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概要編集

1985年秋から2004年春までの約18年半にわたり放送されたニュース番組。22時という当時としては比較的遅い時間帯での放送だった。


当時の夜の長時間ニュース番組は21時のNHK「ニュースセンター9時」ぐらいで、22時というのは大人向けドラマやバラエティが主流。ニュースのような真面目な題材は5分程度のミニ番組程度しか無かった。

その中で、テレビ朝日が放った当番組の衝撃は大きかった。22時台の視聴率で他局を圧倒したのである。


人気の理由編集

なぜ人気になったかはというと...

  • (放送最初期は円高不況だったが)バブル前夜で、且つ徐々に夜更かし気味になりつつある時代な事。
  • 放送開始がインターネットのない時代である事。
  • 視聴者の大半がニュース番組の定番時刻(18~20時)に外出等でテレビを見ず、ニュース飢えの大人から塾通いの子供である事。
  • わかりやすさ重視が特徴で、ニュースをプロップ・人形・CG等を駆使して説明した事。
  • メインキャスターに元ライバル局の人気者を起用した事。
  • 今では当たり前だが当時では異例のキャスター自身主観的なコメントをニュースにつける事。
  • 通常なら殺伐とした雰囲気のスタジオセットが、超大掛かりで雰囲気のある事。

などなど、ようするに今までのニュースとまるっきり違っていたという理由からなっている。


番組内容編集

政治や事件だけではなく、スポーツ・株価等も多数取り扱った。特にプロ野球シーズン中は1分勝負で各試合のハイライトを痛快な歌と共に流すのが定番だった。

当時比較的知名度の低かったパリ・ダカールラリーなどのモータースポーツも紹介したり、また羽田健太郎がピアノを生演奏して桜の名所などを紹介するコーナーもあった。


日々の生活の一部編集

なおこの番組内では「日々の生活の一部」として観ている視聴者を尊重して様々なことをした。

  • 番組・コーナーの開始時間を一定にするようアピールしてきた。
  • 放送時間の変更(後述)があれば、時には前週から丁寧に予告していた。
  • 2000年3月以前の開始時刻は、スポーツが22:30頃で、天気予報が22:50頃である。

ライバル番組編集

番組名系列放送開始期間
ニュース22プライムタイムJNN1987年秋約1年間
ニュースデスク'88JNN1988年秋約1年間
ニュース10NHK2000年春約6年間

「報道のTBS」の名を守るべく、TBSは当番組の人気に慌てて類似のニュース番組を次々と送り込んだものの、結果はあっさり返り討ち。後継番組は23時ではあるが定着しただけに何かと比較されている。


報道のTBS敗北の衝撃は結構大きかったらしく、フジテレビ「カノッサの屈辱」のテレビ史の回では散々ネタにされている。


当番組の人気は、フジテレビや日本テレビが視聴率三冠王を名乗った時期でも、同時間帯にニュース番組を仕掛けてこなかったことからも察せられる。


さらに約10年後、今度はNHKが仕掛けてきたがこれも短命に終わっている。


このため後の報道ステーションに至るまで22時ニュースはテレ朝の独壇場と化しており、他局は少しずらした時間帯(NHKは21時、民放は23時以降)にニュース番組を流すはめになっている。


ANNネットワーク拡大運動最大の功労番組編集

そして、ニュースステーションは1987年から96年に展開したANNネットワーク拡大運動の主力となり、新設11・編入1の合計12局も増え、それぞれの地元でも迎え入れられた。平成にテレ朝が飛躍的に放送局を増やせたのもニュースステーションの功績と言っても過言ではない。

→平成の増加局の詳細は此方へ


番組末期編集

しかしそんな大人気の当番組でも終わりは必ずやってくる。

1999年2月に所沢ダイオキシン問題が発生。

1999年10月に契約切れ久米宏が3ヶ月間活動休止。

2000年に入り久米宏がイメチェンして復帰し、3ヶ月後にはフライングスタート開始。


その後何とか人気を取り戻していったものの2003年8月で当番組の放送を終了する事が発表された。

起因は「久米宏のスタミナ切れ」である。

こうして約18年半に亘って続いた当番組は2004年3月に終了。


当番組の意思は古舘伊知郎を筆頭とする報道ステーションに引き継がれた。


意外な弊害編集

ニュースステーションは後年思わぬ弊害を生み出す。そう、他局の様な期首期末2時間特番を2本組んだり、3時間超えの特番を組むことが難しい事であり、アニメが力があった頃は問題無かったが、1996年のマードック&孫正義コンビによるテレ朝改革、及びお家騒動以後アニメが弱体化してからはネックとなり、結局3時間拡大スペシャルと言う形を取るが、これが本番組終了後はやがてゴールデン帯のレギュラー番組に悪影響を与えるのであった。例を挙げると、ネオバラエティ枠(厳密にはゴールデン帯の番組ではないが)の特番の場合、報道ステーションを挟んだ2部構成をとることで4時間スペシャルを組んでいる。


二匹目のドジョウとならなかったニュースシャトル編集

ニュースステーションの成功を受け、1987年10月に今度は当時ドラえもん、藤子アニメ、宇宙船サジタリウス以外は視聴率が振るわなかったゴールデン帯に星野知子をキャスターにニュースシャトルを導入した。なお、番組仮題は「ニュースステーション720」であった。

余談だが宇宙船サジタリウスが放送終了になったのもニュースシャトル導入の影響もあった。

ニュースシャトル導入の結果、平日夕方6時50分~7時20分はローカルセールス枠だった木曜日を除きアニメのみになり、金曜版のはなきんデータランドが人気コーナーとなった。

しかし、ニュースシャトル導入で悪影響を受けたのは当時テレビ朝日日本テレビのクロスネットだったテレビ信州で平日ゴールデンの日本テレビ番組を全廃せざるを得なくなり、視聴者から非難が殺到した。

間の悪い事にテレビ朝日系列として同年開局予定だった長野第4民放局がスポンサーの調整が間に合わず開局延期=テレビ信州の日テレマストバイ化延期となり、ニュースシャトル終了後の1991年4月に長野第4民放局は長野朝日放送として独立した。

ニュースシャトル自体も中途半端な時間帯が災いし、視聴率も苦戦。1989年4月にはなきんデータランドを独立させ、夕方6時台に移動するも半年で打ち切り

通算2年の放送に幕を降ろした。


放送時間編集

  • 22:00-23:18 / 1985年10月(金曜のみ1988年4月)-1994年9月
  • 23:00-24:00 / 1985年10月-1988年3月(金曜限定)
  • 22:00-23:20 / 1994年10月-2000年3月
  • 21:54-23:09 / 2000年4月-2001年9月
  • 21:54-23:10 / 2001年10月-2004年3月

放送時間変更・休止編集

  • プロ野球の延長(繰り下げ)
  • ドラマ・バラエティ番組の拡大
  • 特番放送
  • 緊急ニュース発生時(繰り上げ・拡大)
  • 甲子園・大相撲開催期間中
  • 年末年始(休止)

関連動画編集

関連項目編集

ニュース番組

久米宏

羽田健太郎

小宮悦子

ミュージックステーション - 派生番組である。

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