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平沢進

ひらさわすすむ

日本のミュージシャン・音楽プロデューサー・映像CGアーティスト。有限会社ケイオスユニオン社長。愛称は「師匠」「ステルス・メジャー」「音楽使い」。
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間違えてないか?編集

私は平沢進だぞ。平沢唯じゃない。

私は「元ネタ」ではなくて「本物」だぞ。


概要編集

日本音楽家、音楽プロデューサー、CGアーティスト。

独特な歌唱法・歌詞・曲、そして自身が手がける華麗なPVで、YouTubeニコニコ動画などでも人気が高い。


1954年4月1日生まれ。東京都出身。


メジャーな音楽「業界」から離れながら、独自路線で活動を続けている。

これまでに提供曲、バンド・ユニットアルバム、ソロアルバム等含め400曲以上を複数名義で手掛けている。


1973年にプログレッシブ・ロックバンド、「マンドレイク」を結成し、活動を始める。

1979年にはマンドレイクを母体としたP-MODELを結成し、レコードデビュー。ヒカシュープラスチックスとともに「テクノ御三家」と称され、ニューウェーブ、テクノミュージックブームの火付け役となった。


また、バンドと並行してソロやプロデュースの活動も行い、1980年代から1990年代前半ごろには(ペンネームを用いて)CMソングなどを数多く手がけた。


1988年のP-MODELの活動「凍結」宣言に伴い、以降はソロでの活動が中心となる。


インターネットを黎明期から活用しており、1995年には自らホームページを立ち上げている。また、Perl言語でプログラミングを行い、自社販売サイトを制作している。

1999年から、業界ではいち早くオンライン上でMP3形式のデジタル音源配信を行っており、これは日本でのメジャーレーベル出身のアーティストとしては初の試みであった。

P-MODELの活動に関しても、メンバー間のオンライン上のやり取りのみで楽曲の制作を行ったりした。



観客によってライブ中に次曲やストーリーが決められていく、インタラクティブ・ライブシステムの発案者でもある。

1994年からインタラクティブライブを開始したが、更に1998年時点では自宅からインターネットにより現地組と共にライブ参加を可能にし、2001年にはそのライブシステムが経済産業省デジタル大賞を受賞している。


アニメなどの劇伴もいくつか手がけており、特に平沢のファンを公言する今敏の作品に多数参加している。『パプリカ』のテーマ曲『白虎野の娘』でアカデミー賞のオリジナル歌曲部門にノミネートされた実績を持つ。

このほか、同じく平沢のファンを公言する三浦建太郎の『ベルセルク』の劇伴や主題歌も担当しており、アニメファンからの評価も高い。


2019年と2021年にはプロデュースユニット「会人(EJIN)」を出演させる目的で「平沢進+会人」としてフジロックに参加。YouTube上では2019年度は5万5千人。2021年度は11万人がライブ中継にて視聴及び参加した。


公式ライブ映像編集

2017


2019


2022


音楽性編集

ソロ作品ではより歌に重心を置いた無国籍風サウンドで「過去(神話/民族的)」と「未来(SF/コンピューター的世界)」が「現在」に出会ったかのような独自の音楽世界を確立した。


プログレッシブ・ロック、テクノポップ、ニューエイジ、ポストパンク、ニュー・ウェイブ、シンフォニー(交響曲)、 アコースティックにオーケストラ等と音楽性は幅広い。並びに東南アジアや江戸木遣に落語といった民族音楽及び伝統音楽にも造詣が深く、様々な音楽ジャンルのエッセンスを平沢流に昇華した作品を発表している。


オリジナル・アルバムのみでも、P-MODELで12枚、平沢進で14枚、核P-MODELで3枚の作品を発表している。多数の別名を使用しており、バンド、ソロ、サウンドトラック、提供曲を含め総作曲数は400曲を超える


歌唱では軍人のような低い声にシャウトからオペラのようなファルセットまで、様々な声色を使い分ける。


音楽業界では最初期からデジタル・テクノロジーの可能性を追求し続けており、演奏楽器はタルボギター、アコースティックギター、エレクトリックチェロの他、プログラミング、テスラコイルレーザーハープなど多岐にわたる。

また、シンセサイザーを活用した自作楽器もライブで数多く利用している。


また、人工音声合成ソフト(VOCALOID)を初音ミク販売以前の黎明期から使用しており、当時知名度の低かったVOCALOIDを楽曲やライブで利用した先駆者でもある。


前述の通り「インタラクティブ・ライブ」として観客参加型のライブ演出を取り入れており、楽曲はもちろん演出家としてもその独創性で知られている。


共同作業者(バンド・ユニット)編集

  • マンドレイク(MANDRAKE)(1973年 - 1978年)
  • P-MODEL(1979年 - 2000年)
  • (1984年 - 1996年頃)
  • 不幸のプロジェクト(1987年 - 1996年頃)
  • Global Trotters(1999年)
  • 核P-MODEL(2004年 - )
  • 平沢進+会人(2017年 - )

ジャンル編集

明確なジャンル分けは難しいが、公式の音楽作品では以下20種類のジャンル全てとなっている。


平沢はマンドレイク、P-MODEL、旬、不幸のプロジェクト、Global Trotters、核P-MODEL、ソロで上記全てをデビューからやってのけている。


また、これらをエッセンスとして平沢なりの独自音楽にまで昇華させており、彼以外に表現出来ないような無国籍の音楽を独自開発した。


評価編集

2000年に行われた「インタラクティブ・ライブ・ショウ 2000 賢者のプロペラ」が平成14年度、デジタルコンテンツグランプリ2001において、「作品表彰の部」の最高賞である経済産業大臣賞、並びにエンターテイメント部門最優秀賞を受賞している


2001年に今敏と初タッグで劇伴を担当した映画『千年女優』の主題歌「ロタティオン(lotus-2)」は、英国最古の映画機関「英国映画協会(British Film Institute ,BFI)」が最高のアニメ映画音楽の一つに選んでいる。


また、2006年に今敏とのアニメ映画『パプリカ』の劇伴を担当し、主題歌である「白虎野の娘」が米国で行われる第79回アカデミー賞歌曲賞のノミネート候補に選定された。その他、『パプリカ』の音楽は「東京アニメアワード 2007」にて個人部門・音楽賞を受賞している。


アメリカ最大の音楽レビューサイト「Rate Your Music(RYM)」の『史上最高の日本の音楽アルバム』では、ソロアルバム「救済の技法」が名邦盤ランキングにて第9位の評価を得ている他、RYMの世界ジャンル別評価では「救済の技法」がプログレッシブ・ポップランキング4位、平沢のソロユニット核P-MODELの「回=回」がエレクトロ・インダストリアルランキング6位、エレクトロ・ポップランキングではP-MODELの「P-MODEL」が9位、「Big Body」が8位、「電子悲劇/〜ENOLA」が1位。また、2021年発売のソロアルバム「BEACON」が同年のRYM世界年間アルバム評価チャートにて、アート・ポップ・アルバムで7位、プログレッシブ・ポップ・アルバムで3位と高い評価を得ている。


常に時代に先駆けた姿勢で音楽活動を行い、音楽業界内外の様々なアーティストたちへ影響を与え続けている。


略歴編集

1965年、ザ・ベンチャーズに触発され音楽活動を始める。

幼少期からギターを弾いていたが、小学4年生の時にエレキギターを購入して本格的に練習し始め、小学5年生の頃から大人のバンドに誘われてライブに参加するなどし始める。

1973年頃、プログレッシブ・ロックバンド「マンドレイク(MANDRAKE)」結成。日本のプログレシーンの先駆けとなる。

1978年に大手レコード会社からのオファーを蹴り、1979年に「マンドレイク」のメンバーを中心に結成された、テクノポップバンドP-MODELを結成する。YMOが日本のテクノポップグループでヒットし一世を風靡していた中、P-MODELは日本でヒットしたテクノポップバンドの先駆けとなり、1980年にメジャーデビューする。


1979年7月にシングル『美術館で会った人だろ/サンシャイン・シティー』でP-MODELがデビューした後は、XTCヴァン・ヘイレン等、デビューから1年経たずに大物達の来日ツアーの前座を務め日本武道館などの大舞台を経験。NHK等のテクノ特集番組にも出演。公共放送にて前衛的なステージングを披露し勢いづく。


1980年、P-MODELがデビューして間もない頃、同年3月29日に京都にて行ったライブに、当時京都に滞在していたデヴィッド・ボウイ観客の一人として参加。ライブ後、P-MODELメンバーら(平沢進、秋山 勝彦、田中靖美、田井中貞利)の楽屋にボウイは訪れて彼らと語らった。2016年1月10日ボウイが亡くなった次の日の同年1月11日、平沢は自身のTwitterにて当時のボウイとの思い出とへの彼への思いを語っている

1984年からはバンドと並行し、自作サンプリングマシン「ヘヴナイザー」などを使用した実験音楽サンプリングユニット『』を結成。


P-MODEL、旬の活動休止と再開を繰り返し現在は一時休止中。2001年以降は平沢ソロと単独の「核P-MODEL」での活動を行っている。


P-MODELでの活動の傍らソロ活動も並行して行い、ヤプーズ(戸川純)、新世紀エヴァンゲリオンアスカラングレー名探偵コナン遠山和葉役の声優宮村優子らへの楽曲提供や、「異母犯抄」名義にて長州力の入場曲「パワーホール」を手掛けたことも有名である。

『剣風伝奇ベルセルク』、『DETONATORオーガン』等で知られるアニメ監督・今敏と親交がありアニメ『妄想代理人』、アニメ映画『千年女優』、『パプリカ』などのアニメ作品の音楽を手掛けている。

アニメ映画パプリカに提供した白虎野の娘は2006年度、アメリカ合衆国アカデミー賞楽曲賞ノミネート候補に選ばれている。


インターネット上での活動も活発で、1990年代のインターネット黎明期からインターネットの可能性を見出す。

1990年からライブへ巨大CG映像表現を導入。


1994年にバンドメンバー(改訂後期)らと東京に平沢進、大阪に小西健司、京都に福間創と3か所の場所でホームページを作るなど別の活動をしながらインターネット上でやりとりし、カバンサイズのミニスタジオを片手に持ち交友関係の深いタイ王国に集結して曲作りをする音楽制作のテレワーク方式を確立、同じく94年から開始したオーディエンスの行動がライブの進行に影響を及ぼすシステム「インタラクティブライブ」と命名して開始する。

1998年より現地ライブとインターネット配信で自宅からもリアル・タイムにコネクトする、インタラクティブ・ライブ・パフォーマンスを生み出す。

また、1998年には自分たちが会場に向かわずに会場各所に設置されたコンピューター画面からライブを行い、自分たちで作成したバーチャルキャラクターになりきり観客を楽しませるなど、現代でいうYoutuberバーチャルYouTuberのような方式も完成させている。

1999年にはメジャーレーベル出身のアーティストでは日本初の音楽のMP3ダウンロード販売を個人で開始(AppleiTunesは2001年から企業初のダウンロード販売を開始)する。

1999年にメジャーレーベルを離脱。以降はインディーズレーベルで活動を行っており、自身で立ち上げた個人会社での販売サイトを通して曲やDVDなどを提供、ライブコンサートも自身と少数の社員らで企画して行うようになる。

これまでのデジタル上での革新的な手段を自ら構築していったことから、

音楽業界では彼を「インターネットのパイオニア」と評している。


また、ライブコンサートでは「レーザーハープ」や自身の開発した「チューブラヘルツ」、「亜種音培養炉」など独特なテクノロジー楽器を使用し、電動回転ノコギリを使い解体作業しながら歌唱、2020年の最新ライブではチェーンソーでライブ設置物をぶった切るなど音を音楽に変換するパフォーマンスを行う。


本人は指が痛くなるのでギター嫌いだと話すが、小学4年生から50年程ギターを弾いている


初音ミクが発売される前から音声ソフトを利用しており、白虎野の娘の女性コーラスは音声ソフトを利用している。



その独特な音楽と表現方法をすることから、「音楽家」よりも「音楽使い」とされ、

音楽使い・平沢進」の異名を持つ。



商業目的に興味も無い人間に対してメディアなどで強制的に音楽を聴かせて興味を持たせて売ろうとする音楽レーベルのやり方や、音楽シーンにデビュー当時から危機感を覚えており、興味の無い人間に無理やり音楽を勧める業界のやり方を嫌っている。

また、個人で努力して社会の地位を獲得してきたタイ王国の第三の性を持つSP-2の人々や、90年代当時に精神的に追い詰められていたエヴァのアスカラングレー役の宮村優子を労わったりと、社会で独自の地位を確立しようとしてきた人々に対して繊細に対応し、仲良くしている。


その独自の音楽性と活動はインターネット黎明期からネットユーザーファンを獲得。80年代から国内外問わずテクノニューウェーブ界にも影響を与えていたが、米津玄師DAOKOといったインターネット上から日本音楽界隈の第一線で活躍するようになったミュージシャンも影響を公言している。

また、ミュージシャンの星野源Aimerメトロノームの福助も平沢進をリスペクトしており、声優の上坂すみれ楠木ともり、漫画鬼滅の刃作者の吾峠呼世晴ベルセルク作者三浦建太郎ヘルシングドリフターズ作者平野耕太なども平沢進のファンを公言している。


また、「凝集する過去 - 還弦主義8760時間」というプロジェクトを行っており、Twitterにて制作過程などの報告を行っていた際に、自身の元バンドメンバー達と自分がモデルとなったとされている「けいおん!」のキャラクター達の存在を知り、アニメ放送期間中に

間違えてないか?私は平沢進だぞ。平沢唯じゃない。」 と発言。

あっという間にフォロワー数が1万を超えた。


私生活では猫を飼っていたことがあり、「猫に見下されるのが好き」なのだそう。

最近では「猫に踏まれるために生きている」とTwitterで言及もしている。

男は何度猫のクシャミを顔で受けたかによって磨かれる」という超理論をTwitterで述べたり、たまに家の近くに設置された猫のガチャポンを隠れて回しに行き、それをインテリアの一部として飾っていたりもする


インターネット台頭後の活動編集

80年代からインターネットの可能性を見出していた事を「インターネットのパイオニア、核P-MODEL・平沢進インタビュー」にて語っており、「1980年代の終わり頃からデジタル技術が著しく発達し、ミュージシャンが「個人」でできる範囲もどんどん広がっていきました。その頃から、音楽制作から流通に至るまでのプロセスにおける最後の部分、つまり「情報発信」とダウンロードを含めた「流通」の部分が、インターネットによって完全に網羅されると思ったんです。」、「当時のP-MODELのような、デジタルで音楽を形にしていくアーティストにとって、「ライブをやることの必然性」というのが実はあまりないんですよ。もちろん、打ち込まれた音源を大勢の人の前で鳴らし、それに合わせて生身の人間がパフォーマンスをすることには意義があると思います。ですが、それとはまったく違う形で、デジタル系のアーティストが「ライブをやることの必然性」を探りたかったんです。それと、せっかく手中に収めたインターネットというメディアを、自分の音楽のなかにどう取り込んでいくか? というある種の実験の意味もありました。」、「たとえばレコーディングスタジオでの作業がパソコン1台でできるようになり、それまで資本がなければ動かせなかったメディアや流通機構を自分の手中に収めることができる。そういった感触を得ることができたため、インターネットを早い段階から積極的に取り入れることにしました。」などとインタビュー内で語っている。


1994年から活動再開した改訂P-MODELでは、インターネットをキーワードとしており、P-MODELのオフィシャルサイトではライブツアーやレコーディングの模様をMPEGファイルとして配信、各メンバーが個人ホームページを開設しリスナーとの直接なやり取りが行われた。平沢も個人ホームページ『Ghost Web』を開設した。自身のケイオスユニオンの掲示板はPerl言語でプログラミングを行い、販売サイトとしてクレジットカード決済を導入した。


P-MODEL結成30周年、およびソロ活動20周年にあたる2009年には『凝集する過去 還弦主義8760時間』というプロジェクトを開始し、特設サイトではイントロダクションとして平沢による語りと今までのライブ音源やライブ画像、フライヤーが視聴、閲覧が可能であった。また、P-MODELと平沢ソロの楽曲をそれぞれストリングスアレンジしたアルバム『突弦変異』、『変弦自在』をリリース。


このイベントの一環として本人による公式Twitterのアカウントを開設。進捗状況の報告を行い、いくつかの発言がインターネット上で話題となった。スケジュールの都合により発売記念ライブは行わない予定であったが、Twitterのフォロワー3万人を突破した事により翌年に『東京異次弦空洞』が開催された。本来ならばTwitterアカウントはイベント終了後に削除する方針が示されていたが、ライブ『東京異次弦空洞』にてイベント終了後も運用を続行する旨が発表された。


2012年6月にはニコニコ生放送に出演。約88000人もの来場者数を動員した。ファンのリクエストに答えて同年11月23日にもニコニコ生放送に出演し、こちらも約70000人が来場した。


以降はTwitterのフォロワー数に応じてインターネット上にて各種イベントを開催しており、2011年にはフォロワー数5万人突破記念として平沢の作業風景を合計5万秒配信する『Hirasawa監視50000秒』、2014年にはフォロワー数7万人突破記念として平沢が合計7万歩散歩をする『HIRASAWA追跡70000歩』がUSTREAMにて不定期配信された。2021年現在はアーカイブが公式Youtubeチャンネルで閲覧が可能となっている。


2017年にはTwitterフォロワー数が9万人を突破したことを記念し、5公演内でスネアドラムを合計9万打目指すライブ『第9曼荼羅』が開催された。なお、ゲストドラマーとして会人:鶴(TAZZ)または上領亘が参加した。その後、全公演通してのスネアドラムの打数が9万回を達成したことを記念して、音源「第9曼荼羅」が配信された。また、2021年にはフォロワー数24万人を突破したことによりライブ『24曼荼羅(不死MANDALA)』を開催した。なお、24曼荼羅ではドラムスにユージ・レルレ・カワグチが参加した。


2019年9月からは、フォロワー17万人通過記念イベントとして『170帰路の1分間』を開始。特設サイトに設置された地図と、ハッシュタグ「#平沢進170帰路の1分間」に投稿されたヒントを手がかりに正しいページへたどり着くことで、およそ1分間の動画を閲覧することができるという内容となっている。『黄金の10年周期』にまつわる長期的なイベントであることが示唆されている。


パソコン黎明期から音源のMP3に対して関心を持ち、1999年にソロ10周年・P-MODEL20周年記念として行われたプロジェクト『音楽産業廃棄物 P-MODEL OR DIE』において、P-MODELメンバーがMP3を用いて各自宅のみで楽曲を制作。インターネット上で公開ミックスダウンも行われた。MP3でファンがP-MODEL楽曲をリミックスするイベントも開催された。楽曲配信の弊害となる為、日本コロムビアとの専属契約を解除し、日経BPの協力によりP-MODELの音楽配信サイト『P-PLANT』を開設。 アルバム『音楽産業廃棄物』や『VIRTUAL LIVE』シリーズが配信された。オンライン販売にはビットキャッシュ(株)の電子決算システム“BitCash”が利用された。このMP3による楽曲配信は、メジャーレーベルで活躍してきた日本のプロアーティストとして初めてとなった。


その後、MP3ファイルについては公式ウェブサイト内において未CD化曲の販売を行っており、また、ニューアルバムをリリースする度に収録曲の中から一曲またはアウトテイク数曲を無料配信している。2011年3月にはフリージャーナリスト・市民メディア向けに楽曲を無料配信を行った。同年6月24日にはパレード・パンクの期間労働者・ステルスマンなる人物にオフィシャルサイトを占拠され、楽曲「原子力」(P-MODELの「BOAT」を編曲・歌詞を改変したもの)を無料配信させられる。後に平沢はステルスマンから奪ったカラオケ音源をオフィシャルサイトで無料配信した。


MP3をインターネットそのもの含めて「表現者としてリスナーとコミュニケーションを取る新しい枠組み」と評価している。


サブスクリプションサービスにおいては、「デジタル技術の発達やインターネットの普及によって、必然的に生まれた形態だと思います。もちろん、これから変わらざるを得ないこともたくさんあるでしょう。レコードに針を落として音楽を聴いていた時代から、携帯にダウンロードして聴く時代になり、音楽そのものの価値がその人にとってどの程度なのかを技術が決定してしまうような、そういう状況にあると思います。が、それはもう止められないことです。付帯された価値から裸にされ、むき出しになった音楽をユーザーはそのまま聴いて、いいか悪いか判断していくということは、決して悪くないと思いますし。ただ、然るべき努力を積み重ねてきた人たちが作った楽曲と、『できちゃったからアップしてみた』みたいな人の楽曲が、同じ土俵に上がっているのは問題といえば問題ですけどね。そこはきっと、今後整理がついていくんじゃないでしょうか。」と好機的であり、「たとえばリスナーとしての自分は、曲単位で聴いても本当に「いい」と思えばアーティスト名も経歴も調べる。曲の良し悪しを超えて、そのアーティストのことをもっと知りたいと思うし、アルバムで聴きたくなる。つまり、アルバムは必然なんですよ。きっと、ファストフードのように消費される音楽がある一方で、手の込んだ料理を味わい尽くすように楽しむ音楽も存在する。そこはなくならないんじゃないかと思いますけどね。」と語っている。


1999年にはP-MODELのアルバム『音楽産業廃棄物〜P-MODEL OR DIE』をMP3で配信することを発表し、それに伴う大手レーベルからの撤退を発表する。以降は著作権管理団体をイーライセンスに切り替えているが、P-MODELとして活動した初期の楽曲については権利の奪還が不可能であり、2010年に平沢が発売した『突弦変異』の収録曲の一部は、P-MODEL時代のセルフカバーであるにもかかわらずJASRACに著作権料を支払ったことを明かしている。


書籍『音楽産業廃棄物』に同封されているインタビュー(1999年)では、「メジャーレーベルが売りたいと思える曲でなければ世に出せない現状だが、インターネットなら際限がなく音楽を発信でき、その音楽を聴きたい人に直接届ける事が出来る。遠くない未来に、このようなアーティストが台頭していくでしょう。」と語っている。また、「音楽で大儲けしたいのではなく、音楽で生活が成り立てば自分はいい。メジャーレーベルならば儲ける事を強要されるが、インターネットでならリスナーとアーティストで作品を直接提供でき、どれほどお金が必要かは自分で決めれる。」と話している。


1999年に、P-MODELがMP3による新曲配信をMP3にて行っていくとしてメンバーの小西健司と福間創らと共に記者会見を開いた際には、「インターネットの発達と、音楽圧縮技術の発達により、ミュージシャン自身がリスナーに対して音楽を発信できるようになった。しかし、プロのアーティストはレコード会社との関係上、MP3形式による音楽配信は難しかった。我々はメジャーから外されても自分たちの活動は変わらない自信があるし、曲を直接リスナーに届けたいという気持ちから、メジャーからの契約を打ち切って音楽配信に踏み込んだ。MP3形式のデータを聴けないユーザーにもCDのパッケージ販売も続けていく」と答え、「今後は、レコード会社に所属しないミュージシャンが増加するだろう。ミュージシャンの自立を怖がるレコード会社もあると思う。しかし、MP3形式によるデータ配信は在庫管理などの面から見ても人員削減以外によるリストラが可能になるなどマイナス面ばかりではないだろう」と語った。


2001年1月8日のNEWS23の「特集 音楽配信の未来は」にて取材を受けた際には、「日本全国のレコードショップなどで音楽を届ける手段、これらがインターネットの到来で僕ら自身が出来るようになってきたんです。つまり、もうレコード会社に居る必要はないんです。」と答えている。集金システムとの契約や音楽配信サイトの立ち上げ等は自身で可能な限りは全て自分一人で自社で行っていると語った。また、番組内でNapster等によるインターネット上での音楽の拡散問題が取り上げられた際には、「インターネットの中で不法コピーされる事をどう解釈するかによるんですね。インターネットという物は、無名なアーティストにとって非常に有利な”武器”になるんです。それで不法コピーされて広がったとして、プロモーションとして受け止められるのであればそれでいい。」とインターネットの肯定派の立場として取り上げられた。


BSP配信では、「音楽というのは、その人の感受性が出来るに至る履歴も含めて、初めて良いか悪いか判断できるようなバックボーンが出来たうえで反応する物です。」と答えており、有線回線などを通して他者に無理に聴かせる等、自然に音楽に出会う機会を無くす事を否定している。


音楽業界及びJASRACの著作権管理体制については厳しく批判している反面、リスナーによる二次利用については「資本主義と相容れない音楽の性質」として、個人間での利用に関しては黙認している。ただし、インターネット上での活動をしていたP-MODEL改訂期の2000年のwebサイトにても掲載されたように「インターネット上への無断の公開は、手段によっては我々の活動が難しくなりかねない為注意をして欲しい」としており、ネット上にて投稿されたMAD動画などに対し、2021年の平沢のTwitterでも「人を玩具的に歪め、元の楽曲やアーティストとしてのイメージと違う解釈がされかねない物を辞めるように」とコメントしており、同一性保持権に関しての注意を促している。


現在、2000年初頭より平沢の新作CDについて販売方法は平沢本人が代表取締役社長を務める所属事務所の直売サイト、「TESLAKITE ONLINE SHOP」によるインターネット通販が中心となっており、銀行振込以外は電子決済PayPalの支払いのみの為国外ファンも直接購入可能である。店頭在庫が存在する店舗はタワーレコードやHMVの様な大都市部などのインディーズレーベルを大々的に扱っているCDショップに限られている。2000年発売の『賢者のプロペラ』以前の作品もボックスセット『HALDYN DOME』と『太陽系亞種音』の発売により、ほぼ全ての既発表音源がオフィシャル通販で購入可能となった。2021年にリリースしたアルバム「BEACON」と、核P-MODEL名義のアルバム「回=回」はBandcampにてアルバムダウンロード販売が開始された。


また、版権がポリドール(ユニバーサルミュージック)、日本コロムビアにあるオリジナル・アルバムについては2021年現在オリジナル・アルバムが2社から全て再販されており、iTunes Store等音楽配信サイトにてAACファイルの形で入手することが可能となっている。


余談編集

  • 1987年に「子供は欲しいですか?」と聞かれた際に、「世界中の子供が私の子供です。」と答えている。

  • 10歳の頃に、女性はただ奇麗なものだと思わされていたが、女性が目の前でビンタされている光景を見た時に、路上にあった女性の口から出た血が混じった湯気が立つツバを観る。それから数日後に交通事故の現場に遭遇した時に観た一人の倒れている女性の光景と、そこに桜が舞い落ちる風景に遭遇する。この二つの偶然が重なり、「女性には奇麗な物と汚い物、これが体に全て詰まっているんだ。」と感じて感動し、その後に夢心地になった話を、親友の戸川純と1990年の番組内で語っている。番組内では、世の中の男女の境目がなくなってきており、解らない物を解ろうとする人々が増えてきている事の実感や、男らしさと女らしさの再開目の溶け込みが世の中を更に面白くしてくれるだろうと語っている

  • 小学生時代は教師が棒で叩いて説教をする体罰を委員会が真似をして自分だけ殴るのを教師ぐるみでされ、自分の発言を捻じ曲げて教師に生徒全員が報告すると良い生徒扱いされていたりと、当時自覚はなかったが教師ぐるみのいじめを受けていたと語っている。また、生まれつき体質上の問題から動物性の肉を食べる事が出来ず、教師により強制的に給食の時間に食べさせられ、その度にトイレで喉からを流しながら吐き出していた。思想の問題などではなく、生まれつき体質上の問題で肉を食べれない事を当時話しても学校側は誰も理解も聴く耳も持たなかった。しかし、本人はそれらはサバイバルのような物で、悲しいや辛いと思ったと事はなかったと話しており、「こんな奴らと同じじゃないんだ」という、「孤立」こそが自分なのだという意識を持った体験だったという。また、小学4年生の頃の担任となった先生が初めて自分の全てを肯定してくれたとその先生への恩について語っており、その先生が居なければ自分の評価は最低なままだったとも語っている。

  • 小学4年生の頃にエレキギターを購入し、当時はエレキギターを持つ事自体が不良と同義とされていたため、学校には一切バレないように神社で大人たちに誘われてバンドをやったりもしていた(当時からステルスだったと語っている)。また、ギターを持って街中を歩いていると大人の女性から可愛いとよく言われてもいた。しかし、本人曰く黄色い声援よりも、大人のバンド相手に実力以上のテクニックで褒められる事への心地よさを感じていた。また、小学生の頃から好きであり、猫と戯れているのも心地よかったと語っている。

  • 既に存在する全く同じやり方での音楽やライブをする事が好きではなく、最初に始めた作曲方法(例として近年ではEDMなどをあげている)をただ真似するだけで音楽を売るのは自分でものが考えられないのと同義だと考えており、「ただ真似しないで別のやり方を加えたり、全く違う方法を考えるのが最初に始めた人物への最大の敬意」であると語っている。それらの事もあり、「マンドレイク時代は余り賢くなかった」とも振り返っている。

  • 「幼少期から自分はマイナーな存在だと自覚しているのに、何故ここまでTwitterのフォロワーが伸びてしまっているのか」と2019年にゲンロンカフェにて斎藤環との対談にて話している。

  • 高校時代に、実質5人目のP-MODELメンバーでもあった兄の(本人はアニキと呼んでいる)平沢裕一(平沢YOU1)に本が一冊も自室に無いと指摘され、「本が部屋に無いのはカッコ悪い」と教えられて宮沢賢治などの本を読むようになる。

  • 幼少期から謎の悪夢を見る体質で、P-MODELのアルバム「ANOTHER GAME(1984)」の頃にはパニック障害のような状態になり、その際に哲学者ユングの「夢を記録する」という方法や、自律神経コントロールを始めて安定するようになったと語っている。また、「ANOTHER GAME」に収録されている「ANOTHER GAME」は、当時まだどのアーティストも行った事が無かった所謂自己コントロール音だったとも語っている。

  • 1990年初期にタイ王国へ行き、深い衝撃を受ける(「タイショック」と呼ばれている)。
    • それ以降タイ王国の人々と交友関係を持っており、また第三の性を持つタイ王国の人々「SP-2」や、その他のタイ王国の親友なども自身のライブにも参加している事がある。
    • 1998年のP-MODELの海外ライブとしてタイ王国に行き大反響を受けていたりと、タイ王国にもファンが多い。


  • 2000年からエネルギー問題に関心があり、ソーラーパネルと手回し回転させて発電させる機械、そして観客から集めた中古乾電池だけで収録ライブを決行する。

  • 自身はファンには全く優しくなく、「オマエタチは便所のスリッパでゾウリムシだ」などとTwitterでいうこともあるのだが、2011年の東日本大震災が発生した際には所用でタイ王国におり、自身の家も被災したにもかかわらず、帰国前にタイの寺院に頼み被災者への祈りをしてもらい、被災したファン限定で映像を送っている。また、その寺院でお守りを200個購入し、被災したファンに送っている。
    • その後、震災発生時に壊れたオリジナルの演奏機器、「亜種音培養炉」を解体するパフォーマンスをライブで行った

  • 曲の制作スピードは異常に早く、核Pのアルバムに関しては4か月でアルバム一枚分のコードを完成させている。しかし、曲を作った後で息継ぎなどが異常に困難なものが出来ていることも多く、なぜこんなことになったのか覚えていない時もある。オリジナル演奏機器「亜種音培養炉」が完成した後には、どうやって作ってどういう構造だったか忘れてしまっている

  • 1979年に初期P-MODELがデビューした際には全く金がなく、音楽は広まったが手持ちはなかった。飛ぶ鳥を落とす勢いであったP-MODELのリーダーとして顔が知られておりバイトする事も出来なかった為、餓死寸前になった際には全財産の600円で食べられる雑草の本を購入して生き延びている。このことは「600円の分岐」と呼ばれ、2010年の55歳の誕生日に、ファンが公式指定曲を使い、ニコニコ動画にこの話をまとめた動画を投稿している

  • 1989年の時点でテクノ、ニューウェーブ雑誌にて「テクノの教祖」と表記され始める。本人は最初顔を顰めて(しかめて)いたが、1991年の頃(解凍P-MODEL)には「テクノの教祖と呼ばれるのも慣れました。」と答えている。

  • 上記されているように無類の犬猫好きであり、2010年代にも猫を飼っていたが、1997年頃には犬と猫を両方複数匹飼っていた事もあり、本人を知らない近所からは愛犬猫家とされていた。また、子猫の里親探しとして自身のファンに子猫を渡したこともある。

  • 関係者やファンから愛称として「師匠」が定着している。実際にP-MODELとして活動していた頃(の時点でメンバーから偶に「師匠」呼びされていた。因みに改訂Pメンバーの愛称は「平沢進=師匠」、「小西健司=和尚」、「福間創=課長」、「上領亘=観音(千手観音)」である。



  • ファンが自分の曲などを利用したMAD動画が好きであり、ニコニコ動画やYoutubeを巡回して確認している。また、偶に特定の動画を視聴した節のある話をTwitterで語る事もある。

  • 漫画及びアニメ作品「けいおん!」に自身らP-MODELの歴代メンバーの一部をモデルにしたキャラが登場する(詳しくは「けいおん!」のキャラクターモデル欄にて)。


盟友達の相次ぐ逝報編集


1番弟子であった秋元きつねが2014年に糖尿病で死去、

2000年から映画劇伴としてタッグを組み、知人であった今敏が膵臓癌で2010年に死去、

タイ王国の友人が急死、

自身を「先生」として慕っていた森岡賢が2016年に急死、

90年代からの付き合いであった三浦健太郎が2021年に心筋梗塞で急死、元P-MODELメンバーの福間創も同年に急死するなど、2000年以降から平沢進は友人の訃報に多く接していた。


平沢は、三浦健太郎追悼として以下を投稿している。


もはや物理的な空間を占領せずとも存在するようになった三浦さん。

これからは懸案の「語り合うこと」を

時間も空間も気にせず 思う存分脳内でいたしましょう。


本当の愛のメッセージ三浦さん。改めて、今後ともよろしくお願いします。

       平沢 


本当の愛のメッセージ編集

2002年の旧サイトでの「本当の愛のメッセージ」のタイトルで、平沢が自身の活動姿勢について答えている。


消費者本位の工業製品をお望みなら、そもそも

商品選びを間違えている悲劇の消費者がここで迷子になっている。

彼らはいち早くそのことに気づき、無駄な出費を止め、

憎悪による有害物質によって自らの身体を傷つけることから

開放されるべきだ。


素晴らしい音楽?

「お客様の声代表団」は今、彼らのいう"素晴らしい音楽"がどのようにして

出来あがっているかを垣間見て困惑しきっている。

そして、素晴らしい音楽と、消費者本位の工業製品が必ずしも一致しない

ことを知るのに時間をかけすぎている。

垣間見た現実を受け入れるか、拒絶して立ち去るかは彼ら次第だというのに。

しかし、留まるにあたってはこの際知っておくべき事がある。

私の音楽はそれほど安全なことばかりを歌っているわけでは無い、ということ。


「お客様の声代表団」は、音楽を彼らのCDプレーヤーの中に閉じ込め、所有できたと

思っただろうか?音楽はリスナーを取り巻く環境とリスナーとの間に産まれ、

機能して行くことを知るのに時間をかけ過ぎている。音楽や音楽家を滅ぼして

来たのは、「音楽は消費者の恣意的な感情だけに奉仕すべきだ」と主張する

リスナーと、「ごもっともです」と迎合し、「何も言わない音楽」で大量消費を

煽動する音楽商人たちだった。彼らは、その"量"においてキミたちの圧倒的

な教師であったろう。いわく、「ファンの減少はアーティストの命取り」。

「ポプリ」というアルバムによって、多くのファンを失いながら生き延びた

アーティストをご存知か?彼は、音楽と自らを滅ぼさないためにそうした。


分かりやすさがお望みなら、一度だけ噛み砕いてさしあげよう。

私は「我々が楽しんでいるその日に、何千人もの人々が殺されている事

を、せめて知っていたいものだ」と言った。これは、私の言いたいことの

1%にも満たない。

さて、私は今、またしても「お客様の声代表団」を困惑させる現実を披露する。つまり、


平沢というアーティストが滅びるのはいつか?

それは、あの1%さえも口にしなくなった時である。


ディスコグラフィ編集

オリジナルアルバム編集


サウンド・トラック編集

  • DETONATORオーガン 1、2、3 (1991/7,10,1992/3)
  • グローリー戦記 (1993/1)
  • 剣風伝奇ベルセルク オリジナルサウンドトラック(1997/11)
  • ロストレジェンド (1999/3)
  • ベルセルク 千年帝国の鷹篇 喪失花の章 オリジナルゲームサウンドトラック(1999/12)
  • 千年女優オリジナルサウンドトラック (2002/9)
  • ベルセルク 千年帝国の鷹篇 聖魔戦記の章 オリジナルゲームサウンドトラック(2004/1)
  • 妄想代理人オリジナルサウンドトラック (2004/5)
  • パプリカオリジナルサウンドトラック (2006/11)
  • 映像のための音楽~平沢進サウンドトラックの世界 (2007/6)
  • Symphonic Code | Susumu Hirasawa Instrumental Music: -The -Polydor years (2014/11)
  • Ash Crow - 平沢進 ベルセルク サウンドトラック集 (2016/9)

その他アルバム編集

  • 魂のふる里 (Charity Original Tape) (1988/4)
  • error CD (1990/10)
  • 魂のふる里 (1992/5)
  • ナノ重複記念曲集 (2003/7)
  • SWITCHED-ON LOTUS(2004/1)
  • ICE-9 (2005/8)
  • LIVE白虎野記念パッケージ (2006/7)
  • PHONON2550 LIVE (2008/4)
  • Tetragrammmaton (2008/6)
  • HALDYN DOME (2012/2)
  • P-0 Gazio Mix CD (2013/6)
  • Archetype | 1989-1995 Polydor years of Hirasawa (2014/9)
  • 架空のソプラノ Interactive Live Show SIREN (2021/11)

アレンジアルバム編集

  • SOLAR RAY (2001/10)
  • 突弦変異 (2010/6)
  • 変弦自在 (2010/11)
  • 第6フォルマント (2017/12)
  • RUBEDO/ALBEDO (2023/2)

シングル編集

  • 世界タービン (1990/5)
  • バンディリア旅行団 (1991/6)
  • 魂のふる里 (1992/4)
  • サイレン~siren~ (1996/8)
  • BERSERK -Forces- (1997/11)
  • Aria (2012/2)
  • アフリカのクリスマス (2014/12)
  • TOWN-0 PHASE-5/庭師KING (2019/11)
  • 遠征 (2023/5)

平沢が影響を与えた人物編集


他多数



関連人物・エピソード編集

平沢裕一(平沢YOU1) - 平沢進の兄。グラフィックデザイナーとしてP-MODELやFC会報のジャケットを手がける。マンドレイク時代は演出チーム「ディバイス・マンドラゴラ」を率入り、メジャーデビュー後はセルフマネジメント事務所「MODEL HOUSE」リーダーを務めた。2013年4月より茨城県つくば市にてニューウェーブカフェバー「GAZIO」を経営していたが、2015年11月をもって閉店。以降は不定期に、イベント「Cafe Gazio」や「ゆるGazi」などを開催している。


中野泰博 - 中野ブロードウェイ3Fのレコードショップ『ショップメカノ』店長。FC会報でのライブレポートや、万国点検隊隊長を務めたお礼として、核P-MODELのメカノ限定シングルを提供した。長年平沢の活動初期のプログレッシブ・ロックバンド「マンドレイク(MANDRAKE)」時代のアルバム作成を要望しており、2006年に現存する音源をリマスタリングしたアルバム「unreleased materials(アンリリースド・マテリアルズ)」がリリースされた。2010年には『超マニアックなCD屋「メカノ」はなぜ潰れないのか』というタイトルで特集が組まれた。


高橋かしこ - 編集者。記念本「音楽産業廃棄物」やライナーノーツを手がけている。平沢進ソロ25周年記念企画の監修を務め、『初期三部作』のリマスター盤に解説を寄稿、ベストアルバム『Archetype』の選曲にも携わった。


Shampoo - 1979年に結成された女性ユニット。当時シンセサイザー教室の生徒だった折茂昌美と足立眞理を、講師だった平沢がプロデュース。1982年デビュー。その後、足立が1983年に脱退し折茂のソロユニットとなるが、1999年頃よりキーボーディストのKCこと鈴木KCが活動に参加し2011年に正式加入。折茂は2005年のFC会員限定イベント「反射の集いは氷の9」にゲストとして参加。折茂はのちに大病を患い右足を切断するも、楽器化した特注の義足を駆使して活躍。

2013年には折茂がインタラクティブ・ライブ「ノモノスとイミューム」に登場人物の「サンミア」役として参加し、2015年には「World Cell 2015」に登場人物の「サリー」役として映像に出演している。2018年にKCが逝去。2022年3月から開催の6年4カ月ぶりのインタラクティブ・ライブ、『INTERACTIVE LIVE SHOW 2022 「ZCON」』に折茂が"シトリン"役として参加予定。


村田語(カタル) - パンクバンド・ニューロティカのメンバー。かつて平沢がプロデュースしたバンドTHE LOODSのメンバーであった。その時平沢がP-MODELの菊池達也が使用していたベースを譲り渡したものの、後にライブで壊してしまっている。


デヴィッド・ボウイ - マルチ・アーティスト。1979年から1980年に知り合いの京都宅に滞在していた事で知られ、P-MODELの京都公演に観客の一人として参加。ライブ後に楽屋にボウイは訪れ、メンバー達と語らった。平沢は黄色から青色に塗り替えたFernandes VK-7(エレキギター)にサインをボディー裏側に書かれたが、このギターはその後行方不明となっている。米国に帰国後、ボウイは米国版PLAYBOY誌にて坂本龍一と対談し、坂本から日本に気になるアーティストが居たかと聞かれた際、ボウイはP-MODELが気になっていると語っている。2016年、ボウイが死去した翌日に平沢はTwitter上で当時の思い出と彼への思いを語っている。


ヴァン・ヘイレン - アメリカ合衆国出身のハードロック・バンド。当時P-MODELはワーナーの洋楽部門に所属しており、対バン希望について聞かれた際、テクノ以外のバンドと演りたいとして同じワーナーの洋楽部門所属のバンドのリストからヴァン・ヘイレンを希望した。1980年の来日ツアーではP-MODELが前座を務め、日本武道館での演奏も行った。楽屋でエドワード・ヴァン・ヘイレンとマイケル・アンソニーと仲良くなり、楽屋でP-MODELの曲を演奏するなどした。平沢曰く、「ギターの人(エディ)はシャイでいい人」「ドラムの人(マイケル)は不思議な面白い人」だったと語っている。


今敏 - 漫画家、アニメーション監督。高校時代からの平沢のファンでもあり、表現スタイルに最も影響を与えたのは平沢の音楽であると語っていた。平沢が当時音楽担当として参加していたアニメ『ベルセルク』のPV編集を今敏が行っており、その後に自身の映画『千年女優』の劇伴・主題歌を平沢に依頼。以降は『パプリカ』、『妄想代理人』の音楽も平沢が担当。平沢から先に作中曲を提供してもらい、それを聴きながらコンテを起こしていた。2010年、平沢も参加予定であった新作『夢みる機械』制作中に膵臓がんで逝去。2010年11月15日、平沢は「今敏監督を送る会」に参加。今が自身をなぞらえて最も気に入っていた黄鉄石を受け取り、自身の引き出しに仕舞っている。


秋元きつね - 平沢初めての弟子として、80年代後半から90年代前半にかけてツアーライブや作品に19歳から参加。平沢を「師匠」と呼んでいた。平沢から学んだAmigaを使いCG作家としてデビュー。1999年にスクウェア・エニックスよりゲーム『せがれいじり』を発表。2014年、糖尿病の悪化により逝去。


三浦建太郎 - 漫画作品『ベルセルク』の原作者。学生時代からの平沢のファンであり、漫画制作中も楽曲を流しながら作業していた。ベルセルクのアニメ劇伴を平沢が担当するようになり、以降20年来の付き合いとなる。ゲーム『ベルセルク 千年帝国の鷹篇 聖魔戦記の章』主題歌の「Sign」、映画『ベルセルク 黄金時代篇』の主題歌「Aria」は三浦が作成した俗語一覧から平沢が作詞・作曲を行った。2021年5月20日、 大動脈解離により急死。同日、平沢は自身の公式ホームページに「三浦建太郎先生の訃報に接して」と追悼文を掲載した。


戸川純 - 1983年に結成したヤプーズのリーダー。平沢がP-MODELを凍結中にヤプーズのサポートに参加。1989年にはTV番組「夢で逢えたら」のコーナー「バッハスタジオⅡ」に平沢が参加していたヤプーズで出演し、ダウンタウンとウッチャンナンチャン並びに戸川純らと共にセッションを行った。また、1990年には戸川が平沢の「世界タービンツアー」のサポートに参加。平沢は戸川の楽曲と活動姿勢をリスペクトしており、雑誌上やTVで音楽やジェンダーに関する対談を行う等もしていた。ヤプーズは2006年から休止していたが2019年から再活動開始。2020年4月からはYoutubeチャンネルを開設し、メールお便りでの相談にメンバーの山口慎一を相手に答える動画を投稿している。平沢は「1番好きな戸川純の曲を定めるのは至難の業」としており、名曲の一つ「諦念プシガンガ」を「あれは神を作った神であります。」と語っている。


砂原良徳 - テクノミュージシャン、マスタリング・エンジニア。電気グルーヴの元メンバーで「まりん」の愛称で知られる。現在はソロと高橋幸宏主催のMETAFIVEメンバーとして活動中。1991年に平沢のソロコンサートツアー「ヴァーチュアル・ラビット・ツアー」のサポートメンバーとして参加。P-MODELの解凍期にメンバー入りも希望されていたが、電気グルーヴへ参加が先に決定したため実現しなかった。電気グルーブ入り後にはコラム『電気Grooveの生涯勉強』上で対談。また、砂原が「キーボードスペシャル」連載にてこのシンセを売ってくれる人を公募していた為、平沢は所有するMS-20の2台のうち1台を砂原に渡している。2021年のフジロックフェスティバルでは、8月20日のホワイトステージにMETAFIVE(砂原良徳、LEO今井)メンバーで、「平沢進+会人」と同日の8月22日に「砂原良徳」名義でレッドマーキーステージの最終公演に出演した。


巻上公一 - P-MODELと共に「テクノ御三家」と称されたヒカシューのリーダー。「超声楽家」としても知られるテルミンの使い手。詩集『至高の妄想』で第一回大岡信賞を受賞。2016年12月の「ヒカシュー 絶景クリスマス」では「庭師KING」や「美術館で会った人だろ」等を平沢と共に演奏並びに歌唱。互いに笑顔で握手や抱きつき合う等もした。平沢とは熱海好き仲間でもある。


ケラリーノ・サンドロヴィッチ - 有頂天リーダー。80年代後半からの付き合いで平沢を「先輩」呼びしている。2016年12月の「ヒカシュー 絶景クリスマス」では平沢と共にゲストメンバーとして参加。


大和久マサル - 3DCGムービーの制作やゲーム系デザイン、映像ディレクションなどを手がけている。CGを仕事にした切っ掛けは、「世界タービンのMVを観て自分でも作ってみたくなったからです。」としており、1999年にP-MODELの論理空軍からMV映像を担当。平沢の「TOWN-0 PHASE-5」や「RIDE THE BLUE LIMBO」のMV、Σ-12の3DCGも担当。2012年、2013年には初音ミクのオリジナルMVも発表。2014年の核P-MODEL LIVE「HYBRID PHONON」のライブ映像演出とそのDVD監督・編集、2015年のインタラクティブ・ライブ「WORLD CELL2015」のCG制作とそのDVD監督・編集も手掛ける等、平沢のライブ演出にも携わる。「平沢進さんってやっぱり孤高の気難しい芸術家の様な音楽家ですか?」という質問には、「そのような面もあるかもしれませんが、本当に気難しかったらインヤーロボとかΣ-12等々に喜んでOKを出さないように思います。」と述べている。Twitterアイコンは自身がモデリングした初音ミク。アニメも好きであり、ヴァイオレット・エヴァーガーデンを直近のお気に入りとしている。


PEVO - P-MODELのコピーバンド大会「P-MANIA!」優勝バンド。バンドネームの由来はP-MODELとDEVOを掛け合わせたものであり、DEVOのような衣装が特徴的。ヴォルキス・プロラデューク名義で平沢がプロデュース。メンバーのPEVO1号は、2014年のライブ「パラレル・コザック」「HYBRID PHONON」や、2015年のインタラクティブ・ライブ「World Cell 2015」にサポートメンバーとして出演した。


中井敏文 - 1993年に開催されたP-MODELコピーバンド大会の初代優勝者。その後平沢進のアルバムやビデオのデザインを担当する傍ら、小西健司の4-Dや中野テルヲのスタッフとしても尽力していた。近年の平沢進作品のアートワーク全般を手がけている。2021年5月24日には平沢の自社レーベル「TESLAKITE」よりアルバム2作品がリリースされた。


会人 - 読み方は「EJIN」。平沢進の2017年のライブ「第9曼荼羅」よりサポートメンバーとして参加している、謎の二人組。それぞれ松(SSHO)、鶴(TAZZ)と名がある。2019年7月にはペストマスクを装着した「白会人」が2018年の核P-MODELのライブ「回=回」に参加。2019年、会人による単独ライブを模索したが、平沢が大きなハコをSMASHに問い合わせた所、フジロックで会人と平沢と共に参加するのであれば可能とされた為、その後ユニット『平沢進+会人(EJIN)』としてフジロックフェスティバル'19にてフジロック初出演した。平沢はこのユニットを『会然TREK(エシカル・トレック)』と命名し、同ユニットで約一年間活動した。同年11月のバトルスの来日ツアーには同ユニットにサポートドラマーのユージ・レルレ・カワグチと共に、オープニングアクトとしてツアーに帯同した。2021年にはルベドマスクを装着した正体不明の二人組「ルベダリアン会人」と再びユージ・レルレ・カワグチと共に、『平沢進+会人(EJIN)』名義で平沢のライブ『24曼荼羅(不死MANDALA)』に参加。同ユニットで同年8月のフジロックフェスティバル'21の最終日の大トリとしてWHITE STAGEに出演した。2022年3月から開催の6年4カ月ぶりのインタラクティブ・ライブ、『INTERACTIVE LIVE SHOW 2022 「ZCON」』にもサポートとして参加予定。


テスラコイル - 高周波、高電圧を発生させることができる共振型変圧器。平沢がスタッフに頼み当時入手可能な最大の物を確保、ライブ演奏で使用するようになる。平沢いわく、性別は女性でサポートメンバーの一人。


中村健寿 - 茨木県つくば市のベジタブル系ラーメン専門店「KENJUキッチン」の店主。「KENJUキッチン創業三周年感謝祭」には平沢の実兄であり「STUDIO GAZIO」の店主、平沢You1が経記念グッズのランチョンマットをデザインを行い販売した。また、平沢進と対談収録がYoutubeチャンネルにて無料公開された。


ベネディクト・シュナイダー(Benedykt Szneider) - 2014に設立されたポーランドのゲーム会社「REIKON GAMES」のコンセプトアーティスト、クリエイティブ・ディレクターのポーランド人。長年平沢のファンであり、自身らが当時開発していたサイバーパンクゲーム『RUINER(ルイナー)』のゲーム内にて平沢の楽曲を使用するアイデアを持ち出し、ゲームとマッチするとわかり楽曲提供を平沢の事務所に依頼。その後平沢が許可を出し、ポリドール時代の楽曲「トビラ島」等をゲーム内楽曲として提供。『RUINER』は2017年よりSteam、PS4、Xbox Oneにて配信され、2020年にはNintendo Switchより配信並びにパッケージ版が発売された。


ユージ・レルレ・カワグチ - 小学校の音楽室にあったドラムから叩きはじめ、高校卒業と同じくしてハードコアバンド"ROSEROSE"にて活動。メジャー活動を経て現在はフリーランス。ロンドン/日本/ストリートと国内外・場所を問わずで活動するドラムソロプロジェクト(#STDRUMS)としても活動中。シェイクスピア劇団『カクシンハン』では演奏&役者出演を担当。舞台役者の横井翔二郎やナカムラルビイとも交友が深い。平沢が海外のドラマーをサポートとしてYouTubeで検索して探していた所、ロンドンの地下鉄内でのドラムパフォーマンス動画を発掘され、サポートドラマーとして呼ばれ、2019年末のバトルスの国内ツアー前座に「平沢進+会人」と共に参加。以降は2020年3月のライブ『会然TREK2K20▽03』、2021年の24曼荼羅、フジロックフェスティバル'21に「平沢進+会人」と共に参加。趣味は60〜70年代のロックレコード収集・美味しいGUINNESSビールのお店探し。キング・クリムゾンレッド・ツェッペリン等も好み、平沢とは倍程年齢が離れているがルーツが近しい為、平沢からも「話がよく合い、会話しやすい」とされている。また、大和久マサルからは「パワフル陽キャお兄さん」とされている。


ナカムラルビイ - 1996年1月10日生まれ。父親はドラムミュージシャン、大河ドラマ『竜馬伝』にも出演した俳優の中村達也。中学3年生時代に合法薬物バンド「酢酸カーミン」を発足。高校生時分には、当時のクラスメイトと「地下女子企画。」なるモツ投げ地下アイドルユニットを結成。同時期にDJも開始。2015年には、芝居方面でも表現の幅を広げ、田中要次監督作品などに出演。2019年3月には中村達也独り叩き旅にてソロサックスO.A.。同年7月、「太陽肛門スパパーン」にて『平沢進+会人(EJIN)』と同じくフジロックフェスティバル'19にてフジロック初出演。2020年、Freaky Style Locaの活動休止に伴い、説法パンクバンド「Buddhadatta」に加入。2022年3月から開催の6年4カ月ぶりのインタラクティブ・ライブ、『INTERACTIVE LIVE SHOW 2022 「ZCON」』に"ルビイ"役として参加予定。


吉田大八 - 映画監督。2013年、『桐島、部活やめるってよ』で第36回日本アカデミー賞最優秀監督賞、最優秀作品賞を始め各賞を受賞。学生時代から平沢のファンであり、「僕そのものの考え方を半分くらい作った」と語っている。2017年に三島由紀夫の小説「美しい星」の映画に平沢のソロ曲「金星」が提供されるにあたり、「CDジャーナル 2017年5月号」で対談が掲載された。


斎藤環 - 筑波大学医学医療系社会精神保健学教授。初期P-MODELからのファンであり、平沢とは2000年からの付き合い。2019年にはゲンロンカフェにて平沢と対談公演、配信を行った。自身のnoteでは『「平沢進」論』を寄稿している。


関連動画編集


関連イラスト編集

HIRASAWA佇む師匠のカンフー8760時間

ついったー


外部リンク編集

平沢進 Susumu Hirasawa(P-MODEL) Official site

NO ROOM(旧オフィシャルサイト)

moderoom(書籍“音楽産業廃棄物”の著者、高橋かしこのサイト)

X(旧Twitter)アカウント

YouTubeチャンネル

Wikipedia

アンサイクロペディア(冗談を笑って許せる人向け)


関連タグ編集

音楽 テクノ テクノポップ P-MODEL 核P-MODEL

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秋山勝彦 ことぶき光 今敏

馬の骨 筑波山


けいオスユニおん! 平沢唯 平沢親子(w/けいおん!シリーズ)

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