概要
所在地は広島県広島市 中区5-25。「広島市民球場」という名前を冠する野球場としては初代に当たる。
球団創設当初からのカープの本拠地であった広島県総合グランド野球場(ちなみにコカ・コーラボトラーズジャパン広島総合グランド野球場という名称で現存)の代替兼照明装置付きの球場として、広島市中央公園内に建設された。
沿革
1957年2月22日に起工。1957年7月24日の開場から2009年3月31日まで(シーズンでは1957年〜2008年)日本プロ野球(NPB)セントラル・リーグに加盟する広島東洋カープの一軍本拠地として使用され、多くの広島市民に愛された。
しかし、1990年代後半あたりからは老朽化が激しくなり、また他球団の本拠地に比べて施設環境が劣っている、球場が広くなる中で開場時から指摘されていた狭さがより際立っていることも指摘されはじめたが、移転計画がなかなか進まなかったため、結局そのままさらに10年ほど使用された。
新球場の完成をもって2009年シーズンからカープが本拠地を移転。2009年4月1日に2代目の球場に「広島市民球場」の名称を譲り、2010年8月31日まで「旧広島市民球場(きゅうひろしましみんきゅうじょう)」として主にアマチュア野球(草野球)の試合などで使用されていたが、2010年9月1日をもって惜しまれつつ閉場した。
なお、後継球場とは正式名称が同一であるため、「2009年に本拠地が広島市民球場からマツダスタジアムに移転した」という表現は厳密に言えば正しくなく、「2009年に本拠地が新しい広島市民球場に移転した」が正しいことになる。
跡地
2010年11月〜2012年2月28日に解体工事が行われ、記念としてライトスタンドの一部を残して更地となったが、そのライトスタンドも2024年5月30日をもって解体された。跡地はイベント会場としてたびたび利用されているが、再開発される予定がある。また、2024年2月1日には球場跡地に隣り合う中央公園自由芝生広場にサンフレッチェ広島の本拠地となるサッカー場として広島サッカースタジアム(エディオンピースウイング広島が開場した。
げに恐ろしきは……
カープファンの熱狂振りは良くも悪くも有名であるが、旧市民球場もまたカープファンに振り回されたことがあった。
球場建設を巡る市長の御難
実は計画を立てたのはよかったが建設予定地がなかなか決まらず、結果、当時の広島市長が東京からの出張から戻った直後の広島駅でカープファンの襲撃を受け、つるし上げを食らってしまった。
1964年6月30日の悪夢
その日行われていたカープ対阪神タイガース戦において、阿南準郎のプレーを巡って紛糾、「選手の健康状態と観衆の帰宅の足を考えると続行は無理」という理由で審判団が試合を打ち切った結果、カープファンが大爆発、結果球場は無法地帯と化してしまった。おかげで残り2試合は中止を余儀なくされてしまった。
繰り返された悪夢
あの一件から約11年経った1975年9月10日のカープ対中日ドラゴンズ戦で、ドラゴンズのキャッチャー・新宅洋志のラフプレーにやられた三村敏之が大激怒、両軍入り乱れての大乱闘が、いつの間にか尻馬に乗ったカープファンまで参戦し、またしても無法地帯に。結果またしても翌日の試合が中止に追い込まれてしまった。
変なおじさん
1990年5月12日のカープ対読売ジャイアンツ戦、試合途中にカープファンの一人がグラウンドに侵入したうえバックネットによじ登り、ジャイアンツを罵倒するメッセージの垂れ幕をぶら下げたうえ、グラウンドに発煙筒を投げつけるという暴挙をやらかした。しかもこの様子、NHK総合テレビの実況生放送を通じて広島県以外の地域にも伝わってしまった。
初代広島市民球場時代の現役選手
2024年シーズン終了時点
※太字は現在も広島に在籍している選手。
※▼は2008年までに一軍出場がなかった選手で、()は一軍初出場年。
前田健太:2006年高校生1位【現・デトロイト・タイガース】
會澤翼:2006年高校生3位 ▼(2009)
松山竜平:2007年大学・社会人4位
丸佳浩:2007年高校生3位▼(2010)【現・巨人】
余談
初代広島市民球場は市街地に所在していたためコンサートの開催は長らく出来なかったが、2004年10月、広島市出身のシンガーソングライター・奥田民生によるアコースティックライブで遂に実現した。その後、2007年8月にはさだまさしのコンサートが、2009年8月にはロックフェスティバルが、それぞれ開催されている。
1959年以降、8月6日に初代広島市民球場でプロ野球の試合は行われなかった。また、2代目広島市民球場になってからも、2011年まで8月6日にプロ野球の試合は行われていない。なお、件の日にカープのホームゲームが組まれてしまった場合は、広島県内の別の球場に振り替えて開催していた。
初代広島市民球場に移転してからの成績が散々だったため、ファンの間から「何かあるんじゃないの?」と恐れられた。それを気にした球団社長が知り合いに相談したところ、「祟りじゃー!亡くなられてしまった被爆者の、たーたーりーぢゃー!!その方々の魂を慰める為に神様を拝みなさい!!!!」と言われてしまった。そしてその翌年以降、広島護国神社と厳島神社へチーム全員必勝祈願(と言う名のお祓い)に行くのがお約束となっている。