概要
『パネルクイズ アタック25』は日本の視聴者参加型クイズ番組である。
朝日放送→朝日放送テレビが制作し、現在は新BS3局のひとつであるBSJapanextにおいて『パネルクイズ アタック25 Next』のタイトルで放送中。
地上波時代は1975年4月6日から2021年9月26日まで、テレビ朝日系列フルネット24局で毎週日曜日13:25-13:55に放送されていた。
BSJapanextに移行してからは1時間に拡大している。
5×5の25個のパネルを4人の解答者(席の色は左から赤、緑、白、青である。)がオセロ形式で奪い合うことで優勝者を決定する。
日本では数少ない視聴者参加型クイズ番組であり、ABCテレビ及びテレビ朝日の長寿番組のとして親しまれていた。
初代司会者の児玉清の「アタックチャンス」の掛け声が有名になった(アタックチャンスは30分番組となった1975年10月2日放送分で初登場)。
アタックチャンス時のパネルの色は黄色に変化するが、『Next』ではパネルが黒になり、その周りが黄色になる。
ルール
早押しクイズの正解者がパネルを1枚取れる(1問目を正解すると必ず13番のパネルを獲得する。)。誤答は2問休み。
パネルの取り方のルールは以下の通り
- 自分の色で他の色を挟めるときは必ず挟む
- 挟めないときは次に挟めるように取る
- それもできないときは他のパネルに隣接して取る
自分の色で他の色を挟むと自分の色に変わる。25枚のパネルが埋まった時点で獲得枚数の最も多い人が優勝となる。枚数が同じときは同点決勝を行う。
現在では画面右端にそれぞれの色のパネルが何枚かが表示されている。
パネルが残り5枚になるとアタックチャンスが発動する。アタックチャンスで正解すると、まずルール通りにパネルを取った後、好きなパネルを1枚消すことができる。(大抵は絶対に挟まれない角か、次に入れた際に大量に自分の色に変えられる相手のパネルである。)
出場者はパネル獲得枚数に応じた賞金を獲得できる。金額は時代によって異なり、2024年時点で1枚1万円。25枚すべてのパネルを取ると賞金100万円。賞金以外にも賞品があり、優勝者とそれ以外で内容が異なる。
明確な基準は不明だが、時間切れになるとウェストミンスターの鐘が鳴り、残っているパネルがあってもクイズは終了となる。
最終問題
優勝者は正解すると旅行を獲得できる問題に挑戦できる。
映像を見て「ある人物」「ある都市」などを答える。しかし自分以外のパネルの部分は隠されて見えない。
テレビ画面が4:3の時代は他の色のパネルのうち1枚が解答者の顔を写すワイプになっていた。
電飾パネルの時代はパネルで隠された映像をクロマキーで作っていた。
Nextからの追加要素
- すべて答えましょう 正解が複数ある問題をすべて答える。1つでも間違えたら不正解。不正解のペナルティはなく、正解者が出るまで続けられる。
- 数字を当てましょう 数字を当てるクイズ。最も正解に近い人がパネルを取れる。最も遠い人は2問休み。
- 地域創生ふるさとクイズ 毎回ひとつの街を取り上げクイズを出題。正解するとその街のお土産がもらえる。不正解のペナルティはなく、正解者が出るまで続けられる。
- チャンピオン大会ファーストラウンド 各回の優勝者はこれに進出し、優勝するとチャンピオン大会に出場できる。賞品が異なるだけでルールは通常回と同じ。
歴史
この番組が始まる1年前の1974年4月7日-1975年3月30日、児玉清が司会を務めた視聴者参加型クイズ番組『東リクイズ・イエス・ノー』→『5人抜きQ(クイズ)・イエス・ノー』を、東洋リノリューム(現在の東リ)一社提供の下、毎日放送(MBS)がNETテレビ(現在のテレビ朝日)系列で放送していたが、視聴率の低迷と1975年3月31日に行われるABCとMBSのネットチェンジのため終了した。
東リが児玉司会による一社提供番組をABCでも継続して制作・放送することを希望したため、新番組『アタック25』が登場した。
児玉は司会続投に難色を示したが東リ側の要望もあって了承、一部の系列局では制作局が異なるものの東リ提供・児玉司会の番組の放送が継続した。
放送開始にあたり、とあるABCのスタッフが子供にオセロゲームを買ったことからこの企画が生まれた。
その後放送時間内にすべての面が埋まり、海外旅行獲得クイズに挑戦できると仮定し、何枚の面で行うのかを試行錯誤の末に出した結論が25枚だった。
赤・緑・白・青の色を使うことを決めたが、1975年当時白黒テレビが残っていたためにスタッフやスポンサーから難色を示された。
しかし初代プロデューサーの三上泰生(当時はABC第二制作部長)が「テレビは将来カラーになる」と説得して回ったため実現した。
1997年4月に全国ネットのクイズ番組で最長寿となり、2012年6月にはこれまでローカルを含むクイズ番組最長寿記録だったCBC『天才クイズ』(1967年7月26日-2004年9月25日)の37年2か月を抜き、日本のクイズ番組最長寿の完全新記録となった。
2016年10月22日公開の映画『バースデーカード』で、初めてこの番組が映画に登場した。司会の谷原章介も本人役で登場した。
しかし、ABCテレビの視聴者層若返り方針の対象となったことから、2021年9月で地上波放送が終了。
その半年後にジャパネットたかた系列のBS局、BSJapanextで再スタートを切った。ジャパネットたかたは地上波時代末期の筆頭スポンサーであり、番組はBSJapanextと朝日放送テレビの共同制作となった。
日時は地上波時代と同じだが、放送時間は30分から60分に拡大されている。
出演者
司会者
初代司会者の児玉は、番組開始から36年間、1793回にわたって司会を務めた。これは日本のテレビにおけるクイズ番組で史上最長である。
児玉は1984年10月14日・10月28日放送分は、腹膜炎による入院で欠席、その回は板東英二が代役を務めた。
2011年4月7日以降、児玉が肝機能障害で入院・治療に専念することを表明し、ABCアナウンサーの浦川が代役を務めた。同年5月16日に児玉が胃がんのため逝去、同年5月22日に追悼特番が組まれ、翌5月29日放送分より浦川アナが正式に2代目司会者となった。
2015年3月29日放送分をもって浦川アナが卒業、同年4月5日放送分から放送40周年のリニューアルに伴い、児玉と親交が深かった俳優の谷原章介が3代目司会者に就任した。これに合わせ、番組ロゴ・セットをリニューアル、BGMのアレンジも新しくなったほか、早押し・パネル獲得時のSEの余韻が短くなった。
BSJapanextへの移行後、2022年5月~7月については谷原が舞台出演のため、元中部日本放送出身のフリーアナウンサーである石井亮次が代役を務める。
出題者
女性のフリーアナウンサーが務めていた時期があったが、2009年4月5日放送分から地上波放送終了まではABCテレビの女性アナウンサーが担当していた(これ以外では1976年4月4日放送分から1980年3月30日放送分までは当時ABCアナウンサーの中村京子が担当)。
BS移行後は地上波6代目の担当だった沢木美佳子が再び担当している。
なお、全司会者時代で出題者担当をしたのは加藤明子アナのみ。