概要
本名:佐田雅志(1952年4月10日~)
1972年、國學院高校時代の友人・吉田正美が長崎の実家を訪ねてきて居候となり、彼とフォーク・デュオ「グレープ」を結成。
1973年、「雪の朝」でデビュー。
1974年に「精霊流し」、1975年に「無縁坂」がヒットするが、1976年に解散。さだは就職活動を行ったがうまくいかず、ソロで歌手活動を続けることになる。
1977年、「雨やどり」がオリコンシングルチャート1位を記録。
その後も「案山子」、「檸檬」、「天までとどけ」、「関白宣言」、「親父の一番長い日」、「道化師のソネット」、「防人の詩」などの自身のソロ、山口百恵に提供した「秋桜」などのヒット曲がある。
1981年公開の映画「長江」を自費で制作した事から28億円の借金を背負い、完済できたのは2010年だった。
長きにわたって日本を代表する男性シンガーソングライターの一人である。
ソングライティングの才覚やギター・バイオリンの演奏のほか、軽妙なトークでも名高い。
俳優業も行っており、『石子と羽男』、『海に眠るダイヤモンド』等に出演している。
逸話
- 制作する楽曲の振り幅が広く、底抜けに明るいアップテンポなものや、郷土愛や家族愛をテーマにしたもの、生命の大切さや平和への願いを歌詞に込めたシリアスでスローテンポなものなどがある。これまでに制作した曲数は実に500曲以上に登る。
- 幅広い世代のファンがいる。初めて聴いた楽曲も世代によって人それぞれであり、曲の内容及びライブのMCやラジオやテレビなどの番組でのトークの影響により、時代によってさだに抱くイメージも大幅に異なっている。
- 日本で最もコンサートを行っている歌手(その数4000回を超える)である。もとは映画の撮影で作ってしまった巨額の借金(35億円)を返済するために始めた苦肉の金策だったが、返済し終えた現在も続いている。
- 左翼からは「右翼」と罵られ、右翼からは「左翼」と罵られ、オールナイトニッポン時代のタモリからは根暗と罵られた不憫な人でもある。
- 「関白宣言」はヒットもしたが、歌詞の内容を真に受けた層から賛否両論も激しく「男尊女卑だ」とのバッシングを受けてしまうが、時代を飛び越えたツンデレソングとして現在は落ち着いている。当時ツンデレという概念が生まれる20年も前の曲である。なお、後にさだ氏は「関白失脚」なる曲も作っている。
- 「北の国から~遥かなる大地より~」は脚本家の倉本聰と話しているうちに勢いで作られた。その後ドラマのヒットに連れて知名度も上がり、北海道を代表する曲となって北海道日本ハムファイターズの応援ソングとなっている。
- 交通事故の被害者遺族と加害者の実話を基にした「償い」は、裁判長が裁判の論旨にて引用したことがある。フラッシュ動画で動画化されたり、運転免許の更新の際のビデオで流されることがあるため、知名度は高い。
- 山口百恵に「秋桜」を提供した際、「今はこの歌の意味が解らないと思うが、いずれ解るときがくる」と言い、実際に彼女が結婚して引退する際に「やっとこの歌の意味が解りました」との返答を得ている。
- 長い活動歴の中で独特なファン層を獲得し、大学のサークルとして「さだ研」が存在したり、ファン自体の特徴を取りまとめた本が出版されたりするほどである。ちなみに「62番のバスに感動する」「パンプキン・パイとシナモン・ティーを両方頼める店を探す」など今日の聖地巡礼を思わせる行動も長いこと挙げられているファンの特徴の一つである。
- 高校、大学時代は落語研究会に所属していたこともあり、その話芸には定評があり、ライブではMCこと「トーク」の尺の方が歌を歌っている時間より長かったりすることも珍しくない。トークだけでベストアルバムが作られるほどであり、さらにトークメインのラジオ(セイ!ヤング)やテレビ(今夜も生でさだまさし)番組でもそれは発揮されている。
- 社会的貢献にも熱心であり、泉谷しげる主催のチャリティーライブに協力しているほか、さだ自身も2015年8月には非営利団体『風に立つライオン基金』を設立している。
- 娘の夫はゴスペラーズの北山陽一。
- 1990年代半ばにダスキンのCMに出演し、視聴者から『ダスキンおじさん』と呼ばれている。
関連タグ
鬼束ちひろ:「歳時記」の歌詞「そんなちひろの子供の絵の様な」から「ちひろ」と名付けられた。
岡村孝子:さだから多くの影響を受け、ユニット「あみん」の名も彼の楽曲『パンプキン・パイとシナモン・ティー』に登場する喫茶店から採ったとしている。
詩島:1979年に「雨やどり」の印税で購入した無人島。
スーパーマリオワールド:城ステージ(とりでステージ)のBGMが「よーく(きーけ)わーが(なーは) さーだーまーさーしー」に聴こえる(空耳)。