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黒柳徹子

くろやなぎてつこ

黒柳徹子は、日本のタレント・女優。「徹子の部屋」の司会として知られる。
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概要編集

1933年8月9日生、東京都出身。独特の玉葱ヘアーがトレードマーク。有限会社 吉田名保美事務所所属。

NHKテレビ女優第一号であり、日本のテレビ放送が開始されて以来、60年以上にわたり第一線で活躍している、まさにテレビ放送史を代表するタレントの1人である(※)。

40年以上続く長寿トーク番組「徹子の部屋」の司会を務めていることでも知られ、同一司会者によるトーク番組の最多放送世界記録保持者、かつ記録を現在も更新中である。

慈善活動にも熱心に取り組んでおり、日本唯一のユニセフ親善大使でもある。


※後述の通りNHK放送劇団への入団が日本におけるテレビの放送開始直前という時期であり、入団からまもなく初放送となったテレビ番組への出演を果たしている。つまり、当時の劇団メンバーは日本で初めて「テレビ俳優・女優」というポジションを持った存在であり、あくまで彼女1人がその地位を独占しているというわけではない。


経歴編集

ヴァイオリニストの父、守綱と、かつて音楽学校で声楽を学んでいた母、朝の元に生まれる。

本人は第一子にあたり、弟に幼くして亡くなった明兒、父と同じくヴァイオリニストの紀明が、妹に元バレリーナ美容家の眞理がいる。

伯父(父の兄)は、松竹蒲田撮影所の初代所長を務めたカメラマン・ジャーナリストの田口修司(シュウ・タグチ)である。


幼少期はいわゆる問題児であり、当初は公立の小学校(尋常小学校)に通ったものの、問題行動が多いとして退学させられた。その後、「トモエ学園」という当時先進的な教育を行なっていた私立小学校に転校する。

トモエ学園の指導や校風はその後の本人の行動や思想に大きな影響を与えた。


このころのエピソードを綴った自伝「窓ぎわのトットちゃん」は750万部を売るベストセラーとして知られ、世界35カ国で翻訳されている。

なお、この当時の「問題行動」とは「授業中に外のチンドン屋やツバメに話しかける」「机の蓋を延々開け閉めする」といった「衝動が止められない」行動や「教員の注意の意図が理解できない」といった状態であり、現在では発達障害の可能性が高いと指摘されている(当時はそのような概念すらなかったので、「ただの迷惑な子」と扱われてしまった)。本人も2001年に発売された著書において、学習障害LD)の可能性が高いと医師に指摘されたことを公表している。


時代は第二次世界大戦末期であり、父は出征、本人も空襲(東京大空襲)により青森県三戸郡に疎開することとなる。トモエ学園も焼失による閉校を余儀なくされた。

終戦後は東京に戻り、再開したトモエ学園に再び通った。その後、香蘭女学校を経て母の母校でもある東洋音楽学校に進学し、オペラ歌手を目指す。しかし、さまざまな理由から歌手への道は諦める。

卒業後、たまたまNHK放送劇団の俳優募集の広告を新聞で見かけ、「自分の子どもに人形劇や絵本の読み聞かせを上手にできるお母さんになろう」、「もしかしたら絵本の読み聞かせについて教えてくれるかも」と思い応募。見事合格し、1953年にNHK放送劇団五期生となる。

同期には里見京子横山道代新道乃里子幸田弘子木下秀雄桜井英一関根信昭三田松五郎八木光生らがいる。


入団の時期がテレビ放送開始の直前であったため、テレビ女優としては日本第一号となるタイミングでのデビューとなった。また、カラー放送開始前の試験放送では彼女がモデルとなり、顔を左右で別の色に塗り分けた姿が映された。

デビューからしばらくはエキストラのような形で活動し、現場について学んだ。その後、内部オーディションを経てラジオドラマ『ヤン坊トン坊ニン坊』でトン坊役を演じ、好評を得る。これがきっかけで、『おかあさんといっしょ人形劇第1作目「ブーフーウー」のウー、第2作目「ダットくん」の主人公のダットくんを演じるなど子供向けの人形劇などで声優としてさまざまな役を演じることとなる。

また、これと並行してテレビドラマからバラエティまで多数の番組に出演。しかし、多忙を極めた結果体調を崩し、一度は全ての番組を降板して入院することもあった。

1958年の『第9回NHK紅白歌合戦』では、自身初となる『NHK紅白歌合戦』の紅組司会を務めた。また、1980〜3年も紅組司会を担当し、2015年には総合司会となった。


1961年、舞台出身の俳優との力量の差を感じ、本格的に演技を学び直したいと考えNHKを退職。親交のあった杉村春子を頼って文学座附属養成所に入団。舞台を中心に活動する。

文学座の分裂後は、分裂先の一つである劇団NLTの公演などに参加した他、民放の番組にも出演するようになった。


1971年、前年に出演したミュージカルで知り合ったハロルド・ローム夫妻から誘われてニューヨークに1年間留学。演技やダンスを学んだ。このニューヨークでの生活も、本人のその後のスタイルに大きな影響を与えることとなった。

1972年に帰国し、『13時ショー』の司会に就任する。これを前身として、1976年からはのちに大長寿番組となる『徹子の部屋』がスタート。以降、テレビにおいては司会・タレント業が中心となり、女優としては舞台への出演がほとんどとなった。

この他、『ザ・ベストテン』の司会としても知られた。


1980年代からは社会福祉活動にも力を入れており、1981年には著書『窓ぎわのトットちゃん』の印税を寄附して社会福祉法人「トット基金」を設立。理事長に就任した。1984年にはユニセフ親善大使に就任し、年に一回ほど紛争地域や被災地の訪問・視察を行なっている。



人物など編集

非常に明るいキャラクターで知られる。また、天然ボケの傾向も見られる、

『徹子の部屋』では様々な俳優文化人の才能を引き出すトークがある一方、お笑い芸人がゲストの時には、芸人がネタを見せた際「おもしろい!」と一人喜んでいつまでも出演した芸人のネタの披露をやめさせないこと、またゲストがトークに入る前に開口一番「今日は何か面白い話をして下さるんですって?」とわざとトークのハードルを上げることもある。このため、特に若手の芸人たちからは「(徹子の部屋は)監獄」「芸人(ボケ)殺し」と恐れられている。


長い芸歴から、多くの芸能人と関わりを持つ。

同じく長年にわたってお昼の番組の司会を務めていたタモリとの関係も深く、黒柳はタモリの知名度を上げるきっかけを作った人物の一人でもある。出会いはタモリの「師匠」にあたる赤塚不二夫からの紹介であった。

野際陽子はNHK時代からの友人(※野際はアナウンサーとして所属)で、トークでその思い出を語る事もあった。また、冨士眞奈美とも専属女優であった縁から仲が良い。冨士と俳優座の同期である大山のぶ代とも、人形劇での共演がきっかけで友人となった。

渥美清とは共演が多く、「お兄ちゃん」と慕っていた。

森繁久彌は『徹子の部屋』の最初のゲストであり、長年にわたって親交があった。


叔父からアメリカのお土産でもらったぬいぐるみがきっかけで、大のパンダ好きとなった。パンダの保護・研究にも熱心に取り組んでいる。日本でパンダの知名度が上がる以前に、パンダ見たさにロンドン動物園まで出かけてしまった逸話が存在する。


「玉葱ヘアー(たまねぎ頭)」は、ニューヨークにいる頃「和装と洋装どちらにも合うような髪型」として考案された者であり、以降50年にわたってこの髪型を通している。結った髪の毛の中にはポケットとして飴玉や煎餅などお菓子が入っているほか、時に携帯電話パスポートなどをしまうこともあるという。

なお、このお菓子は「心の美しい人にあげることにしている」とVOGUE JAPANの動画記事にて冗談まじりに発言している。また、(ユニセフ親善大使としての活動として)「視察に行った先で、子供たちにあげるため」とも発言している。


世界・ふしぎ発見!』では着物で通している。理由については、「(世界の歴史や文化を取り上げる番組にもかかわらず)レギュラーで日本の伝統的な着物を着ている人が一人もいないということが分かったこと」「もし答えができなくても着物を着てれば、誰だか分かんないかもと思ったこと」とデイリースポーツのインタビューで回答している。


100円ショップで万単位の買い物をしたり、セーラームーンのコスプレを披露したりとネタに事欠かない。

2021年には突如YouTubeチャンネルを開設し大きな話題となった。→「黒柳徹子の気まぐれTV」


サンダーバード』のレディ・ペネロープの声は彼女が担当していた(NHKで放送されていたため、他のキャラも劇団メンバーが担当している)。


また、チャップリンと直接対面した数少ない日本の芸能人でもある。この縁で、日本チャップリン協会の名誉会長を務めている。


また宮内庁主催の園遊会にも招待され、昭和天皇や上皇陛下を始め皇族の方々と謁見されたエピソードがある。


関連タグ編集

タレント 女優

タモリ 赤塚不二夫

板東英二 草野仁 野々村真

窓ぎわのトットちゃん 徹子の部屋 世界・ふしぎ発見!

パンダ

ブックサンタ


関連リンク編集

公式ページ「トットチャンネル」…テレビプロデューサー、田川一郎の公式サイト内コンテンツ。更新停止

公式サイト「トットチャン」…黒柳本人のサイト。

ブックサンタ(作家サンタ)

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