遠くへ行きたい
とおくへいきたい
1962年にNHKの「夢で逢いましょう」という番組の企画で作られた。ジェリー藤尾によって歌われた。
それから8年後の1970年10月4日、読売テレビ・日本テレビなどで旅番組『六輔さすらいの旅・遠くへ行きたい』(現:遠くへ行きたい)が放送開始、同番組のテーマ曲になった。
放送開始から40年以上経ち、2000回以上放送され、数多くのアーティストにカバーされた。
1970年10月4日から国鉄のキャンペーン「ディスカバー・ジャパン」の一環でスタート。
当初はタイトルに「六輔さすらいの旅」とあったように永六輔の単独レギュラー番組だったが、観光・グルメ要素を加えたい番組サイドと対立した永が降板。タイトルを「遠くへ行きたい」と改めてからはレギュラー出演者を設けず、週替わりで俳優・タレントが出演して旅をする現在の形式になった。
今でこそ朝の番組というイメージが定着しているが、もともとは日曜22時30分放送の番組だった。1976年から日曜10時30分の放送となり、その後民営化直前の1982年に日曜8時30分、1989年に日曜7時30分放送と繰り上がっていき、しばらく日曜7時30分で定着していたが『シューイチ』放送開始に伴い日曜早朝(読売テレビでは日曜7時、日本テレビでは5時30分)の放送になった。
「いい日旅立ち」、「エキゾチック・ジャパン」の期間中はそれぞれのロゴもタイトルロゴに併記されていた。
永は降板後も何度か出演していたが、国鉄民営化に反対するコメントを出したため一時期出演がなくなってしまい、当時の新聞に「永六輔さん『遠くへ行く』」と皮肉を書かれてしまった。
永は2013年7月に京都を旅したのが最後の出演だった。パーキンソン病で自力での歩行が困難だったことから、当時大学生の孫が車いすを押しての出演だった。
番組最多出演者は1972年から2004年まで出演した渡辺文雄。
番組開始当初は国鉄一社提供の番組だった名残で、長らくJRグループがスポンサーを務めJRの路線が登場する際にはロゴ付きで「JR○○線」というテロップが表示されていた。
JR以外のスポンサーではドミノ倒しのCMでおなじみ非破壊検査株式会社もよく知られている。
2022年3月にJRがスポンサーを降板し、以後は車移動をする回も増えている。
テーマ曲を歌った歌手
歌手 | 放送時期 |
---|---|
デューク・エイセス | 1970年10月- |
永六輔(セルフカバー) | 1971年4月- |
小室等と六文銭 | 1971年10月- |
小林旭 | 1972年4月- |
東京混声合唱団 | 1972年10月- |
赤い鳥 | 1973年4月- |
上條恒彦 | 1974年1月- |
安田南 | 1974年4月- |
平尾昌晃と西崎みどり | 1974年10月- |
小野恵美子 | 1975年4月- |
ボニージャックス | 1976年4月- |
森田公一とトップギャラン | 1976年10月- |
豊島たづみ | 1981年4月- |
鯨井ゆかり | 1981年7月- |
古谷一行 | 1982年4月- |
渡辺真知子 | 1982年10月- |
ダ・カーポ | 1985年10月- |
岩崎宏美 | 1990年10月- |
オユンナ | 1994年1月- |
石川さゆり | 1998年5月- |
さだまさし | 2000年10月- |
元ちとせ | 2004年3月- |
森山良子 | 2005年5月- |
Chage | 2011年1月- |
一青窈 | 2012年12月- |
フラリーパッド | 2017年6月- |
森山直太朗 | 2020年12月- |
2010年1月から10月までは番組放送40周年を記念して歴代バージョンを順不同で放送した。
また2014年からは歴代テーマ曲を週替わりで使用しているが、それまで使用されたことのない渥美清、尾崎紀世彦、比嘉栄昇(BEGIN)のバージョン、そしてジェリー藤尾の原曲が使用されたこともある。