経歴
本名及び旧芸名・古坂和仁。エイベックス・マネジメント所属。
(底ぬけAIR-LINE時代はM2カンパニー(のちホリプロコム)所属。)
青森県立青森東高校卒業後、日本映画学校に進学。そこで出会った2人(村島亮、小島忍)と1991年にお笑いトリオ底ぬけAIR-LINEを結成、ボキャブラ天国でブレイクする。
が、ブレイクの最中の1997年にメンバーの村島が「俳優になる」と言う理由で脱退。当時村島は三人の中で一番人気があり、それがきっかけで入っていた仕事のほぼ全てが切られてしまう。
当時はインターネットがなかった事や、ネタを作り直すのを優先した事で周知ができず、ファンに脱退を公表できたのは唯一残った仕事であるイベントでの舞台上でだった。
メンバーが二人になったあとも、爆笑オンエアバトルに出場し再び人気を得ることに成功する。
2016年にブレイクした『PPAP』の前身となる『テクノ体操』のネタも、実はこの番組に挑戦した際に披露している。
2003年からテクノバンドNO BOTTOM!(現:NBR)の活動を開始し、それに専念するため底ぬけAIR-LINEとしての活動を休止させる。
古坂大魔王はもともとこのテクノバンドでの名義だった。
2005年6月には相方(小島忍/忍丸)が音楽性の違いや結婚した事を理由に脱退、芸能界も引退しており、10月に事務所を退社。底ぬけAIR-LINEは解散となる。
その後は音楽活動に専念。この頃「音楽で世界をびっくりさせたい」という理由でマネーの虎に出演したが出資を得られなかった。
2008年にピン芸人としてお笑いに復帰。テクノバンドの活動は並行して現在も続けている。
底ぬけAIR-LINE時代の代表作とも言える「あてぶりショー」などをライブなどで披露していたが、新規ファンを得るまでには至らなかった。
2010年ごろ、テレビ朝日の「雑学王」の伸び悩み芸人枠で出演したのをきっかけにプチブレイクする。
その後は地道にお笑いと音楽の二足の草鞋で活動を続け、2011年の単独ライブでシンガーソングライター・ピコ太郎が初登場、2015年にはライブで『PPAP』を披露している。
2016年8月に、『PPAP』を自身が演じるキャラ・ピコ太郎名義で歌った動画をYouTubeに投稿。親交のあるAAAらにリンクを送り、彼らが拡散したことで10代を中心に話題となり、9月にはジャスティン・ビーバーがTwitterで「My favorite video on the internet 😂😂😂😂😂😂😂😂(インターネットで見たお気に入りの動画)」と紹介したことがきっかけで世界的にブレイクする。
2017年8月3日、タレントの安枝瞳と結婚した。また、これに合わせる形でピコ太郎も78歳(当時)の妻と結婚し、プロデューサーともども新婚であると発表している。
2020年3月から、魔進戦隊キラメイジャーに博多南無鈴役でレギュラー出演している。
人物
身長186㎝の長身。三人兄弟の次男だが、兄は186㎝、弟は184㎝と兄弟揃って大柄である。
小学6年生の頃にはすでに体重は100㎏以上あり、当時はプロレスラーを目指していた。地元に興業で来ていたアントニオ猪木に土下座をし、弟子入りを志願するが、猪木に背中を叩かれ、「痛いか?」と聞かれ「痛いです…」と答えると、「痛いか。じゃあやめろ」と諭され、プロレスの道を諦めたという。
ピコ太郎がブレイクするまでは「(ビッグマウスの割に)つまらない芸人」「性格の悪い芸人」として名前が挙がることが多かった。芸を批判した観客に対し「じゃあ面白いこと言って。言えないの? やっぱり言えないよね?」と煽るなど、大人げない行動をとることがよくネタにされた。
楽屋では延々とネタを話し続けるらしく、同席した芸人からは爆笑の渦だという。芸人仲間からは楽屋では面白い芸人と言われる一方で、大舞台では実力をまるで発揮できず、その独特のノリや世界観が万人受けを難しくもしていた。
ボキャブラ天国に出演していた芸人は同世代が多く、現在でも親交がある。くりぃむしちゅーの上田晋也やバナナマン、土田晃之、ネプチューン、おぎやはぎらと仲が良く、爆笑問題の田中裕二は一緒に温泉旅行に行く仲だという。
『PPAP』ヒット後は音楽番組への出演も増えており、「ピコ太郎のプロデューサー」という肩書で紹介されることも多い。