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概要

フジテレビの相談役を務めるが、既に権限は無い。

1937年12月31日生まれ、東京都出身(ルーツは岡山県)。1961年に早稲田大学を卒業し、フジテレビへ入社。労働組合の立ち上げに奔走したが、それ故に冷や飯を喰わされたこともあった。


運命を決めた出来事・第一期黄金時代へ

1980年5月に鹿内春雄副社長(当時)の推薦で編成部長へ抜擢され、春雄副社長と共にフジテレビの改革を実行。翌年の組織改革で春雄副社長は会長へ昇格、「楽しくなければテレビじゃない」をキャッチフレーズに「面白軽チャー路線」を掲げ、様々なジャンルを問わず他局に無い斬新な発想のテレビ番組を輩出。悲願であった視聴率トップに立ち、1981年から1993年まで全日・ゴールデン・プライムの視聴率三冠王を獲得。第一期黄金時代を築き上げ、春雄会長から「立場を超えた親友」と全件の信頼を置いた。


親友・春雄会長の急死とお家騒動へ

しかし、春雄会長は1988年4月16日に42歳の若さで急死。父・信隆創業者が代表に復帰、同時に次女の夫の佐藤宏明を婿養子に迎える。同年6月に日枝が社長に就任。その後1990年10月29日に信隆創業者も春雄元会長の後を追い死去。宏明が会長に就任する。

しかし、宏明は古巣の日本興業銀行ではやり手と言われたほどの実力を持ち、金銭感覚と礼儀作法が厳しく、当時の系列局で経営が悪化していた山形テレビの経営支援を自己責任とし拒否。自らの出社・退社時には社員総出で出迎える様厳命した。

この専制君主にして、横暴なワンマン経営者の宏明に対し、経営陣や社員の不満は日に日に増大していった。


「時は来たれり!」宏明解任クーデターと第一期黄金時代の終焉

1992年7月21日、フジ・サンケイグループ臨時株主総会で宏明会長を解任し、日枝がフジサンケイグループ議長に就任し、鹿内一族の支配に終止符を打つ。日枝は組織の再編・体制固めに奔走するが、その最中に山形テレビがFNSを脱退し、ANN・テレビ朝日系にネットチェンジする出来事が起き、日枝など当時のフジテレビ経営陣は山形テレビとネットチェンジに協力した山形放送(日本テレビ系列)に対してフジテレビ系列番組の番販購入禁止のペナルティを課す。最も山形テレビは当初はNETテレビ(現・テレビ朝日)系列局として開局する予定だったが、山形のヒトラーこと服部敬雄の横槍でフジテレビ系にされた経緯がある。その後「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」で撮影中にゲストの香港の歌手が転落事故死するアクシデントで打ち切りとなる等、紆余曲折を経て1994年には遂に日本テレビに視聴率トップを抜かれてしまい、13年に及ぶ第一期黄金時代が終わりを告げた。視聴率では日本テレビに抜かれたものの、1990年代のフジテレビは日本テレビとの2強とも言われていた。


お台場移転と高知さんさんテレビ&さくらんぼテレビ開局

手狭になった河田町の本局をお台場へ移転する事にし、1997年にお台場へ移転するが、これが後々に影響を及ぼすとは当時は思わなかった。同年最終系列局の高知さんさんテレビさくらんぼテレビが開局するが、山形県のフジテレビ系列局復活の声と橋本大二郎高知県知事(当時)の請願を見逃さず、それに応えて自らの体制固めで山形テレビを失った無念を晴らし正に「鬼の目にも涙」であった。


ライブドア事件と第二期黄金時代

2004年に10年ぶりに視聴率トップに返り咲いたものの、2005年ライブドアにフジ・サンケイグループが乗っ取られそうになる事件が発生した。だがこの一件は紆余曲折を経て和解。こうして第二期黄金時代を迎え、フジテレビの黄金時代は揺るがない、と思われたが・・・

 

運命を決めた2011年フジテレビの日と暗黒時代への転落

2011年8月8日、フジテレビの日が例年通り開催されていたが、異常な韓国推しや偏向放送・報道に抗議するデモ運動に対し、ある人物が「嫌なら観るな!」と失言をしてしまい、この日を境にフジテレビは没落を始める。

元々第二期黄金時代はバラエティー番組や情報番組ばかり肥大化させただけでなく、拡大スペシャル等特番等で視聴率を獲得していた為、非常に脆い状態だったと言え、以後坂道を転がり込む様に視聴率は低下、長年親しまれた番組も相次いで終了しただけでなく、その後番組の殆どが不発に終わる事が多くなる。これは本社が今まで新宿に置いていた分、時代の流行等を調べられたのが、お台場へ移転して事で却って時代の流行を読めなくなり、お台場移転が仇になったのと、どんどん番組を下請けの会社に頼む様になり、粗悪な番組ばかりになってしまったと言われている。更に追い討ちを掛けたのは同年に起きた東日本大震災以後の自粛ムードで、お笑いやバラエティーが敬遠される風潮も逆風になったと言われている。様々な施策を行うもの効果が現れず、視聴率長期低迷の責任を自ら取り、日枝は2017年末に権限の無い相談役となった。


なお、フジテレビ相談役のほか、系列局の関西テレビ岡山放送北海道文化放送東海テレビテレビ西日本の取締役も務めている。


人物像

  • 卓越した感覚と、従来の感覚に囚われない発想で様々なヒット作を輩出した事から、その経営センスは当時としては優れたものを持っていた。
  • また、激情家としても知られており、春雄元会長の訃報を聞き慟哭したり、山形テレビのフジテレビ系列離脱の時は社長室で「何故一言言ってくれなかったんだ!」と激昂したと言われている。
  • フジテレビの局のイメージとは裏腹に、自民党との関係があり、原発推進派とも言われている。
  • 神宮球場横浜スタジアムナゴヤ球場広島市民球場(先代)からのプロ野球中継が多過ぎて「オレたちひょうきん族」の放送がなかなか出来ない、とビートたけし(や明石家さんまを始めとする「ひょうきん族」出演者とスタッフ)に因縁を付けられた結果、たけしとさんまの手によってひょうきん懺悔室に突き出されたことがあった。その結果…お察し下さい

代表作

アニメ


ドラマ


バラエティー


その他


関連タグ

フジテレビ 鹿内春雄 鹿内宏明

さくらんぼテレビ:開局に当たっては、日枝の全面的な支援を受けた。


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