※イラストは旧社マークが見当たらなかったので、ゴーちゃんに代理出演を願った。
概要
ANNネットワーク拡大運動とは、テレビ朝日が1987年から1996年にかけて展開したネット局増強運動である。「10年で10局作ろう」をスローガンに増強し、当初はフルネット局(単独系列局)が12局だったため、10局増加で全22局の予定だったが、最終的には新設11・編入1の合計12局が増え、全24局となった。
拡大運動の始まり
1987年当時のテレビ朝日は、ニュースステーションとミュージックステーションとドラえもんと暴れん坊将軍、そして夜10時のおっぱいタイムで視聴率を稼ぎまくっていた土曜ワイド劇場の看板番組を有するも、当時のテレビ朝日系加盟局全20局のうちフルネット局は全12局(北海道テレビ、東日本放送、福島放送、テレビ朝日、新潟テレビ21、静岡けんみんテレビ(現在の静岡朝日テレビ)、名古屋テレビ、朝日放送、瀬戸内海放送、広島ホームテレビ、九州朝日放送、鹿児島放送)しかなく、残り8局(青森放送、秋田テレビ、山形放送、テレビ信州、山口放送、テレビ熊本、テレビ大分、テレビ宮崎)は他局とのクロスネット局であった(特に北陸3県では全く系列局が存在していない有様であった)。その為、他系列局と比較して非常に脆弱であり、イベントや事件事故の報道の際には非常に不利だったほか、視聴率争いでも万年4位が常態化していた。そこで「10年で10局作ろう」を合言葉にネット局増強を決定。折りしも「全国4局化構想」と相乗り、1989年10月に開局した熊本朝日放送を皮切りに、飛躍的にネット局を増強していった。
ここでは加盟順に新設局と編入局を解説する。
主な加盟局
新設局
熊本朝日放送(1989.10.1開局)
記念すべき第1局でテレビ熊本のフジテレビ系とのクロスネットを解消し独立。周波数は1984年に割り当てられたが、一本化調整が難航したために開局が遅れた。熊本県の4局化を達成する。
長崎文化放送(1990.4.1開局)
日本テレビ系と進出を争い、当局が先に開局。なお、日本テレビ系は翌年に長崎国際テレビを開局し、長崎県の4局化を達成。
一方で、一時は佐賀県との2県1波での統合も検討されていたと言われている(この構想の場合、テレビ長崎は日本テレビ系フルネット化の必要があった)。
長野朝日放送(1991.4.1開局)
それまではテレビ信州がテレビ朝日系列に(日本テレビ系列とのクロスネットではあるが)加盟していた。そのためか、一部スタッフをテレビ信州から融通してもらった。周波数は1984年に割り当てられたが、一本化調整が難航したため開局が遅れた。長野県の4局化を達成。
長崎文化放送とは逆に日本テレビ系テレビ金沢に先を越される。石川県は北陸エリアで唯一の4局化を達成。
青森朝日放送(1991.10.1開局)
北陸朝日放送と同日開局で青森放送の日本テレビ系とのクロスネットを解消し独立。岩手と共にフジテレビと進出を争ったが、地元からのラブコールがあったにもかかわらず、当時の青森放送の編成が日本テレビ系列とテレビ朝日系列のクロスネットに加え、フジテレビ系列やテレビ東京系列もネットするという飽和状態にあったことや、青森放送とのクロスネット以前に青森テレビが短期間ながらNET(現・テレビ朝日)系とTBS系のクロスネットの実績があった事が決め手となり、フジテレビに勝つ。なお、愛称の「ABA=アバ」は、ニュースステーションで久米宏氏が「エービーエー」と読むつもりが間違えて呼んだ事で生まれた逸話もある。以後、92年の秋田、93年の山形と3年連続東北進出の発端となる。
秋田朝日放送(1992.10.1開局)
誰もがTBS系列局が来ると思っていただけに県民を驚かせる。結果、全国で唯一日本テレビ・フジテレビ・テレビ朝日の3局体制となった。実は秋田テレビが短期間ながらフジテレビ系とテレビ朝日系のクロスネット局であった事や三浦甲子二(元テレビ朝日専務)が秋田県出身だった事が決め手となり、TBSに競り勝つ。当時の秋田県の地元政財界も民放3局目の開局に消極的だったほか、TBSは秋田県の経済基盤の弱さを理由に秋田県での系列局の開局には消極的だった。
山口朝日放送(1993.10.1開局)
フジテレビが過去の経緯からテレビ山口との関係を重視していたためテレビ朝日系列として開局することになり、山口放送の日本テレビ系とのクロスネットを解消し独立。フジテレビが出来なかった全国ネット直結を果たす。ちなみに山口放送の1993年当時の社長は、その頃の日本テレビの社長と友好関係があり、そこからテレビ朝日と距離を置きつつあったという、後述の山形テレビの開局のいきさつと類似な関係にあった。
大分朝日放送(1993.10.1開局)
山口朝日放送と同日開局でテレビ大分のトリプルネットを解消し独立。過密編成を緩和し地元で(ある程度は)喜ばれた。
愛媛朝日テレビ(1995.4.1開局)
愛媛第3局をTBS系あいテレビに一度は敗れるも、第4局でリベンジを果たす。しかし、諸事情で開局が半年延期になる。なお、TBS系あいテレビはJNN最終系列局となった。愛媛県は岡山県との共同エリアである香川県を除く四国エリアで唯一の4局エリアとなる。
沖縄への進出は関係者を驚かせた。琉球放送との1局2波体制にしたため、開局に漕ぎ着けることが出来た。なお、日本テレビ系は沖縄の南西放送の開局を断念した。沖縄本島初のUHF親局であるため、開局前後にはUHFアンテナがバカ売れしたという都市伝説がある。
岩手朝日テレビ(1996.10.1開局)
ANN最終系列局。岩手第3局をフジテレビ系岩手めんこいテレビに一度は敗れるも、第4局で再起した。岩手県は北東北エリアで唯一の4局化を達成。テレビ岩手が短期間ながら日本テレビ系とテレビ朝日系のクロスネットの実績があったことも大きく影響した。次述する山形テレビを含め、東北全県制覇を達成する。
編入局
山形テレビ(1993.4.1編入)
フルネット局で唯一の編入局。
バブル期のサイドビジネスの破綻で経営が悪化し、フジテレビから経営支援を断られた事でフジテレビとの関係が悪化したのと、1991年に山形の権力者・服部敬雄が死去した事でしがらみが取れ、筆頭株主だった相馬大作元酒田市長など朝日新聞系の株主の手引きによりテレビ朝日系へネットチェンジする。
山形地区では当時日本テレビ系列の山形放送がテレビ朝日ともクロスネットを組んでいたが、実は不本意なクロスネットであり、当初は山形テレビがANN系列で開局するつもりだったが、服部の横槍(その背景には服部と鹿内信隆の友好関係があったとされる)でフジテレビ系列にされた経緯があった。
1992年当時のテレビ朝日は山形放送との関係を重視していたこともあり、山形県にフルネット局を開局する予定はなかった。
ネットチェンジで山形県民を大混乱させたほか、当時のテレビ朝日は視聴率争いでは万年4位で未だ人気番組が少ない状態であり、地元での猛反発の影響もあって一時期経営が悪化したものの、元から高かった制作能力を生かし、その後は地域密着の強化や東北ブロックネット番組の放送などで持ち直しただけでなく、テレビ朝日系列の底上げに貢献していった。また、テレビ朝日の親会社・朝日新聞にとって山形テレビ獲得は(上記の経緯から願わくはのレベルであったが)当初からの悲願でもあった。
なお、1997年4月1日にフジテレビ系列代替局となるさくらんぼテレビが開局し、山形県も民放4局化を達成する。
参考:福井放送(1989.4.1編入)
当初から日本テレビ系列の番組を中心としながら、ANNのニュース番組を番組販売ネットしていたが、1989年4月1日にANNに加盟した。
しかし、正式に加盟した後も日本テレビ系列の番組中心の編成であることに変わりはなく、昼のANNニュースと平日・土曜朝のテレビ朝日系列ワイドショー枠の同時ネット、土曜21時、22時台のテレビ朝日系列ドラマの遅れネットを除けば、日本テレビ系列フルネット局と変わりない番組編成である(それどころか一部番組は競合局の福井テレビで放送されている)。このためANN編入ながらネットワーク拡大運動には入らないと言えるため、参考として記載しておく。
拡大運動の機会を逃した局にも記載するが、残念ながら流れたが、もしも福井第三民放局が開局し、テレビ朝日系で開局した場合、秋田に続く第2の日本テレビ、フジテレビ、テレビ朝日の三局体制になっていたかも知れない。
拡大運動の機会を逃した局
元々はテレビ朝日系列での開局が有力視されていたが、同じく富山への系列局進出を目論んだTBSに敗れることになった。この名残なのか、平成新局では珍しくテレビ朝日系列の一部番組もちゃっかり放送してたりするものの、近年は山陰放送・テレビ高知・宮崎放送に負けじとそれなりに放送する。
高知さんさんテレビ(1997.4.1開局)
フジテレビが開局を拒否した際は、テレビ朝日系列での開局を計画していたが、結果的に当時の県の強い要望によって、フジテレビ系列になることに内定した。
同じフジテレビ系を要望しながらも、放送局やキー局や在来局の意向、利害、実績でフジテレビ系進出を阻止された青森・山口や、放送局の経営上の都合で一時期フジテレビ系を失った山形とは対照的だった。
福井第三民放局(未開局)
福井第三民放局は当初、「福井文化テレビジョン」として開局する予定だったが、TBSが福井県の人口規模が少ないことを理由に拒否したため断念。そのため、福井放送のクロスネット解消も兼ねてテレビ朝日系列として開局することを目指すことになったが、テレビ朝日が「福井放送でのクロスネットで対応する」と回答したため、頓挫した。
宮崎第三民放局(未開局)
宮崎第三民放局は、第二局でトリプルネットのテレビ宮崎からフジテレビ系列・日本テレビ系列・テレビ朝日系列のどれか1本をキー局として引き継いで開局するはずであった。しかし、日本テレビがバブル崩壊後の資金難と前述の南西放送の件を理由に系列局設置を拒否し、フジテレビもテレビ朝日もテレビ宮崎との関係を重視したことを理由に拒否したために、宮崎第三民放局開局は頓挫した。
余談
この拡大運動と同時期には、クレヨンしんちゃん、美少女戦士セーラームーン(セラムン)、スラムダンクが放送開始しているが、これらが社会現象を巻き起こす程のメガヒットとなった。このため、アニメを強化する事になり、セラムンは延長シリーズ化し、名古屋テレビからガンダムシリーズ(後の機動戦士Vガンダム)の企画を買収し、更に木曜夜7時半枠も新設したりしている。このため、同時期に新たに開局したテレビ朝日系列の所在地にとってはアニメ事情が大幅に改善されたというケースも結構あった。
しかし、後述するやらせや問題発言等の風評被害による予算削減と、機動戦士Vガンダムがバンダイの圧力で開始が半年繰り上がり全国ネット枠を確保出来なかった事で情勢は一変する。
前者の影響で予算制限が掛かり、セラムンとスラムダンクは人気時代劇だった暴れん坊将軍をも巻き込む特番休止が多発(実のところ当時土曜ゴールデン枠の番組が一番制作費が掛かっていた為、特番休止の格好の対象にされてしまった)し、ガンダムシリーズはシリーズを重ねる毎に系列局からネット拒否が相次ぎ、折角導入した木曜夜7時半枠も僅か1年で朝日放送に枠を譲る事になった(しかも後に廃枠)。
これらの出来事の回答は拡大運動終了後の相次ぐ廃枠・縮小と言う形で現れた。
(Vガンダムのゴタゴタについては徳間書店刊のアニメ誌「アニメージュ」94年7月号の富野由悠季と庵野秀明の対談インタビューより引用)。
本運動の功罪
ANNネットワーク拡大運動の功罪は以下の通りである。
功績
- 系列局増加に伴うイベントの展開、事件・事故の取材強化(サンデーLIVE!!はその集大成的な意味合いも兼ねてスタートした。また、旅サラダもこの強みが生かされ長寿番組となる)、スポーツ中継の強化。
- 地方での視聴者獲得。2010年代に入ると視聴率三冠王に輝く。
- タモリ倶楽部と探偵!ナイトスクープの地方での知名度が爆発的に向上。前者の場合、拡大運動期間中に人気コーナー『空耳アワー』がスタートした影響が大きく、後に水曜どうでしょうの全国展開にもつながる。
罪
キー局側
- 拡大運動期間中に起きた「椿事件」や朝日放送製作の「素敵にドキュメント」におけるやらせ発覚による風評被害に加え、番組予算を削らざるを得ず、レギュラー番組の特番休止多発を余儀なくされ、ネットワーク完成後時代劇枠の廃枠やアニメの弱体保守化を招いた。皮肉にもニチアサキッズタイムはアニメ弱体化によって誕生した副産物であった。しかし、そのニチアサキッズタイムもスポーツ中継強化の一環としてNHKから移管された全米オープンゴルフや秋の全日本大学駅伝などの脅威に毎年さらされる事になる。
- 平日はニュースステーション(→報道ステーション)が弊害となり、他局と違いゴールデンタイムの番組枠が3時間しか確保出来ず、1日に2時間の特番を2本組めなくなったばかりか、(ゴールデンタイムの)3時間特番も生まれてしまった。もっとも、3時間特番についてはその後他の民放キー局でもおおいに採用される様になっており、中には(年末年始でもないのに)4時間(またはそれ以上)の特番を組む事も珍しくなくなっている(テレビ朝日の場合は同番組が休止となる年末年始でなければ4時間以上の特番放送が出来ない)。
地方局側
- 広告収入の確保に苦慮し、番宣CMやACのCMを流さざるを得ない時期が続いた。
地方新局故の苦悩
編入局の山形テレビを除き、新局は文字通りゼロからスタートした為、地域によっては中継局が少ない状態から始まり、放送エリアが限られていた。その後は地デジ移行の後押しもあり、中継局を増やし、徐々に放送エリアを拡大していったが(老舗局の瀬戸内海放送も岡山県と鳥取県の県境に近い真庭エリアへの進出は地デジ移行期間中である)、残念ながら令和の現在でも全県域をカバー出来ていない放送局もある(大分朝日放送の欄で(ある程度は)と書いたのも、地デジ完全移行後も未だ全県域をカバー出来ていない放送局だからである)。
その意味では山形テレビ編入は一夜にして山形県全域を手に入れた事になる。