概要
1933年4月10日生まれ。黒柳徹子と同い年だった。
ある日、作曲家の中村八大に依頼されたことがきっかけで、作詞活動をする。1959年から1966年頃まで、コンビで楽曲を手掛けた。
放送作家として活躍し、ラジオ番組によく出演していた。本人曰くテレビ業界を快く思っていなかったらしく、メディア出演にラジオが多かったのはその為だという。
実は、死刑制度に反対していた。
2009年のある日突然、呂律が回らなくなった。その翌年の2010年に、パーキンソン病であることが発覚。
2016年7月7日、死去。享年83歳。その5日後、大橋巨泉も亡くなった。亡くなる前、徹子の部屋に40周年記念のゲストとして、大橋巨泉と共に出演していた。その徹子の部屋に39回も出演していた。
主な作品
下の3曲の作曲は、中村八大が担当。
下の3曲の作曲は、いずみたくが担当。
浅田飴とのつながり
長い間、グラフィックデザイナーの山下勇三と組んで雑誌「話の特集」にて浅田飴の広告のキャッチコピーと挿絵とを作り、掲載していた。また浅田飴のCMにも出演しており、浅田飴との縁はかなり深い。そのことを創業130年を機に見つめ直す広告を、浅田飴側が2017年に朝日新聞夕刊に掲載している(参考)。