篠原涼子
しのはらりょうこ
元夫は俳優の市村正親(2005~2021年)で、二児の母親である。
2歳の時に母親を交通事故で亡くしている。そのため父子家庭で育った。しかし父親も披露宴をした3日後の2010年8月17日に71歳で死去している。
デビュー当初はアイドルグループ『東京パフォーマンスドール』のメンバーとして活躍。『ダウンタウンのごっつええ感じ』のコントレギュラーだった事でも有名で、歯に衣着せぬ言動や相手に物怖じしない堂々としたキャラから人気を博した。
1994年からは彼女の歌声を気に入った小室哲哉によりボーカルに抜擢されソロ歌手として活動開始する。TKプロデュースによる「小室ファミリー」の一員として「恋しさとせつなさと心強さと」などの大ヒットを残し、紅白歌合戦出場を果たした。
小室はプロデュースにあたり「男が好む女のタイプの一つの完成形を目指した」とのこと。
90年代後半に入ると「ごっつ」の強制打ち切りなどで露出が激減、地道に音楽やタレント活動を続けていたが、2000年代に女優として再びブレイクし、『アンフェア』や『ハケンの品格』などのヒット作で主演を務めている。
現在でこそ正統派女優としての顔が強い彼女だが、元々は「ごっつ」のコントレギュラーだったことからも分かるように本来は割と破天荒寄りのキャラだった。しかし本人からすれば現在でもダウンタウンには敬意を払っているほど「ごっつ」時代の過去も大事に思っており、2012年の「HEY!HEY!HEY!」最終回でもゲスト出演した際はダウンタウンとの久しぶりの再会に感動のあまり号泣したほど。
この対応は真逆の対応を取った松嶋菜々子とよく引き合いに出されがち(後述)。
ただ、女優業で再ブレイクして以降は歌手活動も続けていきたかった旨を明かしていたが、多忙により実現困難な状態にあった。