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概要

1940年4月5日生まれ。しかし、本人の主張するところの実際の出生日は3月31日で、学年を後ろにずらした形になっている。日本統治下の満州で生まれ、5歳の頃引き揚げで神戸に移り住む。小学一年生で父の故郷である徳島県に移住し、高校卒業まで育つ。

よく間違えられやすいが「坂東」ではなく「東」である。

中日ドラゴンズ現役時代は主にリリーフ投手として、長嶋茂雄王貞治と言った強打者達と幾多もの名勝負を繰り広げてきた。

プロ通算77勝を記録。その縁で球団応援歌「燃えよドラゴンズ」を歌った。

彼の現役時代の背番号14は後に今中慎二朝倉健太といった好投手に受け継がれている。

高校時代は甲子園で活躍し、高校野球の一大会における通算奪三振の最多記録(83奪三振)の記録保持者となる。延長引き分けの場合は再試合というルールの原因になったのも彼であり、そのルール適用第一号も彼である(参照)。

引退後は解説者になるも、程なくして芸能界にも進出し、以降はタレント業を中心に活動する。

一時期は番組の司会者として引っ張りだこだった時期もあり、特に「マジカル頭脳パワー!!」は視聴率30%を超える回も出たほど人気となった。

しかし、後述のスキャンダルによりTV出演は激減。その後はラジオ番組を中心に活動していた。

2020年は芸能活動を更に縮小し、大阪にある自宅を引払い東京に居住する娘の自宅へ転居した。2021年以降は活動を行っておらず、高齢による事実上の引退と報道された。

ゆで卵

板東英二≒ゆで卵である。

地下鉄車内だろうが新幹線車内だろうが、タッパーに入れてゆで卵を持ち歩き、隙あらば食べている。固ゆでのものが好きらしい。

ここまでゆで卵が大好きなのは、敗戦時満州から引き揚げる途中、空腹に耐えかね中国人農家からこっそり盗んだ卵を見つかって殺されないように生で食べるという強烈な体験がトラウマとなり、ゆでるというひと手間をとても贅沢と感じさせるためであるとのこと。

お金の話

現役時代から引退後を見据えてサイドビジネスに積極的だった。

この点においては(本業を疎かにしているとの批判もありつつ)堅実な道をたどっていたのかもしれないが、2012年に脱税疑惑が発覚。

結局申告漏れ(脱税ではなかった)と判断されるも、TV業界からは干されてしまう。これは1988年に国税局のPRキャラクターに採用されていたことや、長年愛知県内のローカルニュースで名古屋国税局に確定申告に訪れる姿が報道されており、2007年に同局から感謝状を贈られていた、という「クリーンな」イメージもあると言われている。

その後、一時期YouTuberとしても活動するなど、TV以外での活動に注力していた。2020年現在もかつてほど関東圏および全国区の地上波TVで見かけることは少ない。

余談だが、かつてレギュラー出演者だった『世界ふしぎ発見』での疑惑発覚直後の放送では、見事な編集により

「板東英二など最初からスタジオに居なかった」かのように完全にカットされていたのは、一部で伝説となっている(但し、最終回SPで過去の映像が放映された際はその限りでは無かった模様で顔、名前、年齢もはっきりと表示されていた)。

2020年の『水曜日のダウンタウン』の「子どもから貰ったまつぼっくり、家まで持って帰らざるを得ない説」という企画内では、半分ドッキリのような形で出演。「貰ったものは土に還すのが当然(要約)」と言って、ニセ企画に機嫌を損ねたのか「作り物は映画やドラマで十分(要約)」と要領を得ないことを言い出し、最終的には「カットしたり編集するなら2億円を先にくれ(要約)」と発言。結局企画は「板東2億円事件でした」と締め括られるというお金にがめつい一面を見せた。その後しばらくの間、彼のウィキペディアは「2億円」、「親族:黒川明人」などと荒れて編集合戦となった。

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