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六・八・九トリオ

ろくはちきゅう

六・八・九トリオとは,戦後の日本を代表する3人の音楽家の総称。なお,画像は六八九の作品で最もヒットした上を向いて歩こうのレコードの模写である。
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概要編集

六・八・九トリオとは,永六輔中村八大坂本九の3人でなる,音楽家の総称。また,坂本の死の後に,コンビで活動した永と中村を六・八コンビと言う事もある。



メンバー編集

永六輔編集


永六輔


作詞担当。この中では最も長く生きている。1959年に中村の誘いで作詞活動を始め,黒い花びらでレコード大賞受賞。2年後には,「夢であいましょう」で構成を手掛け,人気タレント,作詞家としての記事を確立。また,名曲・「上を向いて歩こう」がヒットした事から,大きく話題となる(なお,永本人は,坂本の歌い方に激怒し,売れるはずが無いと落胆していたようだが)。1967年の作品を最後にトリオでの作詞活動,69年に作詞活動そのものを引退した。


中村八大編集

作曲担当。この中では最年長。ジャズピアノの衰退から永に目をつけ,自身が作曲,永が作詞を手掛ける体制を整える。トリオでの活動後は,青島幸男などの様な人気タレントと作詞をしたり,吉永小百合三波春夫に競作を作曲したりと,裏で人気歌手やタレントと繋がっていた。実は三島由紀夫と古くからの知り合い。同期にいずみたくがいる。


坂本九編集


鉛筆画 坂本九


歌手担当。彼らとは別の独特な感性を持っており,上を向いて歩こうもかなり批判があったという。パラキン時代,売れ行きが伸び悩んでいた坂本だったが,悲しき六十歳ステキなタイミングの和訳カバーでヒットした事,そしてヒットが,「夢であいましょう」からだった為に,永や中村からの誘いを受けた。



ヒット曲編集


六・八・九勢揃い編集





六・八・九のうち,1人が欠けている編集


 作曲がいずみたく


 作詞が青島幸男


 歌手が梓みちよ


 作詞が島田陽子


 歌手がジェリー藤尾




別名・表記ゆれ編集

六・八コンビ 六・八・九


関連タグ編集

永六輔 中村八大 坂本九

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