすいパターンであることは間違いない。
良い意味で女児アニメの異端であったプリキュアが長期にシリーズ化して、逆にいい意味で女児アニメのスタンダードの位置付けになれたのは、梅澤Pの存在も大きい。
しかし、一部の視聴者の間では、梅澤P時代の和解を前提とするあり方をずっと続けていくと、そもそも相手と戦うべきではないという答えになってしまうとして、プリキュアシリーズがバトルヒロインというジャンルで続けていこうとするならいつか無理がくるのではないのかと懸念の声が聞こえるようになってきた。
梅澤Pの退社後は、梅澤P時代の和解を前提とするあり方をずっと続けていくのは限界だろうという声がベテラン新人問わずスタッフ内でも聞こえてくるようになる。
- 「初期のプリキュアシリーズのような勧善懲悪ものが好き」(脚本家・成田良美)・・・『プリキュアシンドローム!』のインタビューにて
- 「絶対悪という存在があれば倒して終わりでスカッとできますが、相手の正義と自分の正義は違うんだと悩み始めると話が進まなくなってしまうし。でも実際の世の中はそんなに単純な話ではないし。このような話の作り方はもう限界かなと思っています」(演出家・長峯達也)・・・『ハピネスチャージプリキュア!オフィシャルコンプリートブック』インタビューにて
- 「プリキュアシリーズは、いつしかその内容に道徳的な側面まで期待されるようになった。それはとてもありがたいことでもあるが、それに委縮してこれまで無意識にすごく表現の幅を狭めていたことがあった」(脚本家・田中仁)・・・『Go!プリンセスプリキュアオフィシャルコンプリートブック』のインタビューにて
- 「敵と和解するのなら、子供が敵に愛着を持てる描写を増やす必要があるが、プリキュア側の日常を描く尺との兼ね合いが難しくなる」(同上)
- 「敵との和解にこだわるのは大人の視点で、子供達にとっての魅力になりにくい」(脚本家・村山功)・・・『アニメージュ』のインタビューにて
上述のように、10周年作の『ハピネスチャージプリキュア!』で長峯SDが限界宣言をしたのは非常に示唆的であり、翌年2015年の『Go!プリンセスプリキュア』では、シリーズ構成の田中仁などから敵の扱い方を根本的に見直していくことが明確に宣言された。
同作の敵勢力・ディスダークは敵が改心しないまま倒されたり、幹部の殉職を受けて新たな幹部が登場するなど、鷲尾P時代への原点回帰も意識された一方で、感情移入した敵を改心させるという展開やクローズのように最後まで改心せず退場するというパターンも取り入れられた。
これは『魔法つかいプリキュア!』でも継承されたほか、“プリキュアシリーズ初の試み”として、敵組織が前半は闇の魔法つかい、後半が終わりなき混沌で変わる二部構成になっている。
再構築の時代がきっかけとなり、それ以降の作品でも敵の扱い方に対しては比較的自由に作れるようになり、敵が倒されるのか改心するのかは毎年の作品によって様々になった。
そもそも、近年では2年半続けた柴田宏明の後でプロデューサーを2回に亘って務めた神木優、内藤圭祐や、後述の作品を担当する安見香、柳川あかり、村瀬亜季など、プリキュアを担当するプロデューサーが1年~2年で交代することが多くなったこともある。
近年の傾向
多様性の取り入れ
2017年の『キラキラ☆プリキュアアラモード』からは国際的な時代背景もあり、“多様性”が積極的に取り入れられ、このような場合は敵=悪、プリキュア側=善という構造を意図的に避けられているのも特徴である。
『プリアラ』の敵勢力・キラキラルをうばう存在では、人間が起こした戦争の少年兵出身の敵が登場したり、自分を「100%の悪人」と自覚した上で悪事を行う人間が現れる等、多様性を反映させた結果、シリーズ初の要素を持った敵幹部が多く登場した。
2018年の『HUGっと!プリキュア』の敵勢力・クライアス社では、ラスボスが未来でキュアエール(野乃はな)と恋人関係にあったが、その最愛の彼女を“心ない人間たち”の影響で亡くすだけでなく、現代の野乃はなに“明確ないじめをした人間”が描写されるなど、むしろ一般の人々が「悪」と見なされてもおかしくない展開になった。
また、2019年の『スター☆トゥインクルプリキュア』の敵勢力・ノットレイダーの場合、プリキュア側に力を与えし存在の1人が黒幕であったり、敵を倒そうとするプリキュアの仲間を“過激派”として描写するきっかけを作った。
これらの作品の傾向として、敵幹部は洗脳されているわけではなく、逆境に流され、自らの意思で悪事に加担している場合が多い。
また、プリキュアと和解を果たしても本来の性格の一部である「性悪な心」や「負の感情」を改めない者がいるのも特徴で、悪事は止めても「自分」までは変えない等、多様性に沿った内容となっている(前述のように、かつては改心した敵は別人といっても過言ではないほどに変化する者が多かった)。
和解への是非
多様性が語られることが多くなった一方、敵との和解を無理に絶対視することも避けられるようにもなり、敵対する邪悪な者を「許す」「許さない」と葛藤することが強調された作品も出始める。
2020年の『ヒーリングっど♥プリキュア』の敵勢力・ビョーゲンズは「病気」の化身で、平和や生命を害する脅威として登場し、徹底的に「邪悪な敵」として描写され、最終的には全員改心や和解の余地を与えられず倒され、消滅すると言う結末を迎えた。
幼少期の病の原因であり、散々自分に酷いことをしてきた敵幹部を助けるか否かで苦悩するキュアグレース(花寺のどか)に対して「助けなくていい」とパートナー妖精が助言したり、ラスボスの「生存競争」という指摘をむしろ肯定してそのままお返しする等、プリキュアシリーズでも特に敵に対して厳しく対処した作品となった。
この作風には、シリーズ構成を務めた香村純子の強いこだわりが反映されており、彼女は「女の子だから」という括りで「優しさ」を求められる風習に疑問を抱き、近年では和解展開が多くなったプリキュアシリーズに以下の指摘をしている(いずれも『アニメージュ』のインタビューより)。
- 「 近年の『プリキュア』では、敵と和解して彼らを救済する結末が続いてきていた。ただ、時にそれが、女の子たちを追い詰めてしまうこともあるかもしれない。“女の子だから優しくなきゃいけない”という強要にすり替わって、悪いヤツにつけ込まれて酷い目にあったりしないか 」
- 「 女の子は何でも受け止めて何でも許してくれる女神ではありません。観てくれている小さな女の子たちにも、今まさにダルイゼンみたいな存在がいるとも限りません 」
インタビューの通り、悪を徹底的に許さず、被害者側に重点を置いた『ヒープリ』は和解・救済路線へのアンチテーゼといえる作品でもある。
2022年の『デリシャスパーティ♡プリキュア』の敵勢力・ブンドル団の場合、改心したとしても被害を受けた国に逮捕されて服役に従事する他、プリキュアも和解こそすれど必ずしも全てを「許す」わけではないという、現実的な処遇を受けているのが特徴。
また、自分に酷いことをしてきた敵幹部を許せず苦悩するキュアフィナーレ(菓彩あまね)に対して「無理に許す必要はない。大事なのは感情に流されないこと」と仲間が助言したり、キュアプレシャス(和実ゆい)の和解を目指す行動を「自分が信じたいものを都合よく信じているだけ」とラスボスが揶揄する等、敵と和解することへの「難しさ」や「負の側面」も強調された作品となっている。
プリキュア側の描写重視
また、プリキュア側の描写を増やすという名目の下、敵側のシーンを大幅に減らすという措置が以下の三作品でされている。
これはメイン視聴者である女児の立場を考えた時に、「敵の出番を減らして、その分プリキュアの出番を増やしたほうが良いのでは?」という制作陣の考えに基づくものである。
2021年の『トロピカル〜ジュ!プリキュア』は企画当初、シリーズディレクターの土田豊から『カードキャプターさくら』を参考に“敵キャラクターを一切出さない”ことが提案されていた。しかし、それでは厳しいということになり没案となった(『アニメージュ』等のインタビューにて)。
2023年の『ひろがるスカイ!プリキュア』の敵勢力・アンダーグ帝国はメンバー同士のやり取りをする場面(所謂、悪役会議)が省略され、更には1クールに基本敵幹部が1人しか登場しない他、内情が終盤になってからようやく明かされる等、敵勢力の実態が長期間不明のまま物語が進むというシリーズ初の展開が採用された。
そして2024年の『わんだふるぷりきゅあ!』に至っては第29話まで敵組織そのものの描写がなく、敵幹部を描かない形でプリキュア側の見せ場を大幅に増やしていた。
これらの作品の特徴としてプリキュア側の見せ場が増える反面、敵幹部の結末等の描写は倒されるにしろ改心するにしろかなりあっさりとしたものが多い。
裏ボスの存在
『Go!プリンセスプリキュア』から物語のラスボスにあたる敵が「最後の敵」にはならず、いわゆる「裏ボス」が最後の敵として最終回に立ち塞がるという展開が出始める。
強大なラスボスを倒したあと、「裏ボス」との戦いでプリキュア達は新たなるプリキュアの存在とこれからもプリキュアの歴史が続いて行くことを見届け、それぞれの未来へと進んで行くのである。
例
- ディスダーク→ラスボスはディスピア、最後の敵はクローズ
- 闇の魔法つかい及び終わりなき混沌→ラスボスはデウスマスト、最後の敵はヤモーとドクロムシー
- キラキラルをうばう存在→ラスボスはエリシオ、最後の敵は長老の身体
- クライアス社→ラスボスはジョージ・クライ、最後の敵はオシマイダー
- ノットレイダー→ラスボスは蛇遣い座、最後の敵は陽一ノットレイ
- ビョーゲンズ→ラスボスはネオキングビョーゲン、最後の敵は野生のメガビョーゲン
- アンダーグ帝国→ラスボスはダークヘッド、最後の敵はダイジャーグ
ちなみに『トロピカル〜ジュ!プリキュア』及び『デリシャスパーティ♡プリキュア』の最終回は裏ボスそのものがおらず、バトル無しで幕を閉じた。
余談
劇中における役割
プリキュアシリーズの敵キャラクターは全体的に現場へほぼ毎回単独(作品によっては戦闘員を引き連れている)で赴き、召喚した怪物を現場にけしかけるだけで、怪物や他の同僚と共闘することは、余程特殊な事情でもない限り滅多にない。
敵同士で協力や共闘することがないのは、やはり利用し利用され騙し騙される関係性が日常茶飯事である悪者らしい演出ゆえであり、チームワークを最重視するプリキュアとの対比・コントラストゆえでもある。
チームワークが良い事はプリキュアにとって是とされる事がほとんどである。(もちろん、自分の問題は自分の力で解決する事も尊い事である。)しかし、チームワークが良い事がプリキュア最大な武器であるならそれ即ち、ささいな事等が原因でプリキュア同士が互いに疑心暗鬼になってチームワークが乱れれば大ピンチに繋がることになる、という事でもある。
どのシリーズでも、敵幹部には組織内部での出世、あるいは悪の首領の寵愛のために己の手柄を挙げることに固執しているキャラクターが多い。
仲間意識が強いキャラクターであっても、敵キャラクター同士の仲は決して良くないことが基本である。あとまわしの魔女たちの様な例外中の例外もいるが…。
仮に幹部同士がやむをえず共闘しても普段から犬猿な仲のため、プリキュアと比べるまでもなく、連携やコンビネイションの精度は基本的に良くない。
なお近年では、黒幕が甘言を言葉巧みに弄して様々な世界のアウトサイダーたちを部下に仕立て、彼らに悪事を働かせたりする等、卑劣且つ悪辣極まりない黒幕も往々にして存在する。
一方部下も部下で、黒幕や首領を汚い作戦や罠で唆したり出し抜いたりして、黒幕を自ら始末したり敵組織の内情を碌に知らないプリキュアを利用して浄化させたりする等、《利用し利用され騙し騙される関係性》はますますエスカレートし、敵組織の内情は弱肉強食然とした様相をこれまで以上に醸し出している。
憎めぬ悪役と必要悪的な存在
また、プリキュアシリーズの敵はどんなに悪いキャラクターであっても戦いを通じてプリキュアの成長を結果的に促す存在となるのが基本である。
敵の悪行や蛮行がプリキュアに自分たちが現在置かれている現状や欠陥を客観的に見つめ直させるきっかけになったり、それを契機に自分たちが成長する上で、仲間たちや周囲の人々との触れ合いや切磋琢磨がいかに大切なのかを改めて気づかせ、プリキュアの成長に一役も二役も買っていることにも繋がっていく。
勿論、敵キャラクター自身にそんなつもりは全くないのだが、結果的にはプリキュアだけでは全くどうにもならない袋小路を打破してくれる、皮肉ではあるものの大変貴重な存在にもなっているのが実態である。
プリキュアの敵キャラクターの公式グッズ化
『フレッシュプリキュア!』では可動フィギュアシリーズ「S.H.Figuarts」で敵幹部であったイースの固定フィギュア、『スマイルプリキュア!』では敵幹部ウルフルンの抱き枕、『Go!プリンセスプリキュア』ではトワイライトのTシャツ、『魔法つかいプリキュア!』では闇の魔法つかいからは敵幹部バッティのプリプリお手玉、終わりなき混沌からは敵幹部オルーバの抱き枕が販売されたことがある。
敵キャラクターのぬいぐるみの販売は、『ヒーリングっど♥プリキュア』の敵幹部ダルイゼンのおしゃべりぬいぐるみがプレミアムバンダイにより通販限定販売された。『デリシャスパーティ♡プリキュア』ではバンダイより敵幹部ジェントルーの「かいとうジェントルーぬいぐるみ」が全国一般発売され、プレミアムバンダイでは「かいとうセクレトルー&かいとうナルシストルーぬいぐるみセット」通販限定販売された。