概要
平塚市発祥の衣料店チェーンストアで、後に総合スーパーマーケットとなった。
イトーヨーカドーと並ぶ衣料品発祥のスーパーだったが、「安物売り」とみなされがちなヨーカドーに対して、長崎屋は老舗百貨店(デパート)並みの評価と核を与えられていた。
またこのことから、スーパーとしては異例のブランドフランチャイジーを行ったため、地元ローカルのスーパーマーケットに長崎屋ブランドの衣料品店が開設された。
出店傾向として東京の購買層が近い、北関東、新潟、東北地方を中心とする店舗展開を行っており、イトーヨーカドー系列やヨドバシカメラでもこの商法を採用していた(所謂、長崎屋商法)。
しかし一方でヨーカドーが早期に進出した食料品部門では遅れを取った。
前述のフランチャイジーとの兼ね合いもあり、これらのスーパーと競合することを懸念して、長崎屋では1980年代末期まで長崎屋本体ではなかった。
とは言え、「安かろう良かろう」の精神は食料品部門でも生きていた。
だが、大型スーパーの展開が都市部から郊外へと広がっていく中で、長崎屋は郊外型店舗のモデル化に失敗してしまう。
- 簡単に言うと、中核都市30分圏(東京は60分圏)という比較的近距離の郊外における、クルマ社会を理解できず駐車場不足になる店舗が続出した。
行く末を決めた荒川沖決戦
そんな中で、1983年に茨城県土浦市に出店した荒川沖店は、駅直結と駐車場完備の両方を兼ねそなえるという、真逆の構造により大成功を収めた。
というのも、この店舗は長崎屋独自のものではなく、土浦市が主体となって計画した「ショッピングセンター『さんぱる』」のキーテナントとしての出店だったためである。
それまで荒川沖駅は西口商店街が圧倒的優勢で、ここには地元ローカルのチェーンスーパーカスミ荒川沖店(初代)も存在した。一方で東口商店街は形ばかり、見通し範囲にはすでに田畑が広がるという状況だった。
ところが、東口にこの『さんぱる』がオープンすると状況は一転、西口商店街はクルマ社会に対応した構造ではなかったこともあり、衰退の一途をたどる。
そんな中、カスミ荒川沖店(初代)は、平屋建ての店舗の収容力の不利の上、立地が駅前通りに面していないという致命的な不利を抱えていたため、まもなく撤退に追い込まれた。
1991年、カスミはやや離れた県道25号線沿いに新たな店舗を開設する。茨城県荒川沖地区は土浦市と阿見町にまたがっており、当該住所は阿見町住吉だったが、常磐線陸橋をはさんで存在するジョイフル本田荒川沖店(ジョイフル本田1号店)もあり、知名度の高さからカスミ荒川沖店(2代目)となった。この店舗は、あのトイザらス1号店と一体店舗ということで知名度をあげた店舗である。
だが、その後バブル崩壊によってトイザらスの業績が悪化、店舗の小型化再編が求められる。同店の集客力が落ちると、カスミ側はもろにそのあおりを食らってしまった。結果、カスミ荒川沖店(2代目)はトイザらス荒川沖店より先に撤退、その後別の食料品主体のスーパーマーケットが収まったが、最終的に両店とも撤退した。
こうして「荒川沖決戦」に勝利した長崎屋だったが、困ったことにカスミは長崎屋衣料品フランチャイジーの1員だった。2店舗を叩き潰されたカスミはカスミ勝田店を最後に長崎屋フランチャイジーから脱退、カスミアルファという独自の衣料品流通部門を開設する。
また“交通の利便性”と“郊外型店舗において必須の大収容両能力の駐車場”の威力でカスミに勝利したにもかかわらず、長崎屋直営店は相変わらず都市型店舗のまま郊外に出店するという状況を繰り返していた。
倒産
長崎屋に対する外部の方向を決定付けてしまった“荒川沖決戦”の後、バブルが崩壊。郊外型店舗のモデル化に失敗していた長崎屋は一気に業績が悪化してしまう。さらに1990年に発生していた尼崎店の火災によるイメージ悪化も尾を引き、ついに2000年、会社更生法の適用を申請、企業体としての長崎屋は倒産した。
技術屋のスーパー再建
ところが、会社更生法適用により社外から出資者・経営責任者を招くようになった後も、迷走が続いた。再建案の中にはホームセンターなど新たな分野に進出して本体の再建を図るというまるで時流を読めていないものもあった。
皮肉なことに、仇敵カスミもまた経営不振に陥っていたが、真逆にカスミ本体とカスミアルファを除いて撤退・売却、経営のスリム化に成功して法人格の生き残りに成功した。また、このとき売却されたカスミ家電とブックランドカスミは、同じ茨城ローカルの家電店だったカトーデンキ傘下となり、現在「北関東家電御三家」と呼ばれるケーズデンキへと躍進するきっかけになった。
長崎屋の再建はもはや不可能と、他の小売店業は長崎屋への支援を拒否した。
ところがここで名乗りを上げた企業がいた。キョウデングループである。同社傘下には現在で言う100円均一ショップのさきがけとなったSHOP99(現在の「ローソンストア100」の前身の一つ)もあったが、基本的には同社はプリント基板の設計・製造を手がける電子機器メーカーだった。
キョウデンの再建策(有力店舗の再整備と人員の再教育、郊外型店舗モデルの再設計、大型店舗への他業種小売店の出店誘致)は大当たりし、ようやく長崎屋は立ち直ったのである。
ドン・キホーテグループへ
キョウデンによる会社再建計画が完了した後は、ディスカウントストアドン.キホーテグループ傘下となった。これに伴い、殆どの店舗はスーパーマーケットとディスカウントストアを折衷したMEGAドン・キホーテとなった。
そしてこのMEGAドン・キホーテという存在は時を経て「長崎屋再生の為の業態転換」のみならず「他のドンキ傘下店舗の業態転換」へと発展した。
例えば、MEGAドン・キホーテ大森山王店はドンキ直営だが、元を辿ればダイシン百貨店という別企業が運営していた(2021年7月に吸収合併されてドンキ直営化にされた)り、ドンキとユニーの合弁会社であるUDリテールでの店舗は「MEGAドン・キホーテUNY」という別ブランドとなっている(なお、各店舗の運営会社は鮮魚や精肉のラベルの表記である程度判別可能である)。
もっとも、この戦略のおかげで広島県の様な「従来の『長崎屋』名義では一度も出店を果たせず『MEGAドンキ』名義で初進出を果たした地域も存在する」という点もあるのは事実であり、店舗網拡大に貢献したという点には変わりはないのであるが。
2024年時点では『長崎屋』名義の店舗は北海道に2店舗、青森県・茨城県・大阪府・高知県に1店舗ずつの計6店舗を残すのみだが、それらも売り場の一部にドンキが出店している場合が多い(ドンキがない店舗はいずれも衣料品に特化した構成のため、純粋なGMS型店舗は既に消滅している)。
コンビニエンスストア「サンクス」との関係
ここでもう一つ忘れてはいけないのが、サークルKサンクスの片割れであったサンクスの存在である。
ブランド名は「SUN」「Kids」「US」に由来する…だけでなく「サンバード長崎屋」にも因んで(SUN&KIDS)おり、当時の長崎屋には「サン」を用いる事業部門が多かった事から、創設時のサンクスは衣料品小売部門の「サンバード」からはFCノウハウを、食品事業の「サンドール」から食料品仕入れノウハウを、ハンバーガー部門の「マイバード」からはファーストフードのノウハウをそれぞれ取り入れていた。
その後は小野グループ(なお、同グループは長崎屋からサンクスだけでなく、現在のワンダーコーポレーション傘下のVidawayの前身に当たる「サンホームビデオ」のブランドでレンタルビデオ店を展開していたサンレジャーも買収していた)を経てサークルKを運営するユニーグループとなったのちにユニーグループがファミリーマート系列となった。そしてファミリーマートにブランド転換され現在は消滅している。
したがって、ユニーと長崎屋は揃ってコンビニ事業をファミリーマートに吸収され、PPIH(ドン・キホーテ)の傘下になった格好になる。
そして舞台は再び因縁の地へ
2010年、長崎屋荒川沖店はMEGAドン・キホーテ荒川沖店に改められた。
しかし今度の敵はカスミとは比べ物にならない。日本初のホームセンターにして、バブル期以前から近づいてくる他のホームセンターやディスカウントストアを片っ端からつぶしてきた茨城の誇る無敵艦隊ジョイフル本田、それも創業の地である1号店荒川沖店に喧嘩を売ったのである。
もちろんジョイフル本田のとった行動は茨城の威信をかけた『かかってこい!相手になってやる!』。ジョイフル本田は食料品部門に進出するためジャパンミートと業務提携、2011年、荒川沖店にジャパンミートの店舗を開業させている。
だが2013年、ジョイフル本田との打ち合いで疲弊している最中、今度は背後にイオンモールつくばがオープン。かつてカスミに対して自身がしかけた仕打ちをイオンにやられ売り場面積で勝負にならず、安売りをすれば即座にジョイフル本田が打ち返してくるという八方塞がりとなり2015年、撤退とあいなった。
屋内遊園地「ファンタジードーム」
長崎屋の副業の中でも極めて特徴的?なものとしては、屋内遊園地「ファンタジードーム」が挙げられるかも知れない。
海外(特に米国やアジア新興国辺り)では「大型ショッピングセンターの内部にジェットコースターやメリーゴーランドなどを配置した、屋内型の本格的な遊園地がある」というのは決して珍しいことではないが、日本で「本格的な遊園地」と言える規模のもの、それもまとまった規模のチェーンとして存在していたのは…ファンタジードームくらいしか無いんじゃないかな?(イオングループの屋内遊園地「ファンタジーアイランド」「モーリーファンタジー」はどっちかといえばゲームセンターの延長線上的なものだし)
親会社の経営破綻後に次々と姿を消していったが、現在では青森県八戸市のショッピングセンター「八戸ラピア」に唯一のファンタジードームが生き残っている。八戸を訪れた際は立ち寄ってみるのもいいかもしれない。
八戸ラピアは八戸市の実質的な高速バスターミナルとしての機能も有しており、交通の便は中々良好である。